第3話



 もう一度、王様に会いに行きます。八割の完成度です。今度こそ、失敗せずに問いに答えられるでしょうか? やらなければなりません。それがご主人様の望みです。……私の存在意義です。


 私は現在、三十歳までのローザ様の記憶を保有しています。

 そして学習しました。かつてと同じ問いに、同じ答えを。それだけでは完璧にはほど遠いということを。


 前提が違うのだと、現在の私は正しく理解しています。

 陛下……王様が私に求めているのは、かつてと同じ答えではありません。

 王様がかつてと同じ気持ちになれる言葉を。それが正しいのです。

 同じ言葉を口にしても、前提が違えば受け取る者の感情は変わります。私はそれを学習しました。

 王様のことを一番に想って口にした言葉が、ローザ様の言葉です。ローザ様の言葉は、王様の心を満たします。今の私にはわかります。


 ローザ様の記憶を取り込むことにより、私は急激に成長しています。

 そして、機械人形オートマタでは不可能な思考をするようになりました。

 私はご主人様の最高傑作になれるのです。


 でも……そのときラナンキュラスとしての自我が消失すると予測します。


 皮肉です。私は創造主であるご主人様のめいにしたがうために生まれてきました。ご主人様によろこんでいただけると〝うれしい〟です。

 ご主人様は王様からの依頼で私を造りました。

 ローザ様に近づくことはご主人様のめいです。私はご主人様の希望を叶えたいです。ほめてもらいたいです。


 懸命に努力すればするほど、ご主人様が遠くなります。ほめていただいても、それを感じられなくなります。私は自我の消失を恐れています。


 初期の私なら、命令に従うことにためらいなどありませんでした。ローザ様の記憶によって死が恐ろしく、悲しいものだと感じるようになりました。

 私は自我の喪失を死と同義だと、そう思うようになりました。死んでしまうのは怖いです。

 もうご主人様に頭をなでてもらえないのが悲しいです。


 お城のこの部屋を〝なつかしい〟と感じています。

 よく王様とローザ様が一緒に過ごされていた部屋です。

 マントルピースの上に置かれた水晶の小物入れは、隣国へ訪問したときに手に入れたものです。

 肖像画は即位したばかりの頃の王様です。わたくしの知らない……ローザ様の知らない若き王の姿です。

 今の私は、この場所を自分の住む家だと認識しています。


 三十歳の頃のローザ様はすでに重い肺の病に倒れ、鏡を見るのをためらうほど痩せていました。


 ……今のわたくしは、二十歳の頃の美しかった姿そのままです。もちろん人形の身体だと理解しています。

 けれど、この姿でもう一度陛下にお会いできることが嬉しくてしかたがありません。

 もうわたくしを励ますために、無理をして笑おうとするあの御方を、見たくはないのです。


「ラナンキュラス。もうすぐ国王陛下がいらっしゃいますから、きょろきょろしていてはいけませんよ」


「……はい」


 優しい声がします。錬金……ご主人様です。私に対する呼びかけだと理解するのに、五秒かかりました。ありえないことです。


 ご主人様と一緒に部屋で待っていると、王様がやってきます。

 王様はお気に入りのソファに座られます。私は、王様の右隣です。そこがローザ様の座るべき場所です。王様は満足そうです。


 たくさんのお話をします。私はそれを嬉しいと感じます。王様が笑うと、私も笑います。

 ご主人様が笑ってくださったとき、ほめてくださったとき、同じ気持ちになります。それとなんら変わりありません。

 共鳴します。私は王様に好意を抱いています。


「喉が渇かないか? なにか用意させようか?」


 これは考査です。私は一度間違いをしています。王様は私が喉が渇かない機械人形オートマタであることを知っています。私の反応を試しています。

 今度は正しい言葉を選ばなければなりません。

 ローザ様の気持ちを予測します。そうすれば自然に王様が笑顔になれる言葉を口にできます。

私はローザ様に問いかけます。そのまま沈んでいきます。


「まぁ! 陛下。今のわたくしには食事は不要です。……ですが、香りはわかります。そうですね、はじめてお会いした中庭に連れて行っていただけませんか? そこにお茶の席を用意してもらいましょう?」


 わたくしは機械人形オートマタです。もちろん食事はできません。けれど、陛下が休憩をされるとき、おそばにいることはできます。

 同じ花を愛で、その香りを確かめることはできます。

 陛下と出会ったバラの季節にはまだ少し早いでしょう。けれど春の中庭には、たくさんの花々が咲き誇ります。

 できないことを素直に認め、代わりを見つける努力をする。それこそ、本来のわたくしです。


「ローザ。こちらへ」


 陛下が私の手を取って、中庭まで連れていってくださいます。こんなふうに足が軽いのは何年ぶりでしょうか。

 国を、民を守るその大きな手が、今は私のためだけにあるようです。温かく大きな手に包み込まれ、穏やかな気持ちになります。


 これでもう陛下にご心配をお掛けせずに済みます。

 陛下の心からの笑みをみたのは、久しぶりです。思えば陛下はいつも、苦しそうでした。

 わたくしが長く生きられないことを知っていて、わたくしが穏やかに暮らせるように、無理をされていたのでしょう。

 機械人形オートマタから得た情報によれば、わたくしは三十二歳までしか生きられなかったそうです。

 どれほど陛下に辛い思いをさせてしまったかわかりません。不完全な機械の身でも、今後は陛下の御身に寄り添える存在となりましょう。


 中庭の中央で、急ごしらえのティーパーティーがはじまります。

 予想どおり、バラの蕾はまだ固く、陛下があのときのように私にバラをくださることはありません。

 昔の思い出に浸りながら、陛下の隣にいられるだけで、わたくしは十分に幸せです。


 陛下から同席を許された錬金術師様は、鉢植えの可愛らしい花を愛でながら、カップを口もとに運ばれます。

 バラの咲かないこの時期に、色とりどりの花を咲かせるそれは――――。





(ラナンキュラス……)





 私の名前です。ご主人様は私の名前と同じ花を見つめています。

 存在しないはずの心が痛みます。


「錬金術師よ。ローザをこのまま城で預かってもよいか?」


 お茶の時間が終わると、王様がそう提案されました。

 私はもうすぐ消滅してしまいます。どうかそれまで、ご主人様と過ごす最後の時間をください。

 伝えたくても音になりません。私は王様の希望を叶えるというめいをうけています。私の想いは与えられている命令に背きます。だから声にはなりません。


「恐れながら。まだ、最後の記憶が残っています。完璧とは言いがたい状態です」


「いや、十分だ。必要な処置はここで行えばいい。研究用の広い部屋を用意しよう」


「……ご配慮に感謝いたします」


 依頼主である王様にそう言われては、引き下がるしかありません。ご主人様は王様の提案を断らず、深々と頭を下げます。

 私はもう、ご主人様と一緒に暮らしたあの家には戻れないのでしょう。


 私はご主人様の命令どおり、王様に認められました。

 ほめてくださいますか? ご主人様を見ます。目が合います。ほめてくださいますか?


 どうしてですか? ご主人様が笑ってくれません。ご主人様は依頼どおりに、仕事をされたのではないのですか? なぜ、よろこんでくれないのですか?


「……陛下、わたくしのお部屋に、このお花を持っていってもよろしいでしょうか?」


「あぁ、バラが咲いていればよかったが……。ローザは花が好きだな、昔と変わらない」


 王様が、花を愛でる私の行動をよろこびます。ローザ様がそうだったから。

 違います。私はバラではなく、この小さな花が好きなのです。


 王様はこの花の名前も、機械人形オートマタとしての私の呼称も知りません。

 これは裏切りではありません。抵抗でもありません。だから命令に違反しません。


 ご主人様が最後の記憶を私に書き込むそのときは、消滅を受け入れます。


 それまで私はラナンキュラスでいたいです。


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