第12話 私だけが知っている

 グラン龍興帝国。旧名グラン王国。今から4代前に改名。その頃からグランは軍事力をして世界各国を恫喝し、多くの国々を植民地化/併合してきた。その結果、残存する国は世界に4カ国だけとなり、グランは龍を5体も保有する世界最強の軍事大国へと登り詰めた。

 だがそんなグランから我が国は黄龍を奪った。それでもなお世界最強の軍事力を誇るグランではあるが、易々と1体の龍を奪われたことは実に屈辱的なことであり、これからユーマニとグランとの間には熾烈な争いが生まれることは不可避であった。


 世界に存在すると言われる10体の龍。金龍と銀龍という、龍のなかで最強クラスの龍2体はどこの国が保有するでもなく、この世界のどこかに眠っているとされている。しかしここ数百年間、この2体の龍は全く姿を見せていないため今ではその存在すら疑われている。

 黄龍。ユーマニがグランから奪った暴れ龍。ユーマニには龍使いがいないため使役されておらず、現在は結晶状態で幽閉されている。

 黒龍、赫龍、蒼龍、光龍。グランが保有する。このなかで光龍だけはその特徴が公にはほとんど知られていない。

 白龍、翠龍。ワインツ帝国が保有する。

 最後の1体はどこにいるのかも、またどんな姿をしているのかさえも定かではない。



 △△△



 黄龍の戦いから2ヶ月が過ぎた。

 あの日以来、不気味なほどに静かにしていたグランがようやく動き出そうとしていた。


「先刻、諜報部隊から報告があった」


 ダリアさんは言った。


「早ければ2日後、遅くとも1週間以内に、我が国は敵軍からの襲撃を受ける」


 ついにこの日がやってきたか。

 俺はこの2ヶ月の間に何度も、先手を仕掛けてグランを強襲するべきだと進言したが、ついには通らなかった。アウェー戦になると元々グランに劣る我々はいっそう厳しい戦いを強いられることは確かではあるが、だからこそ不意をつくべきだと思っていた。だがそう考える者は騎士団の中には俺くらいしかいなかった。

 戦ってみなければわからないが、2ヶ月間もの準備期間を相手に与えてしまったことは敗因に直結するだろう。これが杞憂で終わってくれればいいのだが、胸がざわつく。嫌な予感がする。


「黄龍の戦い以来、敵軍の動向を探りづらくなってしまったがために襲撃日を特定できたのが直前になってしまったが、この情報は確かだ。ついにこの日が来た。グランとの戦いに決着をつけ、龍の力に支配されたこの世界を終わらせる時が。皆、頼んだよ」

「「「はいっ!」」」


 ダリアさんはゆっくりと頷いてから続けた。


「ではここからは当日の動きについて説明する。まずはニシキからだ」

「はい」

「君の役割はむろん龍を倒すことだ。この戦いで龍が何体投入されるかは不明だが、少なくとも2体は投入されると見ている。そのうち1体は黒龍で間違いないが、そっちは『黒龍討伐部隊』に一任してある」


 黒龍討伐部隊。これは“前の俺”が死んだ後に結成された専門部隊だ。7人の火炎系魔法を得意とする中級魔法使いと1人の上級魔法使い、5人の中級剣術士から構成される。

 黒龍の繰り出す黒い炎は並大抵の者では防ぎ切れないが、火炎系魔法を得意とする者たちが束になって協力すれば抑えられる。そのため火炎系魔法の使い手が集められたわけだ。


「ということは、俺は黒龍以外の龍と戦うということですね」

「そうだ。君は黒龍以外の1体の龍を倒してくれればいい」

「1体ですか」

「ああ。もし3体、4体目の龍が来たら、それらは他の騎士たちが総出で倒しに行く。以前、君が黄龍を倒した時のようにすぐに君が龍を倒せたなら、そちらに加勢を頼む」

「承知しました。俺の役割は理解できました」


 重責だ。いくら黄龍をあっさりと倒せた実績があるとはいえ、これではあまりに俺の力に依存しすぎだと思う。それに、龍への認識が楽観的ではないか? 仮に龍が単独で行動するのならこの作戦は成功するかもしれないが、龍どうしが連携して動いたらあるいはどうなる?…


「ミア。君には龍ではなく、人と戦ってもらう。敵の大将カミラが転移魔法を自在に操れる以上、敵の実力者がいつどこに現れてもおかしくはない。したがって、君の部隊は周囲に最大限の注意を払いつつ、敵兵を見つけた際にはそいつらの無力化に勤めてもらう」

「はい」

「ミア、再びあの男と戦うことになったとき、君は勝てるか」


 あの男──河戸のことに違いない。


「勝てます。必ず勝ってみせます」

「そうか。君の言葉を信じよう」


 ミアは覚悟の顔だった。わずか2ヶ月で河戸との実力差を埋められたとは到底思えないが、それでもミアを信じるしかない。ミアなら差し違えてでも河戸を倒してくれるだろう。


「私とリリーは最終防衛線で敵を迎え撃つ。場合によっては私も最前線に出るが、それは最終手段だ」


 最終防衛線。これ以上攻め入れられたら我が国の敗北が決定する境界線。


「団長。リタさんは参戦しないのですか」

「いや、スフィアからは彼女だけ参加する。彼女にはその柔軟性を活かして苦戦を強いられているところに対応してもらうことになっている」

「なるほど」

「他に質問はあるか? なければ私からひとつ、言っておきたいことがある」


 ダリアさんは一呼吸置いてから続けた。


「今まで私は、己の命を最優先するように君たちに言ってきた。一聞しただけでは騎士の精神に反しているように聞こえるが、それは違う。君たちという逸材が命を落とすことこそ大きな損害であり、騎士本来の目的に悖るからだ。最大利益を求めるのなら、君たちの死はあり得なかった。だが、今作戦は違う。この戦いは、我が国の存亡を賭けた戦いになる。それと同時に、龍に呑まれた人間を龍から開放するための決戦となる。したがって、この戦いにおいては、君たちは命を投げ打つ覚悟で戦ってほしい」


 部屋の中には緊張した空気が張り詰めた。

 黄龍の戦いでは自分の判断で逃げてもいいと言われていた。だが今回は、何があっても逃げてはならない。いつかはこうなるとわかっていたが、いざそれを第三者の口から直接言われると、こう、胸にくるものがある。


「皆は今、絶望的な状況だと思うか? 私は思わない。なぜなら私は、我々の勝利を確信しているからだ。どんな犠牲を強いられようとも、我々は必ず勝利する」


 この発言は言霊によるものだろうか。それともダリアさんの本心だろうか。真意はわからないが、ダリアさんの自信に満ちた言葉は励ましになる。本当に勝てる気がする。


「今日の任はこれで終いだ。君たちは決戦に備えて英気を養っておくように」

「「「はっ!」」」



 △△△



 夕飯を食べ終えた。

 あと何回、ニシキ様やミア様と、同じ食卓を囲って同じご飯を食べられるだろう。あと何日、一緒にいられるだろう。

 今日からニシキ様たちの夜稽古はお休みだから、今頃ニシキ様は時間を持て余しているなだろうな… なら、少しだけ時間をもらっても、ばちは当たらないはず。


 ニシキ様の部屋をノックすると、中から声が聞こえた。


「はい」

「ニシキ様。リリーです。開けてもよろしいですか?」

「どうぞ」


 ニシキ様はベッドに座って剣の手入れをしていたらしい。


「今、すこしお時間ありますか?」

「あるよ」

「それなら、もしよろしければ、夜風に当たりに行きませんか?」

「うん。いいよ」


 やった!

 鼓動が高鳴っているのがよくわかる。ニシキ様には聞こえないよね?


 外はすっかり暗くなっていたけれど、ちょうど満月が出ていたから灯りのない路も足元はよく見えていた。


「本当に夜風が気持ち良いね」

「はい!」

「普段あまり夜は出歩かないから、知らなかった。もっと早くに知っておけばよかったよ」


 そう言って、ニシキ様は大きく息を吸った。私もそれに倣って大きく息を吸う。ひんやりとした空気が心地良い。


「ニシキ様は他の男性騎士の皆様が行かれるようなお店には行かれないのですか?」


 つい前から気になっていたことを質問してしまった。


「まぁね。あんまり興味もないし、夜は稽古の時間もあるから。あっ、そもそもそんなところに行く仲の知り合いもいないんだった」


 へへっと言いながら照れくさそうに笑うニシキ様。

 ニシキ様は真面目で、修業中はいつも真剣な眼差しをしている。だけど一緒にご飯を食べている時とかお話をしているときはこうやってやわらかい一面も見せてくれる。それをかわいいと思ってしまうのは、いけないこと、かな。


 噴水広場に出た。

 ここは私のお気に入りの場所。月の出る夜は特に好き。月の光が水面みなもに反射して、静かにキラキラと輝くから。それにやさしい水の音が調和して、とても心安らぐ。でも今日だけは、ドキドキして身体がちょっとだけ熱い。


「いいところだね」


 ニシキ様は噴水の縁に腰を下ろして、夜空を見上げながら言った。

 私もニシキ様の隣に座った。おしりから体温を奪われてちょっと冷たいけど、今はこうして座っていたい。


「ここは、私がこの街で一番好きな場所なんです」

「そうなんだ。もっと早く教えてくれればよかったのに。俺もここ、気に入ったよ」

「私も本当はもっと早く紹介したかったんですけど、なかなか言い出せなくて… ごめんなさい」

「あぁいや、謝るほどのことじゃないから気にしないで」

「はい…」


 それから沈黙が続いた。水の音だけが私たちの周りの世界を包んでいる。私はこの沈黙の時間が好き。叶うことなら、ずっと、このままでいたい。

 ニシキ様。ニシキ様にとって、私はどんな存在ですか? 私は、ニシキ様のことが好きです。

 私は幼い頃に両親を亡くしてからずっと、ダリアと出会ってからもずっと、ダリア以外の人と交流するのは苦手だった。けれど、ニシキ様だけは違った。

 ニシキ様とは会話をしていても嫌じゃなかった。最初はニシキ様を殺した罪悪感から、あるいは私に任された仕事の責任感から来ているのかもしれないと思ってた。けれど今は確かに、ニシキ様を心から好きだと言える。

 でも、この想いは私の中に閉じ込めておく。ニシキ様に伝えてはいけない。この感情を一方的に押し付けるのは私の傲慢だから。次の戦いできっと私は死ぬ。そしてニシキ様は生き残る。いえ、なんとしてでも生き残してみせる。だから、この想いを伝えてニシキ様の重荷にしてはならない。

 だけど、だけどせめて、に教えてもらったこの言葉を、伝えさせてほしい。


「今日は本当に、月が綺麗ですね」

「え……」


 私は精一杯、何気ない顔をしてやり過ごす。


「うん。そうだね。とても綺麗だ」


 ニシキ様はこの言葉の意味を知っている。ニシキ様は、私は知らないと思っている。でも私は知っている。

 私はニシキ様を、愛しています──

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