第11話 ちょちょいのちょい

 この世界から『         』と言う言葉が無くなった。

 しかし無くなったところで困るものではなく、誰も無くなったことに気がつかないような言葉だった。

 最初に気が付いたのは政治家や学者ではなく、まだ年端も行かぬ子供だった。


「おかーさん、『         』ってなに?」

「ん? なんて言ったの?」

「だから『         』だよ。なんて言うの? 意味は?」

「はあ?」


 母は我が子の正気を疑い病院へ連れて行った。しかし幼子の身体も脳も精神すら健康そのものだった。しかし子供は病院でも誰も答えられない空言を繰り返し、早くに旦那を亡くして女手一つで子供を育ててきた母親は次第に心を蝕まれていく。

 これがダメだったらこの世を去ろう。そう決意して趣いたのは、病院のつてで紹介された語学博士の居宅。

 博士は物腰柔らかく子供に聞く。


「わからない言葉はなんていうんだい?」

「『         』」

「頭文字は?」

「『 』」

「では語尾、最後の文字は?」

「『 』」

「そうだ、お菓子食べるかい?」

「食べるーっ」


 子供はお菓子に夢中になる。博士は残り少ない髪をわさわさと掻きながらお茶を飲む。なにも言わず思案に耽る博士に業を煮やした母親が尋ねた。


「博士、息子は……おかしくなってしまったんでしょうか。何か未知の病気でしょうか」

「確証はありませんが……病気ではないでしょう」

「では息子が何を言っているかわかったんですか!?」

「いえなにも」

「だったら何故!」


 感情が決壊した母親は泣き崩れる。子供は食べるのを止めて母親に寄り添い一緒に泣き出した。


「いいですか、私はこれからとてつもなく荒唐無稽なことを言います」

「?」

「息子さんが話している何か。それはきっとこの世界から失われてしまった言葉なんだと思います」

「失われた?」

「ええ。……いえ、もっと具体的に言うならば、封印されたとでも言うのでしょうか。息子さんがあの言葉を言うとき、口は動き、空気の揺れを感じる。なのに私の、私達全ての耳には認識できない。これは異常事態です」


 博士の言に熱がこもり始める。


「長い間語学を研究してきましたが、こんなことは初めてだ。どんな異国の言葉でも、古い時代の言葉でも私は理解できる自信がある。けれど息子君が話す言葉は全くわからない。日本語なのか、英語なのか。そもそも地球の言葉なのかそれすらも」

「そんな。息子が何故そんなことに!」

「いえ奥さん。これはそんな些細な問題ではないのですよ。息子君だけに留まらない可能性があるのです」

「というと?」

「我々人類全てが息子君の言葉を話せない可能性があるのです!」

「そん、な」


 博士は一つの分厚いノートを手に取りパラパラとめくる。


「それは?」

「私がこの短い人生で出会った単語全てを書き連ねたものです。その数およそ五十万」


 意外と少ないなと母親は思ってしまう。母親の誤解に博士は気付き鼻を鳴らした。

 

「単語の数ではありませんよ。冊数です」

「冊……まさか、そのノートが!?」

「はい」


 母親は絶句した。ノート一冊にどれほどの単語がかけるかわからないが、それでも途方もない数であることは確かだ。


「もし、息子君の話す言葉が私のであったことのない言葉だったらお手上げですが、きっとそれはない。だからこの中にあるはずです。息子君の話すその言葉が」

「それを、探そうって言うんですか? 言葉の海の中から」

 

 その作業はどれほどの時間がかかるだろうか。想像して青ざめる母親に博士は笑いかける。


「なにも指標無く探すわけではありません。ある程度絞れはします」

「なぜです?」

「息子君、言葉は話せてもまだ幼い。多分耳にした、或いは見た言語は日本語……それと英語くらいではないでしょうか。ですのでこれで海は半分に割れます」

「な、なるほど」

「次に息子君が読める、発音できるものに限られます。息子君、何か語学の勉強してたりします?」

「いえ何も」

「でしたら平仮名表記で……漢字や英語であってもルビがふられていたものでしょう。これで海は日本海だけに限定できます」


 ここに来て初めて母親は博士が博士足り得ると思った。これまで誰も解明できなかった謎に着々と迫っている気がしたからだ。


「もちろん、これは私の推測なので外れる可能性もあります……が、正解に近いことは確かでしょう。そこで、奥さん」

「はい」

「奥さんには急ぎ家に帰って、産まれてからこれまで息子君が見聞きしたであろう全てを書き出してもらいます」

「全て、ですか?」

「ええ」

「わかりました。それが息子のためになるのなら。私は喜んでやります」

「よろしくお願いします。……ああ、でも」


 これまで何も救いのなかった彼女にとって、博士の言葉は生きる希望だった。故にすぐに行動を起こそうと部屋をあとにしようとした……ところで声をかけられた。振り返れば、バツが悪そうにする博士の姿があった。


「なんですか?」

「あの……これは私の趣味実益も兼ねていますので……根を詰めすぎないように、お願いします」


 申し訳なさそうに縮こまる博士の姿に、母親は久方ぶりに声を上げて笑った。


 かくして、博士の船旅は始まったがその旅路は決して穏やかではなかった。

 なにせ探してるものがわからない。掛けたピースの形すらわからないのだ、穏やかであるはずがない。

 博士はこれを大体的に世に広めた。誹謗中傷の嵐にも負けず、博士はその船旅を決してやめることはなく、次第に仲間を増やして謎の言葉に挑んだ。

 そしていつしか。世界中の人々がこの謎を知ることとなる。


「へい、謎の言葉って知ってるか?」

「なんだいそりゃあ」

「日本のガキンチョがしゃべる謎の言葉の話さ」

「あああれか。どうせガキンチョの妄言かなにかだろ?」

「お前もそう思う? 日本人ってバカだよなあ、すぐに嘘だってわかるだろうに」

「確かその音声って動画サイトか何かに上がっていたよな?」

「そうだけど、だからなんだ?」

「宇宙に向けて発信してみるってのはどうだ?」

「そりゃあいい。ガキンチョが宇宙人と交信してたかもしれないからな」

「よっし、それじゃあ早速――」




 この時。

 銀河の端っこの片田舎たる地球から謎のメッセージが全銀河に向けて発信された。

 しかし、受信した異星人は困惑した。その言葉の意味がまるでわからないのだ。

 その真意を知るため数々の異星人が地球を訪れる事となる。

 曰く『         』とはどういう意味なのか、と。

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