第20話 壁の向こう側には
宿泊代が安いから期待してなかったけど、この宿には風呂もついていた。
聖者の森では水浴びばかりだったし、たまにはゆっくり湯に浸かるのも良い。
「お待たせシャル。先に入らせてもらって悪いな――ん? どうかしたのか?」
ベッドに座っているシャルは、何やら緊張感のある表情をしていた。
すぐに察して問い掛けても、じっと口を噤んでいる。
俺は濡れた髪をタオルで拭きながら返事を待った。
「ショーマ様、隣の部屋を確認出来ますか? 獣人族やドワーフとは違う、何か強力な魔力を感じます。魔物でも無さそうですが……」
「強力な魔力? んー、確かめてみるか――」
【
覗き見するみたいで気は進まなかったが、万が一魔族でも潜伏していたら事件になる。
そう思って壁の向こう側を透視してみると、不思議な光景が脳内に飛び込んできた。
「いかがでしょう? 静かですが僅かに物音も聞こえますし、何者かがいますよね?」
「ルンバもびっくりだなこれは……」
「ルンバ? なんですかそれは?」
「あぁ、気にしなくていい。なんか小さな箒や雑巾が、壁や天井まで掃除してるんだよ」
「そんな魔法、聞いたことありません。ひょっとして魔術なのでしょうか?」
「いや、魔術でもあんな自動ロボットみたいな動かし方は不可能だ。透明人間か?」
「
そもそも誰もいない密室で、姿を消して掃除をする理由が分からん。
得体が知れないと感じた俺は、シャルを連れて店主の部屋に報告に行った。
すでに営業を終えていて申し訳ないとは思ったけど、あんなポルターガイスト現象に遭遇して、放置する方が難しい。
隣の部屋だし。
出てきた牛女に状況を説明すると、一瞬キョトンとしたかと思えば、途端に腹を抱えて笑い始めた。
「そっかそっかー! 君達ブラウニーを知らないのかい! いい子達だから大丈夫だよ」
「ブラウニー? ペットでも飼ってるのか?」
「ペットってなにさ? ブラウニーっていうのは亜人の一種で、可愛らしい小人の種族よ」
店員の話によると、そのブラウニーとやらは肩に乗るほど小さな体に、幼い子どもの姿をしているのが特徴で、エルフを超えるくらい
しかし攻撃用の魔法は一切使用せず、自在に道具を動かしたり透明化したりして、街角から民家の中まで掃除をしてくれるという。
いやそれって完全に不法侵入だろ。
「姿を消して行動するのは、なにか後ろめたい理由があるからじゃないのか?」
「そうじゃない。あの子達は臆病だけど、自分達なりに感謝を伝えてくれてるのよ」
「何故そう言い切れる? 遠隔操作や透明化なんて魔法を使えたら、その気になればいつでも人を殺せる。かなり危険だと思うが?」
「ショーマ様、さすがにそれは……」
「いいのよエルフちゃん。アタシも子どもの頃はちょっと不気味に思ってた。でも違ったのよ」
少し切なげな表情に、深い理由があるのだと確信した。
そして店主の奥さんであるその人は、ゆっくりと口を開いて語り出す――……
***
もうずいぶんと大昔の話だけど、山で穏やかに暮らしていたブラウニー達は、今よりもたくさん仲間がいたの。
でもブラウニーには他のどの人類種にもない、特別な魔法があった。
それに目を付けたのが、リブラッド王国の国王、つまり人間よ。
人間でありながら強い魔法を探求する彼らは、大勢のブラウニー達を捕獲し、その特別な力を解明しようとした。
でもそれが不可能だと判断した国王は、ブラウニーを魔物であると
捕獲されたブラウニー達は全員殺され、山にいた子達も追い回され、あの子達は居場所を失った。
それでもこの街にはまだブラウニーがいる。
そう確信したのは何気ない普通の日。
結婚して、この店を繁盛させようと必死だった頃、疲れきってフラフラしながら、客室を掃除しようとした時だった。
なぜか部屋の中がピカピカになっていて、テーブルの上に一通の手紙があったの。
『いつもお疲れさまです』って。
だから次の日の夜、空き室にお菓子を置いておいたら、今度は『受け入れてくれてありがとう』って手紙が置かれてた。
本当に伝説通りで、こんなに優しい子達なのに、ずっと怖がりながら居場所を探してる。
一度それっぽい女の子が顔を見せてくれたから、もうあの子は店員の一人だと思ってるわ。
***
悲しくもあたたかい物語を聞かされ、俺も思うところが無くもない。
しかし横にいるシャルが手で口を覆いながら号泣してるし、なんかリアクションに困るのだが。
「清掃員の邪魔をする気はない。よく眠れそうな話を聞いたし、部屋に戻るぞシャル」
「ふぁ、ふぁぃぃい」
「おやすみシャルちゃん、ショーマサマ?」
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