第20話 段違い

 悪魔達が出現した位置から、畑の作物を伝ってどんどん炎が燃え広がっていく。畑仕事をしていた老人達はあまりに突然な事でただ立ち尽くすことしかできない。そんな事お構いなしに、ローブを見に纏った大柄な悪魔を囲うようにして飛んでいる、ケラケラと笑う全裸で細身の悪魔が老人達に襲いかかった。


「うわーっ!助けてくれぇ!」


 一人の老人がそう叫んだ直後だった。一体の悪魔が突然動きを止め、もう一体が何者かに殴り飛ばされ、残りの一体が光の弾丸で蜂の巣にされた。


「やっぱり君は殴った方が強いじゃないか」

「うっせぇよ。それよりさっさとその悪魔にトドメ刺せよ。どうせ男爵級バロンは言葉を使えない。情報を聞き出すなら、アレからだ」

「わかってるよ」


 シアンが開いていた手でグッと握り拳を作ると、空中で静止していた悪魔が捻り潰された。そして、アルトも駆け寄ってきて三人が並び立つ。


「そういえばアルト君。戦いは嫌いなんじゃなかったかな?」

「……まぁいろいろあったからね。こういう戦いならしてもいいって自分で決めた」

「ふーん」


 シアンは興味なさげに頷いた。そして、三人が目の前の悪魔に向けて構えをとると、奥で立っていたローブを身に纏っている悪魔が向かってきた。


「俺が突っ込んで隙を作る。お前らはそこを突いて確実にトドメを刺せ」

「あっ、ちょっと」


 シアンがザックを止めようとしたが、既に悪魔の方に走って行ってしまっていた。ザックが拳を振りかぶって殴りかかったが、悪魔がそれ以上のスピードで反撃し、カウンター気味の攻撃をくらったザックがアルト達の方にぶっ飛ばされて帰ってきた。


「ぐっ……なんだあのスピード」

「だから言ったのに。あいつは伯爵級アールだよ」

「なっ!?上級悪魔じゃねぇか!なんでそんな奴がこんな農村を襲ってんだよ」


 ここで説明しよう。この世界の悪魔は強さによってランク付けがされており、その呼び方はここまで見てわかるように爵位になぞらえた全五段階に分けられている。概要は以下の通りである。


 特級悪魔に分類

 公爵級「デューク(duke) 」

 現れたらヤバい。すぐに対処しなければ軽く国が滅びる。ただし、対処はアリーゼやタイラークラスの連中でなければ不可能。


 上級悪魔に分類

 侯爵級「マークェス(marquess)」

 基本手に負えない。憲兵団の各隊隊長クラスや大魔法使いが必要。

 伯爵級「アール(earl)」

 憲兵や魔法使いで討伐隊を編成してギリギリ。


 下級悪魔に分類

 子爵級「ヴァイカウント(viscount)」

 兵士がいくら束になっても無駄。憲兵や魔法使いの助力が必要になる。

 男爵級「バロン(baron)」

 訓練された兵士が五人以上必要。


 兵士は一般的な軍人。憲兵は選りすぐりの人材で構成された特殊部隊。タイラー率いるパイス王国憲兵団や他国の騎士団などが含まれている。


 魔法使いはただ単に魔法を使える者でなく、魔法を戦闘用に研鑽したエキスパートが分類される。大魔法使いはその中でも突出した力を持つ者の俗称である。


 そして、本来悪魔は自ら表立って行動しようとはしない。悪魔達は殺されても大丈夫な召喚獣とは違い、死んだらそれきりなため、基本は契約者を通して力を貸すくらいだ。知能の低い男爵級ならまだしも、上級悪魔の伯爵級が突然現れるというのはかなりの異常事態であるのだ。


「悪魔の気まぐれなんて知ったこっちゃないよ。でもどうするアルト君。僕も上級悪魔相手じゃ無傷とはいかないよ?」

「……なら僕がやるよ」

「なっ!いくらお前でも上級悪魔相手は無茶だろ!」

「わかった」

「お前もなに了解してやがる!おいアルト、ここは俺たちで力を……っ!?」


 止めようとしたザックの体が動かなくなる。ザックはこの感覚に覚えがあり、シアンを睨みつけた。


「少し大人しくしててくれないかい」


 シアンにゴミを見るような目で見下されたザックは、顔に青筋を立てるほど苛ついたが、どうにもできないのでアルトの方を向いた。


 ザックはアルトが勝てるのか心配なのだ。いくらシアンが言うような才能があっても、アルトは戦闘用の魔法の研究を学園の課題の時を除いてほとんどしていない。今回の外出も、ことあるごとにアルトと戦いたがっていたシアンがアルトに何かしないか心配だったからついて来たのだ。ズンズンと悪魔との距離を詰めるアルトを見ながら、ザックは緊張で嫌な汗を流していた。


 しかし、そんな心配は無用だった。


「はぁ!」


 アルトが気合を入れて手の平を広げて天に掲げると、そこから赤色の巨大な魔法陣が発生し、さらに直径三十メートルを超える巨大な火球が出現した。シアンはそれを見て不敵に笑い、ザックは目を丸くして言葉を失っていた。


「なんだ……その魔力は……!?クソッ!このままやられる訳にはいかん!黒のノワールブロック!」


 慌てた悪魔が吸い込まれてしまいそうなほど真っ黒な壁を三枚出現させた。


「マスターフレア!」


 アルトは全く怯まず火球を打ち出した。そして、その火球は、至近距離から大砲を撃たれても傷一つつかないはずの壁を、まるで障子の紙の如く軽快に割っていき悪魔を燃やし尽くした。


「……嘘だろ。マスターフレアは汎用魔法の中で最強の炎属性魔法だぞ。戦闘用の魔法をろくに勉強してないアルトが使えるわけない」


 ザックは目の前で起きたことを飲み込めず、ただ唖然としていた。マスターフレアは、本来ならばその属性が得意で魔法の才能がある人間が訓練を積み重ねてようやく習得する魔法だ。そんな魔法を戦いが嫌いなルームメイトが放つなんて想像もしなかったのだ。


「君はまだ彼をそんな常識の範疇に収まる人間だと思っているのかい?」

「どういうことだよ」

「彼は君と……いや、僕と比べても段違いの才能を持っているんだよ。驚かないで聞いて欲しいんだが、彼の魔力の純度と量はアリーゼ学園長よりも上なんだ」

「……は?学園長は最強の魔法使いとして名高いんだぞ?ありえねぇだろ」

「残念ながら事実だ」


 ザックは驚きを通り越してただ呆然とすることしかできなかった。シアンはそんな事を気にせず話を続けた。


「ただ、その魔力を扱う術を持ってないから実際に戦えばアリーゼ学園長の方が強いだろうね。でも、魔導書を読んだだけでマスターフレアを使えるようになるんだから、本気で戦うための魔法を学んだら……ふふっ、どうなるだろうね」


 シアンは心の中で歓喜していた。頑なに力を使おうとしなかったアルトが迷いなく力を使ったのだ。そして、今彼は何かに迷って自分の兄に話を聞こうとしている。ベータの件以降、アルトの中で何かが変わり始めている。これはいい傾向だ、いつか本気で戦える時が来るかもしれないとシアンは思っていた。


「……シアン、ザック、先を急ごう」


 表情に陰りを見せるアルトが、普段からは考えられないほど弱々しい声でそう言って歩き始めた。シアンはザックにかけた魔法を解いて駆け足で追いつき、ザックも少し遅れて走り出した。その後方からは農村の人達の感謝の言葉が送られ、それは山道に入るまで途切れることはなかった。


 ○○○


 場所は変わり山の中腹。無言のまま歩き続けたアルトが突然立ち止まって近くの岩に腰掛けた。シアンは依然として気持ち悪い笑みを浮かべており、ザックはそんな彼に苛つきながらアルトを心配そうに見ていた。


「どうした?魔力を使いすぎて疲れたのか?」

「アルト君があの程度で魔力切れするわけないだろ」

「お前は少し黙ってろ!……なぁアルト。お前さっきからどうしたんだよ。悪魔はちゃんと倒したし、村の人はちゃんと守れたろ。なのになんでそんな暗い顔するんだよ」

「……心配してくれてありがと。でも、大丈夫だから」

「大丈夫じゃなさそうだから聞いてんだよ。とにかく話してみろ。お前がそんなんじゃこっちの気分まで悪くなる」


 口調は怒っているように聞こえるが、ザックがちゃんと心配してくれていると感じとったアルトは、躊躇いながらも話し始めた。


「わからないんだ。僕がやってる事が正しいのか」

「あ?どういうことだよ」

「……四日前の夜。僕はベータを守るためにタイラーさんと戦った」


 アルトの予想外のカミングアウトに二人は驚愕した。アルトとメアリが元悪魔契約者のベータを助けるために何かしたのは、彼らの話からなんとなく察していたが、まさか世界最強と言われるタイラーと戦ったなんて予想だにしなかったのだ。


「それで結果は!?」

「なっ、お前いきなりそんな事を……!」


 なんとか情報を飲み込んだシアンが次に取った行動は、目を輝かせてその結果を聞く事だった。ザックはそのデリカシーの欠片も無い行動をしたシアンをアルトから引き剥がした。


「全く歯が立たなかった。タイラーさんを本気で倒すつもりで魔法を使って、召喚獣のみんなにも戦わせたのに」


 そう言った彼はグッと拳を握り込んで、わなわなと震える。その表情からは彼が滅多に見せない怒りの感情が読み取れた。


「あの時、ベータを立ち直らせたのはメアリだし、タイラーさんを止めたのもベータの勇気だ。僕がベータを助けるって言い出したのに、結局僕は何もできなかった。その時思い知ったんだ。力がなきゃ何もできない。綺麗事だけじゃ何も為し得ないって。でも、僕はそんなの嫌なんだ!もっと他に誰も傷つかないで良い方法があるんじゃないかって……でもそんなの何も思いつかなくて、僕はただ力を振るうことしかできなくて……もう何もわかんないんだ」


 あの夜の出来事は彼を壊すには十分すぎるものだった。訳を話せば人は分かり合えるなんて考えが通用するほど人の気持ちも世界も単純じゃないと知り、力がなければただ地に伏せるのみと分からされた。平和を謳うだけでは無力だという事実は彼に重くのしかかった。


「はぁぁぁ、めっっっんどくせぇなお前」

「え?」

「考えすぎなんだよお前は。悪魔を倒して人を守れて良かった。それでいいじゃねぇか」

「でも、僕は力を使って」

「じゃあ、あのまま悪魔どもを野放しにして良かったのか?それがダメだからお前は嫌いな戦いまでしたんだろ」

「そう……だけど……」


 ザックが説得しようとしてもどうにも歯切れが悪い。ザックは大きくため息をつくと、アルトに近づいて彼の両頬をパンと同時に叩いて顔を合わせた。突然の行動に目を丸くしたアルトに、ザックは手に力を入れて威圧感のある声でこう言い放った。


「いいかよく聞け。お前は神様じゃねぇ、人間なんだよ。寿命は長くても百年、何か食わなきゃ生きてけない、風邪だって引く。お前の魔法の才能がどんだけ凄かろうがそこは変わんねぇんだ」

「そんなの分かってる」

「いいや分かってねぇ。力がどうの平和がどうの世界がどうのとか悩みやがって、それはテメェが自分は神みてぇな力を持ってるって思ってる証拠だろうが」


 それを言われてアルトはハッとした。自分は心のどこかで傲慢になっていたのだ。自分には力があると思い上がっていた。だから憲兵の集団やタイラーとも戦おうと思えたし、ただ人を守れただけで満足できなかったのだ。だが、それに気づけたところでどうしろと言うのだ。ただ漠然と戦いたくない、平和な世界を作りたいという空っぽ平和思想を掲げるだけの、自分が何者になりたいのかすらわからない中身のない人間はどんな道を歩めばいいのか。そうアルトが思った時だった。


「だから、無理すんな」


 ザックから予想だにしなかった優しい言葉が飛んできた。そして、その言葉で気持ちが一気に軽くなったのは、前にメアリに同じような事を言われたからだろう。


「メアリにも言われてんだろうが、俺からはこれしか言えねぇ。なんせ俺とお前じゃ才能が違いすぎる。こっから先の言葉は、ブルーさんに言ってもらえ」

「うん……そうだね。こんなところで悩んでても何も進まない。行こう、ブルーさんの孤児院に」


 アルトは勢いよく立ち上がって、パンと両頬を叩いて気合を入れ直した。


「それと、ありがとう。おかげで元気出た」


 そしてザックの方を向いて優しく笑いながら感謝の言葉を伝えると、照れ臭そうにそっぽを向いて「そうかよ」と呟いた。


 まだ青い空の下で、再び彼らは歩き出した。

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