元女官、後宮で寛ぐ
☆☆
「え、えーっと……サマンサ様? それはいったい、何をされているのでしょうか……?」
「え? 何って、読書よ、読書。本を読んでいるのよ」
重苦しいドレスから動きやすいワンピースに着替えた後、私は部屋のソファーで寛ぎながら読みかけだった本を読んでいた。これは、一部では熱狂的なファンがいる作家さんの新作ミステリー小説である。私はこの作家さんが女官時代から大好きで、よく読む。読めば読むほど新しい発見があって、何度読んでも楽しめる作家さんなのだ。
「そ、そうでございますか……」
ハリエットが私の返答を聞いて戸惑ったような声を上げる。ちなみに、モナは部屋を掃除してくれていた。まぁ、二人が二人とも妃候補の側を離れるわけにはいかないものね。ハリエット私の側にいる。
(う~ん、普通の妃候補は自分磨きをするのよね。いつ王子様と出逢ってもいいように)
私はふとそんなことを思い出す。妃候補はとにかく自分を磨く。磨いて磨いて、十二の宝石階級を目指すのだ。……う~ん、でも私にそんなことは出来ないわね。だって、私の目標はスローライフもといニートライフだもの。王子様に気に入られてしまえば、その目標ははかなく散ってしまう。やっぱり、自分磨きは却下だわ。それに、あまり素材がよくないもの。
「ねぇ、ハリエット。訊きたいのだけれど、名もなき階級の妃候補が出来る趣味は何かないのかしら? ほら、料理とかガーデニングとか……」
私は小説にしおりを挟んで、ハリエットにそう尋ねる。名もなき階級では出来ることがかなり少ない。でも、さすがにこの部屋の中だけでずっと過ごすのは嫌だもの。庭にぐらいは、出たいわよね。……無理かしら?
「えーっと、お料理は無理ですが、ガーデニングならばできますよ。まぁ、場所が限られているのでちょっとだけ……みたいな感じになりますが」
「そうなのね。許可はいるのかしら?」
「いいえ、今の名もなき階級の妃候補たちは、ガーデニングには興味がないようで……。あまり使われておりませんから、使用許可は必要ありませんよ」
ハリエットのその言葉を聞いて、私は少しだけ嬉しくなる。ガーデニングが、出来るのね。だったら、外に出られるじゃない。さすがに後宮の外には出られないけれど、それでも庭に出られるだけマシだわ。今の名もなき階級の妃候補たちはバカなのかしら? 部屋に閉じこもっていたら、気が滅入っちゃうと思うのだけれど、私は。
「……じゃあ、ガーデニングでもしようかしら。どうせ暇だし。ニートライフを謳歌するにしても、部屋に中にずっといると気が滅入っちゃうのよ」
「……に、ニートライフ……?」
「えぇ、ニートライフ。あぁ、スローライフって言った方がいい? そっちの方が聞こえはいいわよね」
私のその言葉に、ハリエットは頭の上にはてなマークを浮かべている。あ、可愛らしい。そう思うと同時に、私は持ってきた鞄の中からガーデニングの本を取り出す。こういうこともあろうかと思ってきたのよ……家庭菜園の本を!
「……あ、あの、サマンサ様? 私の見間違いではなければ、それはガーデニングの本ではなく家庭菜園の本では……?」
「いいえ、ガーデニングよ。家庭菜園も一種のガーデニングじゃない」
だって、野菜にもお花が咲くものがあるじゃない。そもそも、お花って見ているだけじゃない。その点野菜だったらお花を見ることもできるし、最終的には食べられるのよ? 絶対にそっちの方がいいと思うのよ、私は。
「とりあえず、何を育てようかしら……? 苗とかは、王宮で手配してくれるのでしょう?」
「え、えぇ……多分」
今明らかにハリエットが視線を逸らしたわ。きっと、今まで後宮で家庭菜園を始めようとした妃候補がいなかったのね。うん、それはわかるわ。私だって、貴族の令嬢が後宮で家庭菜園をするとは思わないもの。でも、私は元冒険者の娘。メリットのある方を選ぶのよ。
「じゃあ、適当に付箋を貼っておくから、その苗をよろしく。……いい暇つぶしになりそうだわ」
私はそうつぶやいて家庭菜園の本をめくる。あ~、トマトいいなぁ。トウモロコシとかも魅力的。それに、どうせだったら生で美味しく食べられるものの方がいいわよね。どうにも、料理が出来ないらしいから。
「……この人、本当に妃候補なの……?」
ハリエットのそんな風な戸惑ったような声が聞こえてくる。ハリエットもきっと、私には聞こえていないのだろうと思っているのよね。まぁ、私にはばっちりと聞こえてしまいましたけれどね。まぁ、その戸惑ったような顔がとても可愛らしいので、聞こえていないふりをしておきますけれど。その横顔も滅茶苦茶可愛らしいのよね。ずっと眺めていたいぐらい。
(マクローリン伯爵家の品格を疑われそうだけれど……まぁ、いいや。私一人辛い目に遭うなんて不公平だものね。好き勝手させていただくわ)
そう心の中で零しながら、私は家庭菜園の本に視線を戻す。……今の季節からだったら、何がいいのだろうか? そんなことを思いながら、私はまた本を一ページめくったのだった。
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