男はいつだって興奮しちゃうんです……

一昨日にも訪れた例の娼館、『ぽっちゃりアンジェラ』(というらしい)の前に着いた僕は、待ち合わせはたしかここだったよな、と思いつつあたりを見回していた。

近隣の娼館はまだ準備中どころか誰も来ていないようで深夜と打って変わり辺りは静かだ。少し離れた路地の向こうにある居酒屋の周辺から漂う仕込みの香りが漂っている。

そういえばまだ朝もお昼も食べていないな。合流したら親交を深める意味も込めてランチミーティングなんてどうかな、などと呑気なことを考えていた。


「あら、おにいさんこんな時間にどうしたの?」


ぼんやりと壁にもたれてきょろきょろしていた僕にどこから現れたのか一人の娼婦が声をかけてきた。

こんなお昼だというのに客を取るつもりなのか胸元が露わなデザインの赤いワンピース姿で、スリットの隙間にちらと覗く艶めかしい足は太陽の下にさらされたことのないような白さで光っている。


「いや、人と待ち合わせで」

「こんな時間にこんな場所で? ふふ、変な人」


ブロンドのふわりとしたショートの髪を揺らしながら彼女はくつくつと笑う。

お昼だからか肌のちょっとした荒れが少し目についてしまうが、それでも十分に魅惑的だった。

漂う色気からはこの道のベテランの風格があり、お世辞にも若いとは言えなさそうだが磨きのかかった女性の武器を存分に振りかざしている。


「ちょっとこっちへ来てよ。少しだけ、遊びましょ」

「いやいや、待ち合わせなんだって」

「ちょっとだけよ。本当に時間は取らせないから。それともおにいさんって長持ちしちゃう人? 試したいわ」


彼女は僕の腕を取ると強引にここより更に人気のない細い路地裏へ引き込んでいく。

い、いやぁ、参ったなぁ。娼婦ってこんな真昼間からお外でいたしちゃうの?

などと嬉しいような困ったような、いや正直に言えば滾るものを心と身体に感じながら抵抗にならない抵抗をしつつ彼女に連れられ細く薄暗い路地裏へ引き込まれていく。


「こ、こんなところでぇ? どうしたもんかなぁ。本当に待ち合わせなんだよね。……ところで、おねぇさんってお高い方なの?」

「ふふ」


彼女は怪しく微笑むと僕の顔にゆっくりと唇を近づけていき、耳元で囁く。


「おまえ、明るいうちからこんなとこなんの準備もなくぶらついてんじゃねぇよ」


先ほどまでの甘さのある声ではなく、少し掠れたドスの効いた低音ボイスが僕の鼓膜を揺らす。

さっきまで紅潮していただろう僕の頬がいまや真っ青になっていることは言うまでもない。

これは、一人美人局つつもたせ?いやいや、マジか。魔ッポがそんなのに引っかかったなんて冗談にもならない。犯罪者か、もしくは……。


「……ベントさんですか?」

「ほかに誰がいるんだよ。クソガキが」

「わお……」


彼女、いや彼は僕の耳に口元を近づけたまま話し続ける。


「いいか、このまま聞け。ここらには売人やらクスリを売ってもらいたい常習者がうようよいる。そんな中にテメーみたいな魔ッポ丸出しのヤツがなんの事件もなくのこのこ歩ってたら警戒されんだろうが」


え、一応バレないように私服で来たのにわかっちゃうものなのだろうか、と自分の服装を目線だけ動かして確認する。


「まずその野暮ったい麻のシャツ。しわが多い。普段から忙しくしていて独身だろう。それとスラックス。スラックスにもしわがあることも問題だが、なによりそのスラックスにだっせぇ魔ッポのブーツ履いてくるバカがいるかよ。ブーツが浮いてて魔ッポ丸出しなんだよボケ」


ブーツくらいいいだろう、とそのままにしていたことがダメだったようだ。

内心反省するものの、僕の意識は別の方向に注がれていた。

ベントさんは囁くように話しながらカモフラージュなのか僕の太ももをじわりじわりと撫でまわしているのだ。

演技と分かっていてもやめていただきたい。

バリトンボイスでも見た目はセクシー女優さながらなのだからタチが悪い。


「どうせガキがなんの変装もなく来ちまうんだろうと思って女装しておいて正解だったぜ。脳みそワタアメのルーキーにはわかんねーかもしれねぇがこっちは何か月もかけてここに溶け込んでんだよ。今さらいつもの姿で出てこれねぇし、童貞丸出しのぼっちゃん相手ならこの姿の方がここじゃあ自然だ」


彼の指先がつつつと僕の僕たる象徴シンボルへ上昇を始めた。

細い指先で僕の中心を繊細な手つきで撫であげていく。

右手でくりくりと銃口を指先でこねくり回され、左手で銃身が柔らかく、しかしほどよい締め付けで包み込まれている。

やめて、男と分かっていてもその姿だとどうにかなっちゃいそう!


「俺の知ってることを伝える。今«連絡コンタルテ»が通じるように回路も繋げた。これからは離れたところから俺に呼び掛けて、絶対に近づくんじゃないぞ」

「――!――!」

「あら、若いっていいわね」


黙って頷くことしかできない情けない童貞とは僕のことです。

ベントさんが声色を使い分けながら情報伝達とカモフラージュを織り交ぜて話しかけてくるがそれどころではない。

ぐいぐいと自己主張の激しい僕のピストルのセーフティはすでにアンロックされている。

お父さんお母さん。僕は男女問わず愛せる宗派に鞍替えしてしまいそうです。


「あの娼館にいるミラって女を洗え。あいつはおそらく例の麻薬にどっぷり浸かったヤク中だ。―――ね、言ったでしょ。お兄さん。時間は取らせないって」

「あばばばば」


ミラ。

先日の控室にもいたのだろうか、顔なら思い出せるのだが名前は聞いてもいないので結びついてこない。

とにかくその女を調べ上げるしかないようだ。

憑き物が落ちた、いや吐き出されたようにスッキリと冴えた脳みそが回転を始める。


「ありがと、おにいさん。楽しかったわ」


すっかり出会った時の娼婦に戻ったベントさんはそう言って背を向け路地を出ようと歩き出す。


「あ、そうそう。コインランドリーならここを右よ。またね」


くるりと振り向きそう言ったベントさんは僕が呆けている間に姿を消していた。

奥まった路地に取り残された僕はひんやりとしたパンツに違和感を覚えながらコインランドリーへ向かった……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「で、なんで待ち合わせがコインランドリー?」

「聞くな……」


気味の悪いキャラクターが刺繍された白いTシャツ、ジーンズ、スニーカー姿のペルノと合流した僕は素肌にスラックスの状態でコインランドリーにいた。

僕が言えたことではないがコイツは私服に興味がないのだろうか。率直に言ってクソダサい。

僕の田舎でおばさんたちの日常がこんな感じのスタイルだったように思う。


「ま、いいですけどぉ。マトリの人とはもう会いました?」

「ひええ!」

「え? ちょ、なにやってんですかぁ!?」


今はマトリもベントも聞きたくない!

さっきの暴発を記憶から消してしまいたい一心でスクワットを始めた僕をいぶかしげにペルノが見つめてくるが気にしてはいられない。

あぁ、なにをしても簡単には忘れられない自分の魔法が恨めしい! もはや記憶自体を封印するしか……。いや、それだと仕事に支障が……。


「なにがあったんですぅ? ジル、今日なんか変ですよ?」

「いいんだ。気にするな。なんか無性に体を鍛えたくて。とりあえず深夜に俺と別れてからの話を聞かせてくれないか」

「あぁ、はい……」


僕のスラックスの中で空中ブランコが行われていることなど予想もしていないだろうペルノは昨日のその後を話し始める。


「えっと、あの後詰所の近くの宿屋まで送っていこうと思ってとりあえず一緒に向かってたんですよ。そしたらアンちゃんからそばにいろって«連絡コンタルテ»が入ったんで二人で部屋に入ってお話し聞いてました」

「なにか新しい情報はあった?」

「うーん、本当なら二か月後にはお互いの両親に会いに行く予定だったーとか、急にあんな風になったけどちょっと前まで優しかったーとか」


要はガールズトークに花を咲かせてたわけね、と心が静まりつつあった僕はスクワットをやめペルノの方へ体を向けジト目を送る。


「あ、いや、ちゃんと有益な話も聞いておきましたよ! 鉢植えを持って帰ってきたのはいつかわからないし気付かなかったから昨日家を空けてた間じゃないかって。あと、彼の家での最近の様子なんですけど。朝方に家に帰ってきたときはだいたいひどく酔っているようでわけのわからないことを言ってるけど、ちょっと休むとまたいつもの彼に戻るらしいです。それでもまたちょっと時間が経つと今度は普段よりイライラし始めて仕事中もそれでトラブルになったりとか」

「麻薬の影響だな。トんでる時間は短いけど、禁断症状が出ると不安定になるんだろう。だいぶ影響は少ないものみたいだが」

「それと、職場の人たちに最近ちょっとずつお金を借りてることも知っちゃってその件でもケンカになったみたい」


どうやらかなり生活にも影響が及んでいるようだ。

マトリの調べ具合を聞いた限りそれなりに広がっているようだし、ヘレナさんを捕まえた今、これはチャンスでもある。

禁断症状が出た中毒者が娼館に集まってくるだろう。

ちょうど良く乾燥機が動きを止め装備パンツの方も問題はなくなる。


「よし、とりあえず今日の動きは決めた。まず、『ぽっちゃりアンジェラ』のミラって女を洗う。そんで夜は娼館に張り込みだ。ヘレナさんを訪ねてくる客をチェックする」

「りょ!です。あ、ジルお昼食べたぁ?」

「いや、まだだけど。遅めだけどどっかでランチでも……」

「だと思ってわたしおー買ってきたの」

「ひええ!!」


おもむろに猛烈な勢いで腕立てを始めた僕をまたもやペルノが引きつった顔で見下ろす。


「ほんと、どうしちゃったのジルぅ……」


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