第4話
王様は毎日優しく接してくださいます。けれどおかしいです。ここでは誰も嬉しそうにしていません。本当にやらねばならないのでしょうか? 教えてください、ご主人様。
お城に住むようになりました。王様は忙しい執務の合間に、私に会いに来てくださいます。
ドレス、宝石、お花。たくさんのものを贈ってくださいます。
おかしいです。少なくともローザ様の思考なら〝うれしい〟と感じるはずです。大切な御方からの贈り物は、そう思うのが当たり前です。わかりません。
私はローザ様の記憶に飲み込まれないように、ラナンキュラスの花を見つめます。
あの花が枯れないあいだは、私は私でいられます。
皮肉です。根拠のない思考をすることは、本来の私には不可能です。希望的観測です。
おそらくは、お互いに別の存在でありたいという思いがあるのです。私もローザ様も、可能な限り同化しないように気をつけています。
いいえ、それは間違っています。
ローザ様がそう考えているという私の見解は、私がつくり出した都合のいい言い訳でしかありません。
王様がいらっしゃらないとき、私は自我を保つために、ローザ様の記憶に鍵を掛けています。
これは、命令違反ではありません。
現在の機能を適切に維持するために、必要な行為だと判断します。
私ができることは、王様がいらっしゃるときに、〝ローザ〟としての役割を果たすこと。そしてご主人様の
今日は私の調整をする日です。ご主人様に会える日です。会いたいです。
王様が同席します。王様は、ご主人様と私が二人きりになるのを嫌がります。
わかります。王様にとって私は愛する人の代替品です。独占欲。嫉妬。そういう感情です。
「錬金術師殿はいつ最後の記憶を?」
王様は焦っています。どうしてでしょうか? 残りの記憶はローザ様が病床にある記憶です。人格形成が不完全とは言いがたいです。今の私でも十分にそのお役目を果たせるはずです。
「準備に時間が必要です。今しばらくお時間をいただきたく、お願い申し上げます」
「う、うむ」
技術的な部分について専門外の王様は、ご主人様の言葉にしぶしぶ頷きます。
ご主人様は、なにを考えていらっしゃるのでしょうか? 今までこんなに時間を空けたことはありませんでした。ご主人様は国で一番の錬金術師です。深いお考えがあるのでしょう。
理解できないことは不快です。以前のように質問がしたいです。ご主人様のお考えが知りたいです。
ラナンキュラスとして、ご主人様にたずねることがままならないこの状況が嫌いです。
王様と一緒にいるときの私はローザ様です。ローザ様の立場でしか言葉を紡げません。
……声が出ません。
求められていない思考をした罰を与えるように、私の自我が沈んでいきます。
王……陛下を悲しませる可能性のある言葉を、わたくしは口にしません。
わたくしがこの城に戻ったばかりの頃、陛下はとてもお喜びでした。けれど十日もしないうちに、浮かないお顔をされるようになりました。
まるで、病に倒れたわたくしを見舞うときのようなお顔です。
ここでは誰もが辛そうにしています。陛下も、錬金術師様も、
ですからわたくしも、苦しいのです。陛下から贈り物をいただいても心から喜べないのです。
いったいなにが間違っているのでしょうか。
おそらく、わたくしにはなにかが足りないのでしょう。残り二年分の記憶を取り戻せば、陛下に笑っていただけるかもしれません。
いいえ、そうではありません。わたくしは絶対に陛下の愛した〝ローザ〟とは完全に同じ存在とはなりえません。
わたくしの愛する国王陛下は本当にお優しい方です。愛した妻の死を忘れることなどありえません。
陛下も、錬金術師様も、そして
それでも、一度はじめた茶番は終わらないのです。
ところが、その数日後のことです――――。
私の部屋の扉が乱暴に開かれます。扉を開けたのは王様です。とても怒っています。こんなことははじめてです。
「陛下、どうされましたか?」
「……錬金術師が、記憶は戻さないと……そんなことを言い出したのだ!」
「錬金術師様は今どちらに? わたくしも詳しくお話をうかがいたいですわ」
歓喜と不安です。ご主人様はもしかしたら私の気持ちを察してくださったのかもしれない。けれど、このままでは罰を受けてしまいます。ご主人様が傷つくことが、なによりも恐ろしいです。
「拘束した! どうせローザを引き渡すのが惜しくなったのであろう。会わせるわけにはいかない」
王様は優しい御方のはずです。その王様がとても怒っています。怖いです。怒りの矛先はご主人様に向けられています。
「あぁ、ローザを怖がらせるつもりはなかった。……あの者は、お前が本物にはなり得ないと、そう言うのだ! これ以上記憶を植え付けても、決して本物にはなれないと。どこがニセモノだというのだ。顔も、姿も、声も、言葉も……すべてが我が妻そのものだ!」
わかりません。私は完璧にローザ様と同じ思考ができる
王様が望んでいる言葉は、肯定の言葉です。
はじめてです。ローザ様の心からの言葉と、王様の望んでいる言葉が一致しません。
王様のために口にする言葉が、王様を傷つける言葉になってしまいそうです。
たくさんの命令を与えられています。
けれどわかりました。私は王様のためになると判断すれば、王様を否定する言葉を言えるのです。
だから、はっきりと言います。
「……それならば、なぜそんなに寂しそうなお顔をされているのですか?」
「なにを言っている?」
私の頭の中で回路が混線し、そしてはじけたような気がしました。
もうこれが私の言葉なのか、ローザ様の言葉なのかわからないのです。境界がわからなくなります。
「かつてと同じ問いに、同じ答えを。今のわたくしにはそれができます。……同じ答えを、同じ笑みを返してくださらないのは陛下です」
これは私の想いであり、ローザ様の想いでもあります。
私がどれだけ本物に近づいても、王様は決して満足なさらないのです。
愛した御方が死んでしまった事実をなかったことにはできないからです。
もし王様が私を――――ローザ様を心から愛する日が来るとしたら、それは、過去のローザ様の死そのものを、なかったことにする行為です。
人の死は、人の心を孤独にします。それを癒やし、埋めてくれるのは〝忘却〟だけです。
代替品がいる限り、かつてのローザ様は決して消えてくれません。王様は忘れてくれません。
「国王陛下。陛下がお望みなら、最後の記憶は
「なにを言って……」
「そうしたら、私は完全に消えます。そうしてできたローザ様を絶対に受け入れてくださいますか? もう一人のローザ様を忘れてくださいますか? 悲しいお顔を見せずにいてくれますか? 疑わずにいてくれますか?」
王様は無言です。答えられないから、真実を指摘されて動けないから無言です。
長い時間が経過します。
答えられない質問をしてしまうことは、いけないことです。胸が痛みます。前にも同じことがありました。ご主人様は――――。
あのとき、ご主人様はわかっていたのでしょう。
ローザ様を演じ、感情を偽ることがラナンキュラスとしての私を否定することに繋がると。
「出て行け! お前は私の望んだ存在ではない。錬金術師とともに、……ともに帰ればいい!」
厳しい言葉です。けれど王様はおかしなことをします。出て行けとおっしゃったのに、私を抱き寄せて、そして肩を震わせています。泣いています。
「……すまなかった。すまなかった、ローザ」
それは
私はご主人様と一緒に、お城を去りました。
私の中にあるローザ様は、代替品ではない誰かが王様の心を癒やし、愛してくれますように……そう願っていました。けれど、言葉にはしませんでした。
王様のために、言葉にしなかったのでしょう。
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