マスク禍

ウーホーオーラン

第1話

 「昨日の新型コロナウイルスの新規感染者数は、三千二百……。」

 テレビのニュースでアナウンサーが伝え、画面には主要な駅前の人の流れが次々と映っていた。

 「ずいぶんたくさんの人が街に出ているみたいだな。いったいみんな何を考えているんだ。」

 「………。」

 「おとなしく家でじっとしていられないのか。」

 「じっとしている人もいるんじゃないの。街に出ているのは一部の人でしょ。」

 「ちょっと散歩に行って来るぜ。」

 「あんたこそじっとしていないじゃないの。商店街なんかに行っちゃだめだよ。」

 「当たり前だ。川岸の遊歩道を歩いて神社に寄って帰って来るだけさ。」

 「どこかでもめ事なんか起こさないでちょうだいよ。」

 「どういうことだい。」

 「この前も河川敷で若者グループと言い合いになってさ。警察を呼ばれて騒ぎになって。恥ずかしいったらありゃしない。」

 「河川敷でバーベキューなんかやっているからだ。そもそも禁止されているんだ。それもこんな時期に。何を考えているんだ。注意するのが当たり前だ。」

 「何もあんたが言わなくってもいいじゃない。」

 「遊歩道に何人も人が歩いているのに誰も注意しないからだ。一市民として当然の義務だ。」

 「どうせ警察が来るんだったら、あんたが通報だけしたっていいんじゃないの。」

 「ものかげにこそこそ隠れて密告するようなまねができるか。」

 「わかったよ。もう。あんた。曲がったことが大嫌いだっていうことなんだね。」

 「筋を通すのが俺の生き方だ。」

 立ち上がって胸を張り、宙に向かって大きな声で言って、上下ともトレーナーの部屋着のまま、スニーカーを履いて外へ出た。

 商店街を横切って河岸に出て上流へ向かい、二十分ほど歩いて川から離れ、階段を登って高台の神社に入った。本殿の前でパンパンと柏手を打ち「早く世の中のコロナが収まりますように」とお祈りした。薄曇りだが、昼過ぎの光に満ちた穏やかな空気の中、階段を下りながらとても良いことをした気分になってふふんと笑みを浮かべた。気合を入れるため、両方の耳に架けたマスクの紐を指でつまんで後に引っ張り、顔面にマスクを押し付けた。プチンと紐が切れ、マスクが外れた。ややっ、えらいことになった。狼狽してマスクを手に持って口と鼻に当てた。しかし、川沿いの遊歩道に行き交う人はなく、馬鹿らしくなって、左手にマスクを握り、顔をむき出しにして歩き始めた。微風が鼻先をかすめ、道端に生えている草木や土の匂いがした。なぜか分からないが、子ども時代の懐かしさがこみ上げて来た。

(つづく)

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