第6話優しさの真贋


 朝日が闇夜を消し去り、暖風が吹き抜ける。鳥達がチュンチュンとら朝を告げ、目を覚ました学生達の生活音が耳に入る。そんないつも通りのいい朝だったが、アルトにとってはそうもいかなかった。アルトはベッドの布団に顔を埋め、昨日のことばかり考えていた。


「自分の強大な力を恐れ、綺麗事で責任逃れをしている」「戦わないのは人を傷つけたくないのでは無く、自分が傷つきたくないから」「自分は力を使うことに躊躇いは無い」


 自分はそんな人間ではない。夜通しそんな事を自分に言い聞かせているが、本当にそうなのではないか、その全てを否定しきれない自分がいた。もしそうなら、自分は最低な人間だ。力を持っていて、善人面しといて、本当は自分がかわいいだけの卑怯者。そいつは、どんな悪人よりも罪深い存在だ。


「アルト、もう朝よ」


 部屋の外からメアリの声が聞こえてきた。昨夜彼女は、虚な目をして帰ってきたアルトを心配して、寝室を貸してくれたのだ。アルトは返事をせず、毛布の中に体を隠していた。


「学園長に何を言われたか知らないけど、早くベータに顔を見せてあげなさい。あの子、昨日からずっと心配してるから」


 アルトはグッと毛布を握りしめた。せっかくベータを助けたのに、情け無く隠れてしまっている自分が恥ずかしい。早く安心させてあげたい。しかし、こんな顔を見せてしまったらもっと心配させてしまう。自分のクソッタレな人間性を突きつけられて、子供みたいに泣きじゃくって目を赤く腫らした、この罪深い人間の顔を。


「うん……でも、疲れたからもう少し休ませて」


 覇気のない声で返事をする。もう体は動かせるのに、下手な嘘で逃げようとした。メアリはそれがすぐにわかった。その覇気のない声を聞いて、彼女は昔の自分を思い出した。


 ○○○


 学園に入学して、魔法医学の勉強始めたはいいものの、どれだけやっても熱血病の治療法の研究は進まなかった。周囲の子からは「無謀な挑戦」とか「諦めた方がいい」とか馬鹿にされてばかりだった。


 そんな時、アルトが現れた。図書館で資料を見ていた時、突然声をかけられた。


『ねぇ、どうして泣いてるの?』


 そう言われてはじめて、自分が泣いていることに気がついた。両親を救おうと学園に入って一年、熱血病の壁は想像以上に高く、もう無理なんじゃないかと思いはじめていた。きっと、その限界が来てしまっていたのだろう。

 自分が泣いていることに気がついた瞬間、取り止めのない感情が溢れてきて、目の前によく知らない奴がいるのにも拘らず、声をあげて泣いてしまった。そんな私に、あいつはハンカチをくれた。私が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。泣き止んだ私の話を、親身になって聞いてくれた。私が自分の夢は実現できないのではないかと話した時、あいつは一点の曇りもない瞳でこう言ってくれた。


『君なら絶対できるよ!』


 あの時、心が救われた気がした。私の事も、魔法医学のことも、何も知らないくせして、そんな事を言ってのけた。無為の優しさが、こうも嬉しいなんて思わなかった。


 ○○○


 メアリはそっと扉に手を当てて、こう言った。


「泣き止んだら教えなさいよ。その時は、いくらでも話聞いてあげるから」


 それだけ告げて、彼女は部屋の前から去った。


 朝食を取った後、メアリがベータと一緒に寮の事務室で手続きをしていると、後ろから学園長に声をかけられた。学園長は昨日と同じように、腹の底で何を考えているのかわからないような怪しげな笑みを浮かべていた。ベータを事務室に残し、二人は誰もいないベランダに足を運んだ。


「ここなら君と話せるかな」

「私は顔も見たくなかったですけどね」


 メアリはわかりやすく威圧しながら返事をした。この人はアルトを傷つけておいて、どうしてあんな風に笑っていられるんだと、彼女は内心穏やかではなかった。


「そんな怖い顔しないでくれよ。生徒に嫌われると結構心にくるんだよ?」

「心にもない事をよくペラペラ喋れますね」

「……まぁ、仕方ないか」


 アリーゼは残念そうにため息をつくと、一定の距離を保ったまま話を始めた。


「ベータくんのことに関しては心配しなくていい。手配書は誤報だったってことにして取り下げさせたし、憲兵も彼女を罪に問わないってことにさせた。もしも何かあった場合の責任は私に来るけどね、ハハッ」

「それは愉快な事ですね」


 学園長渾身のギャグは、メアリに冷たくあしらわれた。想像以上にメアリが怒っていたためか、学園長が最初に見せていた薄ら寒い笑いは、苦笑いに変わっていた。メアリはそんな彼女を睨みつけながらこう言った。


「やっぱりおかしいですよ」

「ん、なにが?」


 メアリの言動に、学園長は首を傾げた。この様子を見ると、今は心を読んでいないようだ。


「もしあなたがアルトと同じようにベータを扱っていたら、ベータの、過去に縋り、そのために罪を犯した弱さを責めるはずです。それなのに、あなたはそれを許容するどころか、手を尽くしてあの子を守ってくれています。どうしてもそこが腑に落ちません」

「好みによって生徒の扱いを変える先生なんて別に珍しくもないでしょ」

「……こんな事言いたくはないんですけど、私はあなたを優しい人だと思ってます」

「おや!そうなのかい」


 メアリの言葉を聞いたアリーゼは、気不味そうなにしていた顔を、一気に緩めて嬉しそうにした。メアリは、彼女のこの嬉しそうな反応がわかっていたので、この言葉を口にするのがいやだったのだ。


「この学園では、貧富の差、宗教と人種、国境とかの隔たりが無いかのように、生徒達が同じ人間として、共に学び、共に笑っています。こんな「理想郷」は他にありません。そして、それを成し遂げられたのは他ならぬ、あなたがいたからです」

「いやはや、ここまで褒めてくれるなんて感激だよ」


 ここエリアステラ学園は、三十年前にアリーゼが創った学園だ。ここはありとあらゆる魔法に関する学問を、最先端の技術を使って学ぶことができ、その上どの国にも属さないため、どの国の人間でも入学できるのだ。しかも、家庭の事情で学費が払えない場合は、全て学園長本人が立て替えてくれるため、お金がなくて入学できないといったことも無いのだ。


 そんな無茶が通ったのは、他ならぬ学園長アリーゼ・マギテックの圧倒的な力あってこそだ。


「そんなあなたが、ただ自分の好みだけでアルトを傷つけるはずがない。何かしらの理由があるんじゃないですか」

「いやー……もはや流石としか言いようがないね。人には知られたく無いことなんだけど、君になら話してもいいよ。私がアルトくんに寄せている期待をね」


 彼女はベランダの柵を掴んで、空を見上げた。陽を浴びた学園長の白髪が光を反射して輝く。その姿はまるで天から降り立った天使の如き美しさで、背中から伸びる影が羽のように見えた。


「私はね、彼に完璧になって欲しいんだよ」

「完璧……?どういうことですか」

「彼の才能は素晴らしいものだ。私が学園を作って三十年、彼は私が見てきたどの生徒の中で最も優れている。彼が本気で戦いの訓練をすれば、あのタイラーくんや私すらも越えられる」

「それで、そんな力を持ったアルトをどうしたいんですか」

「この狂った世界を理想郷に変える」


 アリーゼの放った一言、それがメアリの鼓膜を揺らした瞬間、目の前にいた天使が悪魔に変わった。得体の知れない恐怖で体が固まる。アリーゼが見せる笑みから、何に対してかはわからないが、怨み、憤怒、絶望という黒い感情が読み取れた。


「何度も起こる戦争、支配と反逆、止まる事を知らない憎しみの連鎖、私はこの世界が狂っているようにしか見えないんだ。今私がこうして話してる時でも、どこかで誰かが苦しんでる。私はそんな世界を変えたいと思った。だけど、私じゃ足りなかった」


 悪魔が拳を握る。空を見上げていた顔は、いつの間にか地を見つめていた。アリーゼの背中は悲しみを背負っていた。


「でも、アルトくんならきっとできる。この狂った世界を正せる」

「あなたの願いを、アルトに押し付けるんですか」

「それがどうした!」


 メアリの糾弾に、学園長は声を荒げた。メアリを睨みつけ、両手を広げながら勢いよく捲し立て始めた。


「彼には夢がない!信念がない!彼にあるのは力だけだ!そんな彼に私は使命を与えてやってるんだ!どこに悪い要素がある?」

「アルトの優しさを否定しないでください」

「彼の優しさも、ただ戦いたくない、傷つきたくないってのを言い訳するための偽物だ」

「違う!」


 学園長の心ない言葉に、今度はメアリが声を荒げた。


「アルトの優しさは本物です。確かにあなたの言う通り、あいつは夢を語ったことないし、どういう信念で平和を愛してるのかわからない。だけど、あいつは何百もいる召喚獣全員に律儀に名前つける馬鹿真面目だし、困ってる人がいたら見過ごせない奴なの。それに、あいつはみんなが叶わないって馬鹿にした私の夢を応援してくれた!あんたの勝手な物差しで、あいつの優しさを否定しないで!」


 メアリの魂の叫びに、学園長は目を丸くした。そして、アリーゼは肩の力が抜けたようにため息をついて、優しく笑った。


「君は強いんだね。わかったよ。さっき言ったことは取り消そう」

「謝るなら、アルトに直接謝ってください」

「……あぁ、そういえばその件で君を呼んだんだった」


 アリーゼは照れ臭そうに頭を掻いた。その顔は、まるで親しみやすいただのお姉さんのようで、先程までの神々しさは感じられなかった。


「昨日のことは少し言い過ぎた。すまない。とアルトに伝えてくれないか」

「だから……そういうのは直接アルトに言ってよ」

「それがどうも、大人になるとそういうのが難しくなってしまうんだよ。君の言う、優しいアルトくんならきっとわかってくれるとは思うがね」

「学園長……あなた本当に申し訳ないって思ってるの」

「すまない、本当に」


 そう口にした彼女は、小動物のように弱々しく見えた。しかし、その彼女が発した言葉は、神々しかった彼女の言葉よりも重く感じた。メアリは目の前の人物の変わりように頭を抱えた。一体、どれが本物の彼女なのだろうか。

 メアリは、今目の前にいる「優しい彼女」が本物ではないかと思った。いや、そう思いたいだけなのかも知れない。その方が自分にとって都合がいいのだから。


「わかりましたよ。伝えますよ」

「そうか。良かった。あともう一つ、明日タイラーが君たちに会いに来る」

「えっ、あいつが?何しに?」

「さぁね。ただ、あの子に君たちを攻撃する意思はないよ。安心していい」

「はぁ……そうですか」

「手続き終了。メアリ、帰宅準備」


 ベータの声を聞くと、メアリは学園長に別れの挨拶を言ってその場を立ち去った。明日来るタイラーと、今日見た学園長のさまざまな一面のことを考えながら。


 ベータは正式に学園の生徒となり、メアリの部屋に住むことになった。それで、掃除や料理とかは今後どうするかについて話し合いながら部屋の扉を開けると、目の前にアルトが現れた。

 どうかしたのかと声をかけても、目の前の彼は何も言わずにただ下を向いて横に目を逸らしたままだった。そのじれったい態度に、メアリは彼の頭にチョップをした。


「言わなきゃわかんないでしょ」


 顔を目の前まで近づけたメアリに、アルトはたじろぎながらこう答えた。


「えっと、その、泣き止んだから……話し相手になって欲しいなー……なんて」

「なんだ。そんな事だったのね。いいわよ、約束は守るのが常識だもの。ただ、その前に昼ごはんの手伝いしてもらうわよ」

「あっ、うん。何でも任せてよ!」

「じゃあまずパジャマを着替えなさい」

「了解です!」


 アルトはいつもの呑気で優しそうな顔に戻り、寝室に着替えに行った。メアリは安心したように笑うとキッチンに向かった。


「二人とも、元に戻って良かった」


 ベータは自分のせいで二人に迷惑をかけてしまったのではないかと心配していたが、優しい笑みを浮かべた二人を見て安心した。今日もらった学生証を手に、メアリを追いかけた。

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