第11話 大切なあなたへのおまじない

 しばらくして、俺の傷は完全に治った。何かを察したのか、メリーさんはあの時にあった事を聞き出そうとはしなかった。一応ヨーゼフさんに、メリーさんが王に何もされないよう監視して欲しいと伝えておいた。今日までヨーゼフさんが何も言ってこなかったのを見ると、王はメリーさんにどうこうするつもりはないらしい。


 久しぶりに仕事部屋に入ると、ヨーゼフさんが一人で剣の手入れをしていた。ヨーゼフさんはこっちに気がつくと手招きをした。それに従って前に座ると、彼は剣に目を向けたままゆっくりと口を開いた。


「怪我はもういいのか?」

「完治しました。もう悪魔契約者とも戦えます」

「そうか……して、王と何を話したのじゃ。あんな傷を負って帰ってきて何もなかったはないじゃろう」

「……メリーさんには内密にお願いします」

「すると、お前さん戦争に出るつもりなのか?」

「えっ、まぁそうですけど……なんでわかったんですか?」

「儂に言えてメリーに言えない事なぞそれしかなかろう。それで、一体どういう経緯でそんな話になったのじゃ」


 戦争に出る事が禁止されているメリーさん主導の憲兵団の中で戦争に出る話をされても、この人は一切顔色を変えなかった。それほど、この人は「見る」ことだけを考えている。相談相手として彼ほどうってつけの人物はいないだろう。


「四年後くらいにダイワとテイメーが手を組んでこの国に戦争を仕掛けるつもりらしいです」

「ほう……王はそれでお主の力が必要だと?」

「はい。ダイワのガントル要塞を落とすために」

「成程、それなら合点がゆく。そしてお主はそれを受け入れた……何故じゃ?」


 射抜くような目で俺を見つめる。剣を手入れしていた手もいつの間にか止まっており、言葉にも重みが増していた。


「例え俺が虐殺者に成り下がって、メリーさんから蔑まれようと、俺はメリーさんを守りたい。メリーさんの理想は決して汚させない。それが俺の生きる意味ですから」


 俺の想いを伝えると、ヨーゼフさんは目線を下げ、深いため息をついた。それは、呆れているようにも、哀しんでいるように見えた。


「大馬鹿者が……それで一番傷つくのはメリーじゃろうが」

「え……?」


 俺には理解できなかった。あの人に人殺しはさせられない。もしそうなったら、あの人は自分自身の手でどれだけ否定されても貫き通してきた理想を壊すことになってしまう。それだけはさせられない、そんな姿を俺は見たくない。そう思って俺は自分を犠牲にする選択をしたはずだ。それでどうしてメリーさんが傷つくのかわからなかった。


「自分の理想を、本当の意味で理解してくれた人間。そして、慈愛の勇者として皆の上に立つ存在の自分を、唯一対等な立場に立って守ると言ってくれた男。お主はメリーにとって、特別な存在なのじゃ。そんなお主が傷つくのを、メリーは望むじゃろうか?」


 その言葉を聞いて、俺は王と話したあの日を思い出した。あの日、傷ついた俺を見たメリーさんは「許さない」と口走った。悪人にすら許しを与えるあのメリーさんがだ。それほどメリーさんは俺が傷つけられたことに怒りを覚えていたのだ。


 その出来事とずっと俺たちを見守っていたヨーゼフさんの言葉。俺がメリーさんにとって、それが思う以上に大切な存在ということを信じるには十分な根拠だった。


「……それで俺はどうしたらいいんですか。戦争は止められない。でもメリーさんか俺は人を殺さなきゃいけない……これ以上何かいい方法があるなら教えてくださいよ!」


 感情を露わにしてヨーゼフさんに詰め寄る。それでも彼は微動だにせず、ただ淡々と話を続けた。


「国も守る、お主もメリーも傷つけない。そんな都合のいい方法はどこにもない。だが、お主とメリーを傷つけない手段はあるにはある」

「え?それは一体……」

「この国を捨ててしまえ」

「っ!?俺にもメリーさんにも家族がいるんですよ!そんなことできるわけないですよ!」

「しかしお主は選ばなければならない」


 ヨーゼフさんの言葉が重くのしかかる。いくら喚いても俺は選ばなければならない。俺だけが不幸になるならまだよかった。俺の一番大切な人か、家族と何の罪もない多くの人々のどちらかを巻き込まなければならないなんて、こんな理不尽な事があって良いのか。


「……まぁ、時間はある。よく考えるんじゃぞ」


 黙り込んでしまった俺を見て、ヨーゼフさんは話を切り上げて部屋を出ていってしまった。巨大な鉛の塊を背負っているかのように体が重い。重い足取りで自分の席に座る。ボーっと資料を眺めながらどうするかを考える。しかし、答えは出ないまま、無情にも時間は経過していく。そんな時、ギィっと扉が開く音がした。振り向くと、メリーさんが立っていた。会議の後なのだろうか、資料が閉じてあるファイルを握り、顔からは疲れが見て取れた。


「あっ、タイラー君?怪我はもういいの?」

「もう問題ないですよ」


 俺の返事を聞くと安堵したようにホッとため息をついた。そして、自分の席に戻って荷物を置くとニコリと笑ってこんな事を言った。


「じゃあ明日一緒にお出かけしない?」

「えっ?」


 唐突なお願いに体が固まる。何がじゃあなのかとか、団長と隊長が同時に仕事を休んでいいのかとか、いろいろツッコミたいことはあるが、まだ迷いのあった俺はメリーさんと一緒にいることに後ろめたさを感じていた。


「だめ?」


 甘えるような仕草で彼女は俺に詰め寄ってきた。俺よりニ回りくらい小さな体を活かした上目遣いと宝石のように輝く潤んだ瞳、こうされてしまっては断れない。心配をかけてしまったお詫びも兼ねて、俺は彼女の願いを承諾した。


「やった!それじゃあ明日中央広場の噴水に集合ね」


 帰って来たばかりの時の疲れていた顔はどこへやら、彼女はご機嫌に鼻唄を歌っている。真意は掴みかねるが、元気になったならいいかと思い直して仕事に戻った。


 ○○○


 翌日、中央広場についた俺は時計を確認する。約束の時間の三十分前は少し早すぎたかと思いつつ周囲を見渡す。ここが集合場所にちょうどいいからか、友達グループやカップルがどこを見ても目に入る。その人々の幸せそうな顔を見ると、誰にでも人生があるのだと実感する。そう思うとこの国を見捨てるなんて選択はできなくなってしまう。しかし……


「あっ、おーいタイラーくーん!」


 俺を見つけたメリーさんがブンブンと手を振って走って来る。純白のワンピースに身を包み、麦わら帽子が飛ばないように手で抑えながら走る姿は、太陽のように輝きを放ち、天使と見紛うほど綺麗だった。思わず見惚れてしまい、返事が遅れて声も小さくなってしまった。彼女はそんなことを気にせず、俺の近くに来ると一言。


「待った?」


 聖母のように優しくて小鳥のように可愛らしい声が耳をくすぐる。コテンと首を傾げて優しく微笑みかけてきた。あまりの衝撃に頬を赤く染めてしまい、それを隠すように口元を手で覆って目を逸らす。


「いえ、全然」

「ならよかった。で、タイラー君。何か言うことは?」

「えっ……あぁ」


 期待の眼差しを向けてくる彼女を見て、何となく言って欲しいことを理解した。少し恥ずかしいが、勇気を出して口を開く。


「その服、似合っててすごく可愛いです」


 こんな時はもっとカッコよく言ってあげたいのだが、いろいろと処理が間に合ってなかったせいで俺から出た言葉はたどたどしかった。でも、それを聞いた彼女は満足そうに笑うと、俺の手を掴んでこう言った。


「ありがと。タイラー君もカッコいいよ」


 彼女はそのまま俺の手を引いていく。あまりにも幸せすぎる時間に戸惑いながら、されるがまま彼女に連れて行かれた。


 しばらく歩いて到着したのは、パイス王国の流行が集う繁華街だった。見たことのない食べ物や奇抜なデザインの服飾品、流行りなのかよく分からないオモチャなど様々なものが集まるこの場所には、近くに住んでいる人以外にも地方からわざわざ足を運んだ人や外国人も多くいる。


 そんな場所に私服でメリーさんと一緒にいるというのは、多少なりとも意識してしまう。俺が彼女に抱いているのは尊敬の念であって、そういうのではないのだが、あまりにもメリーさんが可愛いし距離感も近いのでどうしてもそう思ってしまう。


 メリーさんに連れられて、服を選んだり、昼食を食べたり、猫カフェというところに行ったりした。その今までの人生で一番幸福と思えるひと時の中でも、四年後の戦争のことが頭から離れなかった。彼女の笑顔を見れば見るほど、彼女だけは絶対に傷つけたくないという想いが強くなり、この国の人々と交流するたび、彼らが過ごす日常を守ってやりたいと思うようになる。この葛藤を悟られまいと懸命に隠す中で時間は過ぎていった。


 そして、日が落ちようとしている頃に俺たちはアクセサリーを扱っている店に来た。高級品から手に取りやすい安物まで全て取り揃えており、よく考えて店に置くものを決めているのだろう、どれもこれも良いものだった。メリーさんは目を輝かせながら気に入ったものを次々に手に取っていく。


「ねぇこれ似合ってる?」

「えぇ、とても」


 花のように笑う彼女を見ると思わず笑みがこぼれてしまう。そんなことを続けていると、メリーさんが何かを見つけて無言で手に取った。そのまま俺に何も言わずに次のアクセサリーに目を向けた。


 会計を終えて外に出ると、もう空は真っ黒に染まりきっていた。今日が終わってしまう。それは少し寂しいようで、自然と溜息を吐いてしまう。そんな時、メリーさんが紙袋から箱を取り出して渡してきた。


「開けてみて」

「え?はぁ」


 戸惑いながら箱を開けると、中には金の鎖に小さな透き通った水晶がついているネックレスが入っていた。


「えっと、私からのプレゼント。どうかな?」

「……つけてもいいですか」

「あっ、うん!見せて見せて!」


 ネックレスを首にかけるとひんやりとした金属が触れる感覚がした。男がつけても違和感がないようなデザインなのでそれなりに似合っているとは思う。俺がネックレスをつけたのを見ると、メリーさんが俺の目を真っ直ぐ見つめながらこう言った。


「それね、幸せになれるようにって願いが込められたネックレスなの」

「幸せに……」


 手のひらに乗せた水晶が街の明かりを反射して輝く。冷たくて重いそれをメリーさんが俺は手のひらからヒョイと摘み上げてジーッと見つめる。そして、そっと目を閉じて水晶に優しく口づけをした。彼女は驚きのあまり立ち尽くす俺に水晶を返すと、不安混じりの目つきをした顔を上げた。


「これはね、お母さんに教えてもらった願いを込めるおまじないなの」

「願いってどんなのですか?」

「私ね、タイラー君には幸せになって欲しいの」


 その言葉で心がチクリと痛んだ。今の俺に、そんな道は残されていない。その願いを裏切ることしかできない俺に、彼女は願いを告げる。


「タイラー君、この前怪我して帰ってきて、病室でもずっと暗い顔してて心配だったの。もしかしたら何か抱え込んでるんじゃないかって。だから思い切ってお出かけに誘ってみたの。そしたら、やっぱり時々何かを悩んでるみたいな顔をしてた」

「それは……」


 彼女に心配をかけてしまった罪悪感で胸が締め付けられる。言い訳をしようにも、彼女の瞳を見ていると何も言い返せなくなってしまう。


「タイラー君は私にとって一番特別で大切な人なの。私の想いを一番理解してくれて、私のことを守るって言ってくれて、私はそれで救われた。だから何かあった時には私をもっと頼って。私はタイラー君の助けになりたいの!」


 涙で瞳を潤ませているが、真っ直ぐこちらを見据える目には強い意志が宿っている。ヨーゼフさんから言われてはいたが、実際に口に出されると破壊力が凄まじい。そして、こんな健気で愛おしい想いをぶつけられた俺は迷いを振り切ってある決意を固めた。


「お陰で迷いが消えました。ありがとうございます。何が正しいか、メリーさんの言葉でわかりました」

「それって一体……」

「今はまだ伝えられません。でも、いつか伝えられる日が来ます」


 にっこりと満面の笑みを向ける。それを見るとメリーさんは肩の力を抜いて「よかった」とボソリと言った。きっと、俺の重荷を共に背負えると思ったのだろう。


 だが、俺はその想いを裏切ろうと思う。戦争のことは話さない。あなたに重荷は背負わせない。そんなことを望まないことは重々承知している。


 これは俺のエゴだ。


 あなたの手を汚させないため、俺はあなたを傷つける。あなたのおかげでようやくこの選択ができた。だって、これが俺にとって一番の幸せなのだから。


「それじゃ、また明日」

「はい。また明日」


 そのままメリーさんと別れて帰途につく。あなたを裏切る勇気をあなたがくれた。不思議と心が軽かった。燦然と輝く街の明かりの中で、エゴを突き通す勇気を心に宿したその男は、きっと世界で一番悲しい生き物だっただろう。


 ある意味で、その後に起きた悲劇はその男を救ったのかもしれない。そいつが抱いた感情は、喜びも、悲しみも、愛しさも、切なさも、その全ての葛藤も何もかも無意味になってしまうのだから。

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