ヒト休み

茶碗虫

本文

 眠そうにしているライオンをかれこれ20分ほど眺め続けている。ふと自分の左のほうを見れば、「ライオンさんだ」とはしゃいでいた3人組の子どもたちは、いつのまにかいなくなっていた。


 だが彼らは賢明だ。ぜひとも、自分が逆の立場だったら、という思考ができる人間になってもらいたい。そう、つまり、「自分が眠そうにしているところを赤の他人にさらされるのはいかがなものか」という思考。


 僕もまだ人生始まってから25年ぽっちで、えらそうなことはとても言えないが、相手の気持ちを思いやることができるに越したことはない、ということくらいはわかる。いや、「越したことない」を超えて、「必須スキルである」と言っても過言ではないまである。「過言ではないまである」……これは「頭痛が痛い」と同じ類のヤツか?新種発見~命名権どうぞ~ってか?


 いけない、僕の悪い癖である。思考がどんどん脱線してしまうという悪い癖。そのうち、「あれ、何してたんだっけ?」となる。これは非常にたちの悪い徘徊だ。だれも町内放送で特徴を述べてくれはしない。


 そんな物思いにふけっていると、右ポケットに眠っていた携帯が騒ぎ出した。ライオン観覧の最前列から抜け出すように人の波をかきわけかきわけ、静かなところで画面を見ると、この動物園に誘ってくれた同僚からの電話だった。


「はいよ、どうした」

「どうしたじゃねえよ!なんでいなくなってんだよ!」


 彼は食い気味に怒鳴ってきた。


 ……いなくなる?僕、ホンモノの徘徊始まっちゃってます?


 ああ、思い出した。2人でパンダを見ているときに、同僚がトイレに行くといって離れていったことを。そして、僕はパンダに飽きてライオンを見に行ってしまっていたことを……。


 どう考えても僕が悪いじゃん。


「ごめんごめん。じゃあ、パンダのとこ戻るわ」


 いけない、僕の悪い癖である。口先だけの謝罪だけは惜しまないという悪い癖。

 僕はうっすらと覚えている道をそのまま引き返した。


 ♦


 日曜日の動物園は基本混む。これはもはや遺伝子レベルに教育されたあるあるだ。ただ、わかっていても混雑を構成する1人になってしまう。

 じゃあ平日に行きゃあいいじゃん、というのはだれもが考えることではあると思う。


 そんな単純な話じゃねえんだよぉ……。

 そりゃだれだって混雑避けたいよ。避けれるなら避けたい。裂けるチーズなら裂きたい。世の理。

 そう、避けれるなら混雑など生まれやしない。逆に言うと、混雑があるとわかっていても来てしまう。

 この日しか都合があわないからだ。おそらく、今ここにいる人の多くが。

 それには当然、僕も、あの同僚も含まれる。


 はあ、もっと休みが欲しいな……。


 ♦


 パンダコーナーの近くには自動販売機がずらっと並ぶ場所があった。当然かつ残念ながら自販機にライオンやパンダほどの人気はないので、同僚の姿はすぐに見つかった。


 大人2人で1日中はしゃげるほど、動物園は便利な場所ではないらしい。

 おかしいな、ちょっと前までは1日つぶせたのに……。


 僕も同僚も、ひと休みすることを望んだ。


 時計を見ると、15時を示していた。ちょうどおやつの時間だし、ということで、売店近くのベンチに並んで腰かけた。アイスクリームを買ったり食べたり溶かしたりして、時間をつぶした。


 突然、いままで悩み続けていた問題の答えが、はっきりとわかったような気がした。


 子どもと大人の違いについてだ。


 子どもが「時間が経つのが早い」と感じるのは、おそらく「楽しいことをしている時」だ。この動物園でたとえて言うなら、「動物を見ているとき」だろう。


 では、大人が「時間が経つのが早い」と感じるのはいつか。


 僕の見解では、「苦しいことから逃げている時」だ。この動物園でたとえるなら、今の僕たちみたいに、「ベンチに座ってのんびりしているとき」。


 なにがその違いを生むのか。

 人生経験?生きてきた時間?いや、違う。


「苦しいこと」の重さによる。


 子どものころ、殊に小学生のころは、勉強をあまり苦にしていなかった。もちろん、苦にしている小学生もいるかもしれない。もっともそういうときは、その子が大人側の時間認識を持っているというだけなのだが。


 対してだいたいの大人は、平日が嫌で嫌で仕方ない。


 ……え、うなずいてくれてますよね?


 まあ、そういうで話を進めます。

 つまり、苦の重さが違うということだ。

 だから、大人は必然、僕の先ほどの嘆きにたどりつく。


「休みがほしい……」


 つい口からこぼれてしまった。ちらりと同僚を見ると、意外でもなんでもないが、同僚もうなずいていた。


「そっか……明日からまた仕事か」


 同僚は大あくびを添えてそんなことを言った。もしかして、さっきうなずいているように見えたのは、ただのウトウトなのでは――?


「なあ、思わないか?」


 眠気が覚めたのか、同僚は力強い目でニヤニヤと見つめてきた。


「休まなくていいのは心臓だけ、ってな」

「かっこつけんな」


 僕はほぼ脊髄反射でそう言った。彼は本当に恥ずかしげもなく、こういうクサいことをポンポン言う。


 でも、一理あるから憎めない。

 実際その通りだ。人間もライオンもパンダも、休まないとやってられない。


 明日からまた仕事か。まあ、適度に頑張ろう。

 死ぬまで働いたら、ヒトは本当に死んでしまう。

 適度に頑張ろう、適度に休もう。人間なんて、僕はそれでいいと思う。


 休まなくていいのは、心臓だけだ。


 僕はググっと背伸びをする。首とか肩とかその辺の骨が、ボキボキと音を立てて、僕をふるいたたせてくれた。


 同僚は僕の骨の悲鳴を聞くや否や、吹き出して笑った。

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