第二章 元女官の後宮生活二ヶ月目
元女官、引っ越す
「……はぁ」
私は本日幾度目になるか分からないため息をついた。私の後ろではハリエットとモナが並んで歩いている。多分だけれど、二人ともワクワクとしているのだろうな。いや、私は全くワクワクしていないのだけれど……。
「サマンサ様。そう暗い表情をしないでくださいませ。階級が上がって暗い表情をされる妃候補なんて、サマンサ様くらいですよ」
「そうですよ。せっかくもっと広いお部屋に移動できるというのに……」
ハリエットとモナは口々にそんなことを言う。そうよねぇ、王子様の妃を狙うご令嬢にとって、階級が上がるということはお祝い事である。こんなにも暗い表情をしている妃候補なんて、私くらいよ。さらに言うのならば、私は妃候補の中でもぶっ飛んだ奴だ。自他ともに認めるぶっ飛んだ輩だ。
「ていうか、せっかくあの部屋にも慣れたのによ? 私、あれくらいの部屋の方が居心地がいいと思うのよね」
そう言って、私は約一ヶ月過ごした部屋に思いを馳せる。こじんまりとしていたけれど、それでも住めば都である。結構よかったのになぁ。だけど、その部屋にもほんの数時間前にお別れを告げてきた。きっと、あの部屋には新しい妃候補がやってくるのだろう。そして、八つ当たりをするのだろうなぁ、可哀想に。
「ねぇ、私やっぱりあの部屋の方が良いわよ。広々としているなんて、落ち着かないわ」
そんな愚痴を零しながら、私は与えられた地図を見つめる。地図に描かれているのはマイナーな宝石階級の妃候補が住まう後宮の全体図である。赤い丸印が付けてあるのが私がこれから住まう部屋。つまり……『ターコイズの姫君』が住まうスペースである。
「あっ、サマンサ様! 多分あそこですよ!」
私が地図を眺めていると、モナがそんな声を上げた。なので、私は顔を上げる。すると、すぐの扉にターコイズの模様が描かれていた。……うん、あそこのようだ。
「はぁ、行くか」
小さくそう呟いた私は、覚悟を決めた。女に二言はないわよ。今から私は――……。
(『ターコイズの姫君』に、なってやろうじゃない!)
☆☆
「あっ、いらっしゃいませ。……それとも、おかえりなさいませの方が良いですかね?」
「……知りませんよ、ノア様」
私の新しい部屋の中。そこには――何故か、ノア様がいらっしゃった。昨日まで私が住んでいた部屋よりもずっと豪華絢爛という言葉が似あう部屋。そこの応接スペースであろう場所の豪華なソファーに、腰かける一人の男性。それが、ノア様だった。
「……どうして、ここに居らっしゃるのですか?」
そう言って、私は部屋を見渡す。寝台はやたらと大きい。ソファーやテーブルもかなり高価なもののよう。机やいすも結構アンティークな品みたい。……階級が一つ上がっただけなのに、部屋の内装がかなり違う。
「いや、後宮の暗黙のルールとして推薦した王子が出迎えるっていうのがありましてね。なので、俺は今ここに居ます」
「……そうなのですか」
そんな暗黙のルールなんて知りません。心の中でそう唱えながらも、私はハリエットに促されてノア様から見て向かい側のソファーに腰かける。あ、このソファーふかふか。滅茶苦茶高いのだろうなぁ。
「サマンサ様。お茶の用意をしてきますね」
「……えぇ、お願い」
モナが私にそう耳打ちをして、簡易キッチンの方に消えていく。ハリエットは相変わらず私の後ろに控えているようだ。っていうか、私今までノア様とどんな会話をしていたかしら……? ノエル様だった頃は、結構いろいろとお話をしていたような気がするのだけれど、今となってはよく覚えていない。
「あっ、俺からサマンサ様にプレゼント……というか、引っ越し祝いを用意してきました。どうぞ」
「……ありがとう、ございます」
ふと、ノア様が思い出されたように一つの包みを私に手渡してくださる。なんだろうか。ハリエットやモナの話を聞くに、ドレスとかワンピースとかだろうか。うん、正直に言えばあまり必要ない。そう思って、私は期待せずにその包みを開けていく。……なんだか、感触が缶みたいなのだけれど……。
「サマンサ様のことですから、ドレスとかワンピースとかの衣装よりもこっちの方が良いかと思いまして、買ってきました」
ノア様のそんなお言葉とほぼ同時に私はその缶のふたを開ける。すると、そこに入っていたのは――美味しそうなお茶菓子の詰め合わせだった。って、いやいや! 私は確かにこっちのほうが嬉しいですけれど!
「……確かに、私はこっちのほうが嬉しいですけれど」
そう言って、お茶菓子を一つ手に取ってみる。あ、このお店私も知っているわ。確か王室御用達で行列が出来るお店だったはず。うん、前々から食べてみたかったのよね、私。見れば見るほど、美味しそう……。あとでハリエットとモナと一緒に、食べよう。うん。
「でも、とても美味しそうですね。ありがとうございます」
一瞬驚いたけれど、今となっては心の底からお礼が言いたい。やっぱり、腹が減ったら戦は出来ないものね! お腹に入るものの方が良いわぁ。私はすぐにそんな考えに戻る。ドレスやワンピースでは、お腹は膨れないもの。
「喜んでもらえて、よかったですよ。ちなみに、これは俺のおススメのお茶菓子の詰め合わせなので、期待してくれていいですよ」
「そうなのですね!」
それだけ返事をして、私はお茶菓子の詰め合わせをハリエットに手渡す。こっそりと「後で一緒に食べましょう」と耳打ちもしておいた。ハリエットはちょっと驚いたような表情をしていたけれど、すぐに「はい」と言って嬉しそうな表情を浮かべてくれる。やっぱり、美味しいものは大人数で食べた方が良いものね!
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