草葉の陰魔術師

羽原平助

プロローグ

記憶

第0話

清廉せいれん暦714年 春月33日 あけこく正分節せいふんせつ][ガナデンス砦・治療棟]



焼けるような激痛は遠のき、代わりに冷たい感覚が体中を這い上がってくる。私は今、砦の治療棟の寝台の上で、静かに死を待っている。

所属はデールフェルク国ガナデンス砦、西方第三兵長。名はアンダルテミア。

この名が歴史書に残ることはないだろう。だが、私の人生が無意味だったとは思いたくない。


── 一昨日。

砦に来訪した貴族、ベルドライズ貴羽きはね爵との食事会の最中、突然の激痛に襲われた。

体の内側から焼かれるような痛み。暴れた末に、手足を寝台に縛られた。

治癒師たちは薬も魔術も効かないと首を振り、貴羽爵の声が遠くに聞こえた。


── 昨日。

痛みは続いた。だが、意識は徐々に沈んでいく。

深い水底へと引き込まれるような感覚。

痛みが薄れてきた。治療の成果ではない。

これは、死の兆しだ。

その中で深く遠い記憶が静かに浮かび上がってくる。



──クエラシエラ大陸。

大陸に聳えるクエアラ神山、その頂は雲海を突き抜け、天体の軌道と呼応するほどの標高を誇る。

その周囲を取り巻くのは、魔素濃度の高い神囲かみがこいの森。

強力な魔物がひしめき、誰も近づくことはできない。


魔素に満ちたこの地に、私たちの祖先はユーレンペラ大陸から移り住み、いくつかの国を築いた。

その国の一つ、神山より西方領域を統括する騎士と魔術師の国デールフェルク。

建国から百年を迎える今年、魔導機関列車の披露式が首都で予定されている。

魔術と技術が融合したその機関は、かつての大陸では夢物語だった。


私の生まれ故郷はそんなデールフェルク国の辺境にあるアンダル村。

北境都市と呼ばれる街と、国交を結ぶ独立都市国家である山麓都市、

その二つの間を結ぶ街道沿いの野営地が発展してできた村だ。

私はそこで元兵士の父と農夫の母の間に娘として生まれた。

国の慣習により出生地から名を貰いアンダルテミアと命名された。



──八歳。

神囲かみがこいの森に接している魔猿の森から溢れた魔猿の群れが村を襲った。

祖母は踏み潰され、父は噛み千切られ、母は私を庇って引き裂かれた。

私は恐怖から何もできず何も考えられなかった。

家族を殺した魔猿は、駆けつけた魔術師の一撃で絶命した。

その魔術師こそ、国随一とされるシャーデック先生だった。

直接教えを受けることはなかったが、今も私は先生を尊敬している。


空虚になった私の心は魔術の煌めきに埋め尽くされた。

魔術を使いたい。魔術師になりたい。

だが、叶わなかった。

「君からは魔力を感じない。体内に魔術核がないのだろう」

先生の言葉は、私の芽吹いた夢を静かに閉ざした。


──その後、私はガナデンス砦に勤める父の弟、スロウグスさんに引き取られた。

砦は北境都市も南、国の南北を隔てるリヌ大河の南側にあった。

砦での生活が始まった。



──十歳。

清掃と雑用をこなしながら、魔術研究棟の隅で文字と算術を学び、魔術の理論を盗み聞くように覚えた。

魔術士とは、胸骨の剣状突起付近に魔力の源たる魔術核を有し、魔術を行使できる。

魔核や霊核を持つ動植物は、魔物や精霊と呼ばれ、魔術核とは異なる分類がされている。

貴族の多くは魔術核を持って生まれるが、平民には稀だ。私は研究棟にて検査も受けたが持っていないと確定した。

それでも、魔核を用いた魔術具の構造を学び、結晶化した鉱物である魔石の加工に関心を持った。

人生初の攻撃魔術は、借りた魔術具を使って放った。嬉しさのあまりはしゃぎすぎて、砦兵団大隊長に叱られた。



──十五歳。

成人し、砦兵士として正式に就任。

砦の東方面は神囲かみがこいの森に面しており、リヌ大河より南部地域の魔物戦における国防の要だ。

貴族、武家、魔術家出身の精強な兵士達が東方へ繰り出し、大きな魔物の素体や魔核を持ち帰り凱旋する。

魔術核がなく幼少から武術訓練を受けていたわけでもない平民出の私は西方の魔蛙の沼森での討伐担当だ。

平民魔術士と共に西方の魔蛙の沼森へと入り、魔物の間引きや食料調達を行った。

また、魔術具の起動補助や魔核の収集、魔術陣の効率化など、研究棟への協力は惜しまなかった。



──二十六歳。

西方第三兵長に昇格。部下を四名持つようになった。

砦の魔術研究棟では古参の一人となったが、平民で魔術核を持たぬ私に魔核の扱いは許されなかった。

私は古書を漁り、ある技術に辿り着いた。


──魔煉瓦。

欠けた魔核や小さすぎる魔石を焼き固めて作られた、魔石の劣化品。

クエラシエラ大陸に移住する以前の、魔素が枯渇していたユーレンペラ大陸で編み出された技術だ。

今では接着用の素材が建築材として高騰し、魔煉瓦の製作費が魔石を上回るため、継承されずに忘れられていた。

私は魔術都市に住むシャーデック先生と手紙を交わしながら、二年かけて製法を復刻した。

接着剤の代替として、魔蛙の蛙油と粘着液を混ぜた廃棄物を使用。

性能は落ちたが、素材のほとんどが廃品。気にせず利用できる。

魔煉瓦を盾の内側に組み込み、魔術陣を刻むことで、魔術核を持たぬ兵士でも一度だけ魔術を行使できるようになった。

効果は限定的ながらも安価で生存率を高める装備として、部下から他の砦兵士へと広まっていった。

「ちょっと魔術を使ってみたい」──そんな我儘から始まった復刻だったが、廃材利用という点が評価され、魔煉瓦とその製法は砦の外へと伝播していった。



──二十九歳。

あと数日で三十歳を迎える頃、ベルドライズ貴羽きはね爵が騎士団と共に砦を訪れた。

貴羽爵は、建国百周年式典と魔導機関列車の披露式の打ち合わせのため、首都への召都令しょうとれいを受けていた。

通常なら城郭都市から南下し、大河都市を経由するのが最短だが、今回は視察を兼ねて魔術都市を経由し、砦へと立ち寄った。

驚いたことに、貴羽爵の訪問目的の一つに、私との会談が含まれていた。

魔煉瓦の研究開発要請。そして、廉価式魔術具として軍への制式配備の提案。

私は即座に快諾した。

その後、私の誕生日が近いことを知った貴羽爵が、急遽食事会を開いてくれた。

──その席で、私は倒れた。


治療棟への搬送。激痛に苦しみ、暴れたので拘束。

薬も魔術も効かない。

これは毒か、呪か。だが、なぜ私に?

魔煉瓦は国家に属した研究棟にある古書より復刻されたもので、構造も簡素。利権も情報も、私を殺すほどの価値はない。

ならば、狙われたのは──貴羽爵か。

食事会は急遽決まった。暗殺を企む者にとっては、想定外の場だったのではないか。

毒の対象が私だったのか、それとも貴羽爵だったのか。今となっては、確かめようもない。



──もうすぐ私は死ぬ。さて、私の人生に意味があったのか。

魔煉瓦の復刻と、貴羽爵の殺害は回避できた。

もし、私の人生に意味があったとするなら。

私は、それを成すために生まれてきたのかもしれない。





──これが私の本心なのか。──いいや、違うな。これは歳と立場という殻をまとった私だ。

殻を剥いだ私の心は、そう、あの時のままだ。


はあー。私もバッチリとポーズ決めてさ、魔術行使、やってみたかったなあー。

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