元女官、第六王子に迫られる

「……貴女は、今、誰のことを考えていますか?」

「それ、は……」


 ノア様に優しくそう問いかけられるけれど、私は答えることが出来なかった。だから、私は柄にもなく俯いて「すみません」と謝ることしか出来ない。こんなの、私じゃない。分かっている。分かっているけれど、こうすることしか出来ない。だって、悪いのは私だから。


 そんな私に呆れられたのか、ノア様は「はぁ」とだけ静かにため息をつかれた。それを聞いて、私は尚更何も言えなくなる。不快な気分に、させてしまった。これじゃあ、後宮を追い出されても何も言えない気がした。はぁ、お金……。


「……どうしてなんでしょうねぇ」


 そんな声が頭の上から降ってきても、私は反応をすることが出来なかった。なんで、なんて問われても答えられない。だって、私自身もよくわからないから。何故、私の心の中をハイデン様が支配しているのかが、本当のところ私もよくわかっていないのだ。ただ、目を付けられて怯えているのだということだけは、分かる。


「なんだか、キャラじゃないですよね、俺も、貴女も。俺、もっとのほほんとした雰囲気じゃないですか。……なのに、どうしてでしょうね。サマンサ様相手だと、ちょっと余裕がなくなるというか……。まぁ、簡単に言えばそれだけ俺は貴女を気に入っているということなのでしょうが」


 ノア様は、それだけをおっしゃると私の手首を掴まれた。それに驚き、私が顔を上げればそこには私が見たこともないほど、真剣な表情のノア様がいらっしゃって。その眼光は何処か鋭くて、刺されてしまいそうだった。だから、私は息をのむ。それは、恐怖からなのかよくわからなかった。


 そんな私を見下ろされたノア様は、ゆっくりとその目を細められる。その細められた目からは、感情が一切読み取れない。でも、何故か視線が逸らせなかった。これが、王子様が醸し出す迫力というものなのだろうか。


「俺、貴女の考えていること、当ててみましょうか?」


 そうおっしゃったノア様の口元が、楽しそうに歪む。こんなノア様を、私は見たことがなかった。狂気を纏ったような仄暗い雰囲気が、何処かハイデン様と重なって見える。……違う、違う。こんなことを思うなんて、本当に私じゃない。


「でも……やっぱり、当てていいこともなさそうですし、止めましょうか。だけど……」


 ノア様は、それだけをおっしゃると私の手首を掴みなおし、ご自身の胸のあたりに当ててくる。そんな、王子様に触れるなんてこと恐れ多い。そう思った私が手を引っ込めようとするけれど、ノア様の方が力が強くて。引っ込めるに引っ込められなかった。だから、私はノア様の真意を探ろうとノア様をただ見つめた。


「俺、最近変なんですよ。どうしてか、サマンサ様のことばっかり考える。……これって、どうしてだと思いますか?」

「……私に、訊かないでください」

「でも、原因はサマンサ様じゃないですか」


 そんなの、ただの言いがかりだ。ノア様が私のことばかり考えていても、私の所為ではない。そう言う抗議の視線を向けるけれど、ノア様は楽しそうに口元を歪められるだけだった。……意味が、分からなかった。


「多分、今の俺は醜い嫉妬をしています。俺は、貴女のことが好きです。でも、これが恋愛的な意味なのか友情的な意味なのかは、まだよく分からない。だけど、間違いなく好いています」


 ただじっと、見下ろされながらそう言われる。その言葉を聞いて、私の心臓はやたらと大きな音を立てた。それは、恐怖からなのかはたまた別のことからなのかは、分からない。でも、視線が逸らせない。やはり、美しい人が怒ると怖い。それだけは、理解できた。


「だから、俺、一つだけ試してみたいことがあるんですよ」

「え……えっ⁉」


 ノア様は、私の手首を掴まれたまま強引に私のことを立ち上がらせ、そのままご自身の方に引き寄せられる。そして、私の背にもう片方の腕を回される。驚いて私がノア様のお顔を見つめてみれば、ノア様は無表情だった。でも、その目はしっかりと私のことを見据えている。


「俺、貴女に触れてみたいんですよね。そうしたら……この感情が恋なのか、友情なのか、はたまた別のものなのかが分かる気がする」


 仄暗い目で、私を見据えるノア様はただそれだけをおっしゃった。光を宿していないように見えるその目は、何処かうすら寒い。私は何とかして逃げ出そうとするけれど、背に回された腕ががっちりと私を固定していて、逃げられなかった。


「……ねぇ、サマンサ様。一度だけでいいです。貴女に、口づけをしてみてもいいですか?」


 そんな私を他所に、ノア様はにっこりと微笑まれてそう私に問いかけてこられた。それに、私は戸惑ってしまう。こんなの、おかしい。そう思うけれど、何故か何も言えなかった。ただその目に吸い込まれてしまいそうな感覚に陥りながら、その場で茫然とする。意思表示のために首を横に振ろうとするけれど、首も動かなかった。まるで、金縛りだ。


「――ねぇ、サマンサ様」


 戸惑う私の名前を呼ばれる、ノア様。そして、ノア様は私の背に回していた腕を移動させ、手で私の頭を固定される。その後、そのままノア様の美しいお顔が、私の方に近づいてきた。もう、逃げられない。あと、数センチ。そう思って、私が覚悟を決めようとしたときだった。


「――終わりですよ」


 そんな声が、何処からともなく聞こえてノア様のお顔が、私から離れていく。私が驚いて目を瞬かせれば、ノア様の後ろには何故かハイデン様がいらっしゃって。ハイデン様は私と視線が交わると、にっこりと笑われる。それから、ノア様の頭をはたかれていた。

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