元女官、逃げる

「サマンサ様」


 ノア様は、ダメ押しとばかりに私にそう声をかけてこられる。うん、もう無理よ。逃げよう。この際好感度なんて気にしていられない。いいや、むしろ下がってほしい。私は王子様の妃になどなるつもりが一切ない。そんなアピールが出来たら、それ以上に良いことはないだろうし。うん、逃げる。これ、決定事項。


「……えーっと。その、私に王子様の妃は務まらないと言いますか……」


 さて、一番の問題はどうやって逃げるかだ。普通に逃亡しても絶対に捕まる。だったら、追いかける気にもならないくらいこっちに対する興味を薄くしなければ。……好感度って、どうやったら下がるのだろうか? そもそも、私は自ら嫌われようとしたことがないため、嫌われるための方法がよく分からない。


「務まりますよ。俺は、貴女が良いんです」

「えっと、その……」

「ハイデンの言葉はそのままに受け取らない方が良いですよ。大体、誰にだってこういうことを言っていますから」

「失礼ですね。それっぽいことは言ったかもしれませんが、ストレートに伝えたのはサマンサ様が初めてですよ」


 私の視界を支配する、とんでもなく造形の整った二つのお顔。あ、無理。このままいっそ気絶してしまいたい。そう思いながら、私は露骨に視線を逸らす。っていうか、ノア様何をそんなにむきになっていらっしゃるの? 恋愛感情か分からないっておっしゃっていたじゃない。それとも、自分の所有物を奪われるのが嫌なの? そりゃあ、私はいい玩具かもしれませんけれど……。って、自分で言っていて悲しくなってきた。


「いや、その、今日のところは、お暇させていただきたいと言いますか……」


 とにかく、私は帰りたかった。何がデートだ。これじゃあ私は王子様同士の痴話げんかを見せられているだけじゃないか。お茶とお茶菓子は、確かにとても美味しかった。それだけは良かった。しかし、一体どこからこのデートっぽいものはおかしくなったのだろうか?


(そもそもな話、私がこのデートに集中できていなかったのが根本の原因よね……。元はと言えば、私の所為か)


 そう言えば、ノア様の態度がおかしくなってしまったのは私が集中できていなかったからだ。まぁ、一番おかしくなったのはハイデン様が乱入されたからなのだけれど。だけど、少なくとも私に原因の一部はあると思う。ここで逃亡するのも無責任か……なんて、思えるわけもなく。


「サマンサ様! 本当にどっちが良いんですか!?」


 ノア様のそんな声に、私は現実逃避がしたかった。どっちが良いって言われましても、どっちも嫌ですよ! そう言いたいのに、声にならない。視線を逸らして、あいまいな態度を取ってしまう。あぁ、これがダメなんだ。分かっている、分かっているんだ。だけどさぁ、この場でどっちが良いって言っても、絶対に空気が悪くなるでしょ? もう、こうなったら――。


「……です」

「サマンサ様?」

「無礼を承知の上で言いますが、そういう質問をする人が私はものすごく嫌いなんですよ! 女々しいんですよ! 本当に! 失礼いたします!」


 私は言い逃げとばかりに、ノア様とハイデン様にそんな言葉をぶつけた後、立ち上がって逃亡した。これでも逃げ足は速い方だ。それに、さっきの言葉できっとお二人は茫然とされている。これはチャンス。逃亡のチャンスだ。そう思って、私は逃げた。履きなれない靴で走るのは結構辛かったけれど、あの場にいる方がもっと辛い。さながら気分は異国の物語であるシンデレラだ。


(絶対に無礼だったわよね……。後宮を追い出されても仕方がないわ、うん)


 もうちょっと、オブラートに包んで言うべきだったかもしれない。だけれど、時すでに遅し。言ってしまったものは覆らないし、仕方がない。よし、諦めよう、うん。


(追い出されても仕方がないけれど、出来れば追い出されたくないわよね……。そもそも、私ここに『お金目当て』で来たのだもの……)


 だけど、お金をもらうことも危うくなってしまった。一年間は後宮にいないと、お金がもらえない。開始二ヶ月で追い出されるとか、もう無理だわ。私貴族の令嬢向いていない。


(せめて、階級が下がるくらいの処分で済みますように……)


 誰に向かって祈っているのかは分からないけれど、とりあえず祈っておいた。いっそ、シャーロット様にでも祈っておこうかな? なんだか、ご利益がありそうだ。


(ハリエット、モナ、ごめんなさい)


 心の中でそう謝りながら、私は後宮で与えられた私室に戻っていく。あの子たちも私が追い出されたら、きっと新しい妃候補の元につくのよね。せめてあの子たちの新しい主が、まともな人であることを祈るわ。


 そんなこんなを思いながら、私が後宮の私室に戻ろうと廊下を歩いていた時。ふと、私の私室の前に見知らぬ女性がいた。なんだろうか。そう思いながらゆっくりと彼女に近づいていくと、その女性の服装には確かに見覚えがあって。そうだ、あれは――。


(後宮勤めの女官の制服だわ)


 間違いない。あれは、後宮勤めの女官の制服だ。それって、もしかしてだけれど……?


「あっ、『ターコイズの姫君』であるサマンサ・マクローリン様ですね!」


 その女性は、そう言って満面の笑みを浮かべる。その際に、サイドで一つに束ねられたその女性の金色の髪が揺れた。うわぁ、とってもきれいだわ。


「私は本日付でサマンサ様の専属女官になりました。エミリー・バトラーと申します。よろしくお願いいたします!」


 その女性――エミリーは、そう言って一礼をしたのだった。

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