第05球 溺れる

          2014年 8月24日 練習試合


   1 2 3 4 計

東領:0 0 1 0 1

大沢:1 0 1   2


 4回裏 2-1 一死一二塁 0ボール0ストライク


 2回目の僕の打席が回ってきた。打撃に苦手意識を持っている僕はバッターボックスの後ろ、キャッチャー側の白線上に右足を置き、グリップエンドから指2本分空ける。バットがホームベース上のどこにでも届くのか確認するように、ホームベースの左打者側を軽く叩く。左手は第三関節、右手は手のひらを中心に第二関節を揃えながらバットを握り、少し左足を三塁側に設置しながら顔の高さ右肩の前付近にバットを構える。2球連続で外と高めに外れてボールが続き、3球目のストラークゾーンに甘く入ってきたボールに対してフルスイングするが、ボールの下をかすめ捉えきれずに後ろに飛ぶ。


 肩に力が入り過ぎているのが自分自身で分かったため、バットを振り子のように2回揺らしながら一度、右肩にバットを乗せ深く息を吐き出してから構える。


(今、やることは投げることメイン。打てるボールだけ狙って打つ)


 次に来る球だけに集中をすると目が据わる感覚がはっきりと分かった。投手がセットモーションからボールを投げるが、急に速度が遅くなる。


     あ、これ


 野球を続けてきて時々これを体験できるときがある。雑音のはずであった周囲の音が一瞬で聞こえなくなり、投手とボール以外の視界が全体的に薄暗くなる。そして僕の懐付近に向かってきているボールの動きが遅く見える。

 ゾーンと呼ばれるこの現象を経験できたのは、僕の野球人生7年間の中でも、片手で数えきれるだろう。プレー中に気づくことなどあり得ないが、その刹那の一瞬は、終わった後にいつも気づく。


 4回を投げ終え、70球以上を超えているだろうか。自分の身体は普段通り動くと思っているが、身体への負担は着実に蓄積されている。僕のスイングスピードなど普段と比べると、止まっているようかのように、信じがたいほど遅かったと思われる。僕のベルト付近、真ん中寄りのインコース。そこに投じられたストレートは、本来の疲れていない僕でも捌き、捉えきることは出来なかったであろうボールだった。それでも何故か僕の身体は動いていた。僕は今の持てる限りの力を振り絞り、バットを振り切る。そのバットを振る速度でさえあり得ないほど遅く感じる。余りのスイングの遅さとボールを捉えるのに体感時間が長かったので僕は思わず目を閉じてしまう。ボールとバットの反発した感覚は、僕にはほとんど無かった。それでも、ボールとバットがぶつかったであろう心地よい金属音が僕の耳に響いた。一塁方向へ走り始めると、三遊間の方向に地を這ったような打球が転がっていた。決して弾むことなく、三塁手と遊撃手の間を素早く抜けていく。




 硬球を真芯で捉えたあの感覚。それは僕の身体は、忘れてくれない、記憶からも二度と忘れることは出来ない。そう思った瞬間だった。




 その後、2点を追加して攻撃を終えると、5回、6回と1点取られたが、投げ終えてベンチに帰ると、ポジション交代を言われた。6回きりの、たった6回の。されど6回。僕は投げきった自信が身体中を襲っていた。


選手交代 7回表

投→中 野崎、中→右 藪下、右→二 外崎、二→遊 林、遊→投 西川


① 投   西 川

3 二   外 崎

5 遊    林

7 右   薮 下

9 中   野 崎

※打順の〇数字は左打者


 その後、僕たちは追加点を2点取り、練習試合は6-3で勝利した。全失点の3点を取られたのは僕の責任だったが、何より、初先発で初勝利を経験できたのが僕の中での一番の喜びだった。


練習試合:大沢 6 - 3 東領

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 H E

東領:0 0 1 0 1 1 0 0 0 3  6  3

大沢:1 0 1 2 0 0 2 0 X 6  10 0

勝利投手:野崎 セーブ:西川

敗戦投手:神谷


本日の成績(野崎):

4打数1安打 2三振 打率 .250

6回 投球数 125球 打者 27人 被安打 6本 

   四死球 6個 奪三振 3つ 防御率 4.50

   失点 3 自責点 3




 練習試合が終了すると、グラウンド整備をして今日の全体練習は終了した。帰りは方面が似ていた南山たちと一緒に帰宅したため、疲れていたはずの僕は行きよりも早く家に着くことが出来た。ガラガラと音をたて、玄関のドアを開けると、母親の出迎えと供に、汗を流すように催促される。そのため、洗い物を全て出すと、衣服を全て脱ぎ風呂場へ向かう。


 久しぶりに湯船の中にお湯を溜めて浴槽に入る。正直、真夏のこんな日に風呂に入るなんてことはまずあり得ない。夏場はシャワーだけで終わらせる家庭だった。それでも何故か、僕はお湯を溜めていたのだ。


 先ほど、6時間も経っていないあの感覚、右手前腕を湯船からだし、手のひらを自分に向け、握っては開きを繰り返し行なう。一度やめ、左手でやってみるが、もう一度右手で繰り返した。今までの野球人生で18.44mといった短い距離を一日で100球以上投げたことはもちろん無かった。投げる機会すらあるなんて思ってもいなかった。そんな僕にとって、右手の握力が残っていない不思議な感覚がまだ、身体に残り続けている。何か物が握れなくなるとか、力が入らない訳では無い。感覚が鋭くなったり、鈍くなったりするわけではなかった。それでも、今まででは感じたことの無い不思議な右腕の感覚だった。




 あの景色、見くだすわけではないが山に登った僕が皆より少しだけ高い場所にいるため、視線が下に見おろすような不思議な位置。皆が僕の一挙一動に注目していた。


 自分が意図したように物事を運ぶ、相手の攻撃をいなしていく感覚


 楽しさ・面白さ・嬉しさ・高揚感


 ちっぽけな僕に真っ正面から本気でぶつかってくる闘争心が目に見えるあの時間


 もちろん、良いことだけでは無かった。


 打たれる悔しさ・点を取られる悔しさ・思った通りの場所に投げれない悔しさ


 嬉しいだけでは無く、辛い時間も周りに迷惑をかけている感覚も確かにあった。

そうだとしてもその悔しさたちを一瞬で超えてくる。あの瞬間


     三振を取った快感


 僕が野球をやってきて、今までで初めての体感した経験。僕が経験することなど無かったと思っていたあの経験。


 全部、全部ひっくるめて、あの感覚を忘れることなんて永遠に出来ない。






          そう、





















          最高だった










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