第4話 過去の自分と訣別を

「失礼いたします!」


 俺は声をいつもより少しだけ張り上げつつ深々とお辞儀をした。


「そんなに緊張しなくていい。そこにかけてくれ」

「失礼いたします」


 俺は部屋の中央のテーブルを囲うようにして置かれたソファに腰を下ろした。もちろん下座だ。


「今日君をここに呼んだのは、改めて君に頼み事をするためだ」

「頼み事ですか?」

「そうだ。だがその前に、まずは謝罪からだな」


 そう言うや否や、ダリアさんは俺のすぐ横に来て深々と頭を下げた。


「君をこの世界に呼び出すために君を殺すようリリーに命令したのは私だ。君はこうしてここに蘇ったとはいえ、元の人生を私は奪った。本当に申し訳ない」

「あっ、頭を上げてください!」


 俺はとっさに立ち上がった。


「昨日団長から頂戴した“前の俺”の本に書いてありました。今の俺が召喚されたのは、“前の俺”の意思だと」


 そう。“あの本”の「おわりに」では確かにそう書かれていた。『俺が死んだら次の俺を呼び出すように団長に頼んである。1人目の“俺”や今の俺がこの世界に召喚されたのは俺の意思ではないにせよ、次の“俺”をこの世界に呼ぶのは俺自身の意思だ。だから日本で死んだことを呪いたいなら俺を呪えばいい。そう言い残せるほどに俺はこの国を、騎士団のみんなを護りたいと思ったんだ。この本を読んでいる“俺”もまず間違いなくそう思うようになるだろう』


「確かに私は以前、君にそう言われたことがある。だが私にはわかるんだよ。君は優しい。君を殺害するという罪を、君は私から引き離そうとしてくれていたんだよ」


 そんなことを俺は本当に考えていたのだろうか。確かにそこまで考えていたのかもしれないが、この国のみんなを好きになり、身を挺してまで護りたいと思うようになったのもまた事実だろう。


「確かにその可能性はあります。ですが、俺はリリーに殺されたことを恨んではいませんし、今はむしろ僥倖だったとさえ感じています。元の世界にいたときの俺は死んだように生きていただけでしたから。誰かに期待されるでもなく、自分の意思なくただなんとなく学校へ通い、自堕落な生活を送っていたんです。でも、ここは違います。俺を必要としてくれている人がすぐ近くにいる。俺が命を賭してでも護りたいと思える人がたくさんいる。俺はこの世界で生きたいと、心の底から思えるんです」


 そう。俺はこの世界で人生をやり直すのだ。どこかで曲がってしまった人生を、どこかで踏み間違えてしまった人生を、ここで。


「そうか… 以前の君も確か似たようなことを言っていた。『役割があるのは幸せだ』と」

「はい。それは本心です」


 やはり、“俺”は紛うことなく俺なのだ。


「ですから、もうダリアさんが頭を下げる必要はありません」

「わかった。君がそう言うのなら、もう何も言うまい… では君に、改めて頼み事の話をしよう」

「はい」

「単刀直入に言えば、騎士団に入団してほしいということだ。君は今すでに騎士団員ということになってはいるが、それは“前の君”だ。だから改めて、君に入団をお願いしたい」

「それなら答えはもちろん──」


 俺はYesと答えようとしたが、遮られた。


「君は『はい』と答えるつもりだろう。でももう一度ちゃんと考えてほしい。君の仕事は、『龍を殺すこと』だ。以前の君は黒龍と呼ばれる敵国グランが使役する龍によって殺された。黒龍はこの世界に10体いると云われる龍の中で弱くもないが最強格というわけでもない。そんな龍との戦いで君は命を落とした。我が国は全ての龍を討伐することを国是としている以上、今後はもっと多くの龍と戦うことになる。つまり、君はまず間違いなくこれから龍との戦いで死ぬ」


 そうだ。騎士団の中で俺だけが唯一、龍に敗北してもなおここにいるのだ。

 死ななければ負けと決まったわけではない。龍を倒せなかったとしても、生きて帰れば少なくとも負けではないのだ。負けなかったからこそ次がある。でも“俺”は、龍に殺された。つまり敗北したのだ。そんな俺が再び龍に挑んだところで、死ぬに決まっている。人は劇的に変わることなどできないのだから。

 でも俺は、この国のために生きると決めたんだ。ならば俺のすべきことは決まっている。


「承知しています。ですが俺は、龍と戦います」


 数秒もの間、ダリアさんは俺を見つめた。


「…わかった。命を賭ける覚悟ができている者にこれ以上物言うのは野暮というものだ。君の入団を心から歓迎する。だがこれだけは言っておく。君は、君の命の価値をちゃんと知っておくべきだ。君は自分が死んだとしても、新たに別の世界から“君”を召喚すれば、それで穴埋めができると思っているんだろう? 確かにそれは事実だ。でもなぁ、それは君が蘇るわけではないんだ。君自身が息絶えて消えてしまうこともまた事実なんだよ。見た目も声も能力も全て君と同じ新しい“君”が現れても、それは君ではない。この当たり前の事実を、この事実が意味することを、君はもっと深く考えるべきだ」

「はい…」


 ダリアさんの言いたいことはなんとなくわかる。でも、例えば俺とリリーの命のどちらかしか助けられない状況になったとして、どちらの命を助けるのが正解か。答えはもちろんリリーを選ぶほうだ。俺が死んだって、また別の世界から呼び戻せる。でもリリーが死んだらどうしようもない。この世界に蘇りの魔法はないようだし、リリーの代わりはいないのだから。ほら、俺のほうが命の価値なんて軽いではないか。


「では明日からの話をしよう。明日から君には修業をしてもらう。君の身体は以前の君を引き継いでいるから大抵のことは身体が覚えているはずだ。だが脳は憶えていないようだから、まずは“思い出す”ことから始めよう。それからはひたすら稽古だ。いいね」

「はい」

「午前は剣術、午後は魔法の修業だ。剣術に関してはミアが稽古をつけることになっているから、隣人同士仲良くやってくれ」


 げ… ミアは嫌だなぁ…


「そんな顔をするな。今はすこし君に強くあたっているかもしれないが、本当は彼女はとても良い子なんだ。だからそんなに嫌わないであげてくれ」

「はい…」


 いかん、露骨に嫌な顔をしてしまった。次からは気をつけよう。


「仔細はリリーに任せてあるからあとは彼女に訊いてくれ」

「はい」

「ではあらためて、騎士団への入団を心より歓迎する」


 そう言ってダリアさんは手を差し出した。俺も続いて手を差し出し、握手を結んだ。世界一の剣士に相応しい、俺よりも硬く傷だらけの手であったが、そこからは不思議と優しい温もりを感じた。



 △△△



 ニシキが出て行ったのを確認してから、椅子にずしりと身体を預けてゆっくりと息を吐いた。


 余計なことを喋り過ぎたかもしれない。彼はきっと、昨日の時点で騎士として生きていく覚悟ができていただろうに。随分と愚かなことを口走ってしまった。

 私ももう歳なのかもしれないな。今年で33歳。騎士団長の座についてもう5年も経つのか… 世間的にも肉体的にもまだ若いとされる年齢ではあるが、私の精神はもうかなり歳を食ってしまったみたいだ。

 こんな立場にいる私は、部下の命も自分の命も使い捨ての駒として王に仕える覚悟を持たねばならないというのに、最近は部下の、特にリリーやミア、ニシキたちの命が愛おしくて仕方なくなってしまった。彼女たちには死んでほしくないという想いが日増しに膨れ上がっている。これまで夥しい数の命を屠ってきた私が、そんなことを願う資格なんぞないだろうに。


 私は幼い頃から戦闘における才能があった。物心ついた時からやっていた剣術の稽古では、12歳にして大人と混じって鍛錬していた。魔法学校に通っていた頃も常に首席で、文武魔法いずれもできた私は当然の如く騎士団に入団した。

 18歳で魔法学校を卒業し、そのまま騎士団に入団。騎士団では着々と戦果を挙げ、前任の団長が殉職した際に私は後継として騎士団長に選ばれた。28歳の時だ。28歳の団長というのは最年少記録を大幅に更新するものだったのだが、私は世間からも王からも信頼されていたため不安視されることはなかった。むしろ期待されていた。

 私は仕事に勤しみ、みなの期待に応え続けた。だが入団してからみなの期待に応え続けること13年、ついに転機が訪れた。ニシキの死だ。

 初めてこの地に召喚されたニシキを、私はたった1年で死なせてしまった。入団以来、初めての失態だった。これは周りからは失態として認識されてこそいないが、私の中では初めての失態だった。

 このとき私は初めて、仲間の死に胸がひどく締め付けられる経験をした。それまでも数多くの仲間の死を見送ってきてはいたが、一匹狼だった私にとってそれらはどこか他人事だった。でもあの時、この世界の言葉を喋れるようになる前からずっと一緒だったニシキが遺体として私の前に戻ったとき、私は理解した。命の重みを。大切なものを失う哀しみを。

 それから私は以前よりもまして、仕事に励んだ。2人目のニシキとも少し距離をおいた。これ以上、情が湧かないように。自分に厳しくなれるように。大切なものを二度と失わないために。


 いつだって世界は残酷だ。あんなに努力したのに、護ると決めていたのに、結局はニシキを護ることなんてできなかった。むしろ我々がニシキに護られた。

 私では駄目なのか? 私はどんなに努力しても護りたいものを護ることはできないのか? それともこれが運命か。

 仮にこれが運命だったとしても、私がやることはただひとつだ。もう二度と、大切なものを失わないように鍛錬する。それだけだ。

 私は部屋に立て掛けてある大剣を手に取り、訓練所へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る