第13話 岩狼の森

[清廉暦714年春月40日 大河都市]


 朝の刻。


 出発は昼の刻になる。朝から出発できないのはハンター・都兵・騎士団合同による大規模な魔狼殲滅作戦がある為だ。広場ではその出立式があるらしく見物人も多く朝から騒がしい。こんな状態では商隊馬車が連なって通れるわけが無い。


 ナジャンテは朝から仕事だと渋々出かけた。

 宿の一階食堂にてユディルとルネと一緒に朝食をとる。食後にユディルと魔術都市カウイェルヤッハまでの旅程を確認する。


 40日 昼の刻に大河都市リグダンから出発、昏の刻に野営地へ到着。

 41日 朝の刻に野営地から出発、夕の刻に開拓村ルロトスへ到着。

 42日 ルロトスにて休養。

 43日 明の刻にルロトスから出発、夕の刻に岩場の砦跡へ到着。

 44日 砦跡にて休養。

 45日 明の刻前に砦跡から出発し、昏の刻までに魔術都市カウイェルヤッハに到着。


 野営地は現在常駐者は居ないけど監視塔があり、防護壁のない砦のようなものらしい。開拓村ルロトスと砦跡には防護壁があり、現在駐留部隊も居るそうだ。


 砦跡からの出発は日付の変わる明の刻より前なので厳密には44日出発だ。旅程表を見慣れていないはずのリコリスに誤解が無いよう補足し確認しておく。


 魔術都市カウイェルヤッハは外馬車のまま入れないので到着が少し遅れてしまって閉門していたら市外の駐車場にて一泊し46日に到着となるけれど、過去二回ともこの行程で辿り着けたらしい。


 今回は討伐隊によって魔狼が討伐される予定だ。討伐が失敗したとしても魔狼は森の南東部に引き留められている状況になるので、こちらは森を通り抜けて北上するほど魔狼からの脅威は減る。岩場に棲む岩鰐も油断できないけどね。


「おう、グローブの調整できたぜ」


 デノースから声をかけられ革のグローブを受け取る。昨日購入し、サイズ調整をしてもらっていたものだ。デノース商会の会長なのに身軽で手際が良い。愛想の良い店番が付いてたら繁盛してそうだ。今回は北境都市タンシオンでの交渉事にデノース自らが自慢の馬車で乗り出した。


「腕はそれで良いが足の防具はどうするよ?うちのブーツじゃ魔術都市ヤッハに着いてから調整になっちまうが、見てみるか?」


「え?う~ん…」


 デノースがブーツまで売り込んできた。渋るリコリス。まあ分かる。デノースの移動店舗は良品ばかりだけど高い。それでも沼鰐の魔核を買い取ってもらえば一通り買えてしまう。リコリスの装備を考えると買い揃えるのも悪くないので止めにくい。


〈魔術札作りたいから部屋に戻ろう〉


〈うん。そうだね〉


「え~っと、あの、私ちょっと用事が有るんです!部屋に戻ります!」


「ん、そうか。まあ大河都市ここだけじゃなく魔術都市ヤッハも見て回わりゃ、うちの良さも分かるってもんだ」


 部屋に戻る。

 リコリスが手伝いしたくて、こちらをみている。

 植木鉢の土から土形成の魔術で乳棒と乳鉢を作成。

 乳鉢に魔力粉と粘着剤を入れ混ぜてもらう。

 混ぜたもので紙の上に風流操作の魔術陣を描く。

 これで一応の魔術札が出来た。


 これに魔核や魔煉瓦を付けると廉価式魔術具になる。使うとすぐに駄目になるけど『一度だけでも使える』と『使えない』の差は大きい。


 私が魔煉瓦を復刻させたが為に低価格で取引が可能になった廉価式魔術具。これが世に広まる際には魔術協会の既得権益に関わる問題やっかみが発生した。


 それには魔術学院に在籍していたシャーデック先生が廉価式魔術具と魔煉瓦を検分する役目を担う事になったけど、実のところ魔煉瓦の復刻には何度もシャーデック先生へ相談してたし魔煉瓦の配分比率などの研究結果も提供してた。


 そんなシャーデック先生が検分調査期間を持て余した結果、高品質の魔核から魔煉瓦のように魔導具に合わせた形状に加工できて魔核と同等の性能を発揮する【魔導板カートリッジ】と後に命名される魔核の高性能で高価格な上位互換品の理論を確立してしまい、問題が全部吹っ飛んだ。


 魔導板カートリッジが生み出す魔術具の発展と莫大な利益に、魔術協会は廉価な魔術具に突っかかる暇など無くなってしまった。


 その後、シャーデック先生は魔導板カートリッジを完成させて魔術学院の学院長に就任する事になった。就任した事で自由な時間が無くなったと手紙に書かれていたけれど、それには感謝と祝辞と否認の文で返信した。


 魔術札数枚と魔術具を作成するとベルが鳴ったので手早く後片付けをして昼食。ナジャンテも戻ってきた。



 昼の刻の少し前。


 ナジャンテが朝からしていた仕事とは風幕の魔術、女信教的には『慈愛の吐息』を大商隊の皆に掛けてまわる仕事のようだ。


 御者や小間使いを含めデノースの商隊全員とユディルとリコリスが宿屋の前に集まりナジャンテの前に跪く。ナジャンテが教典を開き女信教の聖句を唱えると皆が復唱するのでリコリスも慌てて倣う。


 この聖句には魔力が乗ってないし「我等教徒ラブミリシアンの~」と言ってるので興味は無い。興味が有るのは聖句を唱えながら魔力を込めている本型の魔術具である【魔導書】のほうだ。


 この魔導書には複数の魔術陣が専用の魔術紙で記載されており、魔術札と違って何度も魔術を発動できる。表紙に板状の魔導板カートリッジが仕込まれているものもある。


「ラブミラーシャ様の慈愛の吐息をここに」フワァ~


 魔鰐討伐の時に狩猟拠点で受けた清廉教の加護像と同じく一瞬何かが纏わりつく感覚。


 羽虫や枝を引っ掛けた小さな怪我の他、獣の返り血も浴びるほどのものじゃなければ防げたはず。これがあればノプトルとの模擬戦で放った水弾の魔術も防がれたのだろうか。


「ふう~、終ーわりっ。それじゃあ私は先に休憩させてもらうわね」


「よし!あとは森をさっと抜けて岩場をひょいっと越え、街道をだらーっと抜けるだけだ。お前ら、出発するぞ!」


 デノース商会の貴賓室一号馬車に乗るナジャンテ。そのあと商会長のデノースが掛け声とともに移動店舗二号馬車に身を屈めて乗りこむ。



 昼の刻。


 大商隊が北門手前の広場に再度集結。大商隊の代表ヤタナシベリが手持ちの銅鑼を持って待ち構えている。ナジャンテとデノースが挨拶を済ませると銅鑼を鳴らして大商隊に合図を送った。


 先頭の馬車から順にベルを鳴らす。最後尾に位置するデノース商会の一号馬車と二号馬車が順にベルを鳴らすと最後はユディルの番。ハンドベルを振り鳴らし、それをすぐに脇に置いて用意してるヤタナシベリが持っていた銅鑼とは色違いの銅鑼を掲げて打ち鳴らした。出発だ。


 岩狼の森を通る。大商隊の移動は概ね順調だった。


 リコリスは大商隊の最後尾、ユディルの荷車の左後方を周囲の警戒をしつつ歩き続ける。ロディナンは一つ前の車両になる移動店舗二号馬車の屋上からの見張り。ケネッドは更に一つ前の車両になる一号馬車の右側を歩く。


 私と荷物は荷車に載せて貰った。壁掛け遊戯盤で小妖精ルネ相手に接待遊戯。ルネが遊び飽きて鳥篭内のベッドで寝たので、私も夜でもすぐ起きられる様に盾クッションの上で英気を養う。


 休憩時、ケネッドが停車した馬車に寄りかかりながらリコリスに声をかけてきた。


「そんなに気張るなよ。まだまだ先は長いんだぜ」


「この辺りでは岩狼も岩鰐も、まして盗賊が襲ってくる事も無い。しかしお前は気を抜きすぎだ」


 ロディナンが状況を補足しながらケネッドを窘める。ここ岩狼の森は難所ではあるけれど十分な準備をしている為か大商隊全体から余裕が感じられる。


 この後もリコリスがケネッドから護衛の心得を聞いたり、馬車の屋上からの見張り役に交代もした。特に何事もなく馬車は進んだ。



 夕の刻と大分。


 野営地に着いた。大河都市リグダンからの出発が昼の刻だった為に前回・前々回よりも到着は遅れたようだけど、それも想定の内だ。


 大商隊も収まる広場で監視塔のほかに井戸・調理場・トイレもある。


 監視塔の入り口は四つで、東西南北にある。鉄格子扉と木扉の二重になっていて、利用者がいなければ木扉だけ開放して建物内部がよく見える構造になっている。


 今回は塔の常駐兵も居ないので三頭商会と貴族のお偉い方が宿泊。貴族が何者かは紹介されてないので知らない。三頭商会についてもニカベル商会副会長ヤタナシベリ以外は会ってない。


 監視塔を囲むように馬車を並べ、監視塔との間に布を張って簡易の厩舎きゅうしゃを作り馬を休ませる。


 ユディルの荷車は輪に入らずデノースの貴賓室一号馬車の脇に。荷車を曳くロバだけ簡易厩舎に入れてもらう。


 馬車の上にテントを張って護衛達の寝床と監視場所とする。


 ユディルとケネッドは貴賓室一号馬車の屋上に、ロディナンは移動店舗二号馬車の屋上にテントを張る。リコリスは荷車の脇にテントを張る。御者達は御者台で防風壁と防雨布を展開し個室を作り出した。ナジャンテは一号馬車、デノースは二号馬車の車内である。



 もうすぐ昏の刻。


一号馬車内には熱操作の魔術具が設置されている。その魔術具で暖めたスープを受け取って飲み、携帯食と果実を食べる。暖められた湯たんぽをデノース・ユディル・護衛・御者各人に渡してまわる。


 夜間の見張りは監視塔の人達がしてるようだけど各商会も個別にする。リコリスは一応ユディルの護衛だけどデノース商会と合同してるという形になってる。


 リコリスの見張り時間は昏の刻から宵の刻になるまで。この時間帯なら御者や商人も起きている場合もある時間なので新人に見張りを任せるには無難な時間帯だろう。


 ケネッドとロ-バーの見張りの予定に変更は無いので形だけのものだ。ただそれを張り切っているリコリスに言うつもりは無い。


 見張りの交代を済ませて寝る前に飲み水を対象に熱操作の魔術を練習してみる。何だか魔核から伝わる魔力で蔓腕がヒリヒリする様な違和感。そしてちょっと疲労感。水を飲んでみると温い。


 一応使えはするけど、この身体で火魔術は相性が悪いようだ。


 光明の魔術を練習してみる。光の玉がテント内をふらりふらりと飛び回り、リコリスを喜ばせる。以前よりもしっかりと使えた。光明と矢生成の魔術は風魔術じゃないけどリコリスにも習得してもらいたい。


 この二つは気に入ったのか風流操作の魔術詠唱に気合が入るけど詠唱は成功せず。     

 土魔術で植木鉢を作り土を入れて寝る。



[清廉暦714年春月41日 野営地]


 朝の刻。


 明の刻から大商隊の皆に『慈愛の吐息』を掛けて回ってたナジャンテが戻り出発したのだけれど、私だけナジャンテに掴まり貴賓室一号馬車に連れ込まれ、他の商隊や貴族に対する愚痴を聞かされる事になった。


 明の刻からお仕事頑張ったねと、ナジャンテの頭を撫でて寝かしつけ、何とか脱出を計るも扉には施錠の魔術陣が施されていた。


 施錠の魔術は開錠の魔術をぶつければ解ける程度の認識だったけれど実際はそう単純なものではなかった。


 これは施錠側と開錠側で魔術の技量を競う勝負であったのだ。私が放った開錠の魔術は魔力が霧散し発動しなかったり、全く関係ない所がパカパカ開いたりと散々だ。


 併走してきたリコリスへ窓越しに蔓腕を振ってこちらの無事を伝えつつ、開錠の魔術一回分の魔力を温存して施錠の魔術陣の解析を試みる。


 しかし知識的に欠けている部分は補えず、今の私では開錠は出来ないという答えしか出てこない。仕方ないのでナジャンテをはたき起こし解説をして貰った。


 話を聞き大体を理解したので解説の終わりとしてナジェンテの指示の下で開錠の魔術を放つ。しかし私の技量的な面で失敗した。悔しい。しかし有意義ではあった。


 結局は昼の刻の昼食前にナジャンテによる開錠の魔術で扉を開け、リコリスと合流を果たした。ナジャンテは疲れたと言って昼食後にまた寝た。



 夕の刻。


 開拓村ルロトスへ到着。村といえど森の囲まれた場所なので高い防護壁がある。現在は大河都市リグダンから派遣された都市衛兵が常駐しているので安全だろう。


 村の中に馬車25台が集合できる広場が無いので村の前で点呼。馬車一台ずつ入り、路地に納めていく。


 村人は全員大河都市リグダンに避難済みだ。村の家屋を利用した場合は家主に利用料を支払う契約になっているらしく役人が料金表を持って聞きに来たけど、デノース商隊に利用者は居ないようだ。リコリスも利用せず。



 宵の刻。


 見張りはリコリスに抱きしめられながらこなす。仕事後は一号馬車内の出来事を話しながら就寝の準備をした。土魔術で植木鉢を作って入ったら寂しがられたので蔓腕で握手しながら眠る。



[清廉暦714年春月42日 開拓村ルロトス]


 明の刻の半。


 大商隊の護衛には傭兵のほかにハンター達も居る。傭兵側の代表がギオウィルダイムならハンター側の代表が魔術士ダッコウィーナだ。リコリスはダッコウィーナから開拓村周辺の森の探索に誘われた。


 護衛依頼主の商会や村の衛兵、護衛の傭兵達からも了承を得た上での探索だ。収穫物は商会や村の役人に売却する。前回、前々回も行なったらしい。明日は明の刻から出発なのに元気だなあ。


 依頼ではないので断る事も出来る。ただ、今後の為に先輩ハンターと親睦を深める事に意味があるし、リコリスにハンターとしての経験を積む機会を阻害したくない。何よりリコリス本人も乗り気なので参加。



 朝の刻。


 村から出る。

 ダッコウィーナが率いる狩猟班と男性熟練ハンターが率いる採取班に分かれる事になったけどリコリスは採取班になった。採取班は衛兵の巡回範囲内で採取活動とあって比較的安全である。


 採取班は近場ながら手付かずになっていた薬草や山菜、虫除けの葉なども採取。先輩ハンター達から指導を受けリコリスだけではなく私も勉強になった。


 狩猟班も岩狼と鹿を仕留めて戻ってきた。岩狼なので魔核は無し。やはり魔狼はこの近辺に居ないようだ。



 夕の刻。


 村に戻る。

 採取物は荷車にあった薬剤棚に入れさせてもらった。


 デノース商会の貴賓室一号馬車には熱操作の魔術具があるから調理の準備には困りはしないのだけど、ナジャンテが魔導書を用いて調理用かまどを作ってみせた。あの魔導書、野外活動する上で役立ちそうな魔術が揃ってそうだ。


 蜜鳥商会に話を通して一緒に食事の用意をして食事会をする。ナジャンテが両商会を誘って繋いだように見えるけど、立案はデノースである。


 リコリスはローブ姿で参加。森の中を歩き回った服は水洗いして干してある。

 小妖精のルネが注目を集めてくれたので、私はひっそりこっそりと食事を済ませる。蜜鳥商会の蜜漬け果実は美味しかった。



 明日は明の刻から出発なのでテント内で就寝の準備を始めた時、とても強い魔力の波動を感じとった。リコリスは驚いて「ひゃあ」と声をあげ座り込み、私は体中から水分が抜けて体に巻いてた布がびっしょりになってた。


 リコリスが武器を持ちテントから顔を出して周囲を確認してみると大商隊の護衛達も慌しい。キョロキョロしているユディルを見つけて確保。ナジャンテとも合流したので意見交換をする。


 リコリスが魔鰐が咆哮の魔術を放った時の事を話すと魔狼も同様の事が出来ると聞いた。


 夜間警備が強化され人員増加もしたけれど、特に魔獣の襲撃などといった事は起こらず表面上は落ち着いていった。



 就寝前。

 リコリスから一緒に居て欲しいと言われたので応じる。蔓腕で抱きいしめ頭を撫でる。魔力の波動を感じた時に心話で強い悲しみや憎しみといった感情も受け取ったらしい。もしかしたら魔狼の断末魔がここまで届いたのだろうか。


 まあそれも岩狼の森を抜け開拓村の中に居て、明日から更に北へ進み岩場へと移動する私達にはもう関係の無い事だ。


 そして撫でていたはずなのに何時の間にかこっちが撫で回されていた。眠くなったのでされるがままにして一緒に眠った。

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