第8話 理想と現実

 俺が憲兵になって三年、順調に功績を重ねていき、隊を一つ任されるようになった。全五百名で構成される憲兵は一から十番隊まで別れており、一から五番隊は敵勢力殲滅の実行部隊、六番隊は諜報部隊、七番隊と八番隊は救助班、九番隊と十番隊は医療班と役割が決まっており、その全てを束ねる団長と副団長がいる。俺はその中で三番隊の隊長となった。


「君もとうとう隊長か。私も鼻が高いよ」

「そう言ってもらえると嬉しいです。アリーゼさんもお変わりないようで」


 俺は隊長になったことを報告しに、久しぶりに学園を訪れていた。学園長の部屋で紅茶を飲みながら、三年間であった事を話した。


「メリーちゃんと仲良くなったんだ。私もあの子はとても気に入ってるよ」

「あっ、面識あったんですね」

「当然だよ。というか、私は大物なら大体知り合いだよ。大半からは嫌われてしまってるがね」

「団長とはどうなんですか」

「仲良しこよしさ。お互い、人同士の争いなんてするものじゃないって思ってるからね」


 数少ない同胞ということもあり、メリーさんのことを話すアリーゼはとても楽しそうで生き生きとしていた。


「でも、少し心配なんだよね。私と違って、実際に現場に立つから危険も多い。悪人を救うために手を差し伸べるのは悪いことじゃないけど、いつかその行為のせいで取り返しのつかないことになるんじゃないかって、思わずにはいられないんだ」


 アリーゼは紅茶の注がれたカップを、円を描くように揺らしながら目を細めた。彼女もかつて戦地に居た身であるが故に、手負いの者だとしても、その眼前に立つ行為がいかに危険か分かっていた。


「大丈夫です。俺が絶対に守りますから」


 悲しい結末なんて望んでいない。危うい優しさを持つ彼女も、無力感に打ちのめされた彼女も、俺が守る。あの二人が笑顔でいられるようにする。そんな使命感に押されて、その言葉を口にした。


「おやおや、言うようになったじゃないか。その調子で頑張ってくれたまえ。私はいつだって、君を応援しているからね」


 優しく微笑んだ彼女は、ゆっくりとティーカップに口をつけた。その微笑みは、昔よりも素直な感情が含まれていたような気がした。それを見て安心した俺は、その後も柔らかで温かいひと時を味わって、学園を後にした。


 ――――――――――――――――――――


 俺が昇進したこともあって、国のお偉いさんとの交流も増えてきた。同盟国との合同訓練の際にお互いの軍の現状を話し合ったり、重役の護衛の時に世間話をしたりと、いろいろだ。


 その大半はほとんど記憶に残らない程度のものだったが、あの時のあの男との会話は、今でも俺の脳裏に刻み込まれている。


 隊長になって二年経った頃、俺の人生は仕事も人間関係も上手くいっており、順風満帆だった。ライオンハート皇国での仕事を終え、帰国しようと駅に向かっていた時、後ろから声をかけられた。仕事で疲れていた俺は、一体なんだと煩わしく思いながら振り返った。そこにいたのは、俺も見たことがある人物だった。


 その男の髪型は若干パーマがかかり、染めたのであろうか、不自然に頭頂部のみが青色になっている。そして、成人男性にしては少し細い体を丸く折り、メガネの後ろからにこやかな笑みを浮かべていた。


「ひさしぶりだね、タイラークン」

「その変な髪型のセンスはミロか!?」


 彼の名前はミロ・ワイナス。俺の数少ない同期で、魔法学科を専攻していた。物腰柔らかで、甘いマスクを持つモテそうな優男だが、芸術的なセンスが常人とはかけ離れた場所にあるため、よく「顔はいい」と言われる残念な男だ。だが実力は本物で、まだ学園にいた頃に、広範囲に影響を与える魔法についての論文で博士号を取得している。


「変とは何だ、変とは。でもまぁ、それで優秀な君にも覚えててもらえたならいいか」

「それで、なんか用事か?」

「いや、大した用はないよ。たまたま見かけたから声をかけてみただけ。あっ、そうだ!僕の奢りでいいから、ちょっと飲んでかない?」


 ミロの見せる人懐っこい笑顔を見て、俺との再会を喜んでくれているのがよくわかった。俺も久々に同期と会ってテンションが上がっていたので、断る理由なんてなかった。


 ミロが案内してくれた店は、よく手入れされた和風の庭園が個室から見える高級店だった。月明かりと灯籠の光が、庭園をより雅にしていた。柄にも無く、その景色に見惚れた。


「ははっ、気に入ってくれたかな?」

「ん、まぁな」

「よかったぁ。やっぱり君は、洋風より和風の方が好みだったんだね」


 俺の返事を聞いたミロは椅子に深く座り、メニューを手に取った。そういえば、ミロはやはりと言っていたが、こいつに俺の好みについて話したことはあっただろうか。


「まぁ、そうだな。でも、あの極東の島国は今後どうなるかね。今はなんかゴタついてるって聞いてるぞ」

「なんか西方諸国うちらに追いつこうって躍起になってるみたいだよ。魔法やら科学やら、色々取り込んでるみたい」

「追いつくって言ったって、あいつらもあいつらでバケモンだろ。剣術や格闘術に関しては、他の追随を許さない。てか、極東あのへんのやつらはその辺の進歩が凄まじい。ノースセル帝国も扱いに困ってるって聞いたことがある」


 ノースセル帝国は大陸の北に広がる大国だ。今はパイス王国含む西方諸国と睨み合っていたり、その一部と手を結ぼうとしていたり、こっちからすれば厄介な存在だ。


 そして、極東の島国こと「陽元ようげん」と、そこと深い関わりを持つ大国「龍正民国りゅうしょうみんこく」は、魔法を主軸とした西方諸国とは違った進化を遂げた特殊な国家だ。我が身一つさえあれば戦局を変えられる化け物、俗に「達人」と呼ばれる人間が存在するらしい。いつか手合わせしてみたいものだ。


「……なんか、せっかく再会したのにこんな話しちゃうのは、大人になったって事なのかな」

「そうかもな。でも、いつかこんな物騒な話をしなくて済むような世界にしてみせる」


 その発言を皮切りに、その場の雰囲気が変わった。ミロは信じられない物を見るような目で俺を見つめていた。どうしたのかと話を振ると、ため息をついた後、凄まじい威圧感を出して重い口を開いた。


「噂は本当だったんだね」

「噂……?」


 先程までの優しい声色とは正反対の低い声。呆れか怒りか、そんな感情が声から読み取れた。蔑むような目を向けて、ミロは話を続けた。


「君ほどの人が、あんな奴らの馬鹿げた理想を信じてるって噂だよ」

「あんな奴らって……まさかアリーゼさんと団長のことを言ってるんじゃないだろうな」

「分かってるじゃん」


 その瞬間、俺は勢いよく立ち上がってミロを睨みつけた。大切な人を侮辱されて黙っていることなんてできなかった。しかし、ミロはそんな俺に今度は憐れむような視線を向けた。


「なにか気に障ることがあったかい?」

「当たり前だ。いくらお前でも許さねぇぞ。お前もあの学園にいたんならわかるはずだろ。いつか争いのない平和な世界を作れるって。人と人は分かり合えるって」

「夢物語なら本に書いて終わりにしてくれないかい?そんな偽り《ファンタジー》を真実リアルに持ち込んでくるなよ」

「お前、いい加減に」

「君の方こそいい加減現実を見ろよ!」


 ミロに凄まれた俺は、詰め寄ろうとした歩みを止めてしまった。自分より遥かに弱い男に気圧されてしまうほど、理想と現実の重みは違うようだ。


「僕も昔は夢物語を信じていたさ。でも、軍で働くようになってから分かったんだ。人類は争いを止めることはできない。本能的な欲望!自分の思想を押し通す傲慢!理解し合うことのできない隔絶!人間なんて所詮そんなもの、争いのない世界なんて夢物語だって」

「そんな事、俺だって分かってる。だけど」

「そう言っている内はまだ分かってないんだよ。君はまだ何も知らない子供だ。いい加減、大人になれよ」


 俺は何も言い返すことができなかった。目の前にいる同期の言葉は、それほどの重みがあった。そして、それに納得してしまった俺も、心のどこかでアリーゼとメリーさんの理想を、実現不可能な夢物語だと思っていたのだろう。それが自分の弱さを浮き彫りにしているようで、自己嫌悪に陥ってしまった。


「そろそろ料理がくる。座ってくれ」


 俺がぼーっとしたまま、言われるがままに席に着くと同時に、豪華な料理が運ばれてきた。円形のテーブルに所狭しと並べられた料理は、きっとどれも一級品だったのだろう。だが、その時の俺は何も味を感じることができなかった。手間暇かけて作られた料理の香りを感じることもできなかった。無言の食卓がしばらく続いた後、ミロが唐突に口を開いた。


「僕は、今どんな仕事してると思う?」


 俺は何も答える気になれなかった。それが分かっていたかのように、ミロはすぐに次の言葉を放った。


「軍の兵器開発をしてるんだ。広範囲に影響を与える魔法の技術を応用して、少しの魔力を使えば毒やら炎やらを撒き散らせる兵器をね。僕が適任ってわけさ」


 箸が止まる。いざそんなことを言われると、本当に同じ場所で学んだ同志が変わってしまったことを実感してしまう。平和を目指すアリーゼが育てた才能が、戦争のために使われている。それが不条理なように思えたが、今度は声を荒げることはなかった。ミロはただ、現実の重みに押しつぶされてしまっただけなのだから。彼は決して悪くない。悪いのは、現実という不条理だ。


「今はそれでいいかもしれない。でも、後悔しないようしっかり考えることだね。いつか取り返しのつかないことになるかも知れないから」


 久々に会った同期との食事は、俺に理想の脆さと、現実の重さを実感させるものとなった。その後、しばらくまともにメリーさんと顔を合わせることができなかったことを記憶している。俺がこの経験で考えを改めれば、あの悲劇は起こらなかったのかも知れない。

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