第22話 恋慕


 西国大戦で住んでいた僕の村は焼かれ、両親も失った。熱血病の流行もあって国の秩序は完全に崩壊。人身売買、麻薬密売etc……様々な犯罪が横行する無法地帯と化した。その時僕はまだ五歳だったけど、そこで生き抜くためには覚悟を決めるしかなかった。ゴミ山を漁って売れそうなものや食べられそうなものを探すのなんて当たり前で、隙をついて大人達から物を盗んだりもした。……でも、殺しだけはしなかった。それをやったらもう戻れないって本能が告げていたんだ。幸い、僕は強かった。大人達からも殺さずに逃げ切れる余裕があった。


 ゴミ山を漁り、人から物を盗んで食いつないでいく。そんな生活に慣れてきたある日、僕はとうとう失敗をした。大人達から何度も盗みを働き、逃げ続けてきたが、盗んだ大人達を殺さなかったせいで僕に恨みを持つ人が報復にやってきたんだ。大人がムキになって自分から子どもに攻撃するなんて思ってなかった僕は、不意打ちで銃弾を一発叩き込まれた。弾丸は急所を外れ、僕も大人達を追い払えたけど、所詮は子供の体。急所を外れたとしても、体には大きな負荷がかかる。こんなゴミ山に治療に使える道具なんてあるわけないから、傷口からどんどん血が流れていく。とうとう体に限界が来て倒れ伏した。あぁ、ここでゆっくり死んでいくんだと覚悟した時だった。僕はアイリスと出会った。


 僕を見つけたアイリスはすぐに手当てをしてくれて、そのおかげで助かった。でも、なんで彼女が見ず知らずの僕を助けたのかわからなかった。ここは完全な無法地帯。みんな自分のことで精一杯で、他人を助けたところで自分の負担が大きくなるだけ。人も思いやる行為なんてなんの意味もない。だから、直接聞いてみた。すると、彼女は少し考えた後こう答えた。


「怪我してたから?」


 彼女の言葉には疑問符がついていて、僕の質問の意味が理解できていないようだった。きっと、理由なんてなかったんだろう。人が怪我をしていたから助けた。アイリスはこんな地獄にいてなおそんな人間らしさを失わなかった。


「なんだよ、それ」


 不意に笑みが溢れる。こんなふうに笑ったのはいつぶりだろうか。それから、なんだかお互い可笑しくなって笑い合った。あの時アイリスと出会ってなかったら、きっと今の僕はいないだろう。


 その日から僕とアイリスは行動を共にするようになった。それから二年後、僕らは一人の少年に出会った。彼は雨が降っている中、ゴミ山の上で一人立ち尽くしていた。その濁った瞳と、傷だらけの体を見たら彼がどんな辛い人生を送ってきたかすぐに分かった。


「何もかも失った。だから、俺も消える」


 放っておいてくれ。口には出していないが、そんなことも言っているように感じた。きっと、この子は二度失ったんだろう。戦争の時に一度、そしてこのゴミ山の中でもう一度。少なくとも二年間ここで生きてきた人間の心が折れるには、それしかあり得ない。


「ねぇ、僕の弟にならないかい」

「え……」


 意味がわからないというように彼はこちらを見た。そんなことお構いなしに僕は手を差し出した。僕に彼の傷が治せるかはわからない。けど、放ってはおけなかった。きっと、二年前のアイリスもこんな気持ちだったんだろう。命の灯火が消えそうになっているのを見過ごせない、それが人間の良心というものだ。

 彼は、そっと僕の差し出した手を取った。


「僕はブルー。君は?」

「ラピス」


 それから彼とも行動を共にするようになった。最初は全然笑わず目を離したら消えてしまいそうな危うさがあったが、少しずつ心を開いてくれるようになった。そして四年が経った。戦争から時間が経ったので少しずつ復興が進んできており、人が住める程度にはなっていた。しかし、治安が悪いことに変わりはなく、闇市を取り仕切るマフィアが現れたり、麻薬密売の温床になったりと危険度は以前より上がったかもしれない。

 そんなある日、ラピスは大雨の中赤子を抱えて帰ってきた。捨てられていたらしい。


「ねぇ兄さん。この子を俺たちの家族にしてやらないか」


 彼はそう言ってギュッと赤子を抱きしめた。雨に降られながら不安そうな面持ちで小さく震えていた。


「あぁ、もちろん」


 僕がそう答えると、ラピスは安心したのか表情が緩んだ。そして、赤子を初めて出会った頃からは考えられないような優しい目で見た。僕はそれを見て、たまらなく嬉しくなった。ラピスが人を思いやれる人間に成長してくれた。それが自分のやってきたことは正しかったんだと伝えているようだった。


「ふふっ、ブルーくんもいい顔してるね」

「えっ、あぁ……」


 アイリスに指摘されて自分の頬が緩みきっているのに気がついた。少しだらしない顔を見せてしまったと思い誤魔化すように指で頬を掻くと、アイリスは何故か嬉しそうに笑った。ラピスはその赤子を「シアン」と名付けた。


 そこからさらに四年後、僕らは他の孤児達と一緒に学園長に拾われた。そして、学園長は十五歳以上の子は学園に入れて、それより下の子達は孤児院に預けて十五歳になったら学園に入学させるようにした。学費を肩代わりしてくれたり、個人的に使える小遣いまでくれたりして、僕らは何一つ不自由しなかった。でも、ある日僕は学園長に呼び出されてあのことを伝えられた。


「私と一緒に理想郷を作ろう」


 あの時の学園長の目は狂気を孕んでいた。この世の全てを憎悪するかのような目をした彼女と、僕たちをあの地獄から救ってくれた人が同一人物だとは思えなかった。だから彼女の手を取ることはしなかった。でも、自分が何をすべきか分からなかったのも事実だ。


 学園に入って初めて自分の強さが規格外だと知った。あの場所でゴロツキどもを撃退し続けていたから自分がある程度強いのはわかっていたが、まさか学園の他の生徒と比べても天と地ほどの差があるとは思いもしなかった。学園で魔法を学ぶにつれてその力はどんどん膨れ上がっていった。多分、僕と学園の他の生徒全員が戦っても僕が勝つくらいの力があったと思う。僕の評判は広がって、世界中の軍隊からスカウトを受けた。


 僕はもう戦いたくなかった。あの地獄でみんなを守るために戦い続け、何度も人を傷つけて、何度も人に傷つけられてきた。そんなのもう懲り懲りだ。でも、僕くらいの力があれば何でもできそうという思いもあった。もしかしたら学園長が言うように争いのない理想郷を創り出すことだってできるかもしれない。そう考えると、何もしないことが無責任に思えてしまう。


「大丈夫?」


 色々考えて歩いているうちにたどり着いた公園のベンチに座って空を眺めていたら、いつの間にか隣に座っていたアイリスに話しかけられた。


「べつに、何ともないよ」

「強がりしない」


 アイリスが僕の額をコンッとデコピンした。思ったより強烈だったので額をさすると、アイリスと目が合い、僕は思わず目を逸らしてしまった。アイリスはそんな僕を見て「やっぱり」と呆れたようにため息をついた。


「何か隠してるでしょ」

「……わかっちゃうんだ」

「何年一緒にいると思ってるの。ねぇ、悩んでるならちゃんと相談して。ブルー君が最近元気ないって、ラピスやシアンだって心配してるんだから」


 そう言ったアイリスは唇をキュッと締めて曖昧に笑った。なんでもない世間話を装おうとしても、僕への心配が誤魔化せていないようだ。


「そこまで言うなら……」


 別に頑なに秘密にする理由もないのでアイリスに悩みを打ち明けた。彼女は話を聞き終えると立ち上がって僕の脇腹をそっと撫でた。彼女が撫でた場所は、僕が彼女と出会うきっかけになった銃創が残っている場所だった。


「戦いたくないなら戦わなくていいじゃない」

「でも、こんな力があるのに何もしないなんて」

「いいの!」


 珍しくアイリスが声を荒げたので驚いて反論が止まる。普段は温厚な彼女が声を荒げるなんて、長い間一緒にいるけどそんなこと片手の指で数えられる程度くらいしかなかった。怒っているのかと思って顔を覗き込むと、彼女は目に涙を溜めて震えていた。


「ブルー君は、あの地獄に蔓延る悪意から私達を守ってくれた。でも、その度にブルー君が傷ついて、それをただ見ることしかできなくて辛かった。……それでもずっと耐えて、学園に入ってもうブルー君は戦わなくていいんだって思った。なのにまた戦わなきゃダメだなんて、そんなのないよ!もうブルー君は十分戦ったよ!だから……だから……もう戦わないで」


 溜めていた涙が溢れ出しアイリスは叫んだ。その顔を見た瞬間、心臓を直接握られたかのように胸が苦しくなった。あの地獄でも気丈に振る舞って涙なんて見せなかった彼女が初めて涙を流した。そして、その原因は僕だ。その罪悪感が僕の胸を締め付けている。これ以上戦うことは嫌だと思っていたが、それ以上にアイリスが悲しむのが嫌だと強く感じた。


「……僕はもう戦いたくないと思ってるけど、それはどうしてもってわけじゃない。僕が多少傷つくだけで沢山の人が救われるなら僕はそれで」

「いやだ!」


 僕は戦いでそんなに苦しむわけじゃない。だから大丈夫だと伝えようとしたが、それは逆効果だったようだ。彼女はグッと目の前まで顔を近づけて、涙を流したまま目を大きく見開いて僕を見た。


「私はずっとブルー君の手当てをしてきた。だから知ってるの、ブルー君は強いけど無敵じゃないって。殴られたら痣ができるし、刃物で切られた血を流す……だから私達を守るために戦いに行くブルー君を送り出す度、いつもいつも、このまま帰ってこないんじゃないかって考えちゃって、ずっと怖かった。ブルー君がどう思うかとか関係ない。ブルー君は家族を失った私にとってかけがえのない人なの。そんなあなたがまた死の危険に晒されるのが怖いし、もし死んじゃったら私は堪えられない。だから行かないで……ずっと私と一緒に居てよ……」


 感情のまま勢いよく僕の方を掴んで思いの丈を打ち明けた彼女は、最後には地面に崩れ落ちて子どものように泣き始めてしまった。それを見て僕は自分の愚かしさに気付かされた。目の前にいるこんなに愛おしい人を泣かせておいて、世界のために力を使おうだなんて烏滸がましいことを考えていたなんて。そう思考すると同時に体が勝手に動いていつの間にか泣いているアイリスを抱きしめていた。


 だけど、そこに迷いはなかった。力を使って世界のために戦うか、自分のために戦いから逃げるかずっと迷い続けていたのに。その時僕は決めた。アイリスだけは絶対に幸せにするって。


 僕はアイリスが好きだ。ラピスやシアンに向けるものとは違う、深みのあるドロリとした感情。これはきっと恋なんだろう。戦いは嫌だと思っていたのに、今は彼女のためなら例え世界中を敵に回しても戦えるという確信があった。そして僕の理想は形作られた。


「……なるほど、それが君の選んだ道なんだね」

「はい。すみませんけど、あなたの理想は継げません」


 学園長に僕の理想を話した。彼女の狂気的な目がフラッシュバックする。あれは普通じゃない。あの時の彼女は歪みきった平和への執着が生み出した怪物だ。だから、何をされるか不安に思いながら、それでも自分の理想を貫くと覚悟して学園長にこの話をした。


「……ブルー君」

「は、はい」


 背を向けたまま言葉を紡ぐ学園長が次に何をいうか恐ろしくなって背筋が自然に伸びる。


「頑張ってね」


 その言葉は、呆れるほど優しかった。その時の学園長の顔に影がかかっていたように見えたのは、本当に後ろから差し込む光のせいだったのだろうかと、今でも考えてしまう。


「ブルー君。話って何?」


 学園長と話を終えたその足でアイリスの部屋を訪ねた。ルームメイトは校外のスポーツの試合に行っているからいなかった。笑顔で迎え入れてくれた彼女は紅茶を淹れて僕に差し出した。


「うん。学園長の話は断ってきたんだ」

「そうなの!はぁーー、よかったぁ」


 アイリスは安堵の表情を浮かべ、力が完全に抜けてソファに埋もれた。そんな彼女を見て、大切にされてるなぁと少し自惚れた。


「あともう一つ、アイリスに伝えたいことがあるんだ」


 真剣な声色で話すと、それを感じ取ったのか海藻のようにゆらゆらしていた体をピンと伸ばして話を聞く体勢になってくれた。心臓がバクバクと凄まじい勢いで鼓動する。いざ思いを伝えるとなると、いくら気心の知れた仲とはいえ緊張するものだ。深呼吸をして心を落ち着かせる。好きな人にカッコ悪いところは見せられないと腹を括った。


「僕は君やラピス、シアンのことを家族だって思ってる」

「それは私も同じよ」

「うん……だけどさ、あの日君に悩みを相談した時に気が付いたんだ。僕が君に向ける感情は、ラピスやシアンとは少し違うって」

「え」


 向いに座るアイリスの手を握った。彼女を見ると、顔は薔薇のように真っ赤に染まっていて、それがまた幸せそうで心が弾む。


「好きだ。アイリス。だから、ずっと僕のそばにいて欲しい」


 そう伝えた瞬間、彼女は今まで見た中で一番幸せそうな顔になって、空いている手を口に当ててほろりと涙を流した。彼女に向ける感情はあまりにも深くて複雑で、この気持ちをどう伝えようか色々考えたけど、こんな幸せそうな顔を見れたなら、変に気取らずまっすぐ伝えて良かったと思った。


「はい、喜んで」


 桜色の頬を透明な雫が流れ落ちる。多幸感と安らぎに包まれた彼女の笑顔を見て、僕も笑い返す。永遠と思えたこの短い時の中で、改めて僕は僕自身の道を歩むことを決心した。

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