第1話 再び舞い降りる
「うわああああ!!!!!」
俺は胸から生温かい血が滲み出ていくのを感じながらガバッと目覚めた。
心臓がバクバクいっているのを鼓膜でしっかりと感じる。怖い。とても怖い。
そっと胸に手を当てると、刺されたはずの俺の胸はいつも通りそこにあった。まるで心臓を刺されたのが嘘であるかのように。
……あれ? 胸には包帯すら巻かれておらず、傷もなさそうだった。それになんだか自分の身体が自分のものではないように感じる。前より筋肉がガッチリしているのだ。
そして自分が病室でもなんでもない、古びた造りの部屋にいることに気がついた。
「大丈夫か?」
ベッドの傍に座っていた赤茶髪の女性が俺に声をかけてきた。知らない女性だ。
「はい!」
急に話しかけられたのでつい大きな声を出してしまった。
!? というか俺は今、何語を喋ったんだ? そもそも相手は何語だった? 日本語でも英語でもない何らかの言語で自然とやりとりした自分に驚いた。
「私はダリア。君島ニシキ、君の上官にあたる」
俺の名前を知っている? 上官?
というかやはり知らない言語を喋っているようだが、俺はその言語をなぜか知っている。不思議な感覚だ。
「君にとっては何が何だかよくわからないだろうが、これを読めばわかるだろう。目を通しておくように」
そう言ってダリアさんは本、というか紙の束を俺に渡した。
「何かあったら部屋の外に待機させている私の部下を使ってくれ。私は仕事があるのでこれで失礼する」
そう言い残してダリアさんは部屋を出て行った。
それにしてもダリアさんはとても美しい人だった。切長の目の奥から覗かせる深緑色の瞳からは独特な優しさを感じた。そして鍛え上げられた筋肉質な肉体美はとても美しいものだった。
ダリアさんから受け取った本は日本語で横書きで書かれており、冒頭には「次の俺へ」と記されていた。
とりあえず「はじめに」の部分に目を通したのだが、要約すると次のようである。
まず、俺は異世界に召喚された。きっかけはこの世界にいた“前の俺”が死に、渋谷であの金髪の女の子(名をリリーという)が俺を殺したことである。
“前の俺”によると、地球の存在する宇宙空間はパラレルワールドとして無数に存在するという。そして俺が元いた宇宙ではない宇宙、つまり“前の俺”が存在していた宇宙でもまたリリーは“前の俺”を殺し、この世界に“前の俺”を召喚したのだという。同時に複数人の異世界人を召喚することはできないため、“俺”がこの世界で死ぬたびにまた別の宇宙から“俺”を召喚するのだという。なぜ俺にこだわるのかはここでは詳らかにされていなかったが、どうやら俺が召喚時に獲得する固有能力が強力なものだかららしい。
この世界にいる俺は“前の俺”の肉体を継承している。この世界で死んだ“前の俺”に新しい俺の魂が憑依したということだ。“前の俺”はこの世界で少なくとも3年間、この国(ユーマニ王国)の騎士として生きていたようであり、また“前の俺”がこの世界に召喚されたのも20歳の12月ということだから身体的には俺は23歳以上ということになる。
これでようやく納得がいった。謎に筋肉質な身体つきになっていたのは、この身体が“前の俺”のものだったからだ。この世界の言葉を喋れるのも、きっと同じ理屈なのだろう。
この本に書かれていた内容は信じ難いものではあったが、おそらくは事実だ。この本の文体はまさに俺のものであると断言できるし、たしかにあのとき渋谷で刺されて死んだはずの俺は、傷一つなく今ここで生きているからだ。
だがこれが事実だったとして、全くもって迷惑な話だ。俺はこの異世界人たちの都合で一方的に殺された挙句、この国のために騎士団に入団しなければならないというのだ。つまり、勝手に殺されたうえに名前も顔も知らない王様のために命を賭けなければならないのだ。仮に騎士団への入団を断ったとしたら俺の命はない。俺がここで断れば俺は直ちに殺され、騎士団はまた別の宇宙から“別の俺”を連れてくればいいわけだからだ。最悪の気分だ。拒否権はないってわけだ。この世界に召喚される“俺”はこれで3人目とのことだが、これが事実であるかは“前の俺”にさえわかるはずもない。もしかしたら数十人、いや数百人の“俺”がこの世界で死んでいるかもしれない。
いや、それは少々悲観的すぎるか。“前の俺”がどこまで俺と同じ考えを持っていたのかは定かではないが、少なくとも“前の俺”はここの者たちを、この国を信頼しているようだからだ。それに、もしこの国が一方的に“俺”に苦役を強いていたとするなら、日本語で書かれた“俺にしか読めない”だろうこの本にそれが書かれているはずだ。だが「はじめに」でそんなことは書かれていないし、これから書かれる気配もない。もっと言えば、“俺にしか読めない”このような本を俺に渡してくれている時点で、ある程度は俺に配慮してくれているのだろう… 信じていいのか?
そもそも俺にとってこの話は本当に「迷惑な話」なのか? 地球に未練がないと言えば嘘になるが、今後の人生には何も期待していなかったではないか。異世界転生したいなんて考えるほどに。
であるならば、この異世界召喚は僥倖なのかもしれない。俺の能力は強力だって書いてあったし。そうだ、俺は幸運にも第二の人生を歩むことができるのだ! そしてこんな俺にも誰かの役に立てると言うのなら、その期待に応えようではないか。
本を読み進めていると、ふとさっきダリアさんが部屋の外に部下を待機させていると言っていたことを思い出した。
特に用があるわけでもないが、何も言わずにずっと待たせているのも悪いからちょっと声をかけてみよう。
扉を開けると、すぐ傍に金髪の女の子が立っていた。俺を殺した女の子リリーだ。
「うわっ!」
彼女に刺されたことを思い出し、つい大声をあげてしまった。
「あっ、あの…」
彼女も急な俺の登場に驚いたようで、あたふたしている。
「えっと、私、団長の言いつけでここで待機しています、リリーと申します!」
声を張り上げるリリー。
「君島ニシキです。よろしくお願いします」
「はい…」
リリーはどこか悲しげな顔で答えた。そして、
「申し訳ございません!」
と急に頭を深く下げたリリー。
「私たちの、いえ、私の勝手な都合で私はニシキ様をナイフで刺し殺してこの世界にお呼びしました! 死ぬということがどれほどつらく苦しいものであるか… きっとその苦しみは、想像を絶するものでしょう」
リリーは今にも泣き出しそうな顔で、必死に、早口で俺に語りかけてきた。
「ですが! どうしてもニシキ様でなければならないのです! ニシキ様の人生を奪った私が、ここでお願いするのは厚かましいことこの上ないことは百も承知です! ですが! ですがどうか! この国のために、ニシキ様のお力をお貸しください!」
俺は何を言ったらいいのかよくわからず、黙ってしまった。
そうしてできた嫌な間を埋めように、リリーは話を続けた。
「ニシキ様がお望みであれば、私の首を差し出します。いえ… 私の首ひとつで足りないとおっしゃるのなら…」
首!? どうしてそんな話になる。
「いえ! そんなことは望みません。俺は、俺にできることならなんでもします」
そう、これでいいのだ。俺はここで生きていくと決めたのだから。
「ですから、頭を上げてください。俺は気にしていませんから」
「ありがとうございます…」
リリーは泣いていた。大きな目から溢れる涙に、俺もつられて泣きそうになる。
「あの… 座りますか? 部屋に椅子があるので。ずっと外で待機していただいているのも申し訳ないですし」
「そ、そのようなお気遣いは…」
そう言うリリーだったが、ハッとした様子で言葉を続けた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
涙を拭いながら精一杯の笑顔で答えるリリー。
だがその表情からはどこか悲しげなものを感じた。
△△△
ニシキ様はやはりニシキ様なのだと思った。
前のニシキ様も私を罰しようとはしなかった。それどころか、いつも優しく接してくれた。こんな私のことを。
さっきはいきなりニシキ様が部屋から出てきてびっくりしたけど、あれは私を気遣ってのことだった。ニシキ様は顔も知らない誰かのために気遣える人なのだ。そんなニシキ様は本当に素晴らしいお人柄だと思う。けれど、私は少しだけ悲しい。私は…
私は、ニシキ様のために生きよう。そこに私情はいらない。ニシキ様が私たちに向けてくださった慈悲に、一生をかけて報いるのだ。
「ニシキ様。お腹は空きませんか?」
「あっ、空いてます」
「では夕飯をお持ちしますね」
「お願いします」
「その前に1つよろしいですか?」
「なんでしょう」
「私はニシキ様の部下ですので、どうか、敬語ではなく普通にお話ししてはいただけませんか?」
「あっ、えっと… はい。じゃなくて、うん」
ニシキ様は少し戸惑った様子だ。前のニシキ様もはじめはそうだったっけ。
「ちなみに俺の部下ってどれくらいいるの?」
「私だけです。ニシキ様は団長特別補佐という特殊な立場ですので、上下関係があまりありません。ですので、上官はダリア団長だけですし、部下も私だけです」
「なるほど」
「ですが、一般の団員の皆様はニシキ様を上官のように扱っていらっしゃいますよ」
「そうなんだ… リリーの役職はなんなの?」
「私もニシキ様と同じ団長特別補佐です」
「同じなんだ… じゃあ入団したのが前の俺よりも後ってこと?」
「いえ、私は6年前からこの役職です」
「ってことはリリーは俺の先輩?」
「はいっ!」
「えっ! じゃあ敬語使わなきゃダメなのでは! それとも新手の新人いびりですかこれ!?」
「ふふっ… なんですかそれ。ダリア団長の指示で私はニシキ様の部下なんです」
似たようなやりとりを前のニシキ様ともしたことがある。
こうして話しているとますますニシキ様はニシキ様なのだと実感するけど、私と同じ時間を過ごしたあのニシキ様ではないのだと思うと、複雑な想いになる。
「では、夕飯を取って参りますね」
私はニシキ様の部屋を出た。
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