第2話少女の本性

 黒い草原を弱々しい月明かりが照らす。冷たい夜風が、三人の間を縫って吹き抜けた。草原にきた事を確認したベータは、メアリの拘束を解いた。


「ここまで来ればもういい。あなた達は好きなように」

「……え?」


 ベータは二人を一瞥して山に向かって歩き始める。メアリは彼女があっさりと自分達を解放したことに困惑した。唯一自分の行方を知っているメアリ達を解放すれば、今後憲兵から逃げるのは困難になるはず。普通なら人質にするか抹殺するかだ。それなのに彼女が何もしないのは、何か意図があるのか、迂闊なだけなのか。


「待ってよ」


 二人の前から去ろうとするベータを、アルトが引き止めた。彼女は振り向きはしなかったが足を止めた。


「僕も一緒に行く」

「はぁ!?何言ってんのよアルト!」


 唐突におかしな事を言い始めたアルトに、メアリは声を荒げた。アルトはそれを気に留めず話を続けた。


「君が心配なんだよ。このまま逃げたって憲兵に見つかるのも時間の問題、あの傷だって憲兵にやられたんでしょ。またああなったら助からないよ」


 悪魔契約者に対して何を言っているんだ、魅了系チャームの魔法にでもあてられたか、とメアリは思った。しかし、戦闘能力の無いメアリはどうする事もできなかった。


「……あなたには関係のない話。悪魔契約者の私にこれ以上関わってどうするの」

「君は悪いやつじゃない。それがわかるからだよ」

「何言ってんのよ!こいつは私たちを騙してた悪魔契約者よ!それが悪い奴じゃないって、どういうつもりよ!やっぱり、魅了の魔法にかかってるのね」

「ちがう、僕はいたって正気だよ」


 アルトはメアリと目を合わせた。魅了系の魔法にかけられた時特有の焦点のあっていない目とは違い、アルトの目はしっかりと焦点があっており、他人の魔法にかかっているような気配も感じなかった。アルトはベータに向き直りこう言った。


「君が僕の召喚獣に見せた時の目だよ。あれは、嘘偽りのない目だった」

「あれは演技。そんな根拠で私を信用するなんて、アルトはお人好し」


 ベータは呆れたような物言いだった。メアリもこの時ばかりはベータと同じ心境だった。


「そうだね。僕にとってはこれだけで十分なんだけど、もっと確かな証拠がいるよね」


 アルトは手から魔法陣を出して、一体の召喚獣を召喚した。現れたのは紺色の毛をした猫、ベータが気に入っていたミーニャだった。


「その子が何」

「この子はちょっと特殊な子なんだ。この子の目は見た人の心の色を見る。悪い人は黒、良い人は白みたいにその色は多種多様、そして」


 アルトは抱き上げていたミーニャを手放した。ミーニャはそのままベータに向かって駆け出して飛びかかった。ベータは振り返ってそれを受け止め、尻餅をつく。ベータに抱きしめられたミーニャは、嬉しそうな顔をして彼女の頬を舐めていた。


「ミーニャは、悪心を持つ人間には絶対に懐かない」


 その言葉を聞いてベータは、してやられたという顔で笑うと、ミーニャを抱いて立ち上がった。


「君を助けたいんだ」

「……ついて来るなら勝手にして」


 ベータはミーニャを抱いたまま再び歩き出した。アルトはそれを確認して、今度はメアリの方を向いた。


「メアリは学園に戻ってて良いよ。これ以上迷惑かけられないし。あ、でも憲兵には内緒にしといてね」


 アルトはそれだけ言ってベータを追いかけようとした。その瞬間、メアリはグッと彼の手を握って引き止めた。


「待ちなさいよ」

「止めないで。あの子をほっとけないんだ」

「止めたりなんかしない。私も行くわ」

「ダメだよ、危険すぎる。もし憲兵に見つかったらメアリの夢は叶わなくなるかもしれない」

「うっさいわね!そんなことわかってるわよ!」


 メアリはアルトの腕をさらに強く握りしめ、俯いたままか細い声で呟いた。


「あんたが……心配だからよ」


 言葉はそれだけだった。それでも、彼女の気持ちは十分アルトに届いていた。彼女はアルトほど無鉄砲にはなれない。憲兵に追われることは怖いし、ベータを信じ切ることもできていない。しかし、彼女はそれ以上にアルトがどこか自分の知らないところで無理をしてしまうのが怖かったのだ。


 アルトはメアリの震える手を握った。その手は、温かかった。自然と震えが止まり、メアリは顔を上げた。アルトの顔は暗くてはっきりと見えなかったが、優しい顔をしていたことだけは確かだった。


「ありがとう。メアリが居てくれたら心強いよ」


 その言葉を聞いて、メアリの心の震えは止まった。メアリは、彼の言葉一つでここまで落ち着いてしまうことに、我ながらどこまで彼に惚れているんだと思った。


「いつまで惚気てるの。ついて来るなら早急に」

「あ、ごめん。すぐ行くよ」


 アルトはメアリの手を引いてベータの後を追った。そうして三人の男女は、草原の山に消えた。


 ――――――――――――――――――――


 ベータについて行き、山を一つ越えて下りの中腹あたりに差し掛かった頃、木々に囲まれた小屋が一つ見えた。


「あれが私の家。まだ憲兵は未発見」

「それならなんで悪魔契約者ってバレたの?」

「山道を散歩していたら憲兵に暴かれた。原因は不明」

「悪魔契約者は魔力の性質が根本から変わる。憲兵は全員、その特有の魔力を感じ取る訓練を受けてるの。それでバレたのね」

「そうなの、初耳」


 ベータはメアリの話を聞きながら扉の鍵を開けた。小屋の中は散らかっていて埃っぽかった。壁や床の板が所々傷付いて、一歩進むごとにギシギシと音が鳴る。


「こんな所に住んでるのね。掃除とかしないの?」

「そんな暇、私には皆無」


 ベータはそのまま分厚い魔導書が積んである机に向かい、蝋燭に火をつけた。


「とりあえず今日は休息。今後の生活は明日になってから考えるわ」

「それなら僕は周りの警戒をするよ」


 アルトはそう言って小さなネズミ達を大量に召喚して森に放った。その瞬間、アルトはフラリと倒れそうになった。それをメアリが受け止めた。


「ごめん、ちょっと立ち眩みが」

「大丈夫なの?もしかして、魔力を使いすぎたんじゃ」

「登山で少し疲れただけだよ。なんの問題もないよ」


 アルトはメアリから離れて近くの椅子に座った。すると、その近くの棚の上に飾ってある写真が目についた。そこには顎鬚を生やした優しそうな男と、緑色の髪の少女を膝に乗せた赤髪の女性が写っていた。


「これ、何の写真?」

「……家族の写真。緑色の髪の子が私」

「両親はどうしたの」

「死んだ。三年前、私が家にいなかった時にならず者に襲われて。犯人は未だ捕まってない」


 その言葉を聞いて再び写真を見る。そこに写る少女の顔は野に咲く花のように可憐で、太陽のように眩しかった。今のベータにその面影は無く、紫色に変色した髪、宵闇のように暗い瞳を見ると、彼女が味わった絶望がひしひしと伝わってきた。


 ベータはそれだけ言って黙り込んでしまった。三人の間に数秒の沈黙が続いた。最初に口を開いたのはアルトだった。


「君の目的は、両親を生き返らせることなの?」

「その通り」

「……そうなんだ」


 アルトはそれ以上言葉を重ねることはしなかった。彼の思っていた通り、ベータは悪魔の力を悪行に使っているわけではなかった。それだけ知れたなら今日はそれで良い。彼女の心を無意味に傷つける必要は無いのだ。


 一時間後、アルトは机に突っ伏して眠っていた。メアリはその様子を見て優しく微笑むと、今度は魔導書と睨めっこしているベータに話しかけた。


「あなたも眠ったほうがいいんじゃない?」

「今日は十分寝た」

「死にかけるほどの重傷を負ってからね。無理したって研究は進まないわよ」

「もう、体を再構成する術式は完成してる」

「そして、二年以上魂と記憶の再構築の方法が分からない。ってところかしら」

「……ッ!?何でわかったの」


 先程までの余裕を崩して、ベータは勢いよく振り返った。メアリは溜息をついて、鋭い目つきをし、冷たい声色でこう言った。


「あなた、本当に世間知らずなのね。じゃあ教えてあげるわ。死者の復活、そんな夢のような魔法は古来から研究され続けてきた。それでも、魂と記憶の再構築だけができなかった。いや、そもそも魂と記憶とは何なのか、何が人をその個人たらしめるのか、もはや死者の蘇生は魔法の領域から外れて、倫理の領域へと変わったの。それ以降、何をもって死者の蘇生と言えるのかで延々と議論が交わされているわ」

「それで、無理だって言いたいの」

「ええ、こんなボロ屋で世間知らずの小娘がたった一人で完成できる研究じゃない。たとえ、悪魔と契約したとしてもね」


 メアリの言葉に怒りが有頂天になったベータは、勢いよく立ち上がって彼女の胸ぐらを掴んだ。


「じゃあ!私のやってる事は全部無駄だって言いたいの!」

「無駄どころか、間違いよ」

「何ですって!!」


 今までクールだった彼女は声を荒げ、涙目になりながらメアリを殴ろうとした。メアリはそれを受け流し、ベータは床に転がった。


「死者なんて、蘇らせるものじゃないわ」

「なんでよ!父さんも母さんもどっちも何も悪い事してない!ただの被害者よ!」

「だからどうしたの」

「……え?」


 ベータは目の前の少女が言った冷酷な言葉に息を詰まらせた。今目の前にいるメアリは、彼女が学園にいたときに見た世話焼きで優しいメアリとは別物のように刺々しい雰囲気を纏っていた。


「聖人も極悪人も例外なく、死者は死者のままでないとダメなの。生命の蘇生は、生命の価値を貶める。命を失ったら元に戻らない今でさえ、世界中で戦争が起こって、ゴミのように命が消えてる。それでもし死者を蘇生できるようになったらどうなるかしら」

「そ、それは……」


 ベータは何も言い返せなかった。死者の蘇生が何を意味するかなど、両親を生き返らせることで手一杯だった彼女が考えたことがあるはずなかった。


「……ごめんなさい、少し言いすぎたわ」

「え、いや、私も少し勉強になった」


 先程までベータを捲し立てていたメアリは急にしおらしくなった。声色も学園の時に聞いた優しいものに戻っていた。


「あなたの気持ちはすごくわかるわ。両親が死んだら悲しいもの。でも、生き返らせるべきじゃない」

「生命の価値を貶めるから?」

「医者志望の私の美学に基づくとね。でも、私個人があなたは抱く感情に従うと別の理由になるわ」

「それは何が違うの」

「個人を見つめる目と世界を見つめる目はまた別よ。それで、私が両親の蘇生に反対するのはね、もし両親が生き返ったとして、悪魔契約者に身を堕としてしまったあなたを見たらどう思うかってこと。しかも、その理由は自分たちって、私だったらすごく悲しいわ」

「……私は父さんと母さんがいないほうが嫌」

「あなたがそこまで言うんだから、きっといい人たちだったのね」


 メアリはそう言うと、ベータの家族の写真を手に取って微笑んだ。


「うん、すごく優しい顔してる。……ねぇベータ、もしあなたの両親が今のあなたを見たらどうすると思う?」

「……わからない」

「しっかり考えなさい」


 メアリは目を背けようとしたベータの顔を掴んで、まっすぐ自分に向けた。しばらく見つめ合っていたら、ベータは体を震わせてその場に泣き崩れた。


「そんなの、そんなの悲しむに決まってる!でも、私は父さんと母さんがいないと嫌なの!そのために悪魔と契約して元に戻れないところまで来たの!今更私にどうしろって言うのよ!」


 ベータの心からの叫びが小屋の中に響く。大粒の涙が床に落ち、少女の顔が赤く腫れる。泣き崩れる少女の体を抱きしめて、優しい声で囁いた。


「あなたは生きてる。なら前に進める。死んでしまった人の願いを叶えられるのは生きている人だけ。本当に両親を思うなら、もうこんな事はやめなさい」


 温かい、優しい言葉は、少女の揺れて不安定になっていた心に勇気を与えた。目元が腫れたベータは顔を上げて可愛らしい顔で笑いこう言った。


「ありがとう」


 月がまだ空に浮かぶ夜、一人の少女の心が救われた。


 ――――――――――――――――――――


 少し時は戻り、学園のメアリの部屋。そこでは憲兵達が捜査をしていた。


「やはりここにいたのか。しかし、扉を見張っていたはずなのに忽然と消えるとは……」


 タイラーは現状を分析していた。彼はメアリの様子がおかしかったことに気がついて、増援が集まるまで扉の前で待機していた。しかし、十分な人数が集まる頃には時すでに遅し。中はもぬけの殻だった。


「タイラーさん、悪魔契約者の魔術痕が見つかりました。そして、この部屋にはメアリとアルトという生徒がいたそうです。そして、アルトの方は別の部屋に住む生徒なんですが、今日突然泊まると言い出したそうです」


 魔術痕とは、魔法版の指紋のようなもので、魔法を行使した際に残る。


「なるほど、アルトとメアリとやらは人質にされたと見るべきだな。そして、脱出手段はテレポートだと思うが、その生徒のどちらかが使えたか?」

「アルトの方が使えたそうです」

「分かった。しかし、ここの生徒となれば、テレポートできるほどイメージが強く持てるのはトール草原までだろう。そして、見晴らしのいい草原にとどまっている可能性は低い。ならば山を登っている頃か。一応学園に数名は残す。他は全て山に向かえ」

「わかりました」

「敵はまだ子どもだが悪魔契約者だ。しかも人質がいる。油断するな。見つけたら直ちに俺を呼べ」

「了解」


 タイラーの命令を聞いた憲兵達は一斉に動き出した。タイラーは葉巻を取り出して火をつけ、星の見えない黒い空を見上げた。


「悪魔契約者は全て滅する」


 彼は黒い手袋を付けて走り出した。今まさに憲兵の手が伸びていることを、小屋にいる三人は知る由もなかった。

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