第21話 幸福な孤児院

 夕日が景色を橙色に染め上げる。山の中はある種の静寂に包み込まれ、ほんの少し聞こえてくる虫達の声が一日の終わりを告げているようだった。農村でシアンと話した予測が正しければもうすぐ着くはずだ。そう考えて一歩踏み出すと、子供特有の高い声が聞こえてきた。こんな山奥で聞こえる子供の声、それにハッとして顔を上げると少し遠くの丘に大きめの建物が見えた。


「見えたね。あれが兄さんの孤児院だよ」


 シアンが指差した建物は、二メートルくらいの壁に囲まれていて、木造の校舎のような見た目をしていた。周りを見ると畑や果樹園が見え、近くに川も流れている。山の中で自給自足するにはもってこいの場所だろう。


「ちょい待てよ。さっきまで影も形もなかったのにいきなり現れたぞ」

「あっ、確かに」


 僕らはしばらく直線の道を歩いていて視界に入るものはほとんど変わらなかったし、そもそも丘なんてなかった。しかし、子供の声が聞こえたと同時に僕らの目の前に丘と孤児院が出現したのだ。


「あぁ、それは結界内に入ったからだね。この結界は前に言ったテレポートを防ぐ以外にも、結界内に入らないと孤児院を認識できなくした上で、触れたやつを弾く仕様になってるんだ。今回は僕が前もって許可とってたから弾く能力は発動しなかったけどね。まぁ兄さんは軍のスカウトしかり、いろいろ迷惑をかけにくる奴が多いからこうして孤児院を守ってるんだ」

「しれっと言ってるが、強力な効果が三つもあってしかもオンオフも自由な結界を張れるとかどんだけ器用なんだよ」


 そんなことを二人が言ってたら、突然視界が真っ暗になって、次の瞬間には目の前に孤児院の門が佇んでいた。あまりの出来事への混乱も収まらない内に門が開き、暗い緑色の髪の背の高い男性が姿を現した。


「ただいま、兄さん」

「おかえり、シアン」


 シアンを出迎えた男、ブルーさんに対して発した声は今まで聞いたことがないほど柔らかかった。傲慢が服着て歩いているような彼がそんな声を出したことに、思わず僕とザックは目を見合わせた。


「それと後ろにいるのはシアンが手紙に書いてた友達かな」

「兄さん。アルト君とは友達だけどこいつは違うから。というかこいつと友達とか虫唾が走るからやめて」

「はん、こっちからからも願い下げだ」


 一気に声のトーンが落ちたシアンを見て、ザックはいつもの調子を取り戻して悪態をついた。二人のやり取りを見て僕も謎の安心感を覚えた。そんな時、ブルーさんがこっちに歩いて来て手を差し出したので、僕も手を差し出して握手をした。


「いやぁ、遠くからわざわざありがとね」

「いえ、お気遣いなく」


 彼の大きな手と優しい声色が心地よくて、不思議と疲れが取れる。このまま眠ってしまいそうだと思ったその時だった。


「でもびっくりしたなぁ。本当にシアンが話してた通りの可愛い女の子だ」

「……へ?」


 その言葉で今まで感じていた眠気が吹き飛んだ。この勘違いはよくされるが、彼の言葉にはシアンが話してたとあった。勢いよく振り返ってシアンの方を見ると、普段ザックに向けているような馬鹿にするような目をして、必死に漏れそうになる笑い声を抑えていた。


「でも、ルームメイトは同性だけだったはずだけどなぁ、ルール変わったのかな」

「えっと、僕は男です」

「はっはー、これまたシアンが言ってた通りだね。まぁ僕はその辺気にしないタイプだから」


 ブルーさんは何か気遣うように僕の肩をポンと叩き、そのまま踵を返して門の中へ入っていった。何事かと思って勢いよく振り向くと、シアンはザックの肩に両手を乗せて笑い転げるの防ぎつつ懸命に声を抑えていた。そしてザックは同情の視線を送りつつ苦笑いをしていた。


 多分シアンは僕のことを男性を自称する女性として紹介したのだろう。なんてめんどくさい事をしてくれたのだろうか。


「あの、ブルーさん。アルトの言ってること本当ですよ。このクソ野郎が嘘ついてるんです」

「え?……マジ?」

「件のクソ野郎がこうなってるのが何よりの証拠ですよ」


 もう我慢できなくなってケラケラと笑っているシアンをザックが指差すと、ブルーさんは顔を青くして勢いよく僕に頭を下げた。


「ごめーーん!まさかうちの弟が嘘ついてるなんて思わなくて……」

「ああいえ、別に大丈夫ですよ。慣れてますから」


 こうやって頭を下げるブルーさんを見ると、肩書きのような力があるのか疑わしくなった。この人からはどうにもタイラーさんや学園長みたいな強者のオーラが感じられない。僕が言えたことではないけどさ。


「そうかい。ならもう日が落ちるからはやく入って」


 ブルーさんに導かれるまま門をくぐると、広い芝の庭で遊んでいるたくさんの子供達が目に入った。そして、その子供達は僕らを見ると興味津々で近づいてきた。


「知らない人が二人いるー!」

「お客さん?新しい子?」

「右の人可愛い!でも左の人怖ーい」


 足元まで寄ってきてやいのやいの騒ぐので、僕らは圧倒されてかけそうになる。ザックなんかは明らかに不機嫌そうな顔になっている。


「およよ、たくさん来た……」

「なんだこのガキども。てか、誰が怖いだコラ」

『怖ーい!』

「あ゛?」

「品がないよ出涸らしくん」

「あ゛あ゛!」


 シアンがザックに諌めようとしてるのか煽ろうとしてるのか分からない言葉をかけると、ザックは子供達に煽られたときより強い剣幕で叫んだ。


「はいはい、みんな落ち着いて。この二人はシアンの友達で、可愛い方がアルト君で、怖い方がザック君だよ」

「ブルーさんまでそんな事言わないでくださいよ」

「子供達にはわかりやすい方がいいんだ」

「そうですか……怖い、怖いか?俺って」

「目つきが鋭いからね。でも、僕はカッコよくていいと思うよ。僕なんか男なのに可愛いって……」

「あー、一応気にしてはいんだな」


 子供達をかき分けて建物の中に入り、僕らが泊まる部屋まで通された。ベッドが二つの間に窓が一つ、あとは最低限の収納のみと簡素な作りの二人部屋。シアンは元々使っていた部屋に泊まるので、僕とザックでこの部屋を使うようだ。


 手荷物の整理が終わって部屋を出ると、ブルーさんが手招きをしていた。フローリングのかけられた廊下を滑るように移動し、ブルーさんの所まで行くとそこにはさっきまで外にいた子供達がいた。


「さて君たち。東のある国にはこんな言葉があることを知っているかな?働かざる者食うべからず。タダ飯食らいはいかんというわけさ」

「……つまりこの子達を任せると?」

「察しがよくて助かるよ。じゃあ僕は夕飯の準備してるから頼んだよ!」


 ブルーさんはそれだけ言うとさっさとどこかに行ってしまった。


「はぁ……子供は苦手なんだがな」

「そんなこと言わずにさ。意外とやってみると可愛いものだよ?はーいみんな、今から僕らとあそ、ぼっふ!」


 僕が言葉を言い合える前に一人の女の子が突進してきて、それに他の子も続く。さっきまで外で遊んでたのに元気だなぁと呑気に考えつつ地面に押し倒された。


「ねぇねぇ!こっち一緒に来て!」

「あ、うん。でもその前に上からどいてほしいな」

「こっちこっち!」

「あっぐ!ひっ、引っ張らないで!まだこの子が乗ってるから!痛い痛い!」


 幼く純粋だというのはなんと恐ろしいことだろうか。加減を知らない少女達は僕を慮ることなくグイグイ引っ張っていく。そして僕は夕飯ができるまで彼女達のおもちゃにされることになった。


 ○○○


「おやおや。随分可愛らしい格好になったね」

「……子供ってすごいね」


 女の子達の着せ替え人形にされた僕は、今は誰のものかわからないフリフリの女性用の服を着せられている。このままでという注文までされたので他のみんなにもこの姿を晒すことになる。なんだかここに来てからそんな扱いばかり受けてる気がする。


「君も子供達とうまくいってよかったよ」

「君も?」

「だー!鬱陶しいぞテメーら!」


 僕がシアンの言葉に引っかかっていたら、その答えがやいやい騒ぎながらやってきた。ザックの頭、肩、背中には一人ずつひっついている子がいて、そのほかたくさんの子に囲まれている。


「足を蹴るな!痛てて、こら引っ張るなお前も!あ"あ"体重かけるな痛え!」

「ふふっ、君は保育士の才能ならあるかもね」

「うっせえ!こいつらいくら怒鳴っても離れやがらねぇんだよ!」

「子供はそういう反応をする人が好きなんだよ。特に悪戯好きの男の子はね」

「畜生め!」


 そして、愉快なことになってるザックと一緒に食堂まで移動した。食堂に到着するとザックに引っ付いていた子供達は離れて、夕食のシチューをよそっているブルーさんの方に駆け出した。そして、子供達の分を配り終えたブルーさんが僕らにもシチューを運んできて隣に座った。


「これはこれは……完全にオモチャにされたね」

「すごいですね、子供の元気って。あっ、美味しい」


 シチューをスプーンで掬って一口食べると、優しい甘味が口の中に広がった。故郷の味と形容すべき素朴ではあるが細部までこだわられた味が疲れた体に染み渡り、ふぅと自然と安堵のため息がもれる。


 そんな時食堂の扉が開かれ、土で汚れたクリーム色の作業着を着ている僕らより少し年下くらいに見える少年が入ってきた。


「ブルーさん。明日市場に売りに行く果物、箱に詰め終わりました」

「お疲れ様。お風呂もう沸いてるから入っていいよ」

「わかりました」


 ブルーさんの言葉に従って、少年は食堂のすぐ隣にある浴室へ向かっていった。他の子供達より年齢が高く、見たところ仕事の手伝いもしてるようで気になったのでブルーさんに聞いてみると、快く答えてくれた。


「彼はサリス・フィンドリー。二年前からここの手伝いをしてくれてるんだ」

「見たところまだ十四、五歳くらいですけど、それで働いてるって何か事情があるんですか?」

「別に普通じゃねぇのか。頭が働いて体が動かせるなら労働くらいするだろ」

「え?普通ではなくない?」


 ザックの言葉にそう指摘すると、彼は「あっ」と声を漏らしてから、視線を下に向けて押し黙ってしまった。どうかしたのかと追及しようとした瞬間、ブルーさんが話し始めた。


「サリスも孤児の一人なんだよ。それも、昔の記憶を失くしてるんだ」

「え、そうなんですか……」

「原因はあの子がいた紛争地であった何かだ。相当ショックな出来事だったんだろうね。引き取ってからしばらくの間はずっと虚ろな目をしてた。でもちゃんと元気になって、二年前に恩返しがしたいってここの手伝いをしたいって言ってくれたんだ」

「なるほど、そんな理由があったんですね」


 そしてその後もここにいる子供達や孤児院について教えてもらった。シチューを食べ終わったザックとシアンが食堂を離れた頃、サリス君が風呂から上がってシチューの入った器を持ってきた。


「お隣失礼します」

「どうぞどうぞ」

「……あの人誰なんですか」


 サリス君はブルーさんの隣に座ると、こちらをチラリと見てからすぐに顔を逸らし、ブルーさんに小声で僕が誰かのかを聞いていた。


「あぁ、シアンの友達のアルト君だ」

「はじめまして。サリス君のことはさっきブルーさんから聞いたよ。今日からしばらくお世話になるからよろしくね」

「あっ、ど、どうもこちらこそ……」


 握手を求めて手を差し出すと、緊張しているのか彼の手は小刻みに震えていて言葉もたどたどしかった。しかも、さっきから一回も目を合わせてくれない。人見知りなんだろうか。


「……サリス、具合でも悪いのか?」

「えっ、いや元気ですよ」


 明らかに怪しい態度で、何かを隠そうとしているのは見え見えだったので、もしかしたら熱があるのかもと思って不意打ちで彼の額に手を当ててみた。


「ひゃあ!」


 触れた瞬間彼は変な声を出して飛び退いた。そして床に尻餅をつき、彼と初めて目があった。その彼の顔は真っ赤に染まっていて、かなりひどい熱のようだ。急いで駆け寄ってどれくらいの熱がみてあげようとすると、両手で顔を隠して触れさせてくれない。


「本当に大丈夫ですから……」

「いやいや、顔真っ赤だし絶対熱出してるよ」

「ち、ちがいます!熱じゃなくて、その……」


 寄ってくる僕にストップをかけるように両手を前に出している彼の顔はやっぱり真っ赤で、大丈夫なのかと心配しつつ、彼の言い分を聞くことにした。


「可愛らしい方ですから、つい見惚れて……」


 彼は照れて躊躇いがちにそう呟いた。……うん。今僕が女の子の格好をしてることすっかり忘れてたよ。もう一回言うけどなんか今日こんな事多くない?一度ため息をついて僕が男であることを告げると、サリス君は目を丸くして、確認するようにブルーさんの方を向いた。そしてブルーさんが無言でうなづくと、彼は気不味そうにしつつ振り絞るように呟いた。


「えっと、趣味は人それぞれですから……」

「あ、ちがっ、これは女の子達に勝手にされただけだから!」


 誤解の上に誤解を重ねられて慌てて修正する。なんとか僕の格好が趣味じゃないと納得してもらった。食事の途中何度かチラチラ見てきた気がするけど、気のせいだよね。


 そして、食事を済ませた僕はお風呂に入った後ブルーさんに本題を切り出そうと再び食堂に行くと、そこでブルーさんは銀髪の綺麗な女性と楽しそうに話していた。


「あれ、アルト君どうかしたのかい?」

「すこしお話したいことがあったんですけど、お邪魔でしたか」

「ううん。大丈夫だよ。あっ、ちょうどいいタイミングだし紹介しようか。彼女はアイリス。僕の一番大切な人さ」


 ウインクまでしてスカした態度でそう言うと、アイリスさんが後ろからちょこんと小突いた。彼女は悪戯がバレた子供のように笑うブルーさんに呆れて頭に手を添えた。


「もー、人前で変なこと言わないの。ごめんねアルト君。改めて自己紹介するわ。私はアイリス・クレバー。ブルー君の妻よ」

「えっ、ブルーさん結婚してたんですか!?」

「うん。そんなに意外だった?」

「あ、いや……確かに結婚しててもおかしくないですよね。なんでだろ」


 何故か無意識のうちにブルーさんが独り身だと思い込んでいた。本当になんでだろ。シアンのお兄さんなら結婚しててもおかしくない年齢のはずなのに。


「それよりアルト君。学園でのシアン君ってどんな感じなの?結構気になるわ」

「え、まぁすごく優秀ですよ。この前の試験は筆記も実技も学年一位でしたし」

「相変わらず天才ね。他には?例えば性格が嫌なところあるなとか」

「えっ、いやぁ……」

「正直に言っていいのよ。シアン君って昔から自己中心的なとこあるから」


 物腰柔らかで優しい顔をしているのにけっこう毒あること言うなと思いつつ、正直な感想を述べることにした。


「まぁちょっと思うところはありますよ。才能が全てで、他の人達はいくらでも見下していいって考えてる節があるし、僕は戦いなんて嫌なのに聖杯争奪戦に出ろってずっと言ってくるし」

「そうなの。うちのシアン君がごめんね」

「いえいえ、僕も迷惑かけることありますし、ブルーさんと話がしたいって言ったらすぐに取り次いでくれましたし。お互い様です」


 その後も学園でのシアンの様子や、ルームメイトの僕やザックの話をして、一時間くらい話したら満足したのかアイリスさんは部屋に戻って行った。そして食堂には僕とブルーさん二人きりになった。


「可愛いでしょ。うちの嫁」

「え、まぁ綺麗な人でした」

「惚れちゃダメだぞ?僕のだから」

「はは……」


 妻にはかなりデレデレなようだ。話してる時もあった時よりテンション高かったし……むぅ、本当にこの人はすごい魔法使いなのだろうか。気を引き締めて相談しに来たのにちゃんと収穫はあるのか不安になったが、ともかく話をしようと思った。


「あの、ブルーさん」

「うん。話はシアンから聞いてるよ」


 ブルーさんのその言葉を聞いてなぜが体が強張るような感覚に襲われた。顔もにこやかで声色も柔らかいのに、謎の威圧感が彼から発せられていた。


「ここで話すのものなんだ。ちょっと移動しようか」

「は、はい」


 僕は言われるがまま、月夜が照らす孤児院の屋根の上に連れて行かれた。

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