ようやくお休みです?


「そんじゃジルはおつかれちゃん。後はこっちに任せて。ちゃんと帰って休みなさいよ」


ここまで聞き取りをした内容を引き継ぐとアンネ先輩からまたしても優しい言葉が飛び出た。

なにか裏があるのでは、と勘繰ってしまいそうなものだが連勤続きで倒れてしまいそうだったことに加えて«記憶メモリア»を連続で使用したため、疲労は限界を迎えていた。

今度こそ何事もなく帰らせてくれよ、と願いながらアンネ先輩に感謝を告げ僕らは娼館を後にした。


「あぁ、やっとだ。やっと帰れる!」

「俺も明日休みだし直帰しちゃうか。さっさと乗れよ。帰るぞー」

「送ってくれるの……? 素敵……」

「素敵もなにも俺んちとおまえんち一緒じゃねーか。寮なんだから」


そうなのだ。僕たちは寮住まいなので職場でもプライベートでも同じ空間で過ごしている。

詰所から徒歩十分ほどの場所に傭兵寮があり独身者のほとんどが男女の区別なくそこで暮らしている。

そのため、こうやって公用車で直帰しても誰かに頼んでおけば翌朝には車は詰所に乗っていってもらえる。

二人部屋の同僚もいるが僕は幸せなことに一人部屋を与えられていた。隣の部屋にはデルーマン先輩がいるが、たとえどれだけ薄かったとしても壁という存在にこれほど感謝する日が来るとは思ってもみなかった。

事件が起きて泊まり込みが続くと訓練場に雑魚寝ということもざらなので、プライベートが保たれる幸せを存分に享受できる壁という文明の進歩は偉大だ。

ともあれ、僕の長い連勤が終わったのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「え、暗い……まじか。寝すぎた……」


どうやら太陽はこの街に顔を出して僕に会うことなくまたお帰りになってしまったようだ。

つまり、貴重な休みの大半を寝て過ごしてしまった。

シャワーも浴びずに眠ってしまったようでじっとりと肌に不快な感覚がこびりついていた。

まだぼんやりとしていたいのはやまやまだったが、仕方なく共同の浴場へ向かう。


寮に隣接する形で建てられている浴場は周辺の住民にも安い利用料で解放されているが、ほとんど僕ら傭兵団だけの占有施設となっていた。


「おう。おまえも今起きたとこ? この時間の風呂、混んでるから嫌になるよな」


更衣室でそそくさと部屋着から着替えていると声をかけられた。

立派な肉体を誇示するように、全裸で仁王立ちをしたデルーマン先輩だった。

さらに周囲を見回すとガタイの良いおっさんたちで埋め尽くされており、更衣室なのにまるでサウナのような熱気が立ち込めていた。


―さっき出頭したヤクザって魔術師くずれのやつだろ?―

―なんか最近売人の検挙率低いな、なんかあったんかね―

―こないだここ興奮したホシに切りつけられてさー、9針縫ったよ―


などなど、物騒な顔と身体から飛び出る物騒な会話が最高に居心地を悪くさせている。

こんな空間に喜んで風呂を楽しむ一般人がいるはずもなく、結果僕たち魔ッポ専用のお風呂場になってしまっているのだ。

僕はもう慣れたもので気にはならない。

さっさと先輩と雑談を交わしながら体を流し、この後に外へ繰り出す約束をして部屋へ戻る。


生まれ変わったような心地で部屋に戻ると、散らかっていた部屋を片づけていく。

あたたかな印象の明るいベージュで統一された色合いの部屋は、キッチンを除けばシングルサイズのベッドと本棚、机にクローゼット、一人掛けのソファでもう埋まってしまうほど狭い。

これから食事に出かけるというのにあまりにもおなかがすいたので魔石式冷蔵庫を開けて中を覗くものの、中にはハムが半分ほど残されているだけでしかもよく見ればカビが生えていた。考えてみると、しばらく詰所に泊まり込んでいたので自宅に戻るのは5日ぶりのことだった。

そうか、この部屋には寝る機能以外はついていないか、と諦めた時、部屋のドアが勝手に開いた。


「よぉ、早く行くぞー」

「先輩、ノックって文化が人間にはあること知ってます?」

「存在は知ってる」

「えらいですねー、次は実践できるともっとえらいですよー」


僕の皮肉を気にする素振りも見せず、デルーマン先輩がずかずかと部屋へ上がり込んできた。

僕と同じように冷蔵庫を覗き込み「げっ、カビ生えてんじゃねーか」と言ってこれまた勝手にハムをごみ箱に捨てた。カビている部分を削ればまだ食べられるのに、と言いかけて腹を壊すよりはマシかと思いなおす。


せっかちな人なので僕の身支度が待てなくて迎えに来たのだろう。

部屋着から外出用のシャツと綿のパンツへ着替え、男二人夜の街へ繰り出す。


向かった先は昨晩の事件があった繁華街にも近い居酒屋で、寮から離れているため他のむさ苦しい同僚ともあまり顔を合わせずにすむ。


まずは黒麦酒を頼み、グラスを合わせた。


「連勤おつかれ!」

「きつかった……」


ぐい、とグラスを傾けるとのどを通る麦酒の炭酸が喉を刺激する。ほろ苦い味わいがじんわりと口に広がっていくのがたまらない。

他国では常温でぬるい麦酒が定番のようだが、ファーレンでは魔石式冷蔵庫が広く普及しているからかよく冷えた麦酒が当たり前のように出てくる。

常温の麦酒も味わい深いけれど、暑い季節にはこの冷たさが爽快感にあふれ気持ち良い。


「いやぁ、やっと休みって感じですねぇ」

「休みでも俺らペアで行動してるのちょっと気色わりぃけどな」


実際休みが被ることが多い僕らは、なんだかんだでこうやって休暇もお互いパートナーがいない寂しさを飲み明かすことで紛らわせている。

今日はそのほとんどを寝て過ごしてしまったが、こうやってお酒を飲むことでやっと休日だと実感する。

お通しで出てきた小魚の甘酢漬けをちびちびかじりながら幸せに浸っていた。


「まぁほかにちょうど良い相手もいないしな。ところで今回の事件どう思う?」


休みを満喫しようとした矢先にさっそく仕事の話かい、と言いたくもなるが結局いつもこうなるのだ。

僕らは常に治安部の傭兵で、休みだからといってそれは変わらない。

制服を着ているか着ていないかの違いでしかないのだから自然と事件の話になってしまう。


「そうですねぇ。アンネ先輩からあの後の話を聞いてみないとなんとも。ただ、なんかあの待機室、妙な臭いがしたような気がしますね」


僕は昨晩、娼館に入った時からずっと違和感を感じていた。

香水やアルコール、タバコの匂いが混じりあってしっかりとつかめなかったが、嗅いだことのない異臭を感じていた。

腐臭のようなものとは違ってもっと甘いものが焦げた時のような。


「そう? そこは俺は気付かなかったけどな。ていうか下着ドロボウもあそこの娼館からの訴えだよな。 そのあたり絡んでると思う?」

「あー、それ! 放火の件でってメリダさんに言われたんで聞きそびれちゃいましたけど、もしかしたら下着盗まれたのってヘレナさんなんじゃないでしょうか。古株だって話だったし、追っかけもいそうでしたね」

「可能性は十分あるよな。っていうかこんな短期間で事件が並行で起きるのもなんかありそうだし。そうしたらやっぱり痴情のもつれ、怨恨、あたりで動機はありそうなもんだけど」


二人してああでもないこうでもないと推理をしていくものの、やはり手掛かりにかけていてどこか腑に落ちない。

気が付けば料理の乗った皿はキレイに片づけられ、麦酒は七杯目のグラスが空いていた。

もちろん、全て僕たちの胃の中に納まっている。


「ま、とりあえず明日なにかやっつける事件が起きなければ部長にこの事件追わせてもらえるように頼んでみっか」

「そうっすね。とりあえず今日は帰りますか。ゴチになります!」


そう言ってさっさと席を立ち店を出ようとするものの肩を掴まれ立ち止まる。


「ワリカンだよ? 給料日前だし」

「いや先輩奢ってくれるって言ってたじゃないですか!」

「いつとは言ってないじゃん」


記憶力は他人より優れているのですぐにそのシーンを思い出せてしまう。

確かに言っていなかった。


「奢るって言ってたこと僕は絶対忘れないですからね。忘れられないからモヤモヤするんでさっさと奢ってくださいよ!」


はいはい、と背中で返事をしながら彼は僕が渡した小銀貨数枚を手に会計へ向かう。


「ついでに小便行ってくるから外で待ってて」


僕もはいはい、と背中で返事をして店を出る。


店内の熱気が半開きのドアから滑るように流れ出て、入れ替わるように忍び込む新鮮な風は僕の体を撫でる。

アルコールで火照った頬に伸びた夜の手のひらは、余分な熱を吸い取ってくれるようでとても清々しい。


ふと、爽やかだったはずのその空気に違和感を覚える。

これは、間違いなく昨日あの娼館で感じた妙な臭いだ。甘く、焦げ臭いような臭い。

僕の嗅覚はとびぬけて鋭いわけではないので、近いとはいえ距離のある娼館からここまでこの臭いが運ばれてきたとは考えにくい。

ということは、とあたりを見回す。

周りは僕と同じように酒場で楽しんでいたのであろう酔っ払いで賑わっていた。

その中をうつむきがちに早足で歩く一人の人物に気が付く。

間違いない、«巻き戻しヴォルタ»に写っていたあの人物だ。

ほとんど個人を特定する情報は得られなかったあの映像だが、記憶術師の僕にとっては目の前に同じ角度で同じ形のローブを着た人間が横切ればそれは確信を得られる根拠になる。

背格好、サンダル、全てが記憶の中の映像と間違いなく一致する。


「せっかくの休みだっていうのに見つけちゃったよ、まいったな」


僕はそいつから視線は外さず、独り言を溢した。




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