麻薬はやっぱり怖いです
「こんなに綺麗なのにもともとは石ころなんですって。なんだか灰色っぽいくすんだ色してて。それを磨いて、切って、また磨いて。女の子が惹かれるのもわかる気がしない?」
ミラ・ウォーレンと思しき女性がペルノに穏やかに話しかけている様子を、僕は考えを巡らせながらも笑顔を作って眺めていた。
「わかりますぅ! なんかこれだけ綺麗だと身に着けるのも畏れ多いというか、宝石に負けちゃうというか。でも、見合うように努力したくなるというかぁ!」
「そうね、あなた良いこと言うわね。女の子はそうでなくちゃね。若いっていいわぁ」
「なにを仰いますか、おねえさんまだお若いでしょう? お肌の感じでわかりますよぉ。綺麗だし、おねえさんみたいな人だったらこういう宝石も似合うんだろうなぁ。羨ましいですぅ」
「お上手ねぇ。ふふ」
おそらくペルノもなんとなくこの女性に感じるものがあるのだろう、無邪気な様子で会話をしつつも警戒していることが重心のかけ方から窺える、ような気もする。
「ごめんなさいね、デートのお邪魔しちゃったかしら。この宝石が大好きなものだからつい声かけちゃって」
「いえいえ、デートじゃありまっ……おぼぉ!」
「僕の収入じゃこんなスゴイものは贈れませんけど、よかったらもっと彼女に宝石のこと教えてやってもらえませんか? 今、彼女へのプレゼントを見てたんですけど僕たち宝石には疎くて」
正直にデートを否定するペルノの横腹を肘で突いて話を合わせろとサインを送る。
彼女が勘違いしていてくれるのならそれに越したことはない。魔ッポだと身分を明かす前に引き出せる話は引き出しておきたい。
「あら、まだお付き合いしてないの? でも彼氏さんはあなたのことが好きなのね。いいなぁ。そういうの、羨ましい。わたしも宝石には詳しいわけじゃないけど……。待ち合わせがあるからそれまででもいいかしら」
「ぜひ!」
「じゃあ、ちょっとついて来て」
線の細い背中が僕たちを先導して建物の正面へ向かっていく。
おそらく中へ連れて行こうということなのだろうが、先ほど僕たちは入店を拒否されたばかりだ。
果たして大丈夫だろうか、と考えているとペルノが耳元でぼそぼそとつぶやくのが聞こえた。
「石よりも今は湿布が欲しいデス……。魔ッポの男は手加減を知らなさすぎデス……」
どうやら肘による打撃がいい具合に決まってしまったようで渋々話を合わせているものの内心僕に腹が立っているようだ。
手加減もなにも同じように鍛えているんだからそんなもの必要ないだろう、こけしゴリラめ。
「お忘れ物ですか?」
ついさっきペルノに手痛い一撃(精神攻撃)をくらわせたドアマンがミラ・ウォーレン(たぶん)に声をかける。話の内容と慣れた様子を見るにやはり彼女がミラで間違いはなさそうだ。
「ちょっとお友達と一緒に中を見たいの。いいわよね?」
「………………旦那様はご承知で?」
おい、その間と視線がこいつら中に入れたくない的な感情丸出しだぞ。客商売だろう、もう少し表情に気をつけたまえ。
「いちいち彼に言わないとお友達とお買い物もしちゃいけない? それとも彼にはあなたに追い返されたことの方を伝えた方がいいかしら」
「……………………………………どうぞ」
彼女の気の強さにも驚きだがドアマンの頑固さにも驚いた。沈黙の長さからどうしておまえの言うことを聞かなくてはいけないのだ、という感情が伝わってくる。
小市民を装い、いや実際小市民なわけだが、すみません、と頭を下げつつ中に足を踏み入れる。
通り過ぎ様、先ほどのドアマンがペルノに声をかける。
「差し出がましいようですが、よろしければ先にお召し物をお買い求めいただくのがよろしいかと。できればお着換えいただいた方が皆様も、お客様ご自身もご不快な思いをされずに済むと思います」
「本当に差し出がましいですねぇ! ご忠告どうもです!」
こめかみに青筋を立てながら皮肉を言い合う二人に心の中であんたらお似合いだよ、とつぶやく。
触らぬ神に祟りなし、と破裂寸前のペルノをスルーして店内に視線を滑らせていく。
立派な外観に恥じることなく、内装はさらに洗練された豪奢な空間が広がっていた。
足が沈み込むようにふかふかとした深紅の絨毯、モダンで落着きのあるダークブラウンの壁、なだらかに加工され統一された空間を演出する棚、小ぶりながら店内にきらびやかな光を落とすシャンデリア。
あぁ、お金はあるところにはあるんだな、と改めて確認する。
以前にも同じ感想を抱いたことがある。マフィアの摘発でアジトへ突入した際に見つけた隠し金庫を見た時だ。大人が十人は入れそうな金庫の中に積み上げられた大金貨の山を見た驚きは忘れない。
しくじった、魔ッポじゃなくてマフィアになるべきだったか、と悔やんだものだ。
「宝石をいくつか見せてもらえる? 上にいるわね」
かしこまりました、と執事のような制服をビシッと着た店員が奥へ消えていった。
「あの、いいんですか? 無理やり中に入れてもらって、しかもなんか、その、買わないのに見せてもらったりして」
「勉強するなら実際に見てみるのが一番だもの。私も本当に詳しいわけじゃないから気に入るものを探すといいわ。なんだかあなたたち初々しくって可愛らしくてお節介焼きたくなっちゃったの。そういえばまだお名前聞いてなかったわね。わたしのことはミラって呼んで。ここの客というか、なんというか。そこはあまり気にしないでもらえると助かるわ」
やはり彼女がミラ・ウォーレン。僕たちはお互いの息をのむ音が聞こえたが平静を装い、名乗った。
「ジルです」
「ペペペペペペルノです」
こいつ全然平静じゃなかった。
もしかして全く気付いてなかったのだろうか。だとしたら勘が悪すぎるぞ。
「ペペペペペペルノちゃん?」
「ペ、ペルノです!」
「冗談よ。さ、行きましょう」
彼女はいたずらっぽく笑うとしなやかな肢体を躍らせるように二階へ上がっていった。
どこに連れていかれるのだろうか、と思いながらも階段を上っていく。
階段にも絨毯が敷かれており、なるほどこれは彼女が跳ねるように上がっていったことにも納得がいく。
沈むこむように柔らかな絨毯を蹴るように上らないといけないので老人には少々辛い階段かもしれない。
二階の売り場には衣服が並んでいたが彼女は目もくれず真っ直ぐにその奥にある三つ並んだ扉の一室へ入っていった。
おずおずと僕らも続くと、その中には革張りのゆったりとした三人掛けほどのソファーがガラスのテーブルを挟むように向かい合っていた。
「ここは?」
「個別の商談用のお部屋なの。遠方からいらっしゃるお客様は一度にたくさんお買い上げいただくことも多いし、商品の仕入れの商談なんかでも使ったりしてるわね」
言われてみれば価値はわからないがどうやら有名な画家の絵画が壁にかけられていて、部屋のあちこちに花が活けられている。
隅の棚にはいくつかの書類と、これもまた高級そうなガラス製のグラスや蒸留酒などが並んでおりいかにもな雰囲気だ。
「僕たちがこんなお部屋に入っても大丈夫なんですか……?」
「平気平気。今ここのオーナーは港までお仕事で出かけてるし、今日は上客の商談もなかったはずだもの。ここのお店ね、これだけ立派な見た目だけどちょっと落ち目なのよ」
ちょっと早い時間だけど、お酒は飲める?と言うと自ら蒸留酒を手に取りこちらの返事も待たずに三つのグラスへ茶色い液体を注ぐ。
そして最後だけ声をひそめるように小さく漏らすと彼女はソファーに浅く腰かけた。
こくり、とアルコール度数にそぐわない可愛らしい音が彼女の喉から響く。
「じゃあ、一口だけいただきます」
僕はそう応じ、グラスを口に運び飲む素振りを彼女に見せる。
もちろん飲むわけにはいかない。何かを盛られている可能性もあるし、警戒するに越したことはない。
やはり上等な酒なのだろうか。今までには嗅いだことのない華やかで深みのある樽の香りが鼻腔をすり抜け脳へ快感を運ぶ。
……飲んでみたかった。
「……遅いわね。少しだけお話でもして待ちましょうか」
酒を口にしてからいやに静かだった彼女が唐突に口を開き再び棚へ向かう。
引き出しの一つを開け、中から銀の四角い何かの容器を取り出しガラスの灰皿を手に取り戻ってくる。
銀の容器の中には細く巻かれた煙草が綺麗に並べられていた。
彼女はそのうちの一本を慣れた手つきで抜き取るとデルーマン先輩と同じように指先から小さな炎を出し、火を点ける。
娼館で感じたあの香りが部屋に漂い始めた。
あぁ、これが麻薬の香りだったんだな、と確信に変わった。
整った容姿や気取らずも余裕の感じる話し方から受けた彼女の印象と、この部屋に来てからの彼女の行動に違和感を感じた理由。
僕たちに断りもなく煙草に火を点けたのは、アルコールによって麻薬への渇望を抑えきれなくなったのだろう。
何もなかったかのような表情をしているつもりなのだろうが、彼女の頬はわずかに緩み視線も一点を見つめ揺らぐことはない。
「……大丈夫ですか?」
僕が尋ねると、ハッとしたようにこちらへ顔を向け慌てて煙草の火を消す。
灰皿へ火を点けたばかりの煙草を押し付け、また押し付け、落ち着きなく灰を一か所に集める。
火を消す一瞬、躊躇った様子を僕は見逃さなかった。
「ごめんなさいね、いきなり煙草なんて吸って。あなたたちこそ大丈夫? 煙たくなかった?」
大丈夫です、と苦笑いを返すことが精いっぱいだったが、すでに収穫は十分だ。
雲行きが怪しくなる前にお暇しよう、と声を上げようとしたその時、重たい木の扉をノックする音が響いた。
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