§ 5―6 思い



 調査艦ヘセドに辿り着いたアダムたちは、艦の中央部に当たるブリーフィングルームで一旦、立ち止まり息を整える。ヤコブとアダムが膝に手をつき、ゼーハーと倒れ込みそうになるところをイヴが必死に訴える。


「アダム。ハァ、ハァ、急いで! どこでもいいから、早く、早く艦を出港させるの!」


「ハァ、ハァ、わかった。父さんはここで、近くの宇宙港がある衛星都市までの航路を入力してくれ」


「ハァ、あぁ、わかった」


「ハァ、イヴと俺はコントロールルームでエンジンを起動させるぞ!」


「えぇ、急ぎましょ!」


 息も整えきれていないが、アダムとイヴはまた走り出す。今度はアダムがイヴの手を引きながら。


 ようやくコントロールルームに着くと、アダムはエンジン起動のためにパネルを操作する。イヴもアダムの指示に従い、出航するためのへセドの各部を起動させていく。次々と正常に作動していることを意味するグリーンのスタンバイ表示が点灯していく。


 そんなときに、アダムの脳内にソフィートから通信が入る。


【マスター。準備を急いでください】


【どうしたんだ、ソフィート】


【マティス=カタストロフが現れました。私たちで彼の進行を防ぎきれない可能性があります】


【カタストロフって、あの『血のカタストロフ』のことか! デルダの実動部隊の司令官の】


【はい、そのカタストロフです。彼の戦闘能力は尋常じんじょうではありません】


【くそ! 3ヶ月前のR8リング内でのテロで死んだと聞いていたが、生きてたのか!】


【私どもで1秒でも長く足止めはします。そのためにも、オーバーロードの許可をお願いします】


【オーバーロードだと? ダメだ! そんなことしたら、君たちが起動停止してしまうじゃないか!】


【フッ……マスターなら、そう言われると予測していました。こちらは任せて、マスターは私どもに構わず脱出してください】


 ソフィートは、アダムの反対することを予測していたし、それに対する案も受け取ったデータから得ていた。例えそれが、マスターの意にそむくことになろうとも。




   ♦   ♦   ♦   ♦




 アダムとの通信を終え、ソフィートは受け取ったデータをもとに、鑑に搭載とうさいしてある調査用ドローンを遠隔操作で起動させる。メルの動きが止められたそのタイミングで、ドローンを男に向けて操作する。


 なんなく男はドローンをはたき壊し、積んであった食塩水が全身に降りかかる。


 不快な表情をする男と目が合う。男の異様な眼光に、ソフィートは決意と思いを込めた眼差しでにらみ返す。


(未来のアダム様。私も貴方の言葉を使わせてもらいます)


『……わかった。ソフィート。オーダーを撤回てっかいする』


『許可するぞ』


 共に未来で発せられた言葉。未来のソフィートが予測したとおり、マスターの許可が得られなかったため、この言葉をデータから再生する。



【システム、オーバーロード。本プログラムを起動すると、残留電力より67秒後に停止します】


【本当に実行しますか?】


【YES】


【Liberation《リベレーション》(解放)】



 イヴ・ナンバーズのメイン機体であるソフィートの性能は、他のアンドロイドに比べて総合的に1.8倍ある。それ故に、メルのそれよりも、まばゆく、激しい光の乱気流が吹き荒れる。


「はぁ、またそれか。多少速くなろうと、人形の単調な動きでは俺には通じないのが、まだ理解できんのか」


 男は、やれやれとあきれた表情を浮かべる。


「では、こんなのはいかがでしょうか?」


 ソフィートはへセドから調査用ドローンを8機射出させ、周辺に浮遊させる。ドローンは回転し、煙をまといながら液体窒素を散布さんぷし出す。冷やされた水蒸気が無数の細かな水滴となり、あっという間に空間は霧がかっていく。


「ほー、なかなか面白い戦術じゃないか。だが、俺には通用しないな」


 男は霧の中に輝くソフィートに向かって高速移動し、赤い2つの輝きに目がけて拳を突き出す。

 とらえた! と確信したその拳には手応えが何もない。そこに、背後から襲いかかる風切り音をとらえ、なんとかソフィートの蹴りを回避する。

 即座にカタストロフはそこにある輝きに右蹴りを突き出すが、また手応えがない。その隙をついたソフィートの左ストレートをなんとか腕で受けると、その威力で吹き飛ばされる。しかし、床に打ちつけられると同時に受け身をとり、瞬時に姿勢を整える。


「やるじゃないか。光の屈折を利用して幻影を作るとはな」


 これは未来のソフィートが、地球という惑星の技術者が用いた発明を、対カタストロフ用に生み出した戦術。しかし、1秒にも満たない攻防で、カタストロフはほぼソフィートの戦術を理解する。だが、まだ完全に対応できていないはず、とソフィートが攻勢に出る。


 荒れ狂う霧の中、アルゴリズムを敢えてランダムにした動きでカタストロフに近づき、右の蹴りを頭部目がけて放つ。

 が、今度はしっかり腕で受け止められる。そのとき、カタストロフは目を閉じていた。信じられないことに、音だけを頼りに反応した。

 そして、受けた瞬間に男は攻撃を返す。その拳はソフィートの頬をかすめる。危険を察知し、ソフィートは一目散に距離を取る。


 そのとき、カタストロフは腰にある手投げ用のグレネードを放り投げる。ソフィートはさらに回避し爆発に巻き込まれることは防げたが、その爆風で霧が晴れてしまった。


 目をゆっくり開き、こちらの場所を解っていたかのようにソフィートに視線を向ける


「なぁ、これで終わりじゃないよな?」


 背中のヴァーニアを起動させ、一気に襲い掛かるカタストロフからソフィートは全力で距離をとる。しかし、メイン機体であるソフィートの速さを持ってしても間合いを空けることができず、カタストロフは追いすがり距離が詰まる。ソフィートの背後をとらえる。


「終わりだ」


 ソフィートの真後ろから繰り出した拳は、なぜか当たる瞬間にかわされる。そこに反撃の蹴りが繰り出され、カタストロフの左脇をとらえる。衝撃で後方に吹き飛ぶが姿勢をすぐに整える。

 ダメージよりも、攻撃を綺麗にかわされたことにカタストロフは思考を巡らす。


「……なぜ、かわせた?」


 再度、カタストロフは攻撃に転じるが、また綺麗にかわされ反撃を受ける。今度はなんとか腕で防いだものの、理解を超えたその動きにいらつきが生まれる。

 何度も何度も繰り出された拳も蹴りも、全てかわされてしまう。次第に、いらつきが表情にも現れる。



 カタストロフの攻撃がことごとかわされるのは、未来のソフィートが用意した、とっておきのプログラムがあったからである。


 へセドの重力変動磁気単極発電と、オーバーロード時の超光速光通信を用いて、0.3秒だけタイムリープする。これを戦闘に転用し、攻撃を受けた瞬間にタイムリープで飛び、攻撃を受ける前の時間に戻す絶対回避。これが対カタストロフ用の奥の手としてり上げられたプログラム『リープシフト』である。


「ふんっ、いらつかせてくれる! どういうカラクリか解らんが、おまえを捕まえて分析すればいいだけだ!」


 怒気どきはらんだ叫び声と共に、カタストロフは左手を突き出し、手のひらを広げてソフィートに向けてかざす。手のひらに電力が集まり放電し出す。


「もう、これで終わりとしよう!」


 そう言い終わると、手のひらから電磁パルスが照射される。軍事用に開発された指向性電磁パルスが広範囲にソフィートに浴びせられる。


 リープシフトでも手遅れなほどの広範囲に照射された電磁パルスに対して、別のプログラムが発動する。


 パルス・インターフィアランス。受ける電磁パルスを、体周辺の放電膜でその波形を感知し、即座にその反対の反位相のパルスを発生させ相殺して影響を0に近いほど弱める。これもドローンのときと同じ技術者が発案したもので、実戦用に未来のソフィートがプログラムしたものである。


 浴びせた電磁パルスで動きが止まったところを攻撃しようと、無警戒に飛び込んできたカタストロフに対し、ソフィートのカウンターの蹴りが顔面にヒットする。これにはカタストロフも吹き飛ばされずにはいられなかった。


 受け身も取れずに床に打ち付けられたカタストロフはゆっくり立ち上がる。その表情は先程までと違い、怒りに満ちた目をソフィートに向けていた。


「……もういい、死ね……死ね死ね死ね! 血の福音を聴け、人形どもがぁぁぁ!!」


 血のカタストロフと呼ばれた男の狂気が発現する。

 3ヶ月前に、追い込まれて自爆することでR8リングにある治安維持軍を壊滅させた男は、身体に生きているのが不思議なほどの損傷そんしょうを受けた。死亡のニュースが流れるほどの怪我が負いながらも、研究施設を強襲して奪った最先端技術を用いて戦場に戻ってきた。

 8種の希金属を合成した触媒をもとに、特殊な合金筋組織を造り、それを筋肉の代わりに移植したのである。つぶれた右肺の代わりに、軍事アンドロイド用に極秘裏に開発された小型搭載用原子炉を埋め込み、血液に数100億のナノマシンが流し込まれた。

 これにより、強固でしなやかな機械人間として生まれ変わったのが、今のカタストロフなのである。

 調整として出動した今回の聖戦テロでは、力を入れても70%ほどに抑えてきたが、狂気がリミッターを外し、100%の力を今、解放させる。


 叫び声を上げたカタストロフの身体は、異常なまでに筋肉が膨れあがり、体内の金属繊維が熱を帯び、特に右半身が黒く変色する。ひび割れた皮膚の隙間は赤黒い光を発し、その目は白目部分が灰色に変貌へんぼうした。


 もはや人とは思えない風貌ふうぼうで魔獣と化したカタストロフが、ソフィートに突如として襲い掛かる。音速をも超えるその速さにソフィートが必死に避けようとするが、カタストロフの攻撃はそれを許さない。


 ソフィートの体に絶望的な衝撃が走る。と同時に、その都度、刻を戻す。リープシフトを何十回、何百回、何千回……とメモリがいっぱいになるまで発動させる。それでも左腕で受けるのが精一杯だった。しかし、受けた腕は枯れ葉の如く簡単に粉々に粉砕され、体は吹き飛ばされる。そのまま造船ドッグの壁に打ちつけられた。


 なんとか立ち上がるも、そこにさらにカタストロフが襲い掛かる。


 ここで、未来のソフィートがプログラムした重力制御機構を起動させる。体中に光の明暗による紋様もんようが浮かぶ。これにより、なんとか移動速度を上げ、壊滅的なカタストロフの攻撃を紙一重のところでかわす。


 立ち上がる前に再度作動させておいたドローンを使い、霧を作り、理性を忘れた魔獣から距離を取ることに成功する。


 しかし、左腕は破壊され、体の各所に損傷をい、オーバーロードの時間も残りわずか。ソフィートは完全に追い詰められていた。数秒後に致命的なダメージを受ける予測しか計算できずにいた。


 そのとき、ソフィートの背後のへセドからマスターの声が響く。


「ソフィート! これを使うんだ!」


 そう叫んで放られたのは、対大型生物の調査用に使われる二又の電気槍だった。生物を電気ショックで気絶させるのが主目的のこの槍を、ソフィートは残された右手でつかんだ。


「マスター!」


 一瞬表情が緩む。マスターから渡されたこの槍に、ソフィートは全てをかける。


 未来のソフィートのデータにあった理解不能なプログラムを実行する。それは、ヨッドギメルが地球で見たというアニメにあった『みんなの力を集めて魔王を倒す』というものを参照して組み上げられたプログラムだ。効果は不明、結果も不明。メモリ不足によりリープシフトももう使えない。今と未来、2億4000万年を積み重ねたすべてが、マスターが唄う詩が、プログラムにできない『信じる』という概念をソフィートに目覚めさせる。


【お願いです、イヴ・ナンバーズのみなさん。私に全ての力を!】


 その送信に対して、みなうなずき、全機、内部にある電力いのちをソフィートに無線送電で送る。


【ソフィート。あなたに全てを託します。お願い。マスターを助けて!】


 起動するギリギリまでの電力いのちをソフィートに送電したために、イヴ・ナンバーズは立っているのがやっとの状態になる。しかし、その目の赤い輝きは、消えてはいない。


 そして、弱まったソフィートの体の光が、今までにない程に輝きを放つ。体中に紋様を浮かべ、送られたみんなの電力いのちを槍の先に収束させる。右腕でかかげられた電気槍は、光が溢れだす。


 今と未来のイヴ・ナンバーズたちの思い。アダムの意志を遺伝子に宿された地球の人々の思い。絶望に打ちひしがれるイヴの思い。そのすべては、光の刃と化す。


 そのとき、床を思いっきり叩き、その衝撃で霧を散らし、少し落ち着きを取り戻したカタストロフが姿を現す。


「ふぅぅぅ! いい加減に消えろ! 人形がぁぁ!!」


 血のカタストロフは腰から抜いた暗く光る、分子レベルで切り裂く超密度光子ナイフを左腕ににぎる。


 ソフィートもかかげた槍を下ろし、半身になり、槍を構える。


 一瞬、目が合う。


 互いに様子を伺い合う。



 刹那の静寂。



 ひび割れた天井から金属部品が床に落ちる。


 パキィーン!


 それを合図に、両者真っ直ぐ跳ぶ。


 

 電力いのちを収束した光の槍をソフィートは突き刺す。


 薄暗い信念が宿るナイフをカタストロフは真一文字に振るう。


 交差した光が、その瞬間をまばゆく包む。


 その光が落ち着くと、そこには両足を切断されたソフィートが倒れ込んでいた。そして、光の槍がカタストロフの右胸に突き刺さっていた。


 カタストロフは胸に槍を刺されながら震え立ち止まっている。次第に身体中から光が漏れ出す。全身にある金属筋組織が、電気槍から加えられた高電圧によって、最初に浴びた食塩水も相まって限界を越す光熱に帯びていく。そして、その熱量に耐えきれず、肉も骨も焼きただれ炭化していく。いずれ身体を支えきれずに、膝から崩れて倒れ込んだ。


 ソフィートもオーバーロードが終わり、機能が停止する。それを見兼みかねて、へセドの傍にいたアダムがけ寄る。


「ソフィート! 大丈夫か? ソフィート!」


 何も答えないソフィートに代わって、よれよれと近寄ってきたメルが答える。


「マスター。ソフィートは大丈夫です。艦内で充電すれば、また起動するはずです」


「そっか……。それなら良かった……」


 涙を流しながら、アダムは横たわるソフィートをそっと抱きしめた。そのとき、小さい声がアダムの耳に呪詛のように聞こえ出す。


「なぜだ……。母を見捨てる人類など、おかしいじゃないか……なぜ、母に感謝しない……」


 全身が焼きただれ、もはや両手足は崩壊している。それでも、懸命に問いかける。


「確かに、僕たちは産まれた自分たちの星に対する感謝が足りていないのかもしれない」


「そうだ……。親に感謝できないような人類が、この先、何処に向かうというのだ……」


 アダムは傷ついたソフィートをそっと抱き上げる。


「感謝は足りないかもしれないが、子は親のもとから巣立って独り立ちしてこそ、親も安心するんじゃないかな? 忘れてはいけないが、今度は誰かの親となり、それを見送るのが、自然の摂理だとぼくは思うよ」


「ふっ……。詭弁きべんだな……。見送る側になったとき、耐えようのない悲哀ひあいいだくことを知らないだけだ……」


「それでも、前を向いて歩きたいと、僕は思うよ」


「意見の、相違だ、よ……母の……血の福音を聴け……」


 そう言い終わると、彼の生命は時を刻むのをやめた。同時に、彼の右胸のものが動き始める。ユッドが突然叫び声を上げる。


「マスター! 急いでへセドに戻ってください。その男の右胸にある原子炉が爆発します」



 アダムは走り出す前に見た。生命活動が止まった血のカタストロフの顔は、祝福を受けた信徒のように穏やかなものだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る