間話 最強に成り果てた少年

第7話少年の頃

 今から三十年前、俺は記念すべき最初の生徒としてエリアステラ学園に入学した。その頃はまだこの学園は、胡散臭い魔法使いが作った怪しい学園という認識で、入学しようという人間は少なかった。その上、今とは違い、国が違う者同士での喧嘩も絶えなかった。それを根気強く仲裁していたのが、学園長のアリーゼ・マギテックだった。


「ここではみんなが同じ学園で学ぶ同志なんだ。だから、国同士の因縁なんか忘れなさい」


 彼女はいつもそう言っていた。最初こそ誰も聞き入れていなかったが、学園で過ごしていくうちにお互いのことを知っていき、彼女の言葉を理解する者が増えていった。国や宗教なんか関係なく、お互いがちゃんと分かり合える人間同士だということを。


 そうやって変わっていく同級生や後輩を見ていくうちに、なぜアリーゼがこの学園を作ったのかが分かったような気がした。


「入学して三年、この学園も変わりましたね」

「そうだね。みんなに笑顔が増えた気がするよ」


 ある月が綺麗な夜。俺とアリーゼは、誰もいない静かな屋上で星を眺めていた。自分で言うのもなんだが、学園内で一番優秀だった俺は学園長に気に入られていて、こうやって話をするのも珍しくなかった。


「この馬鹿でかい学園に見合うくらいの人数になりましたしね。最初はあんなガラガラだったのに」


 夜も更けてきた頃だが、地上はまだ街灯に照らされ、学生たちが闊歩していた。それを見つめるアリーゼは、とても満足気だった。


「……国も宗教も、何の隔たりもなく人々が笑い合う。こんな理想郷を作るために、あなたは学園を作ったんですよね」

「どうかな。ただの金持ちの暇つぶしかもよ」

「もしそうだったら、そんな顔はしませんよ」


 アリーゼは素直じゃない言動のせいで誤解されがちだが、本当は誰よりも人を大切に思っている。その力を虐げるためではなく、救うために使っている。それは、誰にだってできることじゃない。


「君はここを卒業したら何をするつもりなんだい」

「憲兵になって、人々の笑顔を守る。そしていつか、パイス王国をこの学園みたいな場所にしたいと思ってます」

「そうか、それはいい夢だね」

「ここにいるみんなも平和を願ってます。だから、十年後か二十年後かわかりませんけど、ここの生徒たちの力でいつかきっと平和な世の中が訪れます」

「私もそうなるといいなと思ってるよ」


 アリーゼは苦しんでいた。戦争で命を失う人が多くいるこの世を変えられない、自分の不甲斐なさに。学園の中で見るあいつの顔は、いつもどこかに影があった。だから、俺は救いたいと思った。


「絶対にこの世界を変えて見せます。だから、その時は思いっきり笑ってください」

「……ありがとね」


 どこか躊躇いがちな笑顔。きっとアリーゼは、俺が背負った物に押し潰されないか心配していたのだろう。平和をもたらすという、一人で背負うには重すぎる使命。その重さと、潰されてしまった時の苦しみは、あいつが一番よくわかっているのだから。


 それから俺は、学園で最初の首席という名誉をもらって卒業した。俺が卒業する頃には、学園はすでに現在の学生たちの活気あふれる理想郷に限りなく近づいていた。最初から見ていた俺は感慨深く思いながら、ここにいる生徒たちが、いつか共に世界に平和をもたらしてくれるよう祈った。


 家に帰った俺は、まず家族に俺の夢を伝えた。それに、両親は泣きながら夢を応援すると言ってくれた。恥ずかしい話だが、学園に入る前の俺は結構荒れていた。ゴロツキと喧嘩することも珍しくなかったし、自分の将来についてなんて考えたこともなかった。当然、そんな俺が入れる学校なんてこの国にはなかった。俺が当時評判の良くなかったエリアステラ学園に入ったのは、そういった経緯があったからだ。


 そんな俺が、この国を平和にするために憲兵に入るという立派な夢を持って帰ってきた。両親はそんな息子の精神的な成長を泣いて喜んでくれた。


「父さん、母さん、今までは迷惑かけてきたけど、これから頑張るから」

「おう、しっかりやれよ」


 そう言って父さんは大きな手で俺を撫でてくれた。力強くてガサツだったが、俺は父に認められたことが嬉しくてたまらなかった。


「でも、無理はしないでね」


 心配そうな顔をして、母はそう言った。憲兵には腕の立つ者が多いため、戦争に駆り出されることも珍しくなく、普段の仕事も危険なものが多く回される。それが心配なのも無理はないだろう。しかし、危険を冒さなければ何も変えることはできない。俺の望みを叶えるためなら、危険を承知でやるしかない。


 当時の俺も、それなりの覚悟をしてこの道を選んだ。しかし、今の俺からすれば、その覚悟は上っ面だけの弱いもので、どこか心の奥底では何も問題はないと考えていたのではないかと思わずにはいられない。


 一週間後、世界でも名の知れた大魔法使いのアリーゼに認められたという事で、俺は期待の新人として憲兵に入った。俺は期待に応えて、順調に仕事をこなしていった。


 そして憲兵になって三ヶ月が経った時、俺は初めて悪魔契約者と戦った。そいつは山奥の農村の駐在を殺し、外への連絡手段を絶つことで、王国にバレずに村を支配していた。駐在からの連絡が途絶えれば気がつきそうなものだが、そいつが犯行に及んだのがある国との戦争を終えた後の混乱が起こる時期であったため、事件の発覚がかなり遅れたのだ。


 結局、俺たち憲兵が村に着いたのは、事件発生から四ヶ月も経ってからだった。村には路傍に転がる死体に黒鳥が群がり、畑は乾いた土の塊と化していた。その惨状を目の当たりにして、俺の体の内から燃えるような怒りが湧いてきた。一体どんな目的があればこんなことができるのだろうかと。


 憲兵の侵入を感じ取った契約者は、生存者を保護していた俺たちに奇襲を仕掛けた。だが、所詮は悪魔に力を借りただけの男。自らの力を鍛え、研ぎ澄ました実力者集団の憲兵に敵うはずもなく、直ちに拘束された。俺は他の仲間たちが再び生存者の捜索に出ている間、傷だらけになり、魔力を封じる特別な縄「封魔縛ふうまばく」で縛られた契約者に近づき、事情聴取を始めた。


「まず、お前が何者か聞かせろ」

「……ただの敗残兵さ」


 男は全てがどうでもいいとでも言うように、体の力を完全に抜いて、弱々しい声で答えた。俺は男の敗残兵という言葉と、身につけているボロボロになった赤いローブを見て、その正体に気がついた。


「その赤いローブ……もしかしてドラミオ共和国の兵士か」

「そうかもな。だが、もしそうだとしても関係ないだろ。ドラミオ共和国は既に滅びているんだからな」


 その男の声からはただならぬ憎悪が感じられた。それが、俺の疑惑が確信に変わった瞬間だった。憲兵がこいつの発見に遅れた理由の戦争、それはドラミオ共和国との戦争だったからだ。「西国大戦」でパイス王国の同盟国の大半が弱体化したため、その隙を狙ってドラミオ共和国が侵攻してきたのだ。半年も続いた戦争の結果、ドラミオ共和国は返り討ちにされ、パイス王国に併合された。


「そのことで恨まれても俺は何も言えないぞ。そもそも、そっちが仕掛けてきた戦争なんだからな」

「そうだな。普通ならそれが道理だ。だがな」


 男は急に顔を上げた。その顔は瞼がはち切れんばかりに開かれており、先ほどの全く生気のない目とは反対に生き生きとしていた。


「そんな道理に従う必要がどこにある?国を失い、行き場を失った俺にはもう何もない!この村を襲ったのもただの腹いせ、俺の鬱憤が晴らせるなら何でもよかったんだよ!」

「お前何を……」

「ああそうだ。俺がここでどんな事をしたか教えてやるよ。俺はな、ここの村人どもをできるだけ苦しんで死ぬように趣向を凝らしたんだよ。最初のうちはどうにも加減がわからずすぐに殺しちまったが、だんだんと人がどれくらいで死ぬかわかってきたんだ。そんな俺が辿り着いた殺し方が……餓死だ!あれはいい。知ってるか?餓死寸前の奴に中途半端に飯を与えると、余計に飢えが加速して何も食べなかった奴より先に死ぬんだぜ!謙虚な奴が長生きするなんてこの世界はよくできてるなぁおい!でもよぉ、こっからが面白いんだ。その何も食わずに生き残った奴がな、死体に擦り寄って、その近くで火をつけ始めた。あぁ、火葬して弔ってやるのかと思ったが違った。なんとな、そいつは焼けた死体を食おうとしたんだよ。人間、限界を迎えると人間性なんて軽く捨て去るんだなぁ。まぁ、見てて気持ちのいいもんじゃないか食う前に殺したが。それで、もっと面白い」

「もういい」


 俺は契約者を低い声で威圧した。先程まで気持ち悪いくらい楽しそうに語っていた男は一気に青ざめた。恐らくあの時の俺の殺気を感じ取ったのだろう。あの時契約者の人を人と思わないような所業と、それを楽しげに語る性根の腐った心が、俺に今まで味わったことがないような黒い感情を心の底から湧き上がらせていた。こいつは堕ちるところまで堕ちた、微塵も生きる価値のない悪人だ。こんな奴がいるから世界は平和にならない。無意識のうちに俺は拳を振り下ろしていた。


 しかし、その拳は横から俺の手首を掴んだ何者かに止められた。横を向くと、そこにはパイス王国に住む者なら誰もが知っている女性、メリー・ポルネオスが立っていた。


「何をしているの」

「止めないでくださいメリーさん」

「この人がどんな極悪人だとしても、それは許可できないわ」

「何故です!こいつは人を人と思わない極悪人、反省の色もない根っからの悪人なんですよ!」

「それは違うわ」


 メリーさんはそれだけ言って、契約者の方を向いた。俺は彼女の言っていることが理解できず、さっさとトドメを刺したかった。かと言って、新入りの身で彼女の行動を止めることもできないので、その場で立ち尽くしていた。


「なんだよ。殺すならさっさとやれよ!」


 目の前にメリーさんが来た瞬間、男の顔は憎しみの感情を帯びた。それを見て、メリーさんは子供でも相手にしているかのように腰をかがめ、優しい声色でこう言った。


「殺すなんてことしませんよ」

「なんでだよ。俺はあのガキの言う通り、どうしようもないクソ野郎だぞ」

「えぇ。あなたは自分の弱さに負けて、自暴自棄になって罪のない人を苦しめて殺した」

「そうだよ!わかってんなら何でさっき止めたんだよ!俺を殺したくて仕方ないんだろ?もういいんだよ!このまま生きたってどうしようもないんだよ!」


 罪を突きつけられた男の顔は歪み、感情の全てを吐き出した。俺はその姿が何故か、醜い悪人ではなく、駄々をこねる子供のように見えた。そんな男にメリーさんは、そっと手を差し出した。


「人は弱い生き物です。時折間違った道を選んでしまうこともあります。でも、人間はその間違いを正すことのできる強い生き物でもあるんです。だから、罪を償って正しい道に進みましょう。そうすれば、あなたにも理解者が現れますから」


 メリーさんの言葉を聞いた契約者は、歪んだ顔から涙を流しはじめた。そのままうなだれ、顔を隠したまま嗚咽し、何も言えなくなった。


 その後、生存者の保護を済ませた憲兵に男は連行された。一仕事終えたメリーさんは、何かを思うところがあるような顔で乾ききった畑を眺めていた。


「メリーさん。少し良いですか」


 俺が声をかけると彼女はゆっくりと振り返った。橙色の夕日が彼女の背後を照らし、顔に影がかかった。


「どうかしたの?」

「俺にはやっぱり理解できません。あんな奴を許して良いはずがありません」

「……そうかもね」


 そう返答した彼女の顔は、何か重い感情を押し殺しているかのように苦しそうだった。


「あの人を許してしまったら、被害にあった人たちがうかばれない。為した悪には、それ相応の罰を与えるのが世の常よ」

「それがわかってるなら何で」

「でも、私たちが……私たちだけでも許してあげないと。そうじゃないと、あの人は悪に染まったままよ」


 俺の言葉を遮り、彼女は強い意志を感じる強い口調でそう言った。少し沈んだ夕日が彼女を横から照らし、涙を溜めて潤んだ瞳を輝かせた。その時、俺は彼女の行き過ぎとさえ言えるほどの優しさに気がついた。


 メリーさんは、先程自分で言ったようにたとえ悪人であっても、誰かが許してあげなければならないと思っている。それは、人間が悪に染まるのは何か理由がある事を知っているからだ。一方、被害にあった人たちの失ってしまった悲しみもよく分かっている。だから、その人たちが悪人を許せないことを誰よりも理解していた。その感情の板挟みに苦しみながらも、救う事を諦められなかったのだ。


「悪を許す勇気。本当の意味で人々を悪意から守るには、それが必要なのよ」


 今、メリーさんの心のうちにあるのは、救わなければならないという強迫観念と、悪を許してしまったことからくる被害者たちへの罪悪感だ。彼女はこんな事件があるたびに、こんな苦しみを味わっている。俺は、そんな彼女を救いたいと思った。


「なら、その重荷を一緒に背負わせてくれませんか」

「……え?」


 彼女はキョトンとした顔をして驚いた。きっと、さっきまで悪人を許せなかった俺に、自分の思想を理解してもらえるとは思っていなかったのだろう。


「俺は学園で国籍も思想も違う人々が、確執を捨てて笑い合っているのを見て、パイス王国を……世界をこんな「理想郷」にしたいと思ったんです。今日のあなたを見て、あなたの思想ならそれに近づける。直感ですけど、不思議とそうだって確信があるんです。だから、あなたの理想に協力させてください」


 その言葉は、単純に本音であると同時に、照れ隠しでもあった。俺が「世界を理想郷にする」という思想を抱いたのは、傷ついたアリーゼを救いたいと思ったからだ。今回もそれと同じだ。俺の根底にあるのは平和への憧れではない。大切な人を守りたいという想いだ。メリーさんとアリーゼが幸せなら、他の何がどうなろうと良かった。ただ、二人の幸せのためには世界を平和にするしかなかっただけだ。


「……ありがとう」


 メリーさんは溜めていた涙を流してそう言った。そのどんな名画よりも美しい笑顔のためなら、俺は何だってやろうと思った。その恋慕の情を抱く少年のような思いが、どんな悲劇をもたらすかを知らずに。

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