第3話 目標

[清廉暦714年春月35日 魔蛙の沼森]


 シェルターの隙間から陽が差し込む。朝だ。目が覚めた。というかいつの間にか寝てた。


 危ない危ない。もし命綱なんて寝る前に付けとけば良いや、なんて甘く考えてたら結構な高さの木の上から真っ逆さまだった。


 いつ眠ってしまったのか分からない。光明の魔術が使えた事は鮮明に覚えている。

 魔術を使いすぎた事による魔力疲労により意識が途切れたのだろうか。光明の魔術を数回しか行使してないけど…


 いや、まだこの体は小さい。おそらく幼生体と思われる。体内の魔術核、あーいや、魔核もまだ未発達の為に数回の魔術行使でも負担が大きいのだろう。


 朝から他の魔術も試してみようと思ってたけど、安全な場所で寝る前じゃないと試すのは危険だな。



 春月35日。だいたい朝の刻。


 本日の目標は魔蛙の沼森の南側にある狩猟拠点、のゴミ捨て場を目指す。金属製の刃物が欲しいので。

 新品同然の剣や斧があっても重くて持ち歩けないから剣や槍の切っ先が理想的だ。


 石ナイフを持ち、魔蛙の舌を巻いて輪を作り肩?にかける。これが手持ちの最強武器防具である。

 根足を川に浸して水分補給。二つの袋には水と茶苺十個。よし出発。


 森の中を移動中。根足をばたつかせてズリズリと引き摺る動きでは高低差ある場所では歩きにくかった。


 私の根足って全部で7本なんだよね。胴体への真っ直ぐな太い1本の根っ子とそのまわりに6本の根っ子が生えてる。二本足に慣れてるせいか真ん中の足の扱いに困ってた。


 そこで根っ子の先を地面にぶっ刺し、つま先立ちで足元の障害物を跨ぐような歩き方に変えたところ移動が楽になった。

 背が高くなった分、見晴らしが良く木の枝に掴まってすぐ樹上へ逃げやすいのも良い。


 これがこの種族本来の移動方法なのだろう。親の指導なしでハイハイから二足歩行へ移行できた。


 こんなハイハイしかできない赤子をほったらかして親は何してるんだ。親はアンダルテミア、つまり私だ。私は親であり子である存在。

 あ、狩猟拠点が見えるところまでこれた。



 狩猟拠点は森から出てすぐそばの丘の上にある。草葉の陰から覗き見上げる。

 拠点と言えどハンターの教練施設も兼ねており本部・宿舎・倉庫のほか武具工房まである。その拠点を囲む木の柵の内側にゴミ捨て場がある。


 木の柵はグァッガでは通れない程度の隙間があり、私ならなんとか蔓腕を伸ばせば何かは拾えそうなんだけども…

 問題は丘とゴミ捨て場の一帯を見張り櫓から見張れるってとこだ。


 そして今日に限って何で見張りしてるんだあいつ。前に来たときはサボってたのに。どんな心境の変化だ。よりによってこんな時に。


 見張りが魔力持ちのおかげでこちらが先に気付けた。

 んー、一旦引くか。少しだけ森の奥へ少し引っ込む。


 せっかくここまで来たので周囲を探索する。何かの錆びた金属の破片を発見。

 木の枝や蔦と合わせて小さな斧?ピッケル?そんな感じの物を作成する。グァッガ相手なら石ナイフよりかは有効なはず。


 あと出来る事は…そうだ、泥玉でも作ろうか。土に水をかけて丸め、グァッガの魔核を埋め込む。


 泥玉は最初の魔術具ともいわれ、魔力を込めて投げつけると破裂して相手を泥まみれにさせる。


 子供達には綺麗な石を泥玉に込めて天に投げ破裂すると願いが叶うという占い遊びとして伝わっている。私も小さい頃に投げた記憶があるけども一度も破裂はしなかった。


 実際には綺麗な石とは小さな魔核や魔石であり、投げた人の魔力に反応して破裂してるので泥玉の出来や願いの強さで破裂するというものではなかったのだ。


 しばらく経ったのでもう一度拠点を見てくるが変化は無し。

 まあ、金属製の武器を手に入れるという目的は一応果たせた。なので私の拠点のほう、シェルターへ戻る事にする。


 私は魔力探知での警戒もしてたので人との遭遇さえ注意していれば良いと油断していた。


 藪から飛び出してきたワニと遭遇し目が合った。長い爪と尖った背ビレ、岩鰐だ。


 なんで狩猟拠点の近くに岩鰐?! 今の私では勝てない。距離、を、取らないと…


 のそりと根足の一本を後ろに動かすと岩鰐も前足を一歩動かし距離をつめる。

 見たことのない異形の魔物の姿に警戒してるのか。正直コイツに噛み付かれたら今の私じゃ何も抵抗できず死にそうだ。


 蔓腕を上に伸ばせば枝を掴めるけれど、逃げの姿勢を見せた私を追って根足に噛み付かれ引っ張り合いになったら根足より先に蔓腕がちぎれてしまう。


 根足の自切なんて出来ないし仮に出来てもしたくはない。なので代わりを差し出すことにする。


 輪にして肩に掛けていたグァッガの舌を解いて下へ垂らす。岩鰐の視線が舌先へと移った。左右に振れば岩鰐の首も左右に動く。


 蛙舌を勢いをつけてペシリッ!と岩鰐の顔を叩く。当然ダメージなどなく怯みもしないが僅かに反応する。


 もう一度蛙舌を振り回して岩鰐の顔めがけて放つとバクンと噛み付いた。

 よし、今だー!全速力で木に登る。ぬにょ~~ん。おっそい!でもこれが!今の私の!全、速、力、だぁっ!うおおおぉ!


 程よく蛙舌の引っ張り合いをして程よく引き負けて手放す。

 凄まじい緊張感の中で岩鰐の動きを注視していたけど、岩鰐は私の事など無視して蛙舌をあぐあぐと食べてた。


 蛙舌を食べ終えた岩鰐は木の上の私を見つめるがすぐに興味を失い視線をそらす。そしてまた藪の中へと姿を消してしまった。


 岩鰐は草木を食べないし特に虫除けの葉は嫌がってたな。いやこれ木に引っかかってた魔蛙の舌だけを見てたって可能性もあるな…。


 しかし迂闊だった。前日に川の中流でグァッガの群れに遭遇した時は湿地から他のグァッガの群れに追い出された群れかと思った。


 あの群れは湿地で岩鰐と沼鰐の縄張り争いが勃発したために避難してきた群れだったのかもしれない。

 春月からこっちに引っ越してくる岩鰐なんて今まで一度も無かったけど。


 岩鰐は本来この魔蛙の沼森には生息していない。リヌ大河より北側の岩狼の森に生息している肉食の野生動物だ。


 野生動物なので基本的には魔核は無く魔力も無い。ごく稀に魔核を持って生まれる個体は大柄で強く知性も高く群れのボスになる。


 成体へと成長するまでに棲み処としていた場所によって姿と名称が変わる。

 岩場なら爪の発達した岩鰐に、川辺なら水かきが発達した川鰐に、湿地なら他より身体が大きく成長しない沼鰐になる。ちなみに森を棲み処にはしないので森鰐は居ない。


 たまに秋月始めから冬月手前の時期に岩鰐や川鰐がリヌ大河を南下して強者が居らず餌が豊富な湿地を目指そうとする。


 既に棲み処にしている沼鰐と縄張り争いをしだすが、岩鰐や川鰐が勝ったとしても次の世代では沼鰐になるのだ。



 周囲を警戒しつつも急ぎ根足でシェルターを目指す。


 川のそばのシェルターより狩猟拠点の近くに新たなシェルターを作るほうが岩鰐対策としては安全だろうけど、

 狩猟拠点のハンターに見つかりやすくなるし何より水の確保が難しくなる。


 シェルターに近づき水の流れる音が聴こえた時に魔力の反応も感じる。魔力量はグァッガよりも大きいような気がするけど正確に判別する技量がまだない。


 木に登り枝葉の陰から様子を伺うと川辺に少女、おそらく女性のハンターがいた。

 茶髪を後ろで縛ったいわゆるポニーテイルという髪型なんだけど髪にボリュームがあってリスの尻尾のように見える。


 服装は新米ハンターらしい緑色の長袖、グレーのズボン、レザーブーツだ。武器は持ってなさそうだけど、そばに置いてある編み籠に鉈が入っている。


 女ハンターが水筒に川の水を汲み腰に下げ、採取用の布手袋をはめ、編み籠を背負って立ち上がる。これから狩猟拠点に戻るとこなんだろうけど、このままだとマズイ。さっきの岩鰐と遭遇してしまう。


 彼女に岩鰐を仕留められそうな強者感はない。鉈も折れた剣を加工した有り合わせ品だ。魔力はあるようだけど魔術を教わっているなら新米ハンターの格好はしてないだろうし。


 拠点の近くに岩鰐が居たよ、気をつけて!と声を大にして伝えたい。しかしどう伝えたら良いのやら。


 そう思ってたら女ハンターはキョロキョロと周囲を見渡し、こっちの方を見た。私の魔力を感じ取ったんだろう。


 このままでは見つかってしまうけれども、まだ若いこの子を置いて逃げたくない…。彼女は警戒しつつもこちらに近づき、問いかけてくる。


「誰?拠点の近くに岩鰐が居るの?」


 あれ、私、声漏れてた?岩鰐ならさっき遭ってビックリしたよ。


 声は出してなかったかな。それで岩鰐ってこっちに来ちゃうの?私も木の上に登ってないと危ないかな?


 ん?あれ?あーこれ伝心の魔術じゃないのか?!すげーこんな感じで意思疎通できるのかー。


 えーと、はじめまして、こんにちは。私リコリスっていうの。あなたが話しかけてきた子なんだよね?岩鰐の事を教えてくれてありがとう。

 心話これは離れた相手とすると疲れるけど触れてる相手だとすごく楽になるから触って良い?怖くないよ、大丈夫だよー。


 彼女リコリスはひょいと木に登った。この魔蛙の沼森において木の上というのはそこそこ安全地帯なので新米ハンターは最初に木登りの練習から始めさせられるのだ。

 リコリスが右手をすっと伸ばす。私も右蔓腕の一本を伸ばして掴む。


〈私ね、人以外でこんなにはっきり会話できたの初めてだよー。あなたの名前教えて欲しいな〉


〈アンダルテミア…あ、今の無しで!うわ思いついた事がそのまま伝わっちゃうのかな〉


〈あ、ごめん、名前は秘密なんだね。でも、すごく素敵な名前だよ〉


 リコリスはそっと手を離す。離れても心話は可能のはずだけど今は伝心の魔術を使っていない感じがする。気遣ってくれたみたいだ。


「人の言葉は分かるんだよね?喋れる?なんて呼べばいいかな?アンちゃん?テミアちゃんのほうが良いかな?」


「ひとのことばわかる。しゃべえる」


 手は離れたが、ぐいぐいと迫り顔を寄せる。迫力と久しぶりの会話で少し片言になってしまった。

 しかし名前か。アンもテミアも砦で呼ばれていたからな。


「アンもテミアもだめ。…タルテ」


「タルテちゃんね!わかった!」


「あ、うん。タルテ、で」


 咄嗟に思いつかなくてアンダルテミアのまんなかを取ってダルテにしようと思ったけれどタルテになってしまった。まあ元の名前から更に離れたのだから否定する必要はないや。


「でも無事でよかったよー。昨日森の中からあなたの声が聴こえたんだ。怖いよ、助けてよって。だから捜してたんだ」


 昨日から捜してた?それじゃ彼女がここに居たのも偶然じゃないのか。というか私は心の中ではずっと「怖いよー助けてよー」って叫んでたって事?ものすごく小っ恥ずかしいんですけど!


「それじゃ、ちょっと大回りしながら拠点に行こっか」


 …まあ、そういう流れになるよね。私の種族とか、なぜ狩猟拠点の場所を知っていたのとか、疑心はないのだろうか。


 伝心の魔術を使えてしまうがゆえに敵意や害意を感じなければ信用してしまうのかも知れない。


 ベルドライズ貴羽爵の暗殺もしくは魔物化計画。事と次第によっては周辺国家を巻き込み、さらには魔術で成り立ってきた人の歴史をも覆す大事に発展するかもしれない。


 現状では兵団・騎士団・貴族にも報告が難しいけれど、彼女を介してならシャーデック先生のもとへ手紙を送る事ができる。

 しかしそんな彼女の未熟さ・純真さを私の目的の為に利用して良いのものか。


「大丈夫、私はあなたの味方になるからね」


 リコリスはすぐに返事をしない私を安心させるよう優しく声をかける。


 私と違って相手を騙そうとか利用しようという打算の気持ちが無い、純粋で真っ直ぐな決意が言葉と共に伝心の魔術で伝わってくる。多分これ無意識で使ってるぞ。

 あーもう!どうせ今の私じゃ彼女の歩く速度でさえも逃れきれないんだ。


 私はリコリスの手を掴んだ。


「ありがとうございます!よろしくおねがいします!」


 今の私に報酬として渡せるものなんて無いので精一杯の感謝の気持ちを込めて返事をした。


 目標の大幅修正。リコリスと共に狩猟拠点を目指す。私はリコリスが背負った籠の中に隠れてこっそりとだけど。

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