第03球 10人の試合

          2014年 8月24日 8時4分


 夏の大会に負けた二日後、僕たちは既に新しいチームとして活動していた。今日は文化祭の準備があるので、2年生の先輩たちは今日の練習には来れない。僕たち一年生だけで練習試合をするために別の高校に集合していた。自転車で1時間、1人で慣れない道を漕いで来たため、疲労はあり得ないほど僕の身体に蓄積されていたようだった。駐輪場に自転車を止めると、ハンドルにもたれかかりながら大きく肩を動かし息をする。余裕を持って出発していたため、時間は1時間近く早く着いたので、休憩するには十分な時間は余っていた。


 息が整い始めた頃、ぽつりぽつりと僕たちは駐輪場に集まりつつあった。集合時間5分前には見慣れたミニバンが高校内のロータリーに入ってきた。僕たちはその車が止まったのを確認し、近づくと大きな声で挨拶をする。車のトランクを開けて貰い、僕たちは学校から運んで貰った道具を担ぎながらグラウンドまで運んだ。

 午前中は広いグラウンドが使えるので、僕たちはチーム合同で練習をした。人数が多ければおそらく2試合だったのだろう。それでも、僕たちも相手高校も10人前後と人数が少なかったため、2試合を行えなかったのだ。午前中は僕たちのグラウンドでは出来ない内外野の連携を確かめる守備練習と、マシンを使ったフリーバッティングの打撃練習を一通り終えると、昼食の時間となったため、午後からの練習試合に向けて準備を整える。


 僕たちのチームは缶の筆箱に各々の名前が印字された磁石が入っており、ふたの内側部分に次の試合のスターティングオーダーとして組まれたものが貼られている。

 既にマネージャーの宮永が筆箱のオーダーを見ながらスコア表にオーダーを書いていた。オーダーを知るために何人かがすでに集まっていたため、僕も気になったので見に行く。


 後攻:大沢高校       先攻:東領高校

① 遊   西 川     ① 投   神 谷

2 三   東 条     ② 中   大 島

3 右   外 崎     3 三   木 村

④ 一   山 岡     4 捕   島 崎

5 二    林      5 遊   下 山

6 左   川 上     6 一   会 田

7 中   薮 下     7 二   和 田

8 捕   南 山     8 右   佐 藤

9 投   野 崎     ⑨ 左   溝 口

※打順の〇数字は左打者


 僕の背中に大きな寒気が通る。今までの野球人生において投手なんてしたことがなかった。やるとも思っていなかった。そんな僕が「9番投手」として記載されていた。やるしか無いと、変に気合いが入った。

 僕たちの学年には投手をメインに守っている人がいなかった。今日の試合も誰が投手をやるのかはチーム全員が気になっていた事だった。元々、僕たちの代は外野手が4人いたし、怪我で田口は試合に出られなかったため、外野手の誰かがやることは薄々全員が気づいていたのだが、僕が抜擢されるとは思ってもいなかった。


 試合前にブルペンで投げ込みをしているとコーチに釘を刺される。


「無理に抑えなくて良い、試合を壊さないようにしっかりと投げればそれがお前の役目だ」


 僕なりの元気良い返事を全力で返したが、そんな言葉をかけられても人生でもう投げる機会など無いと思い、この機会は一世一代のチャンスだった。






     1回表 無死 0ボール0ストライク


 山に登る。遊びでなら投げたことはあった。ここから投げるボールは自分が意図した場所よりも上に抜けることが多いことは知っていた。それでも、思いっきり投げるしか僕には分からなかったから、一球目の投球練習はただ我武者羅に投げた。あり得ないほど上に抜け、後ろの金網にガシャンとひどい音をたてる。あの暴投は未だに鮮明に覚えている。あの一瞬は色々と怖かった。

 

 打席に人が立っている状態で投げたことなど無かった。今、始めて一対一の対戦するのだ。始めてここから投げるのはもっと緊張すると思っていた。それでも、その緊張に気づける余裕すら僕には無かった。目の前の黒く丸い、あの入念に手入れされた革に向かって投げるしか選択肢なんか無い。あの試合の集中力は自分でも驚くほど研ぎ澄まされていたと思う。

 僕の目の前に座るのは、全身に防具を着けた南山。そう、あいつを信じて投げるしか無い。南山は捕手としてずっとプレーしてきているから大丈夫。試合前のブルペンで試した付け焼き刃のカーブもある。僕は”まっすぐ”との2球種でこの試合を乗り切ることしか考えて無かった。


 主審の声と指先が僕に向いた後、南山からサインがでる。


(んーっと、アウトローの”まっすぐ”か)


 初めて僕に向けられたサインに思わず頷いてしまう。

 ベルトの金具に置いた黒い外野手用グラブに右手を突っ込んでいた僕は、左手の甲を見せるように大きく振りかぶる。それと同時に、プレートに開いて乗せていた両足を動かす。左足を後ろに一歩動かすがプレートの横枠に収まらない左足、右足も少しだけプレート上で斜めに動かす。右足をプレートに沿わせると、つま先がプレートの右端とほぼ一致する。それと同時に左足をあげるとその太ももは地面とだいたい平行になり、首の高さほどに相手打者は僕のグラブのメーカーラベルが見える形で両手を持ってくる。力が入っているせいでふくらはぎは膝から真っ直ぐに降りているのでは無く、僕の体重を支えている右足側に傾いていた。ずっと南山を凝視しながらヒップファーストを意識して右足に乗っていた体重をお尻から前に突き出すように重心を動かす。そのせいでやや背中が正面を向く。左足はプレートから垂直に線を引いた位置、右足首から伸びる線上に着く。両手は円を描くように下に動かし左手が肩の高さ辺りに来ると、グッと力を入れ壁を作るように止める。右手が弓を引いた状態のように僕の両腕が肩と同じラインに並ぶと、左手を胸元へ思いっきし引くのと同時に、力が逆転したかのように右肘は僕の耳元を通過しながら身体をひねることで、人差し指と中指の指先を前に突き出すように投げる。


 放たれたボールは、まるでよそ見など知らない無邪気な子供のように南山の黒いミットに真っ直ぐ向かいそのまま収まる。僕の帽子は左目と鼻筋まで隠すように傾き、振り下ろしたはずの右腕は脱力をした雰囲気を残しながら僕の頭よりも上にあった。左足のほぼ並んだ右側の肩幅ほどの位置、少しだけ右足が左足より前に着地する。


 「ストライーック!!」


 甲高い声と同時に主審の右手がガッツポーズを作るように挙がる。僕の背中を通過するように腰から頭にめがけて下から鳥肌が立つ。



     これが僕の投手人生を築く最初の一歩だった


――――――――――――――――――――――

登場人物Profile(2014年 4月時点)

山岡 慎太やまおか しんた

大沢高校 1年D組

身 長 :186.7 cm 

体 重 :79.5 kg

投 打 :左投げ左打ち

守備位置:一塁手

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