第2話 また会えたのに

 時計は19:00を回っていた。

 この世界の時計も地球のそれと全く同じなので何か作為的なものを感じるが、その理由は考えてわかるはずもないので今は考えないでおこう。

 リリーが部屋を出て数分経ったたところでノックが聞こえた。


「どうぞ」


 リリーがお盆を抱えて戻ってきた。

 部屋にシチューの香りが漂ってきた。


「今晩はシチューです。おかわりもありますから、必要でしたらお声かけくださいね」


 異世界初の食事は何の変哲もないシチューとパンのようだ。少し肩透かしというかなんというか…


「では私は外で待機しておりますので、ここで失礼いたします」

「リリーは食べないの?」

「私はこの後いただきますので、心配されなくても大丈夫ですよ」

「そうか」


 そうなのか。多分そうなんじゃないかとは思っていたけど、やはり俺は一人で食べるらしい。

 リリーの仕事はおそらく執事のようなものなのだろう。であれば主人にあたる俺と食事を一緒に摂らないのは当然だ。だが…


「できればでいいんだけど、せっかくだし一緒に食べない?」


 …あれ? このセリフってもしかしなくとも恥ずかしいやつでは? てか「せっかく」ってなんだし。急に恥ずかしくなってきた。


「あっ、いやっ、変な意味とかじゃなくてね。俺が食事を終えるのを外で待たせるのも嫌だし、複数人で食べたほうがご飯は美味しく感じるし…」


 あぁ、こんなことで慌てちゃってめちゃくちゃダサいな俺… 異世界でも童貞のままだなこれは。


「よろしいのですか?」

「え、うん。もちろん」

「承知しました。では、私の食事も持って来ますね!」


 一礼して部屋を出たリリーだが、1分も経たないうちに戻ってきた。やけに早い気もするが、それは俺を待たせないようにするための配慮なのだろう。気の利く人だ。


「お待たせしました」

「じゃあいただこうか」

「はい!」


 リリーの笑顔が眩しい。こんなに可愛らしい娘と一緒に食事を摂る機会なんて今までの人生でなかったけど、不思議と気持ちは落ち着いていられた。


 食事を終えてリリーが食器を下げようとした時、来訪者が現れた。

 ノックの音が2回聞こえるや否や、


「いるんでしょ? 入るわよ!」


 そう言って返事よりも前に扉をうるさく開けたのは銀髪セミロングの女の子だった。これまた引き締まった筋肉質な身体をしている。正直言って見た目はめちゃくちゃタイプだ。

 リリーはわかりやすく嫌そうな顔をしているが苦手なのだろうか。

 その女の子は俺たちの様子を見て言った。


「ふーん。アンタたちもう仲良くなったんだ」

「は、はい…」


 リリーが小さく返事した。


「そ。で、アンタは私のこと全く覚えてないわけ?」


 ずんずんとその女の子は俺との距離を詰めてきた。


「はい。すみません... えっと、俺は君島ニシキと申します」

「そんなこと知ってるに決まってるじゃない!」


 そうだろうけど、一応“初対面”なことくらいあなたも承知でしょうに。


「えっと… あなたは?」

「あら? “あの紙”には書かれてなかったの? ふーん。使えないわねアイツも」


 いや書いてあったとも! 言い方がとても腹立たしい。

 この人は多分、騎士団特殊部隊長のミアだ。気性は荒いが剣術の腕前は超一流の逸材らしい。ダリアさんの次に強いんだとかなんとか。“前の俺”によればダリア団長は世界最強の剣術士として世界に名を轟かせているらしいから、それが本当ならこの人は世界2位の実力者なのかもしれないということだ。恐ろしい。“あの本”に書いてあった通り敵に回さないように、神経を逆撫でしないように丁寧に接するのが吉と出よう。


「私はミア。ミア・シェリンガムよ。剣術の腕を見込まれてあのダリア団長直々に騎士団に抜擢されたの。つまりはすごいってこと。アンタのほうが私よりも1ヶ月だけ先に入団したみたいだけど、記憶がないようじゃ私がアンタの先輩ってことで良いわよね?」

「えっと… はい」

「そう。ならこれからアンタは私の部下。ミア様と呼びなさい!」

「し、承知しました...」


 なんだこの娘! なんかこう、すごくむしゃくしゃする! でも言い返せない自分が情けねぇ… 見てくれはいいけど、俺にMっ気はないからこんなので興奮はしないしとにかく腹立たしい。でも敵に回すのはごめんだ。


「ちょっと待ってください!」


 リリーが声を上げた。


「何よ」

「それはいけません! ミア様は確かに私の上官にあたりますけど、ニシキ様は違いますし団長特別補佐なのでミア様より下の立場になる謂れはありません!」


 よく言ってくれたリリー!


「あのねぇリリー。アンタがコイツのことをどう思ってんのか知んないけど、こっちは実務の話をしてるの。わかる? 何も知らないアイツが私に先輩風を吹かそうものなら私の、いえ私たちの士気がどれだけ下がるかアンタにはわからないでしょ? わからないなら余計な口出ししないでよね!」

「ニシキ様はそのようなことはしません。そもそもミア様は、ニシキ様を部下としていいとの許可を、団長からいただいているのですか?」


 毅然とした態度をとるリリー。奥手な人間に見えたけど、物言うことはできるらしい。俺なんかよりもずっとちゃんとしている。


「…ちっ」


 舌打ちした! 本当に気性の荒い人だな。


「はぁあ。やーめた。わかったわよ。今まで通り普通でいいわ」


 よくわかんないけど、とりあえず俺はミアの部下ってことにはならなかったらしい。


「ただし…」


 ただし?


「舐めた態度とったら殺すから」


 鋭い目つきで物騒なことを言い残してから、ミアは部屋から出て行った。

 あんなにきつい性格の女の子と話したのは初めてだし、正直めちゃめちゃ怖かった。


「ミアっていつもなの?」

「はい… 少し乱暴な性格で、ニシキ様には特別強くあたるのです。おそらく、ミア様がニシキ様に試合で負けたことが原因です」

「試合に負けた?」

「はい。ミア様は正式に入団なさってからここダリア寮に住むことになったのですが、その時にニシキ様と一悶着あったんです」


 一通り“あの本”には目を通し終えたがそんなこと書いてなかったぞ。“俺”も大概だな... いやまぁしょうがないかもしれんが。


「ここニシキ様の部屋は団長の隣の部屋なのですが」


 そうなの!?


「この部屋を譲れと、ミア様がニシキ様に詰め寄ったんです。ですがニシキ様はそれをお断りになられてミア様は団長に直談判したんです。そうしたら団長は『ミアとニシキのどっちが強いか比べたかったからちょうどいい』とおっしゃられて、ミア様が試合でニシキ様に勝てれば部屋を交換することになったんです」

「それで俺が勝ってしまったと」

「はい。最初に行った剣術だけの試合では開始数秒でニシキ様が負けたのですが」


 俺弱すぎでしょ! いや、この場合ミアが強いだけか?


「次に行われた魔法ありの試合ではニシキ様が圧勝されたのです」

「そうかそれで… ところでリリーはミアの部下でもあるの?」

「はい。私は団長とニシキ様、ミア様の部下です。本当はミア様の部下ではないのですが、団長から『ミアの世話もしてくれ』と言付かっていますので実質部下ということになっています」

「あっ、じゃあ俺がずっとリリーを引き留めたり一緒にご飯食べたりしたのって、実は良くないんじゃ…」

「その辺は大丈夫です! 団長からは『私のことはいいから』と常時ニシキ様に仕えるように命じられていますし、ミア様には何かあったら手伝う程度で良いことになっていますから」

「そうか。それならよかった」


 リリーはハッとした様子で付け加えた。


「ミア様は普段からあんな感じですけど、本当はとっても心の優しいお方ですから、嫌いにならないでくださいね」


 リリーは満面の笑みをつくった。


 こうして異世界一日目は幕を閉じた。

 俺がアニメやラノベで見た異世界系の主人公たちは異世界への順応が早すぎて気持ち悪いなと思ったことが何度もあったけど、実際に経験してみると意外とそんなもんなのだなと感じた。もちろん最初は疑心暗鬼だったけど、俺の場合、“前の俺”が遺してくれた本がとても助かった。あれがなかったら今頃どうなっていたことやら。

 明日はリリーがこの街を案内してくれるそうだから楽しみだ。

 俺は明日のことを心待ちにしながらゆっくりと瞼を閉じた。

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