第42話 一歩前へ

 空が赤く染まり、カラスが帰れと告げる声が聞こえる。昼からぶっ続けで特訓をした俺は、コロッセオの中心でぶっ倒れていた。


「意外と根性あるじゃねぇの。途中で音をあげると思ってた」

「ハァ、体だけは、ハァ、昔から、ゲホッ、丈夫なんでな」

「無理に喋らず呼吸を整えろ。明日もまたやるんだからな」


 なんとか最後までやり通すことができたが、それで限界がきている俺とは対照的に、バードは息切れしているが余裕を残しているし、良一郎先輩なんかは汗一つかいていない。今はまだかなりの差があるようだ。


「体力も筋力も十分あるが、無駄が多い。明日から少しずつ矯正していくぞ」

「わかった……」

「やーい、言われてやんの」

「お前もだよ」


 土で汚れた木刀を綺麗にしつつ、先輩はバードの膝を蹴った。体力の消耗のせいか踏み止まることができず、無様にそのまま倒れた。


「今はまだまだだが、ザックは飲み込みが早いし、基礎体力はお前より上だ。うかうかしてたら追い抜かれるぞ」


 予想以上のご好評をもらった俺は、悔しそうにして倒れているバードに勝ち誇った顔を見せてやった。バードはそれを見てめちゃくちゃ恨めしそうに歯軋りをした。


「カラス、ザック、元の体に戻るぞ」

「ヒトガタ使用者用の部屋まで歩くの嫌なんですけど。あと、バードです」

「元の体は疲れてないからいいだろ」


 嫌そうな口ぶりだが、バードはフラフラしながらも立ち上がった。一方俺は動こうにも動けなかった。見かねた先輩が担いでくれたが、その道中死ぬほどバードに煽られた。こいつはいつか絶対泣かす。


 その後ヒトガタから疲労の残っていない元の体に戻り、一気に体が軽くなった。


「それで、闘気のことはいつ教えてくれるんだ?」

「お前の動きがマシになってからだ。そうじゃなきゃどの道闘気は扱えん」


 その後、先輩に明日からの特訓メニューについて説明を貰い、コロッセオの出口で二人と別れた。空を見てまだ日は沈んでいないことを確認すると、俺は急いで寮の近くの公園へ走った。


 ○○○


 フロウは公園で真っ白なキャンパスを目の前に立ち尽くしていた。ザックの一件以来全く筆が進まないのだ。


「ダメかぁ」


 彼女は残酷にも沈んでいく夕日を見て、もう帰ろうと道具を片付け始めた。その時、後ろから声が聞こえた。その声の主に覚えがあった彼女は、勢いよく振り返った。


「ザックくん……」

「よかった。間に合った」


 青年が安堵のため息をつく。走ってきたのだろうか、ほんの少し息切れをしている。しかし、その顔は無気力でカッコ悪い青年から、少女に勇気を与えた強い少年のものに戻っていた。


「なんか、スッキリした顔だね」

「あー、やっぱ分かるか」


 青年は恥ずかしそうに目を逸らした。その様子を見た少女は、彼の悩みが解消されたことに安心し、そのきっかけになった人物を妬んだ。何者かが、自分より彼に寄り添えたという事実は、彼は恋心を抱く少女にとっては認めたくないものだった。そして、何もできなかったくせにそんな事を考えてしまう自分が酷く矮小に感じられて、自己嫌悪に陥った。


「それで何しに来たの」

「この前のこと、謝りたいんだ」


 青年の真剣な眼差しに刺されて、少女の胸はひどく痛んだ。あれは自分が勝手にやったことで、挙句彼を傷つけてしまった。それなのに何もできなかったと勝手に傷ついて、彼の重荷になってしまった。彼は何一つ悪くない。そう思った少女はゆっくりと首を横に振った。


「そんな必要ないよ。私ならザックくんの悩みを解決できるって思い上がって、それで何もできなくて勝手に傷ついて、謝るのは私の方だよ」


 少女の顔はひどく歪んでいた。事実を言葉として吐き出していくにつれて、自分の醜さを見せつけられて自分が嫌いになっていく。


「ごめ」

「すまん!」


 彼女が謝罪の言葉を告げようとした瞬間、それを青年の声がかき消した。その勢いのまま、呆気にとられる少女の手をとった。


「謝らないでくれ。フロウには本当に救われたんだ」

「また気を遣ってるの?」

「違う。そんなに自分を責めないでくれ。フロウの苦しむ姿なんて俺は見たくない。ただ純粋に絵と向き合う、強い姿のままでいて欲しいんだよ」


 彼の言葉が少女の傷を覆った。だんだん痛みは引いていき、代わりに熱い何かが湧き出してきた。


「お互いそうだろうけど、お前のあんな苦しそうな顔は初めて見た。その原因がカッコ悪い俺なら、変わらなきゃって、そんな俺の姿はもう見せたくないって思ったんだ。俺はフロウのおかげで変わろうって決意できた。だから、ありがとう」


 苦しみを振り切った輝く笑顔を向けられて、自分の思いが届いていたと知った少女は瞳から雫を流した。自分がザックにとって大きな存在になれたことが純粋に嬉しかった。ザックが自分のことを大切に思っていてくれたという幸福が、胸の中で溢れ出してしまいそうだった。


「ズルいよ。カッコ良くなって帰ってくるなんて」

「そっちこそ、そんなに幸せそうな顔されたら照れちまう」


 溢れ出る幸福で緩み切った少女の笑顔を見て、誠実な青年は頬を赤らめた。


 ○○○


 フロウが泣き止んだ頃、日はほとんど沈んでいて、街灯の光が目立ち始めていた。学園内とはいえ、夜道は危ないのでザックはフロウを寮まで送ることにした。青年は画材を持って彼女の隣を歩き始めた。


「なるほど、謎のご老人に失魔拳、良一郎先輩と修行かぁ。私の知らないとこでいろんなことがあったんだね」

「あぁ。なんつーか、ここ最近濃い一日が多くて疲れる」

「明日からも修行なの?」

「講義の時は除いて、朝から夕方までずっと。残り二ヶ月半であの二人の力になれるくらい強くならないといけないからな。かなりのハードスケジュールだ」

「講義まともに受けれる?」

「ははっ、どうだろうな」


 二人が和気藹々と会話をしていると、突然ザックの肩がトントンと叩かれた。誰だと思って振り向くと、人差し指が頬に突き刺さった。そして、彼の視線の先には悪戯っぽく笑うシアンが立っていた。


「……なんのつもりだテメェ」

「いやいや、なんだか久しぶりに元気な出涸らし君が見えたからね」

「そうかよ。心配かけたな」

「これっぽっちも心配なんかしてないよ?」

「ホントなんなんだお前」


 いつも通り煽っているシアンに呆れつつ、彼の後ろに目を向ける。予想通り、アルトとメアリもいた。


「ザック、帰ってきてたんだ」

「昨日帰ってきたんだが……やっぱ気づいてなかったか」


 ザックは昨日、二人が寝静まったころに本部から帰ってきて昼まで寝ていたため、朝から特訓の二人と目を合わせていないのだ。


「なんだか吹っ切れたかんじね」

「おう。やるべき事がわかったからな」


 なんだか満足そうな顔をしているメアリに、ザックはグーサインで返した。ザックはニヤニヤと笑っているシアンと、表情から迷いが無くなった彼に何があったのか気にしているアルトに、真剣な眼差しを向けた。


「この前は力にならねぇって言ったけどよ。あれを撤回させて欲しい」

「え、ザックもしかして!」

「あぁ、二次試験の三人目は俺がやる」


 その宣言を聞いて、アルトは嬉しさのあまりザックに抱きついた。それを優しく受け止め、二人は目を合わせて笑い合った。


「ザックがいてくれたら本当に心強いよ!」

「ははっ、嬉しいこと言ってくれるねぇ」


 純粋に喜んでくれているアルトを見て、この選択をしてよかったと心の底から思えた。そして、未だレスポンスのないシアンの方を向いた。彼はまだ気難しい顔をしてザックを見ていた。やはり実力主義の彼は気の知れた仲の者よりも、より強い人間をチームに入れたいようだ。


「出涸らし君。君は僕らの力になれるほど強いのかい?」

「なって見せるさ」


 自信満々にそう返されたシアンは一瞬驚いて目を丸くした。そして不敵な笑みを浮かべると、目頭を抑えて高笑いをした。


「強がりじゃない、本気の言葉だ。いいよ。君がちゃんと一次試験を突破できたら三人目として認めてあげよう」


 相変わらず上から目線なのは癪だが、一番面倒なのから認めてもらったことでザックは更に試験へのモチベーションを上げた。


「よかったねザックくん!」

「ほら、あなたもちゃんと役に立てたじゃない」


 自分のことのように喜んでくれているフロウと、かつてアルトの役に立ちたいと同じ悩みを抱えていたメアリにも激励をもらった。


 ザックが今後国に呼び戻される可能性は無くなったわけではない。しかしこの光景を見て、あの選択は間違いではないと確信できた。大切な人の力になれること、大切な人の笑顔に囲まれることの幸せを噛み締めて、ザックは弾けるように笑った。

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