メランコリー クレイドル
ドンカラス
第1話 メランコリー クレイドル
1
夕日が観覧車の頭から足元までを照らしていた。高校三年の十月、少年は一人、ゴンドラに乗っていた。ショルダーバッグを頼りない手つきでひざ元にのせる。
ぐんぐんと上っていく。かごの南側には山が、北側には海が、ともにとめどなく広がっている。自然に囲まれた遊園地、その最大の遊具にゆられている。
大きくはない。ビル5階建てであろうかというその観覧車は、しっかりと園内の様子を眺めることができた。
人っ子一人、歩いてはいない。園内の寂しさに、少年は胸の中に重いものがおりてきた。真っ赤な太陽が海面にさし、暑くはないのに、のどが焼けるようにぶるぶると震えてくる。不安で体が動かせなかった。
2
入口に係員が一人、観覧車のとこにも一人、二人だけが入園してから見たスタッフだった。実際、園内で勤務する職員は二人しかいなかった。
田舎の海沿いに建てられた遊園地。山の端を小さく切り取ったような土地に、十分の一ほどの面積をとっている。それでも、学校の敷地ほどの広さもない。
開業した頃は大繁盛であった。数十万のお客さんが来たというのだから、きっと大行列になっていた。
少年自身にも、たくさんの人が集まった時期があった。小学一年生で画用紙に上手な絵を描いたとき。小学四年生の、地元のスキー大会で優勝したとき。同級生や先生、帰ったら両親に、親戚の集まりの時は大人たちに褒められたりした。
少年は自分が物の得意な人間なのだと思うようになった。彼はあの頃を思い出すと、また胸が重くなる。手元から視線をどけると、沈んでいく斜陽がよく見えた。ジンと胸を突かれて、目頭が熱くなっていくのを、そのままにした。
3
遊園地は一年ほどで衰退していった。立地が良くなかったのか、観光客が来るようなところではないし、地元の人は年に一回行けばいいほうであった。
メリーゴーランドが四つだけあった。三つはパラソル状の屋根が押しつぶされており、運転しているのは一ヵ所のみであった。恐らく、雪の重みを知らないものが建設にかかわったのだろう。
開業から五年目の今日、最後の開園日である。閉園間際に来る人間は、少年のみだった。一台の錆ついたたスピーカーは何も奏でず、町内無線でドヴォルザークの新世界より『家路』が少年の入場曲となった。もう、家に帰れないかもしれないというのに。
目にたまったものが流れるのを袖で拭いた。拭きながら、鼻からも同じものがながれでた。バッグの上に残しておいた手に、ひたひたと音を立てて水滴がぶつかる。
喉のひりつきが
4
この遊園地には中学三年のころ、両親に一度だけ連れて行ってもらったことがある。成績は学年で一番下。それでも内申点はそこそこあり、なんとか県内で中位の高校に入学できた。
お祝いとして、旅行をすると言ってくれた場所がこの遊園地である。少年の家族は裕福ではなかった。両親とも共働きで、ほとんどの稼ぎは生活にかかる費用に使われた。それでも、高校に通わせてくれた。
友達の旅行話がうらやましかった。東京の遊園地に行ったやら、仙台のウォーターアミューズメントパークに行ったやら、小学校のころから、両親に旅行に連れて行ってと頼んだいた。卒業と入学祝を兼ねての旅行が、家から車で一時間ほどでつける遊園地だったので、少年はあからまにガッカリした。
両親が笑いながら家を出て、後ろをつまらそうに小石をけりながらついて行く。車からなかなか降りてこない少年を母親が明るく呼びかけ、気だるそうな声で、眉間にしわを寄せながら返事をした。ソフトクリームをさも大事そうに、一個だけ持ってくる父親に、『おなか壊すからいい』と目線を合わせずに吐き捨てるようにつぶやいた。
少年を乗せたかごは、一番高いところまで彼を運んだ。思い出に心臓のあたりがぎゅっとつかまれて、音がしなくなるのを感じた。だんだんと鼓動を取り戻していき、泣き止んでいた。
「ごめん……お母さん、お父さん」
のどに焼けた痛みを残したまま、声をひねり出した。
グシャグシャになった顔は向かいの太陽に照らされ、哀れなほどに濡れていた。
「おれ……やっぱりだめかも」
勉強も、得意だと思っていたことも、両親を安心させてあげることも、少年にはうまくいかなかった。やりたい仕事がわからないまま、国立大学を志望し、バッグにはE判定の模試結果が入っていた。
5
少年にとって高校生活は、思い出に残らないものだった。相変わらず成績は低いが、生徒の人数が十倍ほど増えたため、一番低いわけではなかった。二百位を上回ることはなく、下には二十人ほどいた。部活動もやらず、まっすぐに帰宅して、テレビや小説を娯楽としていた。
通学の電車から毎日のように遊園地を見ることができた。生気をなくしたように、深く席に腰をかけて窓を眺めると、背の低い外壁と観覧車が見えた。入学して数ヵ月のうちは目障りなものをみるように、さっと視線をずらしていた。
親戚の集まりがあると、大人は少年の両親を心配そうにねぎらっていた。『やつれてるねぇ、ご飯は食べているの、困ったことがあったら何でも言いな』など、親切に声をかけていた。居間のガラス扉越しに、キッチンの冷蔵庫から水を取りに行った少年はそのような話を小耳にはさむと、音を立てず駆け足で階段を上がった。少年は目立った成績が出なくなったころから、親戚が来るといつも二階にこもった。
観覧車は折り返していく。東の空は青っぽく夜へと変化している。頭の中を鈍い痛みがゆっくりとたたく。どっと泣くのは久しぶりであった。崩れるように腰を落とし、背中をゴンドラに預けた。左に顔を向けると、少年がよく通った線路が見えた。大きい山肌に森林が鬱蒼と生えている。
6
二ヵ月前の高校最後の一学期。少年は一番お金がかからないという理由で国立大学を進学先に選んでいた。担当教師はボールペンで自身のこめかみをぐりぐりと押し付け、目を固くつむっていた。少年も同じ気持ちだった。
両親から、大学に進学してほしいというのが、晩ご飯後の会話だった。高校二年の春から話題が上がり、三年に上がったタイミングでは毎食、手口を変えて大学の話をしていた。
「大丈夫!圭ちゃんは昔っからやればできる子だから!今からでも本気で目指してみない?」
「圭、母さんも父さんも、圭には幸せになってほしいんだ。大学に入った方が、楽しい人生が送れるぞ。おまえは勉強ができる、やらないだけなんだ。父さんは、ここが頑張り時だと思うぞ」
圭と呼ばれた少年は、石油ストーブの前でテーブルに並んだ食材を見ていた。両親と目を合わせたくなくて、なんとなく肉じゃがを眺めていた。
進められるがまま、特に勉強するわけでもなく夏を迎えた。受験と夏休みの関係は学校で散々聞かされていた。少年も久しぶりにやる気になって机に向かった。
夏休みに入ると、昼は図書館で、夜は明かりをつけてペンを走らせた。母親はコーヒーと水に浸した一口サイズのリンゴを持ってきてくれた。
「ありがとう」
珍しく感謝を口にする少年に、母親はあまり表情にこそ出さなかったが、半年はこの出来事を自慢話としてママ友に話すつもりであった。白髪が見え始めた黒髪を後ろで結び、しわも目立つようになっていた。なにより、からだによくない兆候が出たのであろう、不自然なほほのこけかたが目立っていた。少年は母親の変化に気づいていなかった。
母親が昼頃、勤め先で倒れたのはそれから一週間後だった。15時前、自宅に電話がかかった。少年しか自宅にいないので出ると聞きなれた父親の声が聞こえた。急いで支度するよう言われ、何が起こったのかは車の中で知らされた。
7
観覧車に乗った時と同じように、バッグに手を置いた。ぎゅっと肩に引っ掛けるベルトを握りしめた。乗車口に戻る少し前の方まで来ていた。将来の夢はまだ、見つかっていない。目に宿った光はただ、眼前の目標に向かっていた。
病院から帰宅すると、少年は父親に就職するといった。迷惑はかけられないともいった。少年が話し終えるまで、父親は静かに聞いていた。父親はしばらく腕を組みながら何ともわからぬ顔で少年を見つめた。少年はその瞳にたじろいだ。怖いようで、温かいようで、初めてのぞかせるやさしい父親の顔だった。
「圭はなにがしたいんだ?」
そう話を切り出した。
「俺も母さんも圭に幸せになってほしい。けどそれはな、圭自身が見つけなきゃダメなんだ。進学を圭に決めさせなかったのは俺たちが悪かった。それは本当に済まないと思っている。何も言ってこないうちは、進学させようと決めていた。
いいか、すぐに働いたって、なかなか幸せにはなれないぞ。父さんたちをみればわかるはずだ。そのうち無理がきて、体を壊しちまう」
「でも、中卒でも立派な人はいるじゃん。それに俺は高卒だよ。多少はましな仕事に就けるって」
「そういう人たちはな、しっかりと自分を持っている人たちなんだ。心が何をしたいのか、進む道が分かっている人なんだ。圭はそうじゃないだろ。自分が何をしたいのか、まだよくわかってないんじゃないのか」
少年は何も言えなかった。反論一つできなかったが、父親の言葉を素直に聞いていた。早い段階で盛り、衰えた少年は、もう一度立ち上がる準備をしているようであった。
「もっと知ってほしいんだ。世の中にはな、いろんな職業や、考え方や、生き方がある。必ず自分が歩きたいと思う道があるはずなんだ。それを見つけないまま社会に出てみろ、圭は忙しさに追われて、何も見えなくなるぞ」
「仕事しながらじゃダメ?」
「それは、どうしてもの時だ。まだ父さんが頑張ってあげられるから。お前のためにずっっとためていたお金だってある。心配するな。
母さんはな、圭が伸び伸びと歩いてるのが本当に好きなんだ。小さいころから元気に走り回ってたおまえを、いつも自慢していたぞ」
父親は懐かしむように目を細め笑った。対照的に、少年は不安が込み上げ、肩を下げていった。
「でも、わかんないよ。大学に行ったって、行く前からわかってないのに。そんな受験生、俺だけだよ。それに両親の役に立ちたいっていうのは、心からの気持ちなんだよ」
「なら、父さんたちが死んだらどうなる」
「どうなるって……」
「何も残らないだろ。それじゃあ、圭自身には何も残らないんだ。
確かに心から思ったことかもしれない。圭、今度はその気持ちを自分に向けろ」
「自分に?」
「感謝したい気持ちってのは心が外に向いているときに湧いてくる。それを自分に向けるんだ。小さいころ竹馬だったりドッチボールが好きだったろ。あれは圭の心がやりたいからやっていたことだ。だから楽しかったはずだ。授業が終わったらすぐやりたくなるだろ?そうした力がおまえを導くんだ。
だからひとまず、圭。受験とか就職とか抜きに、おまえのやりたいことを、おまえが考えるんだ」
「……わかった」
「明日の朝、聞かせてもらうぞ」
「明日?!まじかよ、お父さん」
「なに、大丈夫、しっかり聞いてやればすぐ答えてくれるよ」
8
観覧車を降りると、海風が背中に当たった。夕日は顔を半分隠しており、あたりもだいぶ暗くなっていた。濡らした顔に風が吹き付けられたときは、喉の渇きをいやすのと同じくらいに気持ちよかった。スタッフが深々とお辞儀をする。少年は少し距離をとって、顔を背けながら会釈した。
銀の鉄製の階段を、ガンガンと音を鳴らしながら降りていく。四つのメリーゴーランドが囲む中心に、間抜けそうな人間台の白鳥のマスコットキャラクターがいた。表面が鉄製のせいか、潮風に吹かれて錆びついている。周りを腰が掛けられるほどの岩壁で囲われている。昔、ここでアイスクリームを意地になって受け取らなったなと思い返した。
「本日はご来園、誠にありがとうございます」
コミカルな白鳥に向かい合いながら少年は声を聴いていた。白鳥越しに錆びついたスピーカーが見えた。
「白鳥、俺が最後に来た客だぞ。どんな場所にも一人くらいは来てくれるもんだな」
少年は白鳥に向かって話し続けた。
「ここには二回目なんだ。母親の容体が安定してきて、ちょっと思い出して寄ったんだ。そしたら今日で閉園だっていうんだから、笑っちゃうよ。
よかったよ、観覧車に乗れて。憂鬱だった気分から抜け出せた。模試の結果が悪くて。またダメなのかなって。死のうかなって思ったんだ。
でもさ、俺、最近大事なことを教えてもらったんだ。もっとたくさん世の中のことを知りたいって思うようになったんだ。学問も、仕事も、もう世の中のすべて!」
翼を広げて、親指の部分を上げてグッジョブとポーズを決めている白鳥。長いまつ毛を加えた大きな目を少年に向けている。
「どんな仕事に就きたいか、まだわかんないけど、勉強は楽しいって思えるんだ。もっと早くに気づいてた人がうらやましいよ。
ここには来れないけど、君と似たような場所に両親を連れていくことにしたよ。なるべく早いうちにね
寂しい最後だね。でも俺もそうなると思うんだ。周りからどんどん人がいなくなってさ、ベッドで死を待っているとき、周りに人がいても結局、俺だけが死ぬんだよ。
でもね、心は一緒にいてくれるんだ。だから、心の赴くままに生きてみようと思った。」
出口のスタッフに時間だよと声をかけられた。少年は白鳥に軽く手を振って別れを告げた。スタッフに見られぬよう、恥ずかしそうに顔を地面に向けたまま走った。大きな声でスタッフに謝り、ほほを赤くしながら、全力で駆けていった。
自分の才能にゆれ、両親の敷いたレールの上でゆれ、観覧車でもゆれた。結局のところ、どれも自分の体だけがゆらしていた。自分で決めようとも、考えようともしていなかったなと、心と話しているうちに悟った。
憂鬱に思えた出来事や日々はやりたいことを見つけると、どこかに消えた。それは少年自身も気づいていないことだった。今はただ、心から学びたいと、瞳の光が煌々と輝いていた。
大きく育っていく少年の背を見届けて、ゆりかごは役目を終えた。
メランコリー クレイドル ドンカラス @hakumokuren0125
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