貴族って嫌な人が多いです!よね?

「貴族、とはヘレナさんが嫁いだ先の?」


僕は話を続けるよう促すが彼女の表情には重たい影が差したままで、しばらくの間沈黙が僕らの前に落ちる。

張り詰めた緊張感というよりは淀んだ、じめじめとした空気を彼女が放っているような気がして、開いた窓から吹き込む熱気をわずかに残した風とは対照的だった。


「……貴族っていうのはね、私には小さい子供のようにしか見えないの」


ぽろりと彼女の口から言葉が漏れ出す。

一度溢れてしまったら止めどもないほどの感情だったのだろうか、一息入れた後、彼女は再び口を開く。


「あなたたちはお母さんやお父さんを困らせたことはある? わたしはよく困らせて怒られていたわ。でも、悪気はなかったの。純粋に自分の思った通りにならないことがあれば泣いたし、母を喜ばせたくてわたしなりにお手伝い、とか言って結果的に母の邪魔になってしまったり。貴族っていうのは大きな子供よ。自分の思い通りにならなければ泣きわめく代わりに強引に意見を通すの。権力や暴力によって。でもそこに悪意はないのよ。それが彼らにとって当たり前だから。貴族という自分たちの為になる世界なのは普通のことでみんながそれを望んでいると思ってる。子供でしょ?しかもたちの悪いことに欲望だけは異常に肥大していて、しかも手が付けられないほど力を持っている子供。どこにだってそんな人はいるって今はわかるけど、この国にきて思うことはそんな悪魔みたいな連中のほうが正常とされる世界か、そうじゃない世界か。ヘレナは若い時にそんな大きな子供のおもちゃとして貴族に差し出されたの。貴族の言うことなら人が何人も当然のように死ぬ、そんな世界に」


彼女は俯き、どこか一点をじっと見つめながら語り続けている。

おそらくは過去の記憶を彼女は見ているのだろう。僕のような記憶術師でなくとも、普通の人間だって自分に刻まれた記憶は思い返し、見ることができるはずだ。


「ヘレナが嫁いだ先は何人も夫人がいる伯爵家だったわ。何人も、といっても入れ替わりは激しくて、新しい妻を迎えては古い夫人はどこかにいなくなって新たにまたどこかから若い女の子を夫人として迎えていたの。小児性愛者だったのよ。若い女、それも初潮を迎えるころの女が好きで成人するころにはもう用済み。なんでもないことを咎めて奴隷として売るか、趣味の狩りの獲物として仲間内で弄ぶか」

「あ、あのぉ、なんですか、狩りの獲物って?」

「彼らにとっては人間だって”ヒト”という種の狩りの獲物なのよ。知恵のある生き物を狩るほうが楽しいんですって。仲間内の誰かが所有している森に放って、逃げ惑う人間を狩るの。捕まえた貴族が獲物を好きに扱ってよい、というルールの下、捕まったら犯されるか殺されるか。一番多いのはそのどちらも、だけどね」

「信じられない……」

「ふふ。平和なこの国に生んでくれたご両親に感謝なさいな」


驚くペルノに皮肉ともとれる言葉をひどく優しい口調で彼女は投げかけた。


「わたしたちみたいな思いをする人間はひとりだって少ないほうがいいもの。それでもわたしは部族を追放されてから物乞いをして、たまたま拾ってくれた奴隷商が思いのほかいい人でね、貴族のせいで危ない思いをしたことは少ないほうだけど。その奴隷商のおじいさんの顧客にはそれは酷い貴族がたくさんいたわ。そういう貴族のところに呼ばれていくときにはわたしたちに病気のふりをさせたりわざと汚く見えるように泥を塗ったりしてくれた」

「それはどうして?」

「奴隷商だからやっぱりわたしたちを売らないといけないじゃない? でもなるべく善良な人のところへ売ってあげたいんですって。笑っちゃうわよね。いい人なんだか悪い人なんだか。だから危ない噂のある貴族のところに呼ばれて仕方なく行くときは売れないように価値がない体を装ってくれてたの」

「そんな人もいるんですね……。なんだかちょっと奴隷商人のイメージが変わりました」

「その嘘がバレてすぐに殺されちゃったけどね。あっさりと。他の子たちの何人かはその貴族に捕まったみたいだけど、わたしは運よく逃げ出せてまた物乞い生活に逆戻り」

「そんな……」


今すぐにこの話を聞く耳を塞ぐことはできないものだろうか。

あまりにも救いのない世界が海岸線の向こう、天気が良ければうっすらと見える大陸に広がっているなんてにわかには信じがたいが、この話は現実に今も起こっている事実なのだろう。

彼女の何かを諦めたような表情がそれを物語っていた。

諦めてしまったのは女性としての幸せな暮らしか、人間としての尊厳なのかは定かではないが、何か大きなものを失ってしまったであろうことは痛いほど伝わった。


「そうやってどうにか噂に聞いていた自由の国ファーレンへ行けないか自分の売れるものはなんでも売って、港を目指して……。そんな時にヘレナと……。なんとか港にたどりついたものの海を渡る資金なんてさっぱりだったから、いつものように身体を売ってお金を貯めていたの。物乞い生活でお風呂にも入っていない汚いわたしを買う男なんてほとんどいなかったけど。そんな生活をしていたある日、路地の入口で客を取ろうと立っていたわたしの前を貴族の私設傭兵に囲まれたヘレナが通ったの。わたしにとってヘレナは族長の娘で身分の高い人だったから、こんな姿見られたくなくって顔を伏せたわ。気づかないでくれって。通り過ぎたころかなって顔を上げたら、離れたところでヘレナが振り返って目が合った。あのこ、わたしより暗い目をしてた。深い木の洞みたいな、奥が見えないほど真っ暗な目」


彼女の語り口も熱を帯びてきたように感じる。

話しているうちに当時の感情を思い出してきてしまったのだろう。

相も変わらず伏せた視線はゆらゆらと左右へ泳ぎ、ほのかに潤んでいる。

こんな状況なのだが、僕の周りには綺麗な人が多いな、と場違いなことを考えてしまう。

健康的なイメージの先ほどまでからは想像もつかないほど不安定で、感情のコントロールも覚束ない、揺らめく青い炎のような美しさ。

燃えるとわかっていても引き込まれてしまいそうな危うさを秘めた美しさが今の彼女にはあった。


「ヘレナ様、どうしてそんな目をしているの? 綺麗な洋服を着て、今も護衛に囲まれて、きっと贅沢な暮らしをしているはずなのに。わたしと違って。男のおもちゃにされて、盗みもして、お風呂なんていつから入っていないか。そんなわたしよりどうして悲しい顔をしているの。その時はそう思ったわ。その頃のわたしにとってはヘレナは身分の高い存在で、あの子がどんなにつらい目に遭ってきたかなんて知らなかったから。でも、わかったの。あの兵士は護衛なんかじゃない、小鳥を逃がさないための籠だ、って。だから思い切って声をかけたのよ。わたしです、覚えていますか。ルビコンのミラです。ウォーレンの娘、ミラです、って。そしたらもちろんなんだけど護衛に捕まっちゃって。あぁ、やっぱりやめておけばよかった。ここで死ぬんだ。そう思った。でもあの子が護衛を止めて助けてくれたの。ヘレナの最初の一言はわたしを抱きしめて耳元で囁いた「助けて」だったわ」

「…………」

「…………」


僕もペルノも言葉が出ない。

この国に住む人間にとってあまりにも現実離れしたその環境に想像が追い付いてこないのだ。

どこか物語を聞いているような感覚すら覚える。

もちろん、知識として知ってはいた。この国にも奴隷が密輸されることもあったしマフィアには奴隷とは違う呼び方や立場でも実質そのような存在の駒がいたりする。

しかし、そのようなケースはほとんどの場合僕たちに取り締まられて法の下で裁かれる。

理不尽を通されることも目の当たりにすることさえも僕たちにとって耐えがたい苦しみだが、生まれてからずっと理不尽を強いられている人々がいるのか。


哀れむ気持ちももちろん芽生えているが、なにより今僕の心を占めている感情は安堵だった。

ファーレンに生まれてよかった。僕や僕の大切な人たちがこの知を積み上げた理性の国で生活を営めている事実への安堵。

悲しい、辛いだろうに、哀れ、そんなチープな共感よりも自分より不幸な存在を目の前にして「あぁ、自分はこんな運命でなくて良かった」という蔑みを込めた安堵。

ふと隣に目をやるとペルノの瞳も潤んでいるような、どこか生臭いゆるみがあるように思えた。


「そのあと、引きはがそうとする兵士を説得してわたしを連れてヘレナの滞在している宿に連れて行って事情を話してくれた。あの子は貴族のお気に入りだったけど年齢が上がるにつれて扱いがどんどん変わって遂には獲物として狩りに出されたこと。そこで知恵を振り絞って逃げ回って、主催であり参加していた彼女の夫の目に再び留まったこと。何人もに犯されはしたけど、命は奪われずに連れ帰られたこと。そこでファーレンへ渡って麻薬を広めるよう言われたこと。その売り上げを回収にくる家来へ渡すよう指示されたこと。思っていた以上にヘレナの頭がよくって使えると思ったんでしょう」

「……つまり、あなたたちの後ろにはその貴族が?」

「そう。ヘレナはそれも言ってないのね。きっと話したらわたしまで殺されるって思っているんだわ。……きっとそうなるでしょうけど。あっちの貴族たちにとってこの国は忌むべき存在。自由を掲げて身分の差もほとんどない。自分たちのおもちゃはどんどんファーレンへ渡って数も減っているし世間の風当たりも以前よりよっぽど強い。だから麻薬を広めて嫌がらせをして、しかも小遣い稼ぎができたら最高じゃない。そんなふうに考えたのね。子供でしょ?」

「その貴族の名前は?」


彼女の話を切りながら先へ促す。

初日にしてドデカい収穫だ。これならなんとかなるかもしれない。


「アストン・カーチス。今この国に来ている使節団の一員で貴族国家ヴェルダンブールの大臣の一人よ」


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