記憶魔法は万能じゃありません!


僕の専門分野、記憶魔法。

記憶などと凄そうに聞こえても実は大したことはない。

小説にでてくる悪役のように対象を選ばず記憶を書き換えたり、忘れさせることは出来ないのだ。

そもそも素質を持つ人間が少なく、習得が難しいわりに普通に使ってもてんで大したことのない魔法ばかりなので使い手はあまり見かけない。


どんな魔法かというと自分に使えば記憶力を良くし、たいていのことは忘れないし思い出せるようにできる。

赤の他人にかける場合は制限が多く、普通に使えば記憶の引き出しを開ける手助けをしたりする程度で探し物の役に立てる、くらいのものだ。

対象がどれくらい自分に心を開いているかによってできることが大幅に違ってくることがこの魔法の特徴で、その分使える場面を選んでしまうため使われなくなっていった側面もあるのかもしれない。


しかし、特殊な例として魔力合わせという一種の契約を結んだ相手にはある程度の記憶の干渉を可能とする。個々人が持つ記憶の集積所、”記憶の回廊”へ入ることができるのだ。

お互いに心から望まないと契約自体ができないので使える状況はかなり限定的だが、ここまで相手に踏み込めると一気に記憶を操作できる幅が広がる。

本当に忘れたいと願う記憶がある人、どうしても思い出さないといけない記憶を求めている人たちにとっては最後の手段として存在している。

魔力合わせ自体が性交渉に例えられるほどのことなので滅多にできるものではないのだけれど、人にすべてを覗かれてでも叶えたい願いというものは確かに存在するのだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「みなさぁん! 一歩後ろに下がってくださぁい! あぶないですよぉ!」


ペルノの綿あめみたいに甘ったるい声がふわふわと響く。

言い終わらないうちにズズズ、という音と共に地面がせりあがってくる。

彼女が得意とする地の魔法、《ムーロ》によって隆起した地面が石畳をつき破り即席の目隠しを作る。その声に似合わず魔法の方はカッチカチだ。

これで野次馬からは中でなにが起こっていてもわからない。

ついでに魔術師のみなさんも外に逃がさない。


「ごめんな、クライフじいさん! あとで治してやるから我慢しな!」


作戦通りデルーマン先輩が火の魔法でクライフ係長の頭を拳一つ分だけ焦がす。

一瞬の熱にクライフ係長は驚き身をよじって暴れるが、残り少ない頭髪は容赦なく燃えていっている。


「うおっアツッ! なんじゃコレ! ちょっ!コラ、デルーマン!? 放せ!」

「落ち着くのはアンタだよ! ジイさん!」


やっと僕らの存在に気が付いたようだが、もう遅い。

バランスを崩したクライフ係長の背後に回り込みがっちりと羽交い絞めにするデルーマン先輩。

さすがは若手のエース。傭兵とはいえ初老では相手にならない。

じたばたと暴れるクライフ係長の抵抗むなしく、全く振りほどけそうもない。

拘束するや否や先輩は魔法を消したので、どうやら彼の頭髪は延命に成功したようだ。

 

「ジル、いいぞ! 来い!」


そうデルーマン先輩が叫んだ瞬間、拘束されているクライフ係長の目の前にマッチほどの揺らめく炎が現れる。

デルーマン先輩が無詠唱でだした小さな炎だ。ご丁寧に水の中をたゆたう海藻のような揺らぎまで表現されている。

うん、完璧。


「係長。クライフ係長。この炎を見てください。ゆったりと。気持ちを落ち着けて」

「放せ! ん……ブルム?なにを……」


暴れていたクライフ係長だがここまできたらもう僕の魔法から逃れられない。


「炎が ゆらゆら、ゆらゆらと揺れているのが 見えますね。炎が、だんだん頭の奥の方まで届いていきます……」


クライフ係長の目がとろんとしてきた。


「ゆっくりと 静かに ゆらゆらと 揺れています。 体が楽になってきましたね。そのまま、体を彼に預けて」

「……………」


かかりやすい人で助かる。さっそく落ちた。


「«記憶メモリア»」


僕は魔力を込めて詠唱をするとともにクライフ係長の記憶に入り込んでいった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



真っ暗な空間に立っている僕のまわりをシュルシュルと映画のフィルム型スクロールのようにクライフ係長の記憶が流れていく。


催眠状態にあると心の壁が薄くなり記憶魔法は非常にかかりやすくなる。

面倒ではあるが傭兵や魔術師のように魔法への抵抗力がある人物には有効な方法だ。

不意を突けばこじ開けることも可能なのだが、傭兵団員には僕の能力を知っている人間も多いので心の障壁が強固に形成されていることも多い。


とはいえ催眠を用いたところで無理やりこじ開けた記憶の回廊なので、係長の大切な思い出や見られたくないのであろう部分は真っ黒に塗りつぶされているのが遠くに見える。

覗くこともできそうだが、今回は必要ないだろう。


「このあたりかな……。あ、あった。ここで運搬獣を発見したのか。よし、ここから記憶を飛ばすか」


近くにあった一コマにクライフ係長の視点で運搬獣を発見した状況が映し出されている。

それに触れるとその時に彼が考えていたことが僕の頭に流れ込んできた。


『あの子が失踪した運搬獣か、かっわいいなぁ。怪しい連中に囲まれて怯えてるのか……。守ってやらないといかんな……』

『この子すっかり怯え切ってるじゃないか! 動物が物言えねえからってこいつら! 許せねぇ!』

『拘束してこいつら逮捕してやる! ん? なんか頭が熱い……燃えてるじゃねーか! なんじゃコレ! ちょっ!コラ、デルーマン!? 放せ!』


なるほど、こういった顛末だったのか。

なんて単細胞なんだ、と呆れつつも僕はそれらフィルム全てに息を吹きかけ記憶を消去する。

一吹きごとにフィルムがほろほろと崩れ細かな光の粒子となり散っていく。


決して強力な魔法ではない記憶魔法でなぜこのように干渉できているのか。

僕が使う«記憶メモリア»は自らに誓約をかけることで強制的に人の記憶にアクセスする。

その誓約は、が人の記憶に入ったことを忘れること。


誰かに«記憶メモリア»をかける時は記憶の回廊から僕が出る際に自分にも忘却の魔法が自動でかかるように設定されている。

それ故に対象がどのような記憶を持っていたのか、その記憶を僕がどう操作したのかを一切覚えていられない。

魔法を使うと、気が付いた時には魔法をかけるその手前の瞬間へ僕の意識が飛ばされてしまう。

小説にでてくる悪役のように自由自在に他者の記憶に干渉するには代償が必要だったのだ。


記憶術師としては正直こんな誓約をかけてしまうと使い物にならないのと同義だ。


しかし、とある依頼でどうしてもこじ開けないといけない記憶があり、僕は普通の術師としての暮らしを捨て今の生き方を選んだ。

現在は少しでも他人の記憶に干渉する際は記憶が失われるので、危なっかしくてソロでの活動はなかなか出来ない。


この誓約を用いた魔法の使い方を知られてしまうと悪用されることは目に見えていたので、どう扱ったものかと頭を悩ませていたところ当時の依頼主であった傭兵団に尻尾を掴まれ「内緒にしてあげるからウチでその腕ふるわない?」と誘われたのだった。

一人での活動も無理だろうと感じ始めていたし、誰にもこのことは明かさずに違う種類の魔術師への転職を考えていたところだった。

しかし正義の傭兵団ならきっとこの能力を導いてれるだろうと思っていたのに、今はこれだ。もみ消しだ。

もちろんこんな場面ばかりで使うわけではないが、もうちょっとほかに出番があるだろうとも思う。


「………係長、勝手にのぞいてごめんなさい」


こうやって合意なく人の心に踏み込むときはいつも罪悪感でいっぱいになる。

クライフ係長も僕に昨日の晩餐を誰と過ごしたのか知られたくはないだろうし、僕だって知らないほうが良かったことだってある。

なので誓約のとおり、ここに入ってきてしまった僕の記憶と一緒に彼の記憶を飛ばす。


彼は運搬獣を発見する直前の状態へ。

僕は催眠をかける直前の状態へ。


「«記憶メモリア»」


意識が引っ張られて自分の体が細く長く伸びていく。

自分自身が限りなく圧縮され一本のパスタのようになっていくようなこの感覚は何度経験しても慣れない。

気持ち悪いな、と思うのと同時に«記憶メモリア»が成功した証でもあるので安心する。

そこで僕の意識は途絶えた。

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