第3話 おはよう、こんにちは

「…! …様! ニシキ様! 起きてください! 朝ですよ!」


 俺は眠い目を擦りながらゆっくりと身体を起こした。


「あれ? 俺のスマホどこ…」

「寝ぼけてますか?」

「え? あぁ… うん。おはよう」

「おはようございます!」


 そうだった。俺はもう地球にはいないのだった。というかリリーは朝起こしに来てくれるのか。なんて素晴らしい。ただ… 不意に思い出してしまった「もう地球には二度と帰れない」という事実に、少しだけ胸が苦しい。

 ここでくよくよしていたってどうにもならない。そう言い聞かせながら、俺は部屋に備わった洗面台で顔をバシャバシャと洗った。


「あの!」

「?」

「その… これからずっと、お食事をご一緒させていただいてもよろしいのでしょうか?」


 「これからずっと」!? なんか遠回しなプロポーズっぽい言い回しで恥ずかしい台詞だな… いやそんなふうに考えるのは気持ち悪いか? ここは平常心を装って普通に答えておこう。


「もちろん」

「ありがとうございます! では私は朝食をお持ちしますね」

「いいよ。俺も取りに行くから」



 俺とリリーは部屋を出て階段を下った。

 ここダリア寮は小さなホテルのような造りになっていて、2階に“ダリア組”(注: ダリア、リリー、ニシキ、ミアの4人のこと)各々の部屋、1階に居間や台所、トイレ、使用人さんの部屋がある。

 基本的には部屋で食事を摂るようなので使用人さんが用意してくれた食事を都度取りに行かなくてはならない。使用人さんが運んでくれればいいのにとは思ったが、「料理と来訪者とのやりとり以外は自分たちで行う」がダリアさんの方針らしいから仕方ない。このだだっ広い寮の掃除も俺たち4人でやらなければならないのは少々面倒だけど。


 1階に降りると、会いたくない人とばったり会ってしまった。

 もちろんミアだ。


「あっ、おはよう」

「おはようございます!」

「……」


 俺とリリーの挨拶をご丁寧にも無視するミア。


「何か用?」

「朝食を受け取りに来ただけなんだけど、ミアは何やってんの?」

「アンタとおんなじ」


 そーですか。


「ミア様は今日も剣士隊の皆様とお稽古ですか?」


 話しかけるリリー。


「あんたには関係ないでしょ」


 ぶっきらぼうに答えるミアに何か言いたげなリリーであったが、ちょうどそこへ使用人さんが配膳車を押しながらやって来た。


「お待たせして申し訳ございません。本日の朝食になります」


 そこには4人分のステーキ定食のような食事が載っていた。

 朝からステーキ!?


「ありがとう。今日も美味しそうね」


 そう言ったのは意外にもミアだ。案外まともに喋れるらしい。

 ミアは俺とリリーにだけ特に強くあたっているのがよくわかった。いや、俺がいるからリリーにも強くあたっているのだろうか。


「あんたには心優しいこの私が食べ物を恵んであげるわ」


 ミアはそう言って俺のお皿に茶色いブヨッした楕円形の何かを載せた。


「ミア様! 好き嫌いは──」


 すぐさまミアに声を上げるリリーであったが、


「これは好き嫌いじゃないわ。私の好意よ」


 そう言ってミアは足早に2階にかけて行った。

 それから俺とリリーも部屋に戻って朝食を食べることにした。



「リリー、これって何なの?」


 俺はミアにもらった茶色い何かをナイフでつつきながらリリーに訊いた。


「それはミドリゴケグモのお腹のソテーだと思います。栄養豊富な上にとっても美味しい料理なのですが、ミア様は苦手みたいです。ミア様は好き嫌いが激しくて前に団長に怒られていたくらいなんですよ」

「これって… 蜘蛛なの?」

「はい。ニシキ様も苦手ですか?」

「へ、へぇぇ… 苦手かどうかは、わからない… かなぁ…」


 俺は虫が大嫌いだ。蜘蛛は昆虫ではないけど蜘蛛も嫌いだ。

 昨日の夜はシチューとパンだったし、朝食もステーキだから(朝からステーキなのはさておき)異世界の料理も地球と同じなんだなとか思っていたのに! 僕は普通の添え物ですよみたいな顔したこいつがゲテモノだったなんて…


「ちなみにこのステーキは何の肉なの?」


 俺は恐る恐る訊いた。


「それは牛の肉です」


 そこは普通なのね。


「へぇ… ところでいつも朝からこんなにガッツリ食べるの?」

「はい! これも団長の方針です。朝からたっぷり栄養を摂ることが大事なのだとおっしゃっていました」


 なるほど。理に適っている。

 地球にいた頃の朝食は牛乳とバナナくらいだったからこんなに食べるのは大変だが、ダリアさんの方針ということなら仕方ない。残さず食べよう。

 俺はステーキをガツガツと食べつつ、ぶちゅっと気持ちの悪い食感だが味は意外にも悪くない“茶色のそれ”を、噛み締めないように無理やり喉に流し込んだ。


 食事を終えた頃、時計に目を向けると時刻はまだ6:30前だった。こんなに早起きしたのは数年ぶりな気がする。早起きは案外良いものだ。でも毎日続くのだろうか。それは流石にキツい。


「朝はいつもこんなに早く起きるの?」

「はい。一般の騎士団員の皆さんは6:00起きということになっています。7:00には朝稽古が始まるのでもうすぐミア様も出発されると思います」


 あんな性格だけど、やはりミアはちゃんとした騎士なのだと実感する。


「団長ももうお目覚めで? 起きてる気配しないけど」

「え! …っと」

「?」

「団長は、そ、そうです! いつも夜遅くまで仕事をなさっているので、まだこの時間はお休みになってます!」

「そうなんだ」


 リリーが若干挙動不審な素振りを見せたのは気がかりだが、事実なのだろう。


「ニシキ様は今日は18:00から団長との面会があります。それまでは自由に過ごしていいとのことなのですが、ぜひ一度、街をご覧になっていきませんか?」

「うん。案内よろしく」



 7:00になった。なんでも朝市があるそうだから、こんなに朝早くから街ブラするんだとか。

 それは別に良いのだが、なぜか寮の外で待つようにリリーにお願いされた。本当になぜだろう。朝日がちょっと暑いのだが。



 △△△



「起きて! ダリア! もう7:00よ!」

「ふぁい?」

「もう7:00だって!」

「あとすこし寝かせて… もう起きるから」

「ダメよ! この前だってそう言って30分も寝てたじゃない!」

「わぁってる」


 あぁもうだめだこの人!

 世界一の剣王ダリア。世界最強の女ダリア。聖剣術士と永世上級剣術士の両称号を持つ唯一無二の天才ダリア。若くして実績も積んで、最年少で騎士団長の座に上りつめた紛うことなきエリートのダリアだけど、その本性はただの寝坊助!


「ダリア。ニシキ様に寝坊助だと悟られないように、今日からはちゃんと朝早く起きるんじゃなかったの?」

「う〜ん」


 はぁ…

 ダリアが寝坊助だと知っているのはこの寮に住む私とミア様、それと使用人の3人だけ。前のニシキ様も知っていたけれど、今はもういない。それをいいことに昨晩は「明日からちゃんとする」って言っていたのに、この人ったら…

 どうすればなおるんだろう。寝坊助なところ以外は完璧なのに。


「あと10秒以内に起きないようなら、いますぐニシキ様をここに呼ぶからね!」

「やめ…」

「10、9、8、7、6、」


 5秒を数える前に、ダリアはガバッと起きた。


「わかったよ。もう起きたから。行っていいぞ。これから街散策なんだろ?」

「いいえ。ダリアが朝食を取ってくるまでは行かないからね」

「私も信用されていないな。これでも騎士団長なんだけど」

「騎士団長なのに寝坊助なのが悪いの」


 ダリアは気怠そうに身体を起こし、顔を洗って軽く髪を整えてから部屋を出た。

 こんな姿ニシキ様に見せられないよ…

 私はどうしたら良いのだろう。



 △△△



「お待たせしました!」


 リリーがかけて来た。


「うん」


 なんで外で待つ必要があったのが訊きたかったけど、リリーのほうから言ってこないということはきっと言い出しにくい事情なのだろうから訊くのはやめておこう。


「では早速、朝市の方から回りましょうか」

「よろしく」



 それから俺たちは様々なところを練り歩いた。朝市、露店街、噴水広場、魔道具店、魔法学校、大浴場施設、等。騎士団員たちの稽古場も見て回った。

 最も印象的だったのはまたしてもミアだ。ミアが剣士隊員数十名を一方的にボコボコにしている稽古場というかいじめ現場を見た時は流石に度肝を抜いた。でもなんだかミアは楽しそうだったので、あそこでストレスを発散してくれているのならそれで助かると思ってしまった。騎士団の皆さん、お疲れ様です。合掌。


 そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、いよいよダリアさんと会う時間となった。俺が異世界に来て最初に言葉を交わしたのがダリアさんだったが、それから全く顔すら合わせていないので緊張する。

 リリーがダリアさんの執務室の扉を3回ノックして俺が来たことを伝えた。


「ダリア団長。ニシキ様をお連れしました」


 数秒後、中から「入れ」との応答があり、俺はダリアさんの執務室に足を踏み入れた。

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