第10話 虐めたいほど愛しい君へ

 ある日、俺は国王に呼び出された。何かの会議かと思ったが、呼び出された場所にいたのは国王一人だった。窓のひとつもない完全な密閉空間で、壁の黒を基調として赤いカーテンやらで装飾されたこの不気味な部屋は、普段は幹部を集めて会議をする場所だ。今は二人だけしかいないので、普段よりもこの場所が引き伸ばされているかのように感じた。


 王が俺が来たのを確認すると、手招きをして隣に座るように促してきた。お言葉に甘えて座ると、何か含みがあるような笑みを浮かべて話しかけてきた。


「今日はここに来てくれてありがとね」

「いえ、王の命令とあらば参上するのが我々憲兵です」


 王は首の辺りまで伸びた黒髪をいじって、ふーんと俺の言葉を聞き流した。何もかも見透かしているかのようなその態度は不気味だった。


「戦争には来てくれないのに?」

「……我々にも信念はあります」


 王は俺の言葉を信用していないだろう。そして、俺がそう思っていることも気がついているので、それを隠そうともしない。


 この王は、かつて暴君と呼ばれた父を殺して王になり、たった一代でこの国を大国に成長させた。その手段は、狡猾で合理的。情の一切を捨てていた。俺は、この王以上に残酷で優秀な人間を知らない。


「そう。でもさ、今回ばかりはそうも言ってられないんだよね」


 王の目つきが変わった。口調はおちゃらけたままだが、それでも王が真剣だというのが伝わってくる。


「それは一体、どういうことですか」

「結論から言おう。あと四年くらいしたら戦争が始まる。それも、かなりの規模さ」

「なっ!?」


 信じられない事実に耳を疑った。しかし、王の目は本気だった。そして、俺もこの王に限って間違いの情報をつかまされるなんてあり得ないと分かっていた。


「北のダイワ帝国と南のテイメー皇国の動きがきな臭いんだよねー。ここ最近じゃ、秘密の会合も増えてるらしいよ。お隣さんの僕らを差し置いてね。狙いは元ドラミオの領地にある油田と魔法石の巨大鉱脈だろうね」

「その情報は確かなんですか」

「うん。十五年くらい前からテイメーに潜り込ませておいたスパイからの情報だからね。その子、今は外交官の秘書を任されてるんだよ。マジウケる」

「相変わらずですね。十五年前はテイメーとの間に二つも国があったんですよ?その頃から忍ばせてるなんて……」

「世界中にスパイを派遣するのは、大国の嗜みだよ」


 この王はいつもそうだ。自分の国以外は何も信用していない。きっと同盟国にも、いや、同盟国にこそ大勢のスパイを潜り込ませてるに違いない。


「正直に言って、あの二国が手を組んだらうちはひとたまりもない。西国大戦のせいで、うちの同盟国は軒並機能停止。あのボンクラどもは自国民すら思うようにできないらしい」

「革命運動が絶えないらしいですね。そのせいで、もし戦争が起きてもこっちに軍は回せないと」

「その通り。でもって、うちもうちでドラミオと半年も戦争した傷が完治してない」

「パイス教とドラミオの信仰の自由ですか」

「うちは千年前から「パイス教」が国教で、今までうちの国土になった国もそうだったから宗教問題なんてなかったんだけどねー。パイス教の司祭さん達からはなんとかしろって言われるし、あちらさんも信仰の自由を認めろって譲らない。僕も僕で併合した国にも優しい王様で通ってるわけで……もう国教なんて自由でいいじゃんとも思ったけど、そうしたら千年の伝統がなんたらーって煩いのが多いし」


 頭をかきながら小言と一緒にため息が漏れる。確かにこの王は外面だけはいいように見せてる。捕虜の兵士も丁寧に扱うようにしているし、併合した国の言語や文化もそのまま残すようにしている。


「それでどうしたんですか」

「今は騙し騙しやってるよ。それで、テイメーとダイワの話に戻るけど、もし戦争になったらこっちはかなり不利だよ。援軍は期待できないし、北と南で軍を分散させなきゃいけない。それに、ダイワには過去に七度もパイス王国を退けたガントル要塞がある」

「戦争になるにしてもこっちが守りでしょう?なぜ要塞を警戒するんですか」

「長いことダイワ方面とテイメー方面の戦線は維持できない。なら、片方をさっさと終わらせなきゃダメなんだ。そして、南は元ドラミオの領地だから、まだ整備が万全じゃないし、中央から大きく離れるから補給も思うようにできない。つまり、テイメー方面を攻めるには絶対に時間がかかるんだ」

「それで、ダイワ方面を狙うしかないと。しかし、ガントル要塞を突破するのにも時間がかかるんじゃないですか?」

「いや、一瞬さ」


 王がグチャッと口角を上げて気持ち悪い笑顔になった。さっきまでイライラしていた様子とは反対の、子供がおもちゃを見つけた時のような顔を見て、俺は少なからず恐怖を感じた。


「あの要塞の攻略のために必要なのは百万の兵隊じゃなくて、一匹のドラゴンなのさ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はこの王が何を企んで俺を呼んだのかを察した。そして、俺はこの上ない侮辱をされていることに憤慨した。


「あの地形じゃ数の利点は活かせないし、要塞自体も大軍相手を想定して設計されている。なら」

「俺やメリーさんみたいな、一人で百万人相当の奴をぶつければ簡単に瓦解する……そう言いたいんですよね」

「おっ、さっすがタイラー君。飲み込みがはやくて助かるよ。それで、引き受けてくれるかい?」

「できるわけないでしょう!!」


 王の胸ぐらを掴んで勢いよく立ち上がった。かなりキツく首がしまっていたが、それでも王は余裕のある胸糞悪い態度を崩さなかった。


「何故だい?あっ、もしかしてちゃんと勝てるか心配なのかい?それなら心配無用さ。僕の推測じゃ」

「そんなことじゃない!俺とメリーさんに人殺しを……それも要塞一つ潰すレベルの大量虐殺をしろって言うんですか!」


 王の神経を逆撫でするかのような態度は俺に冷静さを失わせていた。王はあなたの言っていることが理解できないとでも言いたそうな顔をして、首を傾げた。


「どうしてできないんだい?」

「当たり前です。メリーさんも俺も、この力は平和のためだけに使うと決めてる。今まで戦争に協力してこなかったのもそうだ。あんたはそれを分かってるはずだろ!」

「うん。そうだね。でもさ、君がそうしなきゃ、それこそ多くの人が死ぬんだよ?」


 その言葉でグッと胸が締め付けられる。痛いところを突かれた。そんなことは俺でも分かってる。それでも、もし殺したら今までやってきたことも全て無駄になる。アリーゼとメリーさんの願いが叶わなくなる。そんなことは許せなかった。


「ほ、他に何か方法が……そもそも、戦争なんて起こさなければ」

「無理だね。これから始まる戦争を企てたのは僕じゃない。ダイワとテイメーの連中だ」

「宣戦布告の理由を作らせないことはできないんですか?理由なく戦争を始めるなんて、さすがにできないんじゃ……」

「それも無理。だってあいつらには格好のネタがあるじゃん」

「そんな都合のいいものが……っ、まさか!?」

「テイメーは「ガイダル教」の総本山。そして、ドミニオの半数以上の国民がガイダル教の信者だった……つまり、やつらは弾圧された信者を解放するための聖戦という体で戦争を仕掛けるつもりさ」

「そんな……」


 俺の考えは一蹴されてしまった。そもそもの話、この王がどうしようもないと言ったことを俺が解決できるわけがなかったのだ。


「こればっかりは僕も反論できない。信仰の自由を認めないとは言ってないけど、逆に認めるとも言っていない。南部からいくらか報告が上がってるんだけど、パイス教の連中がガイダル教の信者を虐めてるらしいんだ。まぁ、相手は異国民で異教徒。こうならないのが不自然ってもんだけど」


 俺もそれには心当たりがあった。資料の整理をしている時に見たあのデータ。四年くらい前から南部での事故死がやたら増えていたのだ。


 戦争からの復興作業で事故が多発していると書いていたものの、俺にはそれが何故か信じられなかった。文面か、データか、もしくは俺の脳裏にこびりついている人間の醜悪な一面からか、そんな違和感を覚えていた。


「結構前にドラミオの敗残兵が村の乗っ取りをしたじゃん。あぁ、確か君が初めて悪魔契約者と会った事件だったね。きっとそれよりも数段悪質なやつが、何倍もの規模で行われてる。許し難いことだよ。あんな奴らが僕の国で育ったて思うと、責任感じちゃうなー」


 そんなことを言っている割に、この男の顔色は変わらない。そこまで面白くもない映画を観た後の感想を話すかのように、この男には何も響いていないように見えた。


 俺はどうすればメリーさんが守れるが思案して黙り込んでしまった。手立ては何も思いつかない。悶々と悩む俺に、王は痺れを切らしたのか、俺の頭を掴んで強制的に顔を合わさせた。光を失った目が大きく開かれ、俺を見つめている。虚空から覗く狂気に、俺は明確な恐怖を覚えた。


「ねぇ、まだわからないの?人間はね、君らが思っている以上に残酷で醜いんだよ」

「っ……違う。人は、人は分かり合える筈なんだ」

「今までの話聞いてなかったの?僕の国の人間も、テイメーとダイワの連中も、みんな等しくクソ野郎だったじゃん。それでも人は分かり合えるって?」

「俺たちはそんなクソ野郎でも救うんだ。そうしたら、そうしたらいつかきっと」


 ガゴッ!そんな音とともに顔面に激しい痛みが走った。俺の言葉を遮るために王が俺の顔をテーブルに叩きつけたんだろう。そして、そのまま頭を掴んで壁に投げつけられた。俺は何故か力が入らず、そのまま地面に転がった。


「いい加減にしてくれないかな……こっちは真面目な話をしてるんだ。それなのにお前もあの小娘も、御伽噺ばっかり始めやがって!ふざけるのも大概にしろ!」

「ウアァァァ!」


 王は俺の手を思いっきり踏みつけせた。ミシッと骨が折れる音がした。


「戦争をしてる時、何度も何度も思ったよ。お前らが戦ってくれればどれだけ楽だったろうなってさ。それなのに、子供クセェ理論並べて言うことは聞かない。これがどんだけイラつくかわかるか?なぁ!!」


 腹に足が思いっきり食い込む。体のうちに響く痛みに、声が出なかった。


「強いくせに、強大な力持ってるくせに、なんでそれを俺の国のために使わないんだよ!お前らの馬鹿げた理想のために無駄にするよりよっぽど有意義だろうがよ!」


 胸ぐらを掴まれ、今度は膝を何度も腹に叩き込まれた。そしてまた地面に叩きつけられ、頭を蹴り飛ばされた。脳が揺れる感覚がして視界が歪む。


「なんで僕は軍はこんなバカばっかり強くなるんだ?クソッ、クソッ、詫びろ!謝れ!今まで何年間も俺の足を引っ張ってきたことを!この木偶の坊が!」


 王は罵倒しながら、何度も何度も動かない俺を蹴り続けた。でも、俺は謝るかなんてなかった。こんな奴に頭を下げるくらいなら死んだほうがマシだと思っていた。それなのに……。


「ごめん……なさい……」


 何故か、俺は謝ってしまった。何故か、何故なんだ、意味が分からない。俺の心の中で何が起きたのだろうか?それは今の俺にも分からない。


「ハハッ……ハハハハハハハ!イヒッ!ブワァハハハハハァ!ウハッ、シシシシシシッ!ハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!ブッッッザマだなぁ!!ヒャーーーハハハハハ!」


 男は心の底から楽しそうに高笑いをしていた。そして、また俺を蹴り始めた。俺の頭を踏みつけて、俺の関節を逆方向に足で押して、顔を蹴りまくった。


「マダマダァ!もっとだ、もっと無様に謝れ!後百回、いや、あと千回だ小僧!」


 俺はその後も王の言葉に従って、意識が朦朧としながらも謝り続けた。この戦闘力皆無で、俺が一発でも殴れば肉塊になるような男に。


○○○


 どれくらい時間が経ったのか、体はもうボロボロで感覚がなくなっていた。歯も何本か抜けてたし、鼻も曲がってた。全身から流れてくる血の匂いが部屋に充満していたのも覚えている。王は俺の顔を踏みつけて、グリグリと揺らして弄んでいた。


「ハハッ、ほんとに千回も謝るなんてね。ずいぶん素直で従順になったじゃないか。これだけしおらしくなると、むしろ可愛いな」


 その時の俺が何を考えていたのか、今の俺には分からない。だが、俺はあの時ほど苦しくて、気が楽だったことはない。ただ強いものに屈服していればよかった。何も考えず、ただ言う通りにすることがこんなに楽だったことを知り、人がこの世界に抗わない理由がわかった気がした。


 王は全身から血を流して痙攣する俺を抱きかかえた。王は俺を愛おしそうに見つめ、気味が悪いほど優しい笑顔になった。


「あぁ……なんて愛おしいのだろう。新しい君、僕だけの君、もうこんな怖い思いはしなくていいよ。僕の言う通りにしてればいい」


 その言葉はとても甘美に聞こえた。身も心も全てこの王に委ねてしまおうか。そんなことを、本気で考えた。だが、あの時の俺の心にはまだメリーさんが残っていた。


「王の言う通り、要塞は俺が落とします。だから、メリーさんには何もしないでください」


 俺がそう言った瞬間、王は一気に不機嫌そうになった。懐からおもむろに首輪を取り出し、俺の首に巻きつけて、思いっきり締め上げた。


「ふーん、まだわかってないんだ」


 蔑むような瞳で俺を見つめた王は、さらに首輪を締め上げた。体に空気が入ってこない。苦しい。死にそうな苦しみの中、言葉を絞り出す。


「やめ……いやだ………やめて……」

「……まぁ、要塞を落としてくれるならいいか。今日はここまでにしておこう」


 王はそのまま俺を引きずって城の外に止めてある自動車まで俺を連れて行った。傷はすぐに治せる筈なのに、王はそれをせずに俺を返した。朝早くから呼び出された筈なのに、外はもう日が沈みかけていた。


 しばらくして、憲兵団本部の正門の前についた。フラフラと車を降りると、すぐに誰かが抱きしめてきた。その甘い香りと安心する温かさで、顔を見なくてもすぐに誰だかわかった。


「メリーさん、遅くなりました」

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょ!帰りが遅くて心配して門の前で待ってたら、こんなボロボロになって帰ってくるなんて……何があったのよ!」

「少しゴロツキに絡まれただけですよ」

「嘘つかないで!王にやられたんでしょ!許さない……私の大切なタイラー君にこんな事するなんて……今からあいつのところに」

「待ってください」


 城の方に向かおうとするメリーさんを、抱きしめて止めた。体に残っている力全てを出し切って、強く、強く抱きしめた。戸惑うメリーさんに、声を振り絞って俺の想いを伝えた。


「大丈夫ですから……メリーさんは俺が守りますから」


 どれだけ痛めつけられても、強いものに屈服させられても、プライドをズタズタにされても、俺はメリーさんだけは守りたかった。この思いにだけは、嘘をつきたくなかった。


 何かを察したメリーさんは、優しく俺の頭を撫でてくれた。それは何よりも心地よくて、心の底から安心できた。緊張の糸が切れた俺は、そのまま気絶した。

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