第34話 覆い隠した傷
気持ちの良い朝。私はメアリと一緒に朝食のパンケーキを食べていた。ふんわりとしたメアリお手製のパンケーキはミルクティーによく合う。今日の魔法薬についての講義について考えていると、さっきまで黙っていたメアリが口を開いた。
「ベータはアルトが帰ってきたの知ってる?」
「うん。一週間ぐらい前には戻ってたんだよね。そういえば会ってないなぁ」
「最近はいつも忙しそうだから」
そう言うメアリは少し寂しそうで、普段より食べ進めるのが遅い気がする。
「それでね、アルトが帰ってきた時言われたの。みんなを守るために強くなりたいって」
その言葉に私も食べる手を止めた。私はまだアルトのことはよく知らないけど、アルトがタイラーさん以外の憲兵が相手にならないくらい強いことと、争いを好まないことは知っていた。だから、なぜ彼が強くなりたいなんて言い出したのか理解できなかった。
「アルトは十分強いよ。私の時のタイラーさんがおかしいだけで、あんなに強い召喚獣を多数使役できる魔法使いなんてそういないし」
「私もそう思ったんだけどね、アルトはまだ足りないって思ってるの」
「メアリはアルトが強くなろうとしてるのが嫌なの?」
「ううん。あの時のアルトは覚悟を決めた顔をしてた。それに、アルトが変わりたいって言ってるんなら、私にそれを止める権利なんてない」
メアリはミルクティーを一口飲んで、ふぅと一息ついた。彼女には迷いも焦りもない。しかし、胸の奥に引っかかっている何かによって、どうにも心が晴れず、落ち着いていないように見えた。
「それをわかっててなんでそんな顔してるの」
「……やっぱり心配なの。なんていうか、アルトの精神構造って戦いに向いてないのよ。底抜けにお人好しで、それでいて後先考えないくせに、痛い目にあったらなかなか立ち直れない」
「バッサリ言うね」
「別に貶してるんじゃないわ。ただ、アルトの良いところも悪いところも、戦いの中では全部欠点になるってこと」
そう言う彼女の目はずっと下を向いていて、マグカップを回してミルクティーをかき回して弄んでいる。ここ最近こんなふうに落ち着きがなかったのはこういうことかと納得し、ならばと思って提案してみる。
「心配なら見に行けばいいじゃん。メアリがいたらきっとアルトも心強いよ」
「うん。私もそうしたいと思ってる。だけど、それをしちゃったらアルトの邪魔になっちゃう気がするの」
「え、なんで?」
「なんでって……なんとなくよ」
「えぇー……まぁメアリがそう思うんならそうなんだろうね。アルトのことはメアリが一番わかってるし」
時計を見るともう講義の時間まであと三十分もない。急いで残りのパンケーキを口に詰め込んで立ち上がる。
「ごめんね、引き止めちゃって」
「いいよ。今の私があるのはメアリとアルトのおかげだし。また何かあったら相談して」
「ありがと。そうさせてもらうわ」
なんでも話せる相手がいる。それがどれだけ心の支えになるかは、ずっと一人だった私はよく分かってる。メアリの支えになれるならと笑顔でそう言うと、メアリの表情が少し明るくなった気がした。それに満足しつつ、勢いよく扉を開けて講義に向かった。
○○○
講義が全部終わったのは午後二時。そこから軽く昼食をとって休憩した後、私は情熱荘にある美術部部室に向かった。あの日、アルトとメアリと一緒に情熱荘を回った後、すぐに入部届を出し、次の日から部活に参加することになった。
当日、アルトとメアリが後ろにいてくれない不安で緊張しながら部室に入ると、私にきっかけをくれたフロウ先輩が出迎えてくれて、他の部員も私を温かく受け入れてくれた。軽く自己紹介と部活動の説明を受けたら、あとは自由になった。部全体の雰囲気は緩くて温かいってかんじ。しっかり絵を描いていることもあれば、筆を置いて駄弁ってるだけっていう時もある。でも、フロウ先輩だけはいつも絵を描いていた。みんなの輪に入れてないわけではなく、むしろみんなから好かれているのだけど、彼女はずっと絵を描いていた。
「失礼しまーす」
午後三時。部室にいつも通り入ると、フロウ先輩が一人で彫像のデッサンをしていた。彼女はこちらに気づくと、立ち上がって歩み寄ってきた。
「ベータちゃん、ちょうどよかった」
「ん?何か用事ですか?」
「そんなところかな。実は今日ね、あなたと同学年の子が来るの」
「そうなんですか」
「あれ?意外と普通の反応。周りが先輩だけで肩身が狭かったかなーって思ってたから、もっと喜ぶものかと」
「先輩達は優しいですから」
三年前から孤独だった私にとっては、人がそばに居てくれるだけで充分だった。でもまぁ、同級生がいてくれるというのは嬉しいと思う。
『ベータちゃんの絵、すっごく綺麗!』
『いいなー。私もそんなふうに上手くなりたい!』
『なーなー、絵ばっかり描いてないで外であそぼーよー』
『まぁまぁ、メルちゃんは私と宿題しとこ?』
「うっ……」
昔の友達との記憶がよみがえる。そういえば、みんなとよく絵を描いてたっけ。マイヤちゃんは勉強熱心で、よく私の絵を見てすごいって言ってくれた。リツカちゃんは面倒臭がりで、ちゃんと勉強しないとってマイヤちゃんによく言われてたっけ。メルタちゃんは外で遊ぶのが好きで、私たちが絵を描いてるときはよく退屈そうにしてて、そんなメルタちゃんの面倒をカートちゃんがしてたっけ。でも……
『う、うん。怪我治ってよかったね』
私が変わったせいでみんないなくなってしまった。最後に会った時の、マイヤちゃんのぎこちない笑顔が忘れられない。
「ベータちゃん、どうかしたの?」
「あっ、いえ、なんでもないです」
みんなに謝りたいけど、今更会う勇気なんてないし、みんなが私を受け入れてくれるのかも不安だった。昔を思い出したってどうしようもない。そう自分に言い聞かせてフロウ先輩との会話に戻る。
「その子、ベータちゃんより前に入部してたんだけど、入学してすぐはやること多いから、ずっと来れてなかったの」
部屋の整理、学園と講義についての説明、その他諸々……私はメアリに色々世話してもらったからそうでも無かったけど、普通は入学直後ってすごく忙しいんだっけ。
「仲良くなれるかな」
「すごく良い子だから大丈夫だよ。それに……あっ、来たみたいだよ」
部室の外から足音が聞こえてくる。話を中断して二人一緒に音のする方に目を向けると、ゆっくりと扉が開かれた。そして、部室に入ってきた少女を見て私は愕然とした。
「マイヤちゃん……?」
「えっ……べ、ベータちゃん?」
見間違えるはずがなかった。三年経って顔つきが変わっているけど、彼女がマイヤちゃんだってことはすぐに分かった。でも、私は情報を処理しきれないでいた。こんな神様のいたずらがあっていいの?私はどうするのが正解なの?マイヤちゃんは私をどう思っているの?またあのぎこちない笑顔を向けられることが怖い。もう向き合うことは無いと思っていた過去が怖い。
そんな恐怖と不安に迫られて、私はいつの間にか逃げ出してしまっていた。走って、走って、どこに行こうとしているのかも何も考えず走り続けた。息が切れて、喉が焼き切れそうになって、胸が苦しくなって、限界がきて私は立ち止まった。ここがどこかなんてわからない。膝に手を当てて息を整えようと必死に呼吸をする。ここはやっと手に入れた私の居場所だ。それなのに、過去が、運命が、私の邪魔をする。私はもうどうすれば良いのか分からなくなって、だだ逃げることしかできなかった。
「待ってよ!」
そう叫んで私の腕を掴む者がいた。この声、聞き間違うわけない。だけど、それは間違っていて欲しかった。恐る恐る振り返ると、顔を真っ赤にして息を切らす彼女が立っていた。
「やっと捕まえた」
「……何。私はもう」
何も考えてなかったけど、とにかく何か言おうとした私を、彼女は優しく抱きしめた。感情が追いつかなくて体が固まる。
「ごめん……ずっと一人にして本当にごめんなさい……!」
私を抱きしめた彼女は、泣いていた。
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