狩猟拠点と魔蛙の沼森

第1話 脱出

[清廉暦714年春月34日 ガナデンス砦]


 目が覚めた。そして真っ暗。

 ん、きつい。縛られている?仰向けで?

 初日は痛みで暴れちゃって縛られてたんだけど、二日目には解かれたような。


「んー」 ペリペリペリ、ファッサ。


 何かを引き剥がして掛け布団から這い出る。


 窓から光が差し込む。明るい。朝日だ。ベッドには痩せこけた自分の顔がある。

私、アンダルテミアは毒を盛られて生死を彷徨い四日目に…死んだみたいだ。


 とんだ誕生日になってしまった。

 手足も四日前には考えられないほど痩せ細り、腹は引き裂かれている。まあ、腹は私がさっきそこからペリペリ破って這い出たんだけども。


「ふああああ」


 さてと。ベッドに自分の遺体が有るとして、それでは私は何者なのか。あっちに全身鏡があったな。


 よっと、ベッドの位置が高い。今のこの体は結構小さいな。ずりずりと歩く。なんだか視界から色々見えちゃってるけど一応鏡を見てみよう。それから考えよう。


 立てかけてある全身鏡の前に立つ。

 んー、立つ?ここへ来るまでに見えてたけど足が無い。代わりに木の根っこがいっぱい生えてる。


 手も無い。こっちは木の枝というより蔓のようなものが左右から6本ずつ生えてるみたいだ。

 髪の毛の代わりか葉っぱが頭からモサモサと垂れ生えてる。

 首は無いけど顔部分に目口鼻耳っぽいのは付いてる。


「あ、あーあーうぃーうぃー」


 普通に声も出せるのか。

 顔や体は白っぽくて瞳は薄紫。髪の代わりのような葉っぱと手の代わりの蔓は薄緑。足の代わりの根っこは薄茶。


 あ-、やっぱりこれ魔物だよね?草木の魔物っぽい。今までに見たこともない種類だけども。


 でも何でこんな事になったんだろ?毒の影響で?

 いや、これは毒じゃなくて知らないうちに草木の魔物の種子を飲み込んでしまったとかなんじゃ?でもそれで魔物になってしまった事例なんて一度も聞いた事無いしなあ…


 ん?魔物、なのか?ということはこの体内には魔核がある?!

 あれ、もしかして今の私なら魔術を使えちゃったりする?ま、まじで?

 おお、おおおおおおおー!!!


 おおお落ち着け。まあとりあえず試してみよう。ええと先ずは光明の魔術が良いか。


「ううう、うちゃむ ひゃい うぉん やむや ひえぅ えむえ」


 ああ!うまく声が出せない。もどかしい!緊張もあるだろうけどこの身体が魔物の幼生体なのか舌が回らないようだ。


 その時、コンコンと部屋の扉をノックする音がした。このノックは礼儀として行ったものであって私は寝たきりのはずだから返事を待ったりしなかった。私が扉の方へ振り向くと同時に扉は開けられた。


「テミアさん、おはようございます」


「ふぁ、い?」


「え?…ぎゃああああ!」 


 バタン!と勢い良く扉を閉め、廊下を駆ける音が聴こえる。一瞬だったけど、今のは看護士のユーサリアだ。


 私も見たことが無い魔物が部屋に居るんだから、見た目が小さくて非力そうでも戦わず兵士を呼びに行くのは良い判断なんだけども…


 ベッドに腹を破られた患者。部屋をうろつくどんな攻撃手段があるのか分からない血に塗れた謎の魔物。


 まともに喋れもしないのに皆を説得なんて出来そうにない。

 口を開けたら魔術詠唱の前に仕留めてやる!ってなりそうだ。私ならそうする。

 これは不味いな。一旦退くべきか。


 うねうねずりずりと窓まで移動する。手を伸ばして指先で窓を押し開け、足の指先だけで立つように足を伸ばし、窓枠に体を乗せる。手足も指も無いけどそういう雰囲気的な感じだ。こまかい事はあとで!


 部屋を向いて一言二言つぶやき一礼。時間は無いけど私なりのけじめだ。

 窓から飛び降りる前に、ちらりとベッドで横になっている私の顔を見た。ベッドから這い出て顔を見たときにこんな顔してたかな…。どこか満足したような、幸せそうな笑顔のように見えた。



 窓から外へ飛び降りる。ここが一階で地面が草地で良かった。ふよん、と着地。


 治療棟は丘の上にあって下ると用水路がある。砦から脱出するにも見張りのいる出入り口は通れないし砦の壁なんて乗り越えられそうにも無い。でも今のこの体なら用水路から脱出できるはずだ。


 ずりずりと歩くけどおっそい。思い切って転がってみると歩くより早かった。


 カンカンカン、カンカンカン…

 砦から鳴り響く鐘の音。敵襲の合図だ。そして、ボチャン。


 自身の体が水に触れても大丈夫なのか確認する為に用水路の手前で止まる予定だったけど、鐘の音に気を取られてしまい勢い止まらず水路に落ちてしまった。


 そして浮く。とりあえず水に触れても大丈夫そう。

 それと、水中で呼吸が出来ないと苦しい。付いてる鼻や口は飾りじゃないようだ。

 この身体は見たところ草木なんだけど人や獣に近い特性があるという事か。


 遠くから人の声が聞こえる。水音で内容までは聞き取れないけど魔物である私を捜しているのは確か。


 殺されるのは嫌というのもあるけど、やはり知り合いから憎悪や殺意の目で見つめられたくないのも大きい。どうにか見つからずに脱出できれば良いのだけれど。


 そのまま水路の流れにまかせて移動する。他に出来る事として、体に根っこを巻きつけて流木に擬態してみる。顔さえ見られなければ一目で魔物とは判断されないんじゃないかと期待して。


 砦の壁のそばまでは無事に来れた。まだ周囲に人の気配は無いな。ここから水路の水が砦の外へと排水される。巡回警備ルートだから誰か来る前に通り過ぎたい。


 毎年水路の掃除をしているから、この鉄柵の幅なら今のこの体で、んー…よし、通れた!


 壁下の水路を通る。この壁は魔術で地下深くまで造られてるので壁の中を通るというのが正しいのか。


 ここの壁の水路には中ほどにも柵があった。なんとか通り抜ける。うわ、ヌメっとした。気持ち悪い。十数年勤めていて一度もこんな奥の柵まで掃除したことないよ。

反対側の柵も…んんー、ぷはっ。出れた。


 捜しているのは小さい魔物だ。外に通じるこの水路もすぐに封鎖されるだろう。最短で脱出を目指さなかったら間に合わなかったかも知れない。


 砦兵士側として見るなら、今回の対応の甘さを教訓として次回に活かしてくれ。私は二度と砦に侵入する事なんて無いけど。


 この水路の先はリヌ大河へと繋がっている。この流れだと大河から分かれてぐねぐねと曲がりながら魔蛙や沼鰐の棲む湿地帯へ向かいそうだ。これですぐ砦兵に見つかる可能性は減ったはず。…魔物に襲われる危険性はぐんと上がったけども。



 砦が遠くに見える。


 スロウグス大隊長、不義理申し訳ありません。今まで育てていただいた恩、感謝します。有り難う御座いました。


 ジルトール砦兵団長、私事により除隊させて頂きます。様々な面倒ごとを残す事になると思いますが頼みます。


 ベルドライズ貴羽爵、ベッドから動けませんでしたが声は聞こえていました。私のことはあまり気にしないで下さい。


 コスタル所長、私室の魔術素材は自由に使って下さい。あれを一緒に埋葬するなんて言う奴がいたら必ず止めて下さい。墓所一帯が大変な事になってしまいます。


 ビステン兵長、旗駒四連勝のまま勝ち逃げ悪いね。盤上の魔術師たる私の影を永遠に追って精進してくれ。


 アルタコロン、おそらくお前が次の西方三番兵長になるだろう。皆を纏めてくれ。


 リュッケヒェッケ、感情で行動しすぎだ。せめて足の前に口を出せ。


 ナシテケルン、いいかげんリュッケに告白しろ。他のやつに取られても知らんぞ。


 ニアゴマイデス、えーと、んー、頑張れ。お前は頑張れば頑張れる奴だ頑張れ。


 デールフェルク国ガナデンス砦所属西方三番兵長アンダルテミアは死んだ。

 私は名も無き一介の魔物だ。魔物だし自由に生きても良いよね。


 しかしその前にデールフェルクの民として。

 危険かつ困難なのだけれどシャーデック先生にお会いしたい。今回の事件を伝え残さなくてはいけないと思う。

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