第12話 道化の茶番劇

 その日はひどくドス黒い雲が天を覆っていたことをよく覚えている。あの日の俺たちは馬車に揺られて、悪魔契約者がでたという農村へ向かっていた。小規模の事件のため、メンバーは俺とメリーさん含めた六名。たしかその時はマイクの初仕事の日でもあったはずだ。今思えば、よくあんなことが起きても憲兵を続け、俺の側近まで上り詰めれたものだ。


「これは一時間もしたら雨が降り出しそうですね」

「ならさっさと終わらせるぞ。濡れるのはごめんだ」


 マイクはあの時から既に俺に懐いていた。入団初日に俺を見かけるやいなや、満面の笑みで飼い主を見つけた犬のように走り寄ってきてこんな自己紹介をしたのをよく覚えている。


「はじめましてタイラーさん!俺の名前はマイク・ラーソンっていいます!俺っ、あなたに憧れて憲兵に入ったんです!タイラーさんのことすごく尊敬してるんです!はぁーー、一緒に働けるなんて幸せだなぁ」


 俺の手を掴んだまま捲し立てるあいつを見て、苦笑いをして固まってしまったが、ここまで言われると悪い気はしなかった。その時は頑張ってくれと伝えたが、俺の隊に所属する事が決まっていたのですぐに再会することになった。


 俺はマイクを見ていると、まるで昔の世界は希望に満ちていると思っていた自分を見ているようで懐かしい気分になる。それで普通に優秀だったので、俺の補佐官として起用していた。


 村につき、馬車を降りて六人でそれぞれの役割を確認する。悪魔契約者の捕縛は俺とメリーさんを含めた四人、悪魔契約者の仲間がいないか警戒し、悪魔契約者が逃亡したら追跡するのがマイクと残りの一人だ。


「マイク君がんばってね」

「初仕事、しくじるなよ」

「はい、任せてください」


 それぞれの持ち場につき、悪魔契約者の拘束に向けて作戦を開始した。と言っても、メリーさんに見つかった悪魔契約者は一瞬で拘束された。住人も軽い怪我しかしてなかったので、本当に小さな事件だったと思った。だが、それはすぐに覆されることになった。俺が救助した人々を村から避難させようとしたその時だった。


 ドゴォォン!!


 突然背後から凄まじい轟音が聞こえた。振り返ると凄まじい勢いで爆風と火炎が迫ってきていたので、咄嗟に魔力で使った防護壁で防ぎ一般人を守った。大地が揺れ、人々が恐怖で取り乱す。おそらく爆心地から半径三キロ圏内は無事では済まないと確信できるほどの破壊力。その中心はどこだと思考を巡らした瞬間、俺はとんでもないことに気がついてしまった。


 爆心地はメリーさんがいた場所だ。


 何かの間違いだ。そんなはずは無い。ありえない。嘘だ。周りに仲間はいなかった。魔力の反応もなかった。あいつは武器も何も持っていなかった。あいつが命を賭して魔力を使ったとしてもこんな爆発は起こせない。何なんだ。焦りだけが先行する。思考がまとまらない。


 爆風が収まると、俺は任務を忘れ、一般人を放置して一目散にメリーさんの元へ走った。その時の俺は焦燥と恐怖に心を支配され、冷静さを失っていた。家々は幸か不幸か完全に炭になっており火事は起きていなかった。


 そしてメリーさんがいたはずの場所に着くと、そ・れ・はあった。最初見た時はそ・れ・がなんなのか認識できなかった。だが、それから流れ出るドロっとした赤黒い液体を見て、その正体に気付いてしまった。


「メリー……さん……?」


 理解が追いつかなかった。理解したくなかった。それでも真実は目の前にあって、残酷にもそれをどこかで理解してしまっている。おぼつかない足取りで少しずつそ・れ・に近づく。一歩進むにつれてそ・れ・がどんな状態か認識していく。


 雪のように白く美しかった肌は赤黒く焼け爛れ、ドロリとした血が滲み出ている。毎日拘って手入れしていたサラサラした長い髪はほとんど残っておらず、近くに散らばっている炭と化していた。仲間達をずっと見守っていた優しい瞳は完全に蒸発してしまったのか、もともとあった場所は空洞になっている。幼さの残るスラリとした体は真っ黒に焦げ、内臓と思われる何かがはみ出している。誰にだって優しく笑いかけていた顔は原型が残っておらず、もはや誰なのか認識できなくなっていた。


 メリーさんは今日ここで死んだ。


 その事実はあまりに重くて、あまりに唐突すぎて、あまりにも残酷だった。俺は膝から崩れ落ち、目の前の肉塊となった彼女を見下ろす。もう彼女は以前のように笑いかけてこない。


 雨が降ってきた。激しい雨が。


 メリーさんとの思い出が走馬灯のように流れてきて、それら全てがドス黒い影の中に沈んでいく。動悸が高まり、ピーという耳鳴りが脳に響き渡る。声を出そうにも何も出てこず、ブルブルと震える手で頭を掻きむしる。


 何故だ。どうして彼女が死ななければならなかったんだ。悪いことなんて何もしていない。自分の力を正義のために正しく使ってきた。悪人にさえ希望を与えていた。自分を犠牲にしてまで平和を目指した人間の最期がこんなものであって良いはずがない。


 もっと幸せな人生を送って、多くの人の笑顔に囲まれて、後悔なんて一つもなくて、笑って静かに死んでいく。そんな最期が与えられて当然なはずだ。それなのにこれはなんだ。誰にも看取られることなく、何者なのかも判断がつかないほどボロボロにされ、こんなにも早く死んでしまうなんて。そんなことあって良いはずがない。悪に報いがあるなら、善には祝福があるはずだ。世界はそんなふうにできている。俺はそう思っていた。


 でも違った。


 死は善悪関係なく平等にやってくる。悪が必ず報いを受けるわけでも、全ての善が祝福を授かるわけでもない。この世界は歪んだ条理で形作られている。そんな事はずっと前から知っていたはずなのに、アリーゼの理想郷学園とメリーさんの理想で目が眩んでしまった。知っている俺が無理にでももっとはやく止めるべきだった。そうすればメリーさんはこんな死に方をせずに済んだ。もっと幸せでいられるはずだった。


「タイラーさん!」


 俺が打ちひしがれている所にマイクが息を切らしながら走ってきた。大規模な爆発にかなり焦っているようで、ようやく頼りになる俺を見つけて安心したように深くため息をついた。だが、今の俺にはその期待に応えられない。


「良かった……見つかってないのはあとメリーさんだけです。どこにいるか知りませんか?」


 マイクは目の前のそ・れ・を死体とすら認識していないようだ。それがメリーさんがされた仕打ちの残酷さを強調する。


「……知ってる」

「本当ですか!一体どこに」

「これだ」


 俺がそ・れ・を指さすと、マイクの顔から血の気が引いて真っ青になった。初めて見た死体がこれというのは刺激が強すぎたのか、うずくまって地面に吐瀉物を撒き散らした。ケホッケホッと咳き込んで体を跳ねさせる。なんとか呼吸を整えようと大きく息を吸って吐いてを繰り返す。少し落ち着いたところを見計らってマイクに声をかける。


「マイク」

「はっ……はい……すみません」

「今から言うことをすぐに上に報告してくれ」


 次の言葉が喉元で止まる。これを言ってしまったら俺がどうにかなってしまいそうな気がした。それでも亡骸の前でずっと立ち尽くすわけにはいかない。


「今日ここで、憲兵団団長メリー・ポルネオスは原因不明の爆発によって死亡した」


 自分に言い聞かせるようにメリーさんが辿った運命を言葉にする。マイクは何を言うでもなくただ頷いて走り去った。俺は自分の言葉を噛み締め、ゆっくりと事実を俺に認めさせる。彼女は死んだ、彼女の笑顔はもう見られない、と。俺は彼女の亡骸を抱えて歩き始める。亡骸があの華奢な彼女のものとは思えないほど重く、泥に足を取られてなかなか前に進めない。一度立ち止まって空を見上げると、真っ暗な雲から無数の雫が地に降り注いでいた。


 熱い。雨に降られているはずの俺は何故かそう感じた。


 ○○○


 あの爆発は、結果的にメリーさんを含む二十八名の死者と、憲兵二名を含む重軽傷者百二十人を出した大事件となった。すぐさま調査が進められ、犯人がかつて憲兵が一斉検挙した反社会勢力の残党だと分かった。そいつらは組織を壊滅させたメリーさんに深い恨みを持っており、動機はそれだろうとのことだ。


 俺は奴らの動機に納得できなかった。メリーさんは奴らの組織を検挙する時に敵味方どちらからも死者を出さなかったし、わざわざ逮捕した構成員一人一人と話し合って道を示した。構成員全員が今ではメリーさんに感謝しているらしい。にも拘らず、奴らは彼女を恨んで今回の事件を起こした。的外れな復讐心という矮小な悪意によって、聖者と言える程の善意を持った彼女が殺された。しかし、だからこそ理解できることがあった。正しさというのは存外、脆弱なモノなんだと。


 あの爆発は体内に仕組まれた爆弾によるもので、俺が気がつかなかったのは魔力を使わない完全機械型のものだったためだ。あれほどの爆発を起こせる爆弾はライオンハート皇国の新兵器の試作品だったようだ。思わぬところから兵器の情報が漏れたライオンハート皇国は苦境に立たされることになるのだが、それは今は関係ない。


 メリーさんの葬式が執り行われてからしばらく経つと残党どもが全員逮捕されたと報告を受けた。国民からの人気が高かったメリーさんを殺した連中ということで、パイス王国全体からバッシングを受けることとなり、それでなくても多くの人を殺したのだから、死刑は確実だろうとのことだ。俺はその報告を受けて、メリーさんの死が憎しみの連鎖に組み込まれてしまったことがただただ悲しかった。


 残党共の死刑が確定し、事件が落ち着いてきた頃に俺はヨーゼフさんに呼び出された。事件があってからしばらく会っていないなと思いながら部屋の扉を開けると、窓から外を眺めているヨーゼフさんがいた。俺に気がついても振り向かず、俺が近くに寄った瞬間に口を開いた。


「今、憲兵団団長の席は空席だ」

「はい。メリーさんはもういませんから」

「団長は先代団長の指名によって決まる。もし指名が決まっていない時に団長が死んだ場合は、副団長の指名によって決まる。ここまでは知っているな」


 彼の言葉に頷くと、彼はゆっくり振り向いて白い封筒を渡してきた。そして、その封筒にはメリーさんの筆跡で「次期団長の指名」と書いてあった。俺が顔を上げてヨーゼフさんを見ると、開けてみろと言うように頷いた。開けてみるとこんなことが書かれた一枚の紙が入っていた。


「二十五代目憲兵団団長メリー・ポルネオスは次期団長に三番隊隊長バルバトス・タイラーを指名します」


 それを見た瞬間、胸の奥がゾワっとした。その感情を言葉で言い表す事はできないが、少なくとも良いものではなかった。この謎の感情を抱えたまま再び紙に目を向ける。きっとメリーさんが俺を指名したのは、自分の意思を引き継いでくれると信じていたからだろう。端っこに小さく書かれている「頑張ってね」という可愛らしい文字がそれを示している。もしメリーさんが幸せな最期を迎えていたとしたらそうしたかもしれない。でもそうじゃなかった。悪人に救いを与えるだけ無駄だと、他でもないあなた自身が証明したんですよ。


「ヨーゼフさん」

「なんじゃ」

「俺がこれから団長として何をしても止める気はないですよね」

「あぁ。何度も言っとるようにワシはただ「見る」だけじゃ」

「……わかりました。俺は今日から二十六代目憲兵団団長として皆を導いていきます」


 そう宣言した俺を見ていたヨーゼフさんの顔は、不安と心配と落胆と悲しみが混ざり合ったような複雑な表情をしていた。きっと彼は察していたのだろう。俺がメリーさんの築いてきた全てを裏切るということを。


 彼はそれが正しいのか分からなかった。メリーさんの死によって、彼女のやり方が間違いであったと考えるようになった一方、彼女を最も慕っていた俺が彼女の想いを裏切るのを止めたいと思っている。ただ見るだけだった彼は、いつの間にか俺とメリーさんに肩入れするようになってしまったのだ。


「無理はするんじゃないぞ」


 そんな思いを胸の奥に封じて、彼は今まで通りの「見る」だけの自分に戻ることにした。


 ○○○


 新団長の改革はパイス王国どころか世界中を震撼させた。メリー・ポルネオスが団長になって以来戦争に参加することを禁じていた憲兵団が戦争への参戦を解禁した。彼女の積み重ねてきたものを裏切るような改革の理由を聞き出そうと報道陣は新団長のタイラーの元へ連日詰め寄った。しかし彼は何も答えず、そのせいであること無いことが報道された。


「なぁマイク。団長はメリーさんを慕ってたんだろ?それなのにメリーさんを否定するような改革をしたんだ?団長の側近のお前はなんか知らないのか?」


 ある日マイクは同期の一人と食事をしている時にそんなことを聞かれた。マイクは手に持っていたガラスのコップを置いて、さっきまでの明るかった表情を曇らせて重苦しい声でこう言った。


「俺が知ってることなんてそんなに無いよ。でも、あの日にメリーさんが死んだことが、俺たちが想像もできないほどタイラーさんにとって大きなことだったっていうのは分かる」

「でも、大切な人が死んだなら尚更その人の意思を継ぎたいって考えるもんじゃ無いか?」

「タイラーさんのメリーさんに対する思いはそんなに単純じゃない。きっと、何か根本のところがメリーさんの死によって変わったんだ」

「その根本ってなんだ?」

「それは……俺にはわかんないよ。今のタイラーさんとメリーさんの隣にいたタイラーさんは違いすぎるから」


 あの事件以来タイラーさんは全く笑わなくなった。無表情のまま淡々と仕事を完璧にこなし、感情を黒い影で隠して生きている。憧れの彼は変わり果ててしまった。そのせいで俺は今も彼に憧れているのか、何に憧れていたのか分からなくなった。それでも、俺はタイラーさんの側にいることを辞めるつもりはない。豪雨の中大切な人の亡骸を抱きしめ、絶望に染まった瞳から大粒の涙を流していた彼を見捨てることなんてできないから。


 ○○○


 月日は流れ、とうとうその日は来た。


 新聞の一面を飾ったのは"ダイワとテイメーがパイス王国へ宣戦布告"というフレーズ。もうすでに両国は侵攻を始めていた。そんな時、俺はアリーゼの学園に訪れていた。突然の訪問に少し驚いていたが、快く出迎えてくれた。


「こんな時にどうかしたのかい?」

「……あなたには直接言っておきたかったんです」


 その言葉で滅多に動揺しないアリーゼがわかりやすく動揺した。ティーカップを持つ手は震えており、唇を噛んで軽く俯いている。今日の新聞の内容、今の憲兵団の体制。俺がここにきた時点で察してはいたようだ。


「俺は今日、戦争に参加します」


 アリーゼがカップをテーブルに置く。もう誤魔化しが効かないほど体が震えている。


「きっと、数えきれないほどの人をこの手で殺します。……パイス王国を守るためだなんて言い訳はしません。俺は」

「タイラー君」


 アリーゼが俺の言葉を遮る。俯いていた顔は真っ直ぐこちらを向いていて、体の震えは止まっていた。きっと俺はこの人に蔑まれている。でも、それでいい。俺が覚悟を決めるとアリーゼは落ち着いた声色で話し始めた。


「私はただの学園長だ。君に魔法を直接教えたわけでも無い。学ぶ場所を与えただけだ。君が自分の力で何をしようと私はどうこう言える立場にない。だけど、これだけは言わせて欲しい」


 一体どんなことを言われるのか。アリーゼの目を見て、グッと拳を握り覚悟を決める。


「絶対に生きて帰ってきて」


 アリーゼは優しい笑顔を向けて、我が子を愛しむ母親のような声色で俺にそう言った。しかし、その笑顔は苦しそうで、優しい声の裏には何かを押さえ込むような力がこもっていた。


 違う。こんな顔させたかったんじゃ無い。


 俺はアリーゼを救いたいと思っていたのに。俺がアリーゼを苦しめている。俺は間違っていて、その間違いを世界で一番許せないのは彼女のはずなのに。憎悪と憤怒を押し込めて、彼女は俺を気遣っている。辛いのは自分だけじゃ無い、タイラー君だって辛いはずだと自分に言い聞かせて。


 この優しさを俺は知っていたはずなのに。それなのに俺は自分が傷付けばどこか気が楽になるような気がして、こんなにも優しい彼女を利用しようとした。どこまで外道に堕ちれば気が済むのかと自己嫌悪する。俺は何も言わずに立ち上がり、アリーゼの顔を見ずに学園を立ち去った。あの時あいつはどんな顔をしていたのだろうか。今になってもそれを聞く勇気はない。




 目の前に広がるのは険しい雪山と、その断崖絶壁を利用されて作られたガントル要塞から軍人たちが目の前の大軍を睨みつけている光景。初めて見る戦争の現場は凄まじくヒリついていて、戦争が作り出す殺意の鋭さを感じとった。


「タイラーさん」

「なんだ、マイク」


 マイクから隠しきれない不安と心配の感情を感じとる。そういえば今のコイツは俺のことをどう思っているのだろうか。そんな事を一瞬考えたが、どうでもいいと一蹴する。


「作戦開始まであと五分です」

「そうか。もうすぐだな」

「あの、タイラーさん」


 マイクはその場を離れようとした俺を呼び止めた。ゆっくりと振り向くと、ぶるぶると震える拳を胸元に当てて俯いている彼が目に映った。


「もし危なくなったらすぐに離脱してください。要塞内を撹乱できればこの大軍で突破できます」

「そんなの作戦内容には無かったはずだが」

「何もかもあなたが背負い込む必要なんてない。そう思っただけです」

「……時間だ」


 俺は逃げるようにしてその場から立ち去った。最初に会った時は犬みたいに目を輝かせて無邪気に笑っていたあいつは、今では笑わなくなり、さっきのような心配そうな顔ばかりするようになった。あいつは俺に憧れてくれていたのに、その輝く憧れを俺自身が奪ってしまった。俺は一体どれだけ周りの人間を不幸にすれば気が済むのだろうか。


「おい!あいつ一人で突っ込んでくるぞ!」

「う、撃てー!」


 最強の要塞を目の前にして一人で歩いてくる男に動揺したのか軍人たちがざわつく。そして、その通常では考えられない異物に対する動揺は、太刀打ち出来ない化け物に対する恐怖へと変わった。


「あいつ走り、いや、どこだ!」

「消えた!?」


 石の壁を蹴破って要塞内に侵入する。何が起こっているのか理解できていない軍人たちは俺を見て一瞬固まった。その間に目の前にいた数十名の軍人を蹴り飛ばして肉塊に変えた。初めて人を殺した感覚は、思ったよりもずっと軽かった。やはり命というのは言うほど重いものではないのだ。


「撃て!さっさとあいつを」


 一番最初に声を出したそのフロアのリーダーらしき人物の首を捻る。一瞬でリーダーを殺された軍人どもは錯乱して銃を無茶苦茶に乱射する。そうなった人間は相手にならない。一人一人確実に殺していく。ものの数十秒で第一フロアを制圧し、次のフロアへ向かう。要塞というものは中に入ってしまえば案外脆いもので、大軍を想定した要塞内には大した強さもない有象無象しかいなかった。何発か擦りはしたが、五分程度で要塞を完全に制圧した。懐から通信機を取り出し、マイクに連絡を入れる。


「こちらタイラー。ガントル要塞を完全に制圧した」

「わかりました。……あとは軍に任せてすぐに戻ってきてください」


 マイクの声は震えていた。要塞から聞こえる阿鼻叫喚の声が外まで聞こえていたのだろう。


「いや、俺はこのままダイワの首都まで攻め込む」

「え、なっ、何言ってるんですか!」

「心配するな。体力は問題ない」

「そんな問題じゃないです!タイラーさん!すぐに戻ってきてください!」

「……すまん」

「なっ、待ってくださいタイラーさん!タイラーさ」


 通信を一方的に切る。俺を必死に引き止めようとするマイクの声が頭の中で反響する。


『絶対に生きて帰ってきて』


 あいつの言葉が脳から溢れ出し、マイクと一緒に俺を引き止めようとする。それを手荒く引き剥がして俺はダイワ国内に進撃した。あの時の俺は死に場所を探していたのかもしれない。大切な人を全員不幸にして、多くの人の命を奪っておきながら、俺は楽になりたいだなんて虫のいい事を考えていた。そんなこと、許されるはずないのに。


 ダイワはガントル要塞だけでなく、他国より優れた魔法と科学技術、それに胡座をかかず鍛えられた屈強な騎士を有する強国とされている。


 その噂通り、首都を守る軍はガントル要塞にいた烏合の衆とは格が違った。一人一人が優れた判断力を持ち、息のあったチームワークで俺に休む暇を与えず畳み掛けてきた。隊長クラスになると、音速で飛び回る騎士や、巨岩を片手で持ち上げる怪力男、あたり一帯を更地にするほどの火力の魔法を放つ魔法使い……いろんな奴がいた。きっと人生をかけて技術を研ぎ澄ましてきた奴らなんだろうと思いながら、音速で動く騎士を捕まえて壁のシミにし、怪力男を縊り殺し、魔法を魔神竜の革手袋で打ち消し、魔法使いの頭部を胴体と泣き別れさせた。


 華やかな都は血塗られた瓦礫の山となり、この日長い歴史を持つダイワ帝国は地図から姿を消した。


 俺は今日、たった一人の力で強国を一つ潰した。そんな力がありながら俺は一番大切な人を守れなかった。その事実が正しくあろうとした俺を嘲笑う。俺がメリーさんのために決めた覚悟も、平和のために尽くした日々も全て無駄だったのだろうか。


 風が吹き抜ける音しかしなくなったかつての都で、自分のか他人のか区別がつかないほど血塗られた体を休めていた。冷たい風を吹かせる曇り空を見つめていると、かつて聞いた言葉がフィードバックする。


『私ね、タイラー君には幸せになってほしいの』


 誰もいないその場所で、俺はうわ言のように呟いた。


「もう、俺には何が幸せなのかわかりませんよ」


 数えきれないほどの人を殺した。多分、世界でこんなに多くの人間を殺した奴はいない。


「血塗られた手じゃ何も掴めない」


 俺のそばにいた人は全員は不幸になった。


「……俺の力は何のためにあるんですか」


 伸ばした手が虚しく空を切った。


 世界に流れる運命の奔流に逆らうことなんてできない。愚かな道化は何も得ることなくただ踊るだけ。そんなつまらない茶番劇に、何の価値があるのだろうか。

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