第6話 920円
「車の事故がなくならないのは何故だと思う?」
忙しい仕事の合間に奇跡的に取れた休日を、俺がのんびり過ごしていたときのことだ。カフェの窓際に座り、ぼーっと道行く人と車の流れを見ていたら、見知らぬ女が話しかけてきた。突然の事態に驚きはするものの、俺は新手のナンパだと思って格好をつけて返す。
「運転するに値する人間が乗ってないからさ」
「零点の回答だ」
しかし女の反応は最悪だった。まるでゴミを見るかのような絶対零度の視線でもって俺を見下している。しかし、しかしだ。俺はまだ諦めていない。突拍子もない出会いではあるが、女の見た目は悪くない。と言うより俺にとってはどストライクそのものだ。ここで逃すわけには行かない。
「そうかい? じゃあ一杯奢るから満点の答えを教えておくれよ」
「いいだろう。ところで、君は車をどう思う?」
女は俺の隣に座り、アイスコーヒーをブラックで頼んだ。しゃべり口調からしてキャリアウーマンなのだろう、ブラックを飲む姿がやけに決まっている。
「そりゃ便利な道具さ、荷物が多い時には運ぶに便利、ちょいとドライブに出掛けるのも自由に動けて、いい車に乗っていればそれだけで女は寄ってくる。必須、とまではいかないが、あれば確実に生活に潤いが出るね」
「ふむ、まあ一般的な答えではあるな」
「一般的でない答えは?」
「金だ」
「金?」
「そう金。車とは金の塊なのだよ」
外を走る車を見る女に釣られて俺も視線をあげる。金が走っている、か。なるほど。
「売買、駐車場、日々のメンテナンス、ガソリン、果ては保険に事故の保証等々。確かに、何かと金のかかる代物だな」
「そうだ、理解が追いついてきたようだな」
「でも事故がなくならない原因と何の関係があるってんだ?」
「もう少し深く考えてみたまえ、それらと事故の関連性を」
「関連性、ねえ」
女は二杯目を、ドーナツ付きで頼んだ。答えが遅いと会計が嵩んでいく方式かえらいこった。
俺は考えた。金の塊が道を走っていて、それが事故の減らない理由だと彼女は言う。逆に言えば、事故がまるっきりなければ、車は金の塊とは呼べないってことか? そうなると、答えは。
「事故が起きて得する奴がいるから?」
「その通りだ」
我が意を得たりと、ここに来て初めて表情を綻ばせる彼女。決して頬張っているドーナツの味に感動してではない、と思いたい。
「けど、そんなの直接的に関係ないじゃないか。事故はいついかなる時に起きるかわからない。なんだったら今店に車が飛び込んでくるかもしれないんだ。そんないつ起こるかもわからない不確かな得が、そんなに大事なのかね?」
「時に君は、電車に乗るとき。電子マネーを使うかい?」
「え? ああ、使うよ。それがなにか?」
「免許証にあんな感じの機能を持たせ、車保有者と免許証を連動させれば、盗難は愚か無免許運転もできない」
「高級車にはそういう機能はついてんじゃないの?」
「一般車にだってついていてもおかしくない機能だとは思わないか?」
「まあそうだけど」
「時に君は、検問でアルコールチェックは受けたことあるかい?」
「何度か」
「車にその機能を持たせて、基準値以上の場合は運転ができない、なんてロック機能あってもいいとは思わないかい?」
「あーなるほど、それは確かに」
「最後に。先ほどの君の弁を借りる形となるが、そもそも運転必要としない、完全オートの車があってもおかしくないだろ?」
「……そうだね、俺もそう思ってるよ」
「このように、私のような小娘が思いつくことを政府や自動車メーカーが思いついてないわけがないと思わないかい?」
ようやく彼女の目的地が見えてきた。なるほど、これの出会いは偶然でもないし、彼女は逆ナンしてくるような軽い女でもなかったわけだ。
「もし……そうだとしたら恐ろしい話だ。これだけ痛ましい事故が起こっているにもかかわらず、その裏で甘い汁を啜りたいがために技術を抑制しているわけだから」
「そう、誰もが甘い汁の誘惑には勝てない。だからね」
彼女が徐ろに立ち上がった瞬間。
窓ガラスを突き破って突入してきた車が、俺を壁際に吹き飛ばした。
嘘みたいな衝撃が全身を貫き、視界が赤く染まる。
「君には死んでもらわないといけないんだ。君の作った運転者の技術やマナーを必要としない車、なんて物が世に出回ってしまったら、私達が甘い汁が啜れないからね」
薄れゆく意識の中、彼女の声だけが何故か聞こえた。
俺は思った。
悪いが支払いは自分でしてくれ、と。
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