第2話 魔蛙
[清廉暦714年春月34日 魔蛙の沼森]
「ぺひゃ」
リヌ大河から魔蛙の沼森の川へ入った。そして滝から落ちた。人から見たら大した高さでもないけど今の私にはそれなりに大きい。この滝の周辺は森で魔物を間引く際によく来た事がある。
今日は春月の34日だから次に森に入るのは41日になる。しかし魔物が水路から脱出したと特定されたら、すぐここまで来る可能性もあるので移動したい。まあ、川に流されるだけなんだけどね。森の中を歩くほうが遅いし疲れそうだ。
川に流されながら詠唱魔術を使ってみようとしたけど使えなかった。まだしっかりと声が出せない。詠唱が出来たとして人の言語で魔物が魔術を使えるのかも分からない。
ただ私の体内に魔核があり、魔力の流れを感じる。多分これが魔力なんだろう。
それを認識してからは近くに魔物が居れば方角くらいなら分かるようになった。
おそらくこれが魔力探査という技能なんだな。熟練の魔術師か適正の有る者でなければ身につかないらしいけど、今の私には適正があるという事だろうか。
やや幅の広くなってきた川の中央を、魔力探査で索敵しながら移動する。…おお、これはちょっと魔術師っぽくて良いな。
流れに身を任せながら私が置かれている状況を整理しよう。
私、アンダルテミアは死んだ。そして何故か魔物になった。
異変はやはり食事会だろうな。食事会の出された品に人を魔物に変える謎の何かが入っていて私はそれをのみ込んだ。植物の魔物になったみたいだし一般には知られていない謎の実や種を食べたのかもしれない。
食事会はベルドライズ貴羽爵が私の誕生日の話を聞いて急遽決まった事だ。混入が意図したものであるなら狙いは私ではなくベルドライズ貴羽爵だったのだと思う。
もしベルドライズ貴羽爵が魔物に変わってしまったら…
もしその魔物が捕縛され事情聴取しベルドライズ貴羽爵と同一と認定されたら…
これは一貴族の暗殺よりも大事になっていただろう。貴族の中に魔物が化けて紛れ込んでいたという認識に変わるのだから。
貴族側が事件を隠蔽したとしても画策者が在野に広めるだろう。それは貴族社会の崩壊、そして魔術核を持つ者への迫害、魔術で成り立った社会の崩壊へと繋がる。
魔術社会の崩壊か。…もしそれを望み歓迎する者達が居るとしたら、聖人教の信徒達か?
聖人教は魔術核を持たない者を聖人、魔術核を持つ者を魔人と呼び、魔人・亜人・妖精・精霊をこの世界から追放することを教義としている。
いやいやいや、人類史において魔術核ある魔術師達にどれだけお世話になったと思ってるんだ。魔術核が無いからって妬んじゃだめ!自前の魔術じゃないけど魔術具も良いもんだぞ!
まあしかし聖人教の仕業と決め付けるのは早計か。やはりシャーデック先生にお伺いしたいところ。
その為には先生の居られる魔術都市カウイェルヤッハを目指さなくてはいけない。北のリヌ大河を越えてさらに北。
リスクはあるけれど今の私は兵長アンダルテミアを殺害した魔物として扱われているはず。シャーデック先生ならきっと信じてくれる!…はず!そして先生の下で誤解が解けたら国から追われる立場から被害者の立場になる。
しかし誤解が解けても魔物として迫害や実験研究の対象にされるのであれば国を出て森の中とかでひっそり暮らそう。
今後の目標として、
1、
2、シャーデック先生に会ってベルドライズ貴羽爵暗殺または魔物化計画を報告!そして先生に丸投げ!ごめん!
3、謎の魔物による砦兵士殺害の嫌疑を晴らす!
4、なんか色々無理だったら全部投げ出して森の中でひっそり暮らす!
うむ、こんな感じだな。
陽が真上だ。昼の刻か。春の陽気に川の中でもすごくポカポカする。
本物の流木を発見。わしゃわしゃと不恰好に泳いで何とか流木にしがみつく事ができた。私のような偽流木と違って本物は安定感が違う。
数日まともに食事をしてなかったはずだけどそれほどお腹が空いてない。根の足から水が、蔓の腕や葉の髪からは光が体に染み込むような感じがする。
この身体は木や草花と同じように水や光から栄養を摂取してるんじゃないかと思う。
口から何かを食べなくても何とかなりそうな気がするんだけど、何かを食べたいという欲求もある。でもこの種族は何が好物なのだろうか。人肉しか受け付けないとかだと困るんだけどな。
川の流れがゆっくりしたところで魔力を感じる。青緑色した蛙の魔物グァッガの群れだ。
大人の半分くらいの大きさで、一般人が木製の武器を持って一対一で戦えば勝てる危険度3と指標される魔物だ。
ただ魔物とはいえこの森の中では狼や沼ワニ等の肉食動物の餌扱いである。繁殖力が高いので適度に間引かないと他の魔物や動物がグァッガを餌として大繁殖してしまうので厄介だ。
後肢は焼くと美味しい。他の部位は不味い。魔煉瓦の素材として相当数狩りまくった。
青緑色より黒くて小柄なグァッガが川辺から頬を膨らませ、グァッと声をあげて舌を伸ばす。川の中へ舌を打ち込み川魚を捕まえるとそのまま丸呑み。
色合いと大きさから幼生体から成体に変態したばかりの個体のようだ。
目が合ったような?でも私が狙われたりはしないはず。だってほら私は流木だからね。流木を呑み込んでもしょうがないよね。
ぺふっ!痛っ。伸ばした舌で小突かれた。若グァッガの舌は大人が両腕を左右に伸ばした位まで伸びる。
私、狙われている?素人の流木擬態じゃ見破られたか。あ、魔力探査か?弱い魔物ほど重要になりそうな技能だし適性が高いのかも知れない。弱い魔物…くっ。
川辺を飛び跳ねながら執拗に追いかけて攻撃してくる。植物の魔物っぽいのに肉食のグァッガには美味しそうに見えるのか?
イタァ!もう!お昼ごはんはさっき食べたでしょ!
そして川辺からやや離れた茂みから青緑色したグァッガの集団がこちらを見ている。
夜行性のグァッガの群れがわざわざ昼間に単独で狩りをさせるという事は、これグァッガの成人の儀式だ。
今の私はグァッガよりも小さく力も劣るが、それでも若グァッガが一対一で対峙するには大きな獲物になる。
グァッガの群れでは足手まといと認識されると置いて行かれるからな。若グァッガも生き残るために必死なのか。でもそれはこちらも同じ事。
私の左蔓腕の一本に舌を絡めて引っ張ってきてた。掴まっていた流木も向きを変え川の浅いところで引っ掛かって止まってしまった。此奴をなんとかしないとこの場から移動できない。
このまま蔓腕一本だけ引っ張られてたら引き千切られそうだ。私は他の左蔓腕全部で若グァッガの舌を絡め返して引き合いながら川から出る。
若グァッガは突然後ろへ振り向く。その勢いで舌に絡まった私は一気に引っ張られ根足が地面から離れる。グァッガは前肢も地面に付け後肢に力を込めている。あの体勢はマズイ!
バシッ!という音と衝撃。プツと何かが切れる音と感覚。グァッガの持つ最も攻撃力のある後肢による蹴りを直撃されて吹っ飛び、転がる。
若グァッガの舌に絡まった左蔓腕の一本は千切れた。蹴られて吹っ飛び地面に叩きつけられたけどそれは思ったほど痛くない。この体には骨が無く軽くて柔らかいことが幸いした。腕が一本もげても血や体液も出ず痛みをそれほど感じないのも種族的特徴なのだろう。
先程の舌で絡めて引っ張り後肢で蹴る攻撃は兵士時代一度もされた事のない攻撃だった。当然だ、自身より大きくて重い相手に使えはしないのだから。私の油断で腕一本失ってしまった。蔓のような腕だしまた生えてくれると良いんだけど…。
若グァッガはこちらに向き直り舌に絡まった左蔓腕の一本をそのまま口に運びモゴモゴした後、吐き出す。口に合わないらしい。
先程の一撃から私を格下と確信し追撃もしてこない。良いのか?お前が対峙している相手はお前の同胞を数百は狩り殺している仇敵だぞ。こちらはしっかり反省し作戦を練って行動させてもらう。
私は右蔓腕で川原の小石を拾いつつモソモソと近付く。若グァッガが再び舌を出そうと口を開けた瞬間を狙い投石。口を狙った小石は狙いを外れて魔蛙の左目に当たり怯ませた。結果的に良し!怯ませるのが目的だったから狙い通りだ!
根足のモソモソ歩きをより頑張って全力で距離を詰める。若グァッガの後肢を掴みながら寄り掛かる様にして押し倒す。咄嗟にそばに落ちてた左蔓腕の一本を拾い上げ暴れる両後肢になんとか巻きつけた。
舌を延ばして攻撃してきたが勢いは無く逆に掴んで縛り上げた後肢の股に通して引っ張りあげた。そのまま舌を引っ張って流木に括り付け、流木を蹴って川に流す。
ふう、と一息。
若グァッガを引き連れて川を下る。やはり他のグァッガ達は追いかけてこないな。
仲間を見捨てたのではなくて、狩りの出来ない蛙はまだ群れの仲間として認められていないのだ。
若グァッガの閉じられない口から魚が出て泳いで逃げた。私との戦闘の前に丸呑みしたやつだ。これで満足してれば良かったのにな。
しばらく川下りして川の流れが緩くなったところで流木を川岸に寄せる。若グァッガはピクリとも動かない。
陽が傾むいてきたな。正確な時刻は分からないけど、夕の刻の半か昏の刻の手前くらいか。
貴方とはここでお別れね。私は安い女じゃないの。貴方は都合が良いから利用しただけ。…これからは私のような女に引っ掛からないことね。
本物の流木さんとお別れして川から出る。
若グァッガも引き上げ、後肢を縛っていた私の蔓の腕だったものを解いて回収。まだ湿っているけど自身の腰?あたりに巻きつけておく。
その自前のベルトに大きな葉と虫除けの葉を挟んでスカートに。採取した蔓を編み込んで同じく葉っぱを挟みケープを作る。
野外露出終了。朝からだけど羞恥なんてまるで湧かなかった。人から魔物へと変態した事で精神が魔物側に寄ってしまったのだろうか。
この葉装も羞恥心から纏ったというよりも尖った枝や虫からの防具として、周囲の草葉に紛れる偽装の為の意味合いのほうが強い。
割って尖らせた石と葉と細い蔓で石ナイフを作る。
治療棟の部屋にもナイフくらいあったかも知れないけど探す余裕は無かったし持った姿で見つかると警戒度があがるし何より物盗り扱いになるのも嫌だった。まあ、物盗りよりも重罪の兵長殺し扱いになってるはずだけど。
蔓と大きな葉と虫除けの葉、そして食料として茶苺を集めた。
茶苺はそのまま食べると甘いアタリ、酸っぱいハズレが有るけど、これはアタリの方だ。どれも普通に美味かった。
味わえるという事は食べられるという事だ。飲み込んじゃって大丈夫、だよね?
ごくん。5個ほどで満腹感があった。
若グァッガの前に立つ。
成体になったばかりのグァッガの表皮は柔らかく石ナイフでも剥ぎ取れた。喉の膨らむ部分、鳴嚢も切り出す。
胸部あたりにある魔核を取り出し、伸びきった長い舌も切り落とす。
後肢を見つめる。よし、一応試してみるか。生のまま齧り付いてみる。もぎゅもぎゅ。
うーむ。蛙の脚肉は今の魔物の体でも食べられそうな気がする。
これは過去に何度か食べたことのある蛙肉と同じ味…「おい、この肉生煮えだぞ!今日の当番誰だよ絶対リュッケだろ!」って味だった。
魔物であるのならば生のまま食べるのが普通なのかもしれないけど、やっぱり生のままじゃイヤだ。今は茶苺で良いや。ぺいっと。
他の魔物が集まると困るのでグァッガを川に流す。
剥いだ皮を袋代わりにして葉で包んだ石ナイフと魔核と茶苺をしまう。鳴嚢には川の水を入れる。二つの袋の口をそれぞれ蔓で縛りスカートに括り付けた。
周囲が暗くなるまで蔓と小枝と虫除けの葉と茶苺を集める。
自分自身がどんな生態の魔物なのかがまだ分かっていない。今のままなら川の中のほうが安全そうだけど、夜の冷たい川でも大丈夫なのかどうか分からない。
火は起こせそうにないので木に登って夜を越そうと思う。蔓腕根足をぐぐうっと伸ばして木の枝に掴まり、自身を持ち上げる事ができたから木登りは問題なさそうだ。
グァッガの舌は現状では蔓より丈夫だ。樹上で落下防止の命綱として活用する。
木を結構高いところまで登り、集めた小枝と虫除けの葉でシェルターを作った。小雨は凌げるけど強めの風は無理だろうなあ。
宵の刻。完全に日が落ちたから真っ暗だ。明日までここで耐えるしかない。
ふう~。さて、と。
仮眠する前にやれる事は今後の行動を考える事と…魔術の実践だ。
生き残るために自身の強化、すなわち魔術の練習は必須なのだ。
何度か発声練習してから、いざ本番!
「ウシャム ファイ フォン イャムヤ ヒェル レムエ」
・・・
光明の魔術の詠唱。レムエだけでも発動するはずだけど、しっかり詠唱したほうが魔力の消耗を抑えられるらしい。
ただ今の詠唱で魔術核から魔力が抜けたって感じがしない。詠唱はしっかり出来たと思うんだけどなあ。
子供の頃から講義は受けてた。思い出せもっとこう声に魔力を乗せる感じだ。
「ウシャム」
「ウシャム」
「ウシャム」
ん?体の中で魔力が動いた気がする!よし!
「ウシャム ファイ フォン イャムヤ ヒェル レムエ」
ポワァァァ……スゥン。
前方に伸ばした右蔓腕の一つから小さな光の玉が現出し蔓手やシェルター内を照らし、消えた。
うおぉぉぉぉぉ!できたー!うひょーー!
すぉぉぉぉぉぉ、ふぅぅぅぅぅ。
「ウシャム ファイ フォン イャムヤ ヒェル レムエ!」
ポワァ…スゥン。
おほぉーー!人が祈り願って最初に手に入れた闇夜を照らす光源の原初魔術を詠唱魔術化したものだ。
「ウシャム ファイ フォン イャムヤ ヒェル レムエ」
・・・
魔力を乗せ切れてなかったな。集中力が途切れたか。
しかし、魔物でも光明の魔術が使えるんだな。グァッガも魔力を込めて正しく詠唱さえできれば行使可能なのだろうか。そもそも魔核で魔術具を動かしてるんだからいけるのか。
シャーデック先生に伺いたい。もとから用事があって会いに行こうとしてるんだ、ついでに質問しよう。用事?ああ、わたし ころされたんだっけ あんさつじけんなのだからできるだけはや
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