出会いはいつだって突然です!


ユーリの自宅は詰所と繁華街のちょうど中間の住宅街にあるアパートの一室だった。

見習いなだけあってなかなか年季の入った古めかしいアパートだ。

その外観からここで暮らす人々は慎ましい生活なのだろう、などと、つい考えてしまう。

夢はあっても金はない、若者の常だ。僕には夢という夢もないので羨ましくもあるが。

木造の二階建て、周囲はレンガの簡単な塀で囲われているが高さはなくそもそも侵入を阻む目的ではないのだろう。

セキュリティ面では不安が残るが家賃面との折り合いがつく物件とは往々にしてこのようなもので、不動産仲介屋の書類の底に眠っている。


「この家なのでここでもう大丈夫です」


ユーリがこちらへ向かい頭を下げる。

少しは僕らに話をして気が軽くなったのか表情が心なしか明るいように見える。

やはり本来朗らかな性格なのだろう、振舞の端々に少女特有の軽やかさと輝かしさがあった。

そして少女たちを淀ませていく最初の感情の七割ほどが嫉妬なのだと僕は睨んでいる。


「何号室なのかだけ教えてもらっていいかな」

「あ、はい。二階の角のあそこです」


部屋の場所も確認できたので、今日のところは退散することにしよう。

彼女が部屋の前でこちらに振り返り再び頭を下げるのを認めた後、アパートを後にしようと踵を返す。


「なぁ」


その時、先輩がアパートを眺めたまま話しかけてきた。

視線の先を辿ると彼女の部屋に明かりが既に点いていたことに気が付く。

ということは、明かりを消し忘れたかもしくはもう誰かが家にいたか。

空き巣を除けばこの家に帰ってくるのはユーリともう一人しかいないはず。


「あそこに今彼氏帰ってきてたらヤバくね?」

「あ」


確かに、と言葉を続けようとしたその時、がしゃん、と何かが割れる音が小さく聞こえた。

まずい、という焦りと、やっぱり、という納得、また事件か、という諦めが一度に脳を駆け巡る。


「え」

「え」

「もうやめて!!」


整理できない感情のまま僕と先輩の声がユニゾンすると共に、たったさっき彼女が入っていった部屋から人影が飛び出てきた。


「お」

「お」

「ちょっと待てよユーリおい!!」


断じて「お」の続きは「かえり」ではない。急展開に一歩目を踏み出した瞬間、また急展開が起こったことへの感嘆だ。

人影を追うように黒髪の男が飛び出てきた。


「おお」

「おお、イテッ!アイタッ!」

「怖いよ!あんたなんかもう知らない!」

「ふざけんなちゃんと話聞かせろよ!」


逃げながら、追いかけながら叫ぶ二人は僕たちのことなど視界に入っていないかのように駆けていく。僕の肩に立て続けにぶつかりながら。

ふつう避けるなりするでしょうよ。


「追いかけるぞ! とりあえず応援呼べ!」

「いてて……走ってばっかじゃんかよぉ!もう!」


またも深夜の街を疾走する僕たち。応援を«連絡コンタルテ»で呼ぶと近くの巡回兵がすぐ向かってくれるそうだ。

しかしまたマラソンか、と肩を落とすも一つ目の角を曲がったあたりで婚約者と思しき男に手首を掴まれ問答しているユーリがいた。

思いのほか近くで良かった、と思うものの状況は芳しくなさそうだ。


「魔ッポに話聞かれたってなんだよ、おまえ何言ったんだよおい」

「やめて! 放して!」


頭に来て叩こうとしたのか彼氏が大きく右手を振りかぶる。


「やめなよ」


デルーマン先輩がその腕を掴み制止する。

やだ、かっこいい。


「なんだよあんた。関係ないだろ。あんたこそ放せよこの手」

「関係なくねーよ、魔ッポだもん」

「あ?」


魔ッポ、と聞いて彼の威勢が削がれる。

じろりと僕たちをつま先から舐るように睨みつけ彼女の手を放す。


「魔ッポがなんの用だよ。民事不介入っていうんだろ、痴話喧嘩で逮捕なんかできねーくせに偉そうに」


生意気にもうろ覚えの法律を盾に僕たちに反抗の意を示す。

しかし相手が悪い。僕の先輩はガタイは良いが性格は悪いのだ。


「ジル、言ってやりなさい」

「へい親分。あなたのおっしゃる通り、治安傭兵に民間のもめ事に対する逮捕権は与えられていません。先ほど口にされた民事不介入のことですね。ですが仲裁の義務があります。これは治安維持省発行の職務規定にも記載がございます。さらに今回のように民間でのもめ事がヒートアップしてしまい、仲裁に入った傭兵に対して手をあげてしまった場合。はい、先輩」

「いてて、このやろー、喧嘩の仲裁に入った魔ッポを突き飛ばしやがったなー」


なんとも露骨に後ろに自ら飛び受け身を取って棒読みで言う先輩。

彼には何が起きたか理解できていないだろうが今ここにでっち上げの犯罪が生まれた瞬間だった。


「いや、俺なにもしてない……」

「このようなケースでは公務執行妨害の対象になります。よって」

「はい、逮捕」

「ちょ、こら待て待て待て! 待てよ! マジで逮捕する気かよふざけんな!」

「あー暴れた手が顔に当たったー、痛いなー」

「はい、傷害罪追加です」

「お、おい、本気か?」


もちろん本気ではない。

こんなやり方認められるわけないしこれがバレたらすぐ懲罰をくらうだろう。

狙いは、この小芝居で有利に話を展開させていくこと。


「逮捕、されたくない?」

「当たり前だろ! てかこんなんで逮捕されんのおかしいだろうが!」

「でもなー、執行妨害の現行犯だしなー」

「それはあんたらが勝手に……」

「逮捕しないであげるからお話し聞かせてよ」

「……………」

「ジル、手錠」

「へい親分」

「わかった、わかったよ! 何が聞きたいんだよ! 話すよ、だからそれしまってくれ!」

「よろしい」


諦めたように両手を掲げた彼を二人で挟み、ユーリから引き離す。


「大丈夫? 手、痣になってない?」

「ありがとうございます……。これくらいは大丈夫です」


呆気に取られて眺めていたユーリだったが僕が声をかけると我に返ったように背筋を伸ばした。


「ご、強引なんですね。さっきまでの二人と違う人みたいでびっくりしました」

「まぁ、明らかに悪いことしてる時には多少ね。あのままだとユーリさんに手をあげてただろうから」

「…………ありがとうございます」


俯いて絞り出した声は聞き取れなさそうなほど小さかった。

婚約者の豹変した態度やこの数日のあれこれを考えると彼女の心もいっぱいいっぱいだろうが、あまり感情移入してはならない。

まだ彼女の疑いだって晴れたわけではないのだ。


「また詰所戻るのも面倒だし、彼からはお嬢ちゃんたちのお家でお話し聞かせてもらっても良い? ここだとご近所さんにいらぬ噂立てられちゃうだろうから」

「もう手遅れだろ……」

「わたしは構いません」

「じゃあ、ユーリさんは少しだけ僕に家に帰ってからの状況を聞かせてもらっても良いですか?」

「あ、はい。ここででしょうか」


また二人を一緒にして話を聞くと彼が興奮してしまうかもしれないので引き離して事情を説明してもらう。

正直、今回の顛末が主題ではなくヘレナさんにまつわる話を彼から聞くことが狙いなのですぐに切り上げて応援が現場に着いたら彼女の保護を任せ先輩に合流しよう、と考えをまとめる。


「えぇ。今日はご自宅は不安でしょうから今から傭兵の応援が来ますので、彼らに宿屋まで送ってもらいましょう」

「え、でもお金、持ってない……」

「大丈夫。傭兵団の経費で落ちますし、うちと提携してくれている宿屋なのでお金の方も警備についても心配ないですよ」

「そういうことなら」


さっさと先輩は彼の首根っこを掴んでユーリさんの自宅へ向かったので、僕はこのまま立ち話の形でユーリさんに話を聞くことにした。


「家に帰ってからいったい何があったんです?」

「はい……。帰ると彼がちょうど出かけるところでした。どこで何をしてたのか問い詰めたんですけど、うるさいの一点張りでわたしもカッとなってしまって。つい、傭兵団があなたを探してるよ、と言ってしまったんです。そうしたら彼が目の色を変えて迫ってきて、逆に色々と問い詰めてきたんです」

「例えばどんなことを聞かれましたか?」

「えっと、なんでおまえがそんなことを知ってるのか、とか、どこで聞いたのか、とか」

「それで?」

「さっきまで傭兵団の詰所で話を聞かれていたことを話しました。そうしたら肩を掴まれてなにを話したんだ、と……。それで怖くなって家を飛び出したんです」

「なるほど。そこで僕らと鉢合わせたってことですね」


はい、とまた俯いて呟くとそのまま黙ってしまう。

また彼とのいざこざで心の整理がつかないのだろう。

出来ることなら彼女の頭を覗いて犯人かどうか確かめたい。犯人でないのなら、彼女の辛い思い出は消してあげたい、と思うがそれは結局何も解決しないことを僕は知っている。

人間は楽をして得た経験より、間違え、失敗し、転びながら踏み出す一歩に学びがあるのだ。

記憶術師としてそう感じる仕事がたくさんあった。


「やっぱり、別れるべきなんでしょうか」

「えっ?」


唐突なその言葉に一瞬体が固まった。

れ、恋愛相談だと…?


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