第4話 阿吽

 俺は山合いの鄙びた村落で産まれ育った。

 物心つく前から、そして付いたあとも山野を駆け回り、傷だらけになりながら遊び転げていたのを未だに覚えている。夕暮れを過ぎても帰らないことが多いから、しょっちゅう説教されていたのは今となってはいい思い出だ。

 そんな俺が一人で遊んでいたのかといえばそうではない。田舎と言えど一定数子供はいるので今日はどこそこの誰くんと、今日はあっちの誰誰ちゃん、と遊び相手にはほんとに困らなかった。

 

 中でも一番遊んだのは山の麓に住む男の子。同い年くらいというのもあってそれはもうあっという間に仲良くなり、彼と知り合って以降二人で遊ぶことが多かった。いや、実際には二人じゃない。彼の妹がいつも一緒についてきていた。崖から飛び降りて川にダイブするような危険な遊びでも妹は臆することなく参加し、控えめな表情で笑う。この兄妹を好きになることに時間はかからなかった。

 

 だが兄妹の住む場所で遊んでいると話すと、決まって大人達は嫌な顔をした。当時の俺には大好きな二人を馬鹿にされているようで本当に気分が悪かった。

 

「悪いことは言わねえから、あすこで遊ぶんはやめれ」


 ばっちゃが優しく、だが有無を言わさぬような物言いで俺に言う。


「そんなの俺の勝手だろ、ほっといてくれ」


 もちろん俺は反発した。ばっちゃはなにもわかってない。あんないい奴ら他にいないってのに。その日俺は夕飯も食わずに部屋に引きこもった。どうすればわかってくれるのか、一晩中考えた。でも十歳やそこらの子供の考えることなんてたかが知れてる。悩みに悩んで当時の俺が出した答えは、『知らないから怖いんだ、兄妹をここに連れてこよう』と言うごくごく単純なものだった。だが、俺は。その決断を未だに後悔している。

 次の日。俺は上機嫌で二人を家へと連れ帰った。妹の今にも泣き出しそうな表情は、すぐに晴れると思っていた。しかし、家の縁側で涼んでいたばっちゃが俺の姿を見るややいなや、今まで聞いたこともないような大声を張り上げた。


「こんのアホンダラ! なんちゅうもんを連れてきおった、今すぐ返せっ!」

「待ってよばっちゃ! 話もしないでこいつらのこと悪く言うなよ、良い奴なんだって」

「そっだらこつ知るか! おーなんまいだなんまいだ……」


 ばっちゃはそれっきり二人に手を合わせて拝みだした。集まってきた他の大人たちも次々と俺に罵声を上げて、早く返せとせっついてきた。普段温厚なオヤジやおふくろまでもが目を釣り上げて怒る様は恐怖でしかなく、しかも二人から引き離され、古い蔵の中へと閉じ込められ俺は泣き疲れて眠るまで、ごめんなさいと言い続けた。その謝意が大人たちへのものなのか、二人へのものかもわからなくなるほどに。


 それが、二人と会った最後の記憶。

 あのあとオヤジの転勤か何かですぐに都会に引越し、都会のめまぐるしく変わる日常に追われてあの頃を思い出さずにいた。いや、思い出そうとしなかった。なにせあれは俺にとっての苦々しい記憶。良かれと思ってやったことが全て裏目に出てしまった。両親も祖父母も意識的に俺を田舎から遠ざけようとしていたのが今ならわかる。なにせ俺は祖父母が亡くなったことさえ教えてもらえなかったのだから。

 俺がしたことは、そんなに悪いことだったのだろうか。

 村の禁忌ってやつを、俺は知らずに犯していたとでも言うのだろうか。

 オヤジやおふくろはそのことについて一切口を割ってくれない。大人になった今でも、だ。だから、俺は。


 俺は今、産まれ育った山合いの村に帰ってきている。祖父母の墓参りも兼ねているが、本命はあの兄妹がどうなったか知るためだ。まあほとんどの可能性として二人も既に成人してこんな窮屈な村出て行っていることだろう。俺は三人で駆け回った山野を、目を細めて回った。大人でも恐怖を感じるような崖にへばりついて登ったあの頃。我ながら無茶をした子供時代だなと心がくすぐられる。


 目的の場所はすぐにたどり着いた……と思う。何故曖昧なのかというのは、二人が住んでいたであろう場所に、古びた鳥居が建っていたからだ。俺は声も出ない。大きな赤い鳥居が悠然と建ち、まだ距離があるというのに、どこか厳かな雰囲気すら感じ取れる。おかしい、俺の記憶にはこんな神社はなかった。これだけ大きな神社なら遊び場としては絶好の場所だ。だというのに、俺は一切覚えていない。

 ズキンと何かが刺さるような痛みが頭に響く。なんだ、俺は一体何を忘れているってんだ? そういえば、兄妹の名前は、顔は、声は? 何も、何も思い出せない。それになんだ? 鳥居の奥、こんな真昼間で雲一つない快晴だというのに真っ暗で見えない。

 ……いや、少しだけ見える。鳥居の奥、拝殿へと続く参道に脇に設置された台座が。何だあれは? 灯篭にしてはロウソクを置く場所がないし、大きすぎる。まるで何かが乗っていたかのような……あれはもしかして。

 ああそういうことかと、俺はこの時ようやく理解した。俺は人と遊んでいたつもりが、いつの間にか人ならざるものと遊んでいたということか。だからあの時ばっちゃは『返せ』と言って拝んだんだ。

 刹那、二人の兄妹の脳裏に木霊した。

 たった一言。それしか発さなかった二人の声。


「あ」

「うん」


 それが過去の記憶なのか、今聞こえたのか。

 俺にはもう何もわからない。

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