第3話むかしばなし
三年前の話だ。その頃の私は山の麓の学校に通う普通の女の子だった。普通に勉強をして、普通に友達と遊んで、普通に恋をして、そんな何事もない生活が何よりも愛おしかった。しかしそれは、いとも容易く破壊されてしまった。
確かあの日は一日中曇りだったはずだ。いつものように早起きして薪割りをし、母さんの作った温かいスープを飲んだ。
「ママ!パパ!いってきます!」
「いってらっしゃい」
「雨が降るかもしれないから、傘を持って行きなさい」
「うん、わかったー」
母さんが優しく見送って、外で畑の手入れをしていた父さんが傘を渡してくれた。私はこれが最後の会話になる事なんて露知らず、笑顔で山を降りていった。
「さーん、にー、いーち、ゼロ!もーいーかーい」
「もーいーよー」
学校が終わって、その日は仲の良かった女友達四人とかくれんぼをした。鬼は私だった。冷たい風が吹く曇り空の下、寒さも気にせずに楽しく遊んでいた。日が暮れるまで遊んだ後、村に家がある四人と山に家がある私は公園で別れた。
「またねー」
「またあしたー」
思い返すと、あの子達と遊んだのはこれで最後だった。すっかり日も落ちしてしまった頃、私は家に着いた。しかし、違和感があった。家に電気がついていないし、物音ひとつしない。
父さんと母さんは家にずっといるはずなのに、どうしてなのか。もしかして、二人とも昼寝したまま起きてきていないのか。そんな平和ボケした考えをして、驚かせてやろうと勢いよく扉を開けた。
「ただいま!パパ!ママ!」
私の声が、小屋の中に虚しく響いた。その瞬間、ひどく荒らされた室内が目に広がり、自分の頭が本能で危険と信号を発する鉄の臭いが鼻の中に充満した。
「え……?なに、なんなのこれ……?パパ?ママ?どこ……なの?いたら返事してよ……」
この不気味な雰囲気で、能天気な私もこの異常な状況を把握した。一歩、玄関から室内に足を踏み入れる。その瞬間、何か柔らかいものを踏んだ。ビックリして反射的に後退りをし、何かがある所に目を向けた。そこにあった光景は、私の脳に焼き付いて消えないものとなった。
それを雲の合間から差し込む月光が照らす。目に入ったのは、赤。彩りのある美しい赤の上に、おどろおどろしい赤黒い何かが這うようにして広がっていた。風が吹き込み、彩りのある赤を揺らす。私はそれをよく知っていた。生まれた時から見続けてきたそれを、見間違うはずがなかった。
母の赤髪だ。
私はそれに気がついた時、叫び声をあげて転んだ。腰が抜けて動くことができない。否応無く、私の目には母の死体が映ることになった。
母はうつ伏せになっており、背中には刃物が突き刺さっていた。腕と脚には無数の切り傷と青あざができていて、ひどく痛めつけられたのだとわかる。母のお気に入りの白いワンピースは赤黒く染まり、所々破れていて、踏みつけられた跡が残っていた。
「やだ……やだよ……こんなの、助けて、助けてパパ!」
母がこんなことになっていた以上、結末は分かっていた。それでも、そう叫ばずにはいられなかった。それに呼応するように、ゴトンと何かが落ちたような音が家の中からした。そっちに目を向けると、ダイニングテーブルの近くに何かの影が倒れているのが見えた。
私は駆け出した。分かっていたはずだ。ここで何が起こって、自分の両親がどうなったのか。それでも、存在しないはずの希望を求めて手を伸ばした。そして、掴んだものは絶望だった。
影を掴むと、ドロリとしたものが手に触れた。なんだ、これは。そんなことを考えた瞬間、外から轟音がした。落雷だ。その光が私の手の中にあるモノの正体を暴いた。
虚ろな目をした父の顔、見たことがなくても、それが死人の顔だというのはすぐに分かった。その時、私が何を思ったのか、今の私にはわからない。長い間、ずっとその場に座り込んでいた。
ふらりと立ち上がって外に出た。月も隠れてしまった空から滝のように雨が降り注ぐ。ピシャリ、ピシャリと何度も落雷の音がした。ひどい嵐だった。
そこから先は覚えていない。次に目を覚ました時は麓の病院のベッドの上にいた。どうやら私は山道で倒れていたそうだ。早朝に散歩をしていた親切な人が私を見つけてくれたらしい。私はしばらくの間ずっと病室にいた。その間、誰を見舞いには来てくれなかった。
「外に行くなんて、大丈夫なのかい?」
「うん。外の空気が吸いたいから」
「……わかった。でも、あの看護師さんと一緒だ」
私は医者の言うことを聞いて、散歩には私のお世話をしてくれている看護師さんが着いてくることになった。精神が不安定な私が何をするかわからないからだろう。その選択は正解だった。
私が外に出て散歩をしている時、何か違和感があった。まるで、私が今まで過ごしてきた村とは別物のようだった。その理由は、私の友達と会った時に分かった。しばらく歩いていると、一緒にかくれんぼをした友達を一人見つけた。私は嬉しくなって、友達の方に走った。私が話しかけると、彼女は一瞬、怯えたような顔をした。
「マイヤちゃん、久しぶり」
「あ、うん。病院に、いなくていいの?」
「もう大丈夫だよ。もう少ししたら学校に行けるってお医者さんが言ってたの」
「そう、なんだ。それは、良かったね」
私と話す彼女の態度はたどたどしかった。まるで腫れ物を扱うように慎重に途切れ途切れの言葉を紡ぎ、ぎこちない笑顔をしていた。その時私は気がついた。村が変わったのではない。村が私を見る目が変わったのだ。
病院に戻って洗面所で顔を洗っていた時、私は鏡を見た。ふと、私はその鏡に映った自分の顔を見た。その顔は死人のように青白く、瞳の中には吸い込まれてしまいそうな暗黒が広がっていた。
「ははっ、何この顔。気持ち悪い」
昔話はこれでおしまい。
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