第5話 ハンター

[清廉暦714年春月36日 狩猟拠点]


 明の刻。


 カン・カン・・・カン・カン・・・明の刻を告げる拍子木の音で目が覚めた。


 魔蛙の沼森の薄明薄暮性動物は音を立てない小動物が多く明け方頃の森は一番静かだ。その為だろうか拍子木の音は良く響く。


 そして丘の上にある狩猟拠点は周辺地域では最も早く陽を浴びる為にここのハンターの朝は早い。


 リコリスに抱きしめられて身動きが取れない。

 うーむ。まだ寝かせてあげたいけど、ここの見習いハンターなら朝から雑務があるだろうし起こすべきか。


 私がもぞもぞと動いた為かリコリスも目を覚ます。しかしまだぼんやりしているのか私の頭を撫でながら微笑むばかり。


「おはよう、リコリス」


「えへへ。タルテちゃん、おはやうー」


「リコリスは あさのおしごと ないの?」


「えへへ…え、もう明の音鳴ったの?私、水汲みしなきゃ」


 私の頭をもう一撫でしてから離れ身支度を整え、手押し台車に載せた瓶に水を汲み始めた。


「このあとデギランさんに話してここを出ることにするね。私と一緒に魔術都市に行こうね」


「うん」


 水を汲み終えたリコリスが台車を押して宿舎を出て行く。私はリコリスが戻ってくるまで音を立てずに待つだけ。


 昨日の夜や今日の朝にここから出ようと考えもした。…いつのまにか眠ってしまう前までは。


 どうにも私の体は幼生体の為か夜おそくまで起きていられない。おねむさんだ。

 もし私が一人で行動する場合、遅い歩行と早めの野営準備で行動時間が短くなるうえに夜間の睡眠は無防備になる。

 そもそも昼間でも無理して動いていればその場で疲れて寝てしまう可能性さえある。


 リコリスにとっては自分が山麓都市ガライシャへ行くついでに私を魔術都市カウイェルヤッハまで連れて行く、くらいの感覚なのかもしれない。しかし私と関わる事で命の危険性は上がる。


 その謝礼や報酬になるかは分からないけれど、私のできる範囲で魔術を教えたい。ハンターとして活動を続けるのなら魔術の習得は無駄ではないはずだ。

 ただ一つ気になる点がある。彼女がまだ見習いハンターという点だ。



 リコリスがしょんぼりして戻ってきた。おそらく出立の許可が下りなかったんだろうな。


 ん?リコリスは背負い袋を持ってきていた。あの背負い袋は見習いハンターに貸し出されて、一人前になるとそのまま貰えるものだったはず。


「私すぐには行けないみたい。タルテは、その、もうちょっとだけ待っててくれる?」


「うん、いいよ」


「ホント?はぁー、よかったぁ」


「リコリスのハンターのレベルはいくつ?」


「9だよ。10で一人前の扱いになるからそれまではここに居なさいって」


「9?あとはなにがたりないの?」


「武器の戦闘技能の習得かな。一応剣の練習はしたんだけど評価点には届かなかったみたい。自前の武器を持って無かったし、練習もこっちに来てからだったし」


 リコリスは折れた剣を加工した鉈を持っていた。しかしそれは有り合わせの道具であって、自身の命を預ける武器として数えるわけにはいかない。


 しかもその鉈も昨日私が岩鰐へ投げつけたことで曲がってしまったらしい。今度こそ鋳潰して素材とされるようだ。


 魔術核を持ちながらも伝心の魔術のみで攻撃魔術は未修得。攻撃魔術具も無い。

 剣の稽古も木剣を使ってデキランを相手に数回しただけで他の訓練より後回しになったらしい。実際、木登りよりも剣の稽古を優先していたら岩鰐に食べられていたかも知れない。


「それとね、このあとここに居るハンター全員で湿地帯に行く事になったの」


「ぜんいん?リコリスも?」


「うん。なんかね、昨日の昼頃に騎士様の使いの人が来ててね、三人の騎士様をハンター全員で捜さないと駄目なんだって」


「さんにんのきしは、ベルドライズきはねしゃくのきし?」


「ベルドライズ…うん、多分そんな名前だったかなぁ。その貴族の騎士様が森で迷っててね、ハンターは全員で捜さなくちゃいけない命令がでたの。森は砦の兵士さんが捜索するからハンター達は湿地になったんだって」


 昨日話したベルドライズ貴羽爵の事は覚えてないみたいだ。それならそのまま忘れてもらって知らないでいたほうが安全かもしれない。


 それと騎士団からの特務指令か。森に入った三人の騎士というのは事件の首謀者側の者達で、私を捜す為?それとも暗躍が露呈した為に逃走したのだろうか。


 湿地帯での捜索なら湿地帯を占拠していると思われる岩鰐の群れを討伐してから湿地周辺の捜索になる。ハンターの方が向いてるとはいえ損な役回りだ。


 しかしハンター全員が強制参加というのが気になる。今回は湿地だぞ?見習いハンターまで参加させてしまうとかえって効率が下がるような…


「それでねベラさん…えーと武具工房の人からね、武器としてお古だけどすごく安くクロスボウを売ってもらったんだー」


 リコリスの言葉で思考の湿地に沈む前に引き上げられる。

 リコリスは背負い袋から小型のクロスボウとその専用の矢であるボルト5本を取り出した。


 武具工房のベラさんとはタタベラメラの事だろうな。兵士時代に会った事がある。

 リコリスの体格と動きなら獲物に近づいて剣を振るうより距離を取ってクロスボウの方が良いだろう。


 クロスボウをよく見せてもらう。しっかり整備してあった。これはお古というよりも予備の武器だ。売値を聞いたけどその値段で買える品じゃない。

 リコリスは素直で良い子だし皆から可愛がられてるんだろうなあ。


 クロスボウを眺める私にリコリスは少しためらいつつも声をかける。


「それでね、タルテはしばらくこの部屋の中でじっと待っててくれる?」


 少し考える。

 もし騎士の使いも首謀者側の者達だとしたら、私が狩猟拠点内に隠れていないか家捜ししやすいようハンター全員を強制参加にさせたのかも知れない。


 うーむ、拠点内にはハンター以外の働き手も残っているし考えすぎか?

 まあ、リコリスが心配だし一緒の方が私も安心できるのでここに残るという選択は元々無い。


「リコリスといっしょにいきたい」


「でも湿地には魔鰐が居るかもしれないって言ってたし危ないよ?」


 魔鰐は魔核を持って生まれた鰐だ。今回は魔核持ちの岩鰐だろう。


「ここもひとりならあぶないし、リコリスといっしょのほうがあんしんできる」


「ホントに私と一緒で良いの?」


 頷く。リコリスは私を抱き寄せ頬ずりしてきた。


「何があっても私がタルテを絶対に守るからね!」


 私もリコリスを守るよ。ただリコリスはまだ見習いなので危険な場所に配置されたりはしないはず。


 朝食を済ませる。ちなみにリコリスが持ってきた朝食には焼肉があった。何の肉かはいわずもがな。


 一口貰ったけど旨かった。人とは種族的に味覚が違う事は把握している。それでも旨かったと感じるという事は口に入れても大丈夫なモノなんだろう。多分。


 出発は朝の刻。それまでに装備を整え拠点内の本部へ来るよう、さらに宿舎内で使えそうなものもあれば自由に持って使って良いとのこと。


 この宿舎は現在女性用宿舎として活用しているが元は倉庫。

 ここにはろくな装備もないままハンターになった者の為に破棄手前ではあるが装備品が残してあった。リコリスが使ってた鉈もここにあったものらしい。

 宿舎の隅に長い木箱があり、中には槍の束が収まっていた。全体が金属製になっている沼鰐用の鉄銛とは違って柄はどれも木製だ。

 リコリス用に柄が一番まともだった槍を選ぶ。


「この槍、刃が欠けてるよ?」


「しっちでのぼうがわりだよ」


 湿地での移動に長い棒があると足元確認に便利だ。沼に落ちた自身や仲間を引っ張り上げる時にも役立つ。

 刃は飾りだ。どうせ岩鰐相手には欠けてなくても刺さらない。


 私も武器を選ぶ。兵士時代に槌矛メイス星球槌矛ステラモールを使ってたので細工用の小さめな金槌を選ぶ。これも一応倉庫内に置いてあったし?持っていって良いんだよね?


 私の身体を布で包んてから背負い袋の中へ。他者に袋の中を覗かれても一目では分かるまい。

 頭から被った葉っぱのケープを袋から出して草葉で偽装してる感じに。


 袋の中にはリコリスの水筒、携帯食三食分、巻き布、着火具とナイフ。

 これに追加で倉庫に有った中小の布袋、布の端切れ、水筒もう一つ、金槌、そして私の全財産である茶苺二個と泥玉一個。


 クロスボウとボルトは必要なときにすぐ渡せるよう蔓腕に絡めておく。

 木笛は宿舎にもう一つあったのでそれぞれが所持。今出来る準備としては最良だろう。


 ああ、一応魔術について聞いてみるか。


「リコリスはでんしんのまじゅついがいで、まじゅつをつかってみたい?」


「ん?んー、風の魔術は使ってみたい!上達すると空を飛べるんだよね?!」


 風の魔術か。飛行魔術は一応飛べはするが歩きにくい専用の装備をして短時間の滑空をするくらいだ。自在に飛べるシャーデック先生は例外で特別なだけだ。


 一般的には知られていないけど風魔術とは空間支配の魔術であり、空を飛ぶ以外にも有用な魔術が多い。


 風魔術を扱える兵士は斥候や伝令に採用されやすくハンターとしても相性の良い魔術だろう。


 それでも人気があるのは土の魔術のほうだ。覚えたら町の中で安全に仕事が出来、才能次第で高収入になる。


 兵士として役職を持つと土魔術士は自陣を防衛し指示する側、風魔術士は自陣から出て斥候の指示を受ける側になりやすいので人気の差は顕著だ。


 風魔術の簡単なものなら私でも教えられるかも知れない。ただ今は時間がない。リコリスが一人前のハンターになってここを離れた後になる。


「これにまりょくをこめてみて」


 泥玉をわたす。この玉の中にはグァッガの魔核が入ってる。魔力を限界まで込めておいて破裂を念じながら投げつければ破裂する。


 私の投擲の射程も魔力量もリコリスには及ばないのでリコリスが持つほうが良い。

 ついでにリコリスが自身の魔力を放出し魔核への付与もできるのかも確認しておきたい。付与の得意・不得意もあるし、風の魔術なら魔力の放出量は重要だ。


「あ、グァッガのまかくだからあんまりまりょくをこめ… 」


 ッパァァァァァン!!

 魔核とともに泥玉が弾けた。凄いな。中々の魔力量と放出量かもしれない。当人には魔術の訓練のつもりが無くても日頃から伝心の魔術を使い続けた結果か。


「うわー、ごめーん!」


「せつめいがおくれたわたしのほうがわるい。ごめん」


 泥玉といっても玉は乾いていたので服や部屋が泥で汚れる程ではなかった。お互い失敗を笑いながら片付け。


 その後は私がわかる範囲でクロスボウのレクチャー。

 結構時間をかけてたので朝の刻を過ぎてないか不安になり少し慌てながら拠点内の本部へ向かう。



 本部に着いた。設置されている柱時計を見ると朝の刻まで少し時間がある。

 広間には既にデギランが居た。他のハンターはまだのようだ。


 部屋の端のテーブルで見知らぬ男が我関せずと何か飲んでいる。身なりが整っており魔力を感じない。おそらく彼が騎士の使いで、魔術核無しの貴族だろう。


 魔術核を持たない平民の両親から稀に魔術核を持つ子が生まれるように、魔術核を持つ貴族の両親から魔術核を持たない子も稀に生まれる。


 魔術核を持たない貴族は魔術核を持つ平民へのやっかみが特にひどいので、あちらが関心を示さないのであればこちらも関わらないようにしておきたい。


 リコリスは見知らぬ人物に気付き視線を向けるが丁度デギランが話を振ってきたので視線をデギランへ移す。良いぞデギラン。


「準備は出来てるな?」


「はい!」


「悪いな。本来なら見習いを連れて行くには危険な仕事なんだが強制でな」


「あの、魔鰐が居るんですよね?」


「騎士三人が戻って来ないのだからな。魔鰐を想定しておく位が良い。それに昨日の岩鰐、しつこかったろう?鰐の群れの長が魔核持ちだと配下に獲物を集めさせるんだ。集められないと自分が喰われちまうんで必死なのさ」


 あの岩鰐しつこかったのそれか。しばし雑談をしていると本部に魔鰐討伐参加者のハンター達が揃いはじめる。


 参加者はリコリス含めて六名。リコリスを除いて私が兵士時代にみかけたことがある者ばかりだった。


 デギラン。

 武器は鉄銛。腰に剣も下げている。

 黒髪黒目、大柄で筋肉質。魔術核は無いけれど有能なハンターだった。


 年齢と軽微ながら左腕の怪我を機にハンターを引退し、狩猟拠点の管理と教導の職に就き今も任されている。


 セルジ。

 武器は鉄銛。魔力持ち。

 正確な年齢は知らないけどデギランより高齢。私が兵士になってすぐの頃に現役引退していた。


 ハンター不足の為に老体に鞭打って一時的に復帰したのだろう。

 白髪で痩身ながらそこらの魔物を威迫する佇まいをみせる。


 ドルナー。

 武器はメイス。盾を背負っている。

 タタベラメラ。

 武器はクロスボウ。

 二人は夫婦の元ハンターだ。息子がハンターになってからは引退して武具工房の職人として暮らしていた。息子がここに居ないという事は魔狼討伐のほうに参加してるのだろう。


 ヤックナック。

 武器は断頭斧。切り札として用意された武器だろう。魔力持ち。

 魔狼討伐に参加せずここに居残った現役ハンターだ。


 金銭欲が無いってのもあるけど、とにかく厳格な規律や堅苦しさを嫌う男だった。目上の相手にも言葉遣いを改めない謎の信念を持つ。


 魔狼討伐には傭兵やハンターが大勢集まり上下関係ができると予想はつくから参加しなかったのだろう。


 昨日は見張り櫓で珍しくしっかり見張りをしていたけど、なるほど周囲が退役ベテラン揃いだからだな。これなら魔狼討伐に参加した方が堅苦しくなかっただろうに。


 狩猟拠点には他にも昨日岩鰐と戦闘していた者も居たけど、彼等はこの狩猟拠点の守衛として都市から派遣された兵士なので参加しない。


「昨日見たように岩鰐が跋扈している。湿地の主が沼鰐から魔核持ちの岩鰐に代わったとみて動くぞ。


 まずは湿地の監視所へ向かう。騎士達が岩鰐に囲まれてそこで身動きが取れないってだけなら良いんだがな。


 三班行動のときは一班が俺とリコリス、二班がセルジとナック、三班がドルナーとベラで良いな?


 二班行動では俺とセルジでデギラン班、残りがドルナー班…いや、ナック班だな。ナック、リコリス、ドルナー、ベラで行動してくれ」


「なんで自分が班長なんすか?ドルナーさんで良いでしょ」


「現役のハンターは見習いのリコリスを除くとお前だけだ。ドルナー、サポートを頼む」


「うむ」


「はぁ…めんどくせぇ」


 他にもリコリスは打ち合わせと雑談をこなした。


 ガナデンス砦の兵士は明日から森の調査をするそうだけど、ハンターは湿地の手前にある監視所に騎士が留まっていないか確認する為に今日から捜索になった。


 私の存在を指摘する人物は現れなかった。一応は見つからずに済んでいるようだ。


 一通りの話を済ませたデギランは本部に設置されている清廉教の加護像の前で祈りを捧げ、加護像の差し出す右手に自身の右手を軽く添える。


 清廉教の加護像。清廉教会にお布施をすることで設置される加護具だ。像に魔力が込められており特定の所作の後に像の右手に触れると守神の加護を授かる。


 守神の加護は剣槍矢の刃物や牙爪角こそ防げないけど、虫刺されや吸血蛭の吸い付きを丸一日防げる。森に入るうえで非常に有用な加護だ。


 加護と言っても実質的には風魔術の一つ、風幕の魔術と同質である。

 像を割れば中に風幕の魔術具に近い物が入っているのだろう。が、割ってはいけないし魔術具とも風幕の魔術とも呼んではいけない。


 かつて魔術研究者が風幕の魔術と同質であるので守神の加護の名称を変更して風幕の魔術に統一すべしと提唱し論争になったという。


 更なる研究を進めると守神の加護は聖職者が用いる原初魔術としての歴史が古く、それを魔術士が風の魔術で再現したのが風幕の魔術だと判明した。


 よって名称を統一するのなら魔術側でも守神の加護という名称に変更するのが妥当という論調に変わってしまい、魔術士側が風幕の魔術は魔力を込める事で防御効果を高められます!とか敵対象に向けて妨害にも利用できます!とか色々言い募ってなんとか名称統一を免れた。


 風幕の魔術具は兵士時代に利用してたし風幕の魔術を魔術士に掛けて貰った事もあったけど丸一日まで効果を伸ばす術式部分は独学では分からなかったな。


 おっと、考え事してたら最後リコリスの番だ。リコリスが祈りを捧げて右手を添えると一瞬だけ何かが纏わりつく感覚があった。私もリコリスの装着品として対象になったのか。


「よし、出発するぞ」


 デギランの言葉に皆が了承の返事を返す。

 簡易監視所は湿地手前の大きな木の上にある。まずはそこを目指す。

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