第2話

 「市民の皆さまにはステイホーム、ステイホームをお願いします。」

 テレビの中でどこかの市長が繰り返し訴えていた。

 「いつまでも家の中におられへんわ。ちょっと商店街に行って人の出を見てこ。」

 「あんた。やめときいな。こんなときに。」

 「マスクさえちゃんとしてたらコロナはうつらへん。マスク外して話しよるから蔓延するんや。」

 「そんなこと言うて。また暴力事件起こさんといてや。」

 「あれは向こうが悪いんや。おばはん三人がマスクせんとぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋りよって。人通りのある商店街やで。「マスクせい」いうて注意したら、後ろからたこ入道が出てきて「なんや」いうから、もう一遍「マスクせなあかんやろ」いうたったんや。そしたら「自分ちの前で話して何が悪い」や。そやからパコンと一発やってやったんや。」

 「手え出すくらいやったら「マスクなしのおしゃべりはやめましょう」いう張り紙でもその家の玄関に張ってやったらええやん。」

 「そんな卑怯なことできるか。間違ったことしてるやつには面と向かって言うてやるんがまっとうなやり方や。」

 「あんた前科あるんやで。そんなこと繰り返してたら懲役や。ええ加減やめてや。」

 「前のはあおり運転する方が悪いんや。普通に車線変更したのに割り込みした、ゆうてあおり運転されてわしの車止められて。ハンマー持って降りて怒鳴ってきたから殴り合いになったんや。」

 「頼むからカッとなったら検事さんに言われてことやってや。」

 「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう。手え出す前にゆっくり数えるんやろ。分かってるわ。」

 下の真っ赤なトレパンだけ細身の黒のデニムにはき替え、上の長袖Tシャツはそのまま、裸足に安いサンダルを履いて外にでた。Tシャツの袖は黒く、胴はグレーだが、腹部に金太郎の絵、背部に鯉の絵が浮世絵のように描いてあった。

 平時より少ないが、商店街はそこそこ人が出ていた。必要な買い物でなく、ブラブラしている人間もいるようだ。マスクは息苦しく、人波が途切れたところで鼻だけ出した。カレー店の匂い。ラーメン店の豚骨スープやたこ焼き屋のソースの匂い。飲食店の匂いが好きだ。いつも嗅いでいる匂いなのに、マスクから鼻を出した直後は郷愁が沸き、それが一層よかった。

 マスクをしていない男がいた。小太りで目がぎょろりとしたごま塩頭。歳は自分と同じくらいか。たるんだ水色のトレーナーを着て、左手にマスクを握りしめている。少しとろいのだろう。注意してやろうと近づいた。

 「おっちゃん。マスク持ってんねんやったら、ちゃんとせなアカンで。」

(つづく)

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