危険な魔法もあるんです!
「さて。さっそくミラという女について調べにいくか」
「ねぇ、それよりさっきの筋トレなんだったの?」
コインランドリーでお弁、いやランチを済ませた僕らは風俗街を出て港へ向かっていた。
お弁、もといランチをしている最中に例のあの人から«
背筋がゾクゾクしたことは内緒である。
もちろん、え、なんで?と応えたものの返事はなかった。
さすがトラブルメーカー。協調性ゼロ。
「ねぇねぇ、なんで港に向かってんの?」
「うるさいなぁ、質問ばっかり。行けっていうんだもん、あの、アレが」
「アレってなんなんよぉ! 今日マジでどうしちゃったんです!?」
現状では他にめぼしい手掛かりもないので仕方なく向かうことにしたのだが、ペルノに事情をうまく伝えられていないので混乱させてしまった。
方言が出始めたら彼女のキャパオーバーのサインだ。
「…………。もうコンタクト取った。マトリの人と。その人の指示。オッケー?」
「なんだぁ、そういうこと。でもなんですぐ教えてくれなかったんです?」
「聞くな」
別にいいですけどぉ、と背後でブツブツ言っているのが聞こえるが無視を決め込む。
乾燥機から出したての下着がほかほかと心地よい感触を太ももに伝えてくる。
べたつく汗をかいている肌にはこの洗い立ての触り心地はたまらない。
こっそりと下着を履いたことはもちろんペルノにはバレていないだろうことを願い、ひとまず理不尽な指示に従うべく早足で歩き続ける。
日は弧を描くように緩やかな角度で落ち始めていた。
じりじりと動く太陽は毎日同じ速さを保っているが今の僕たちにはそんな余裕はない。
せかせかと動かしていた足は逸る感情と同期するようにいつの間にか走りだしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
毎日のことではあるが、港は痺れるような混雑の様相を見せていた。
ひっきりなしに諸外国から貿易船が訪れ、玉石混合の積み荷を降ろして、そしてまた同じように積み込み大海原へ漕ぎ出していく。
港で働く人口はこの街でも一、二を争う。運搬係、運搬獣、運搬獣の管理人、倉庫番、検数、検量、鑑定。
作業内容は多岐に渡るが、モンペルグは港の仕事に支えられているといっても過言ではない。
雑踏をぐいぐいとかきわけ、時には運搬獣にぶつかり威嚇されながら進んだ寂れた倉庫街の一角。
とりわけ古びた大きい倉庫の中に指定されたコンテナはあった。
「ここ、ですよね?」
ペルノがややたじろいだ表情で僕へ目を向ける。
その気持ちはごもっともで、例のコンテナにはこれでもかと鍵が取り付けられていた。
その数およそ十を超えるだろう。
僕の背丈の二倍近い高さ、僕が寝そべって五人分ほどの奥行がある長方形のコンテナで、その周囲をじゃらじゃらと鎖が巻き付けられており、幼いころに見た奇術師の脱出ショーを思い出させる。幼く魔法が使えなかった僕は奇術師がとても好きだった。
しかし、ここまで露骨だとどんな隠したいものがあるのだね?と、こじ開けようとする輩が現れてもおかしくなさそうなものだが。
「とりあえず鍵かかってるか確認んんんんんんん!?」
「へ!? ジル!? どうしたんです!?」
不用心にも鍵に触れた瞬間、僕の体内にとてつもない不快感が駆け巡った。
鳥肌が立ち、足はがくがくと震え腕の感覚は曖昧だ。
しかもくそが付くほど暑い『日』の季節だというのにもかかわらず尋常ではない寒気が全身を包む。
なるほど、これは誰も触れないや、と一人腑に落ちる。
「えぇ、ナニコレ……」
「どどどどうしちゃったんですぅ!?」
「おぉ、ペルノ……。おまえがなんだかとっても輝いて見えるよ……。美人になったね……」
「ジルがヤベェです!! いつもはジャガイモ見て「あ、ペルノ」とか言ってるのに!!」
意識までもが朦朧としてきた。
呼吸すらしづらい、というよりもできない。
喉の機能が麻痺をしはじめたようだ。
これは何の魔法だろうか。
かなり強力な魔法なのは間違いないが、こんな危険な魔法は僕の記憶にはない。
呼吸がままならず嗚咽を漏らしていると脳内にバリトンボイスが響いた。
――いきなり触るようなバカに魔ッポが務まるようじゃ世も末だな――
やっぱりアンタか!と口に出すことはかなわず、陸に揚げられた魚のようにあうあうと口を動かしどうにか言葉を発した。
「これ、な、なに、ま、ほう……?」
「え、なんて? ジル、遺言ならハッキリ言ってください!」
殺すな。ちょっと今静かにしていてほしい。
――«
「はや、く、いって……」
――いや、普通は着いたんですけど、とか次の指示を仰ぐだろ。その時言うつもりだったんだが俺の常識を上回るほどおまえが短絡的だっただけだ――
「うわぁぁぁん! ジル死なないでぇ! ジルが死んだら誰が私のミス隠ぺいするんですかぁ!」
こいつ、俺のことそんな風に思ってたのね。こいつは東洋に島流ししてこけしとして一生を終えさせよう。
だがしかしベントさんの指摘はごもっともで、ぐぅの音も出ないとはこのことだ。
まさにぐぅとも言えず半開きの口からはおよそ人間らしい言語は発せそうになかった。
どうしたらこの窮地を脱せるのか見当もつかない。
ちょっとした、の規模感がこの人と絶望的なまでに合わないことだけは確かだ。
――いいから早く助けて!――
――おまえ、ブルムだったか。ファーストネームは?――
――ジル!ジル!――
――待ってろ――
ふと気が付くと身体が急に軽くなり、手足の違和感も消えていた。
あぁ、酸素って美味しいんだ、などと生に感謝の念すら感じる。
――おまえ、追い込まれないと出来ないタイプだろ――
――え? そういわれてみるとそうかもしれないですけど……――
――今、喋ってるか? おめでとう。«
生に感謝していたのに今度は苦痛にも感謝を捧げよとベントさんはとんちのようなことを言い出した。
確かに言葉が出なくなってしまったので必死だっただけなのだが、火事場の馬鹿力といったやつだろうか、念じるだけで«
――おまえの連れの名前は――
――こっちのこと見えてるんですか?――
――鍵に触れてからはな。いいから連れの名前を教えろ――
僕がペルノの名前を伝えようとしたその時、今まで僕を抱きかかえていたペルノがすっくと立ちあがり鎖を掴んだ。
僕が先ほど触れた鎖の先にある鍵をじゃらりと引き寄せる。
「この鍵がいけないんですね……。ぶっ壊します」
「あ、ちょっ、ペルノ、やめ」
回復したばかりの僕の口はうまく回らずペルノが足元のコンクリートを魔法によってハンマーに変え、鍵を渾身の力で叩くことを止めることは出来なかった。
「あばばばばば」
――なぁ。おまえら頭どうなってんだ?――
――面目ない……――
痙攣するこけしを眺めながら僕はため息をついた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「めっちゃ性格悪くないですか! マトリの人ぉ!」
「まぁ、良くはないだろうなぁ」
ベントさんの仕掛けた罠にまんまと嵌まったペルノはお怒りだったが、どう考えても自業自得なので全面的に賛成するわけにもいかず歯切れの悪い返事を返す。
ペルノのフルネームを教え彼に魔法を解除してもらいすぐに立ち直った僕たちは、精神的な疲労はともかく肉体的にはなんらダメージを負っておらず、すぐさま調査を続行した。
彼の言った通り鍵はかかっておらず、開錠することなくコンテナはすんなりと開いた。
先ほど痛い目を見たばかりの僕らは恐る恐るコンテナの中へ足を踏み入れる。
中にはさらに小型の金庫が所狭しと積み上げられており、その一つ一つに事件や人物の名前がラベリングされていた。
「これは……すごいな」
「ですねぇ……。めっちゃ几帳面」
「いや、まぁそれもそうなんだけど驚くところそこじゃないだろ」
おびただしい数の金庫の中にその光景とは不釣り合いな『ぽっちゃりアンジェラ』というラベルを見つける。またいやに達筆だ。
おそらくここにベントさんの調べた内容が収められているのだろう。
「…………」
「どうしたんです? ジル、これでしょ。探してたやつ」
「うん、たぶんね。ペルノ、おまえ開けてよ」
「いや、こういうのは男らしくガッと! ねぇ! ジルがやっちゃってくださいよ」
「僕、レディーファーストを両親に叩き込まれてるもんだから」
「残念んん! 残念なレディーファースト感の持ち主でしたこの人!」
鍵のトラップのトラウマが記憶に新しい僕たちはどちらも手を出す勇気がなくどうぞどうぞとお互いを生贄に捧げようと必死になっていた。
「さぁ。ペルノ。開けてごらん。怖がらずに」
「なにが、さぁ。ですか! 優し気な口調で言っても無駄ですからね! 普段そんな優しい口きいてくれないくせに!」
――お取込み中悪いんだが。もうお前らは俺の«
言い争う僕の意識にベントさんの声が響く。
どうやらペルノの悪口は聞こえていたらしい。迂闊なことは言えないな……。
安全を担保された僕は金庫に手を伸ばし取っ手を引く。
「やだ。ジル、男らしいですぅ……。好きになっちゃいそう……」
「やめとけ。魔ッポ同士のカップルで幸せな例を俺は知らない」
頬を赤らめるペルノに冷たく忠告する。ですよねー、とケラケラ笑うあたり冗談だったのだろう。
肝心の金庫の中には例のごとく丁寧に人物ごとにファイルされた書類が積み重なっていた。
「えーと、ミラ、ミラ、ミラ。これだ」
お目当ての書類を取りだし手近な金庫に腰掛ける。
書類にざっと目を通す。
「ミラ・ウォーレン、二十七歳。スリーサイズ…ってマジかよ。凄いな調査力」
「性格悪い上に粘着質の変態かぁ。仲良くなれなさそうですね」
筒抜けだヨ、と教えたやりたいところだが捜査にはなんら支障はないので放っておくことにする。
「出身地が…ルビコン! ヘレナさんと同郷だ」
「キターーーー!」
解決の糸口になりそうな人物なのは間違いなさそうだ。
温度を感じさせない無機質な質感のコンテナの中で汗だくになりながらも僕たちはようやく掴んだ手掛かりに胸を躍らせ顔を見合わせた。
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