第13話 きっと変われる
嫌な夢を見た。メリーさんとの思い出を忠実に再現した夢を。俺が愚かな間違いをするのを見続けるのは胸が張り裂けそうなほど辛かった。どうしてそうも盲目なんだと自分の行動に怒りを覚える。もしどこかで理想を求める事をやめられていたら、もっと違う人生を歩めたんじゃないかと過去の行いを後悔しなかった時はない。
「何をやってるんだ俺は」
それなのに俺はまた同じ過ちを繰り返そうとしている。あのベータという悪魔契約者の少女の命を助けてしまった。あの時、俺はあの少女をメリーさんに重ねた。敵であっても寄り添おうとする優しさ、正しさを信じて真っ直ぐ相手を見つめる純粋な瞳、メリーさんの生き写しのようだった。
「あいつはメリーさんじゃない」
自分の弱さで悪魔と契約するような奴だ。どれだけ苦しくても、人を救い続けたメリーさんには程遠い。しかし、何がきっかけで人が変わるかはわからない。それは俺自身がよく知っている。今日彼女に会って俺の選択が正しかったのか見極めるつもりだ。
手早く出かける準備をした後、部屋から出ると扉の外でマイクが待っていた。マイクは俺をみると右手を上げてニコリと笑った。
「おはようございまーす」
「何の用だ」
「タイラーさんが学園に行かれると小耳に挟みまして、ついて行こうかと」
「仕事はどうした」
「昨日のうちに今日の分も終わらせましたよ」
そう言ってニコニコと笑っているように見える目には鋼のように強い意志が感じられた。きっとついてくるなと言っても無駄だろう。何も言わずに俺が歩き始めると、マイクが後ろから追いかけてきた。
○○○
待ち合わせ場所に指定した学園内のカフェのテラス席で待っていると、時間通りにあの少女とあの時に彼女を守っていた二人が現れた。あんな事をしてしまったから警戒しているかと思ったが、彼女達の表情を見る限りそうでもないようだ。
「マイク。席を外してくれ」
「えー、仕方ないですね。でも、何かあったらすぐに呼んでくださいよー」
マイクは不服そうな顔をして席を離れた。彼が席を立った事で空席がちょうど三つになり、そこに三人が座る。アルトがニヤニヤと笑っていたので、どうかしたのかと尋ねると、彼は失礼な事を考えたのではないと断った後にこう言った。
「マイクさんに随分懐かれてるみたいで少し微笑ましいなと思っただけですよ」
「あいつは……まぁ、ああいう奴だからな」
アルトの指摘に思いを巡らす。あの事件からかなり時間が経ったおかげか、マイクの態度も入団直後の犬みたいな感じに戻ってきたのだろうか。しかし、あいつが俺が心配でたまらないというのは変わっていない。今日俺の部屋の前で待ち構えていたのは、因縁浅からぬ学園に俺一人で行って欲しくなかったからだろう。
「優しすぎるんだよあいつは」
「どういうことですか?」
「軍人らしくないってことだ。正直向いてない。先代の頃なら良かったかもしれないが、俺の代の憲兵は血も涙もない戦闘集団だ。だから何度も他の部署に異動するよう言ってるんだが、聞き入れず俺のそばを離れやがらねぇ」
「それは嫌な事なんですか」
「そりゃまぁ、心苦しいというか……なんというか……」
少なくとも、今の俺はあいつの憧れになってやれない。だから俺にあいつを側近に置く資格もないし、あいつが俺のそばにいる意味もない。あいつにはもっといい居場所があるはずだ。
「優しいんですね。初対面の時がウソみたいです」
「なんだ突然。俺はそんな奴じゃないぞ」
「本気で人のことを考えられる人が優しくないわけないですよ」
「……そうかよ。世間話はここまでだ。ここからは真剣な話だ」
優しいなんて言葉、今の俺に受け取る資格はない。血塗られた手からは、その言葉はするりと抜けて落ちてゆくのだから。
「ベータ。君が契約したのはどの等級の悪魔だ」
「魔導書には書いてなかったけど、今の私の魔力から考えると多分下級」
「だろうな。子供の魔力で召喚できる悪魔なんてたかが知れてる。それで、契約してから体に何か影響はあったか」
「髪の色が紫に変化。それ以外は特に無い」
「そうか。なら……」
魔神竜の
「あっ、治った」
「子供の君には下級悪魔からであっても与えられる魔力が多すぎて全て体内に取り込むことができなかった。だから魔力の残滓が髪にこびりついて色が変わっていたんだ。それを今俺が打ち消した」
「元に戻って良かった……この色は、父さんと母さんがくれた私の色だから。ありがとう」
ベータが黄緑色の髪を懐かしむように優しく撫でる。その姿はどこかで見たことがあることに気がついた。メリーさんに救われた人の顔だ。人を救うことをやめた俺がもう見ることはないと思っていたその顔で胸が締め付けられる。
「礼なんていい。俺はお前らを殺そうとしたんだぞ。実際、アルト君には酷い怪我をさせてしまった」
「怪我くらいどうってことないです。僕にはメアリがいますから」
「えっ、そ、そんなんで怪我されるこっちの身にもなりなさいよ……」
メアリが赤面して目を逸らした。なるほど。そういう関係か。変に深掘りするのは野暮だろう。にしても、ここまであからさまなのにこの少年は気が付かないのだろうか。
「悪魔の魔力というのは未だ謎が多い。何がきっかけで暴走するかわからない。しばらくは君の容体を報告してくれ」
「了解。他には何かある?」
「無い。俺からはな」
「……それじゃあ私から。あの時に言った「何もかも同じ」って、何が私と同じなの?」
ベータは俺の意図を理解し、話を振ってきた。さて、本題はここからだ。
「……あの時のお前の姿が、俺の昔の上司に似ていた」
「昔の上司?」
「それってまさか……!」
「二十五代目団長メリー・ポルネオスのことだ」
その言葉を聞いて、ピンときていなかったメアリとベータも驚愕した。あの事件は世界的に有名な事件だから当然か。
「あの人は素晴らしい人だった。たとえ悪人であっても救いの道を示し、誰よりも世界が平和になることを願っていた」
「そんな人と私がどうして同じなの?」
「相手を真っ直ぐ見据える視線、相手が誰であっても手を取り合おうとする純粋さという強さ。あの時、俺の目の前に立ちはだかった君からそれを感じとった。あの時の君は間違いなくメリーさんのような強さを持っていた」
「……じゃあ、もう一つ教えて」
ベータの目の色が変わる。胸に抱いていた疑念が確信に変わったかのような瞳が、こちらに強く問いかけてくる。強く、そして堂々とした声で彼女はこう言った。
「なんでそんな私を見てあんなに苦しそうな顔をしたの?」
「え?」
予想だにしなかった質問で間の抜けた声が漏れる。俺は苦しそうな顔をしていたのか。今彼女に伝えられて初めて知った。もし本当だとして、その理由はなんなのか自分でも検討がつかなかった。
「あなたの身に起きたことはよく知ってる。その後の憲兵の改革から、世間ではあなたのメリーさんへの尊敬は偽物だの、あなたは血の気の多い狂人であるだのと言われてた。あなたに直接会うまでは私もそれが本当だと思ってた。実際に悪魔契約者を殺すところを見たっていうのも大きいけど。でも、今のあなたを見たら、そんなのは全部嘘っぱちだって確信した」
彼女はほっと一息つくと、今度は優しい声色で言葉を紡ぎはじめた。
「あなたにとってメリーさんは誰よりも大切な人だったんだね。どういう経緯かはわからないけど、大切な人を失って暴走してしまうのはよく分かるから」
「……何が言いたい」
「辛いんじゃないの。あなたの今の生き方は」
心がざわつく。隠していた傷を的確に突き刺されたような痛み。何故だ。なんで彼女の言葉はこんなに痛いんだ。
「そんな筈ない。これは俺が選んだ生き方だ」
「自分が選んだ道が必ずしも正しいとは限らない。本当は別の生き方をしたかったんじゃないの。こんな、自分の力を人を傷つけるために使う生き方なんてしたくないんじゃないの」
脳が揺れる。やめろ。出てくるな。都合のいい考えはやめろ。もうそんな甘さは捨てたはずだ。もう戻れないところまで来てしまったはずだ。
「できるものならそうしたかったよ。俺もメリーさんみたいに悪人でも救ってやれる人間でありたかった。でも無理なんだ。メリーさんがあんな死に方をした時点で、俺は昔の俺が望んでいたような生き方はできなくなった」
「……そう」
俺は今の生き方に納得している。いや、納得するしかない。もし今の生き方を否定したらまた同じ間違いを繰り返すことになる。理想という甘言に惑わされてはいけない。
「なら、今はまだいい。でも、いつか私みたいに変われるきっかけが訪れるから。だから、あなたの本当の望みは絶対に捨てないで」
「……偉そうなことを言う」
立ち上がってそう吐き捨てる。今日ここに来て良かった。きっと彼女は大丈夫だ。紆余曲折あったものの、空っぽの俺に説教できるほどしっかりと自分を持っている。そばに居てくれる人もいる。
本当の望み……か。今更そんなものを望むだけ無駄なんだ。俺は許されちゃいけない。力があったのに守れなかった。大切な想いを託されたのに自分の弱さ故に裏切った。だから俺は……。
「きっと変われる!私だって変われたんだから、強いあなたも絶対に変われる!」
立ち去ろうとして背を向けた時、彼女はそう叫んだ。俺は振り向くことなく、無言のままその場から立ち去った。
○○○
学園の正門は続く大通り。車やバスが往来するその道を見ると、ここが学園であることを忘れてしまいそうだ。マイクが俺の隣で周りを見渡して、学園の内装が昔と変わったななどと思い出話をしている。
「この学園も随分立派になりましたよね」
「当たり前だろ。あいつが学園内を改悪するなんてことないだろうからな」
「なら、ベータって子もこの学園なら上手くやれるでしょうね。あなたの信頼する学園長がいるんですから」
「フン。勝手に言ってろ」
そんな世間話をしていると、背後から気配を感じた。きっとあいつだ。出来れば会いたくなかったが、わざわざ来てくれたのなら無視するわけにはいかない。
「マイク、先に帰っててくれ」
「え?どうかしたんですか」
「ここ担当の奴らに挨拶してくる」
「はぁ……じゃあ先帰ってご飯の準備しときます」
「飯はいい。てか、いい加減飯作って持ってくるのやめろ。俺が生活力ない奴だって思われる」
「はーい」
絶対にまともに聞いていないであろう返事をしてマイクは一足早く帰っていった。そして、俺が大通りから逸れて薄暗い路地に入るとあいつは現れた。
「久しぶりだねタイラー君」
「なんのようだ」
「少し話したかっただけだよ。……あの日以来遊びに来なくなっちゃって寂しかったんだよ?」
彼女はニコリと笑って詰め寄ってきた。掴み所がないような態度のこいつは何を考えてるのか分からない。これはこいつが本心を悟られないための防衛策だ。本当によくできてるよ。
目の前まで来て何をするのだろうかと見ていたら、突然彼女に抱き寄せられた。あまりに突飛な行動に混乱して固まった俺を、彼女は逃がさないように強く、心地いいように優しく抱きしめる。そして、心に染み渡るような声で耳元で囁いた。
「本当に寂しかったんだよ。メリーが死んで、君も変わったせいで、私を理解してそばに居てくれる人がいなくなっちゃってさ。だから、今日の君の顔が昔の優しい君に少し戻ってたのが本当に嬉しかったんだ」
「……そうか」
この人は本当にずるい。いつもは得体の知れない大魔法使いなのに、偶に人間らしい感情を見せてくる。そんな事をされてしまったら、突き放すことなんてできないじゃないか。
「ごめんね。君がこんなに苦しんでるのは、元はと言えば私が原因だ。私が君に理想を押し付けなかったら君は苦しまなくてよかったのに」
彼女の声は震えていた。その時、俺の胸は強く締め付けられた。それと同時に、俺は思い出した。なんで忘れていたんだろうか。俺は彼女を救いたかった。笑顔になって欲しかった。
「そんな事ないです」
「え……?」
今の俺の生き方は変えられない。でも、この望みならまだ叶えられる。まだ間に合うはずだ。
「あなたに出会ったことに後悔はないです。確かにメリーさんを失ったことは死ぬ程辛かったけど、その時までは本当に幸せだった。メリーさんがいて、偶にあなたと話をして……あの時の幸せは嘘なんかじゃない。だから、そんな悲しい顔をしないでください」
彼女の方を掴んで目を合わせてそう告げた。すると、辛そうだった彼女の顔が緩んで幼い子供のような笑顔になった。
「昔のタイラー君と一緒の顔だぁ……」
彼女は俺の胸の中に飛び込んできて泣いた。路地に差し込む光を背に、幸せそうに泣いていた。
○○○
「……で、急に一人分増やせってのは横暴だと思うんですけど」
「この私がわざわざ来たんだからそれくらいは当然だと思うけど?」
「それが横暴なんですよー」
俺の部屋でマイクとアリーゼと一緒に食卓を囲んでいた。性懲りも無く俺の部屋に入って飯を作っていたこいつは、アリーゼを連れてきた時見事にひっくり返った。さらに一人分追加と言った時は面倒だとかなりごねたが、上司命令で黙らせた。そういえばこの面子で食事するのは初めてではなかろうか。
「毎回勝手に上がってくるお前も悪い」
「そうだそうだー、言ってやれタイラー君!」
「うっわ、パワハラだパワハラ。タイラーさんはそんなことしないって信じてたのにー!」
「はっ、普段言う事を聞かない出来の悪い部下への教育的指導だよ」
「タイラー君も権力の使い方がわかってきたじゃないか。流石私の教え子」
「この仲良し師弟め!……でも、良かった」
「あ?なんか言ったか?」
「上司の悪口ですよー」
「ほう……随分生意気になったなお前」
楽しい。心の底からそう思ったのはいつぶりだろうか。アリーゼが笑って、マイクもどうやら憑き物が落ちたみたいだった。それが、俺が少しは変われた証拠なのだろう。
アリーゼを見て微笑むと、彼女も笑い返してくれた。世界が歪ませ、一度は俺が奪った愛しい笑顔。今度こそ絶対に守ってみせる。この昔からあった新しい想いを。
これが最初の一歩。メリーさん、俺の幸せがなんなのかもう少しでわかりそうです。
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