第3話 傷―身代わり―

「また連絡して。」


「もう会わねぇよ。」


「どうせすぐ連絡してくるくせに。じゃーねー。」


 朝日のさすホテルの一室から、彼女は去っていく。名前は、二宮莉々衣にのみやりりい。俺の大学でのゼミの後輩だ。あいつが20歳になった時の飲み会で珍しく俺は酔っぱらってしまって、気付いたら朝のラブホのベットに転がっていた。それから、切ろうにも切れない関係が続いている。

 あの日は、やけに酒が飲みたい気分で、仲のいい男友達に止められたが強引にテキーラをあおってしまった。

かすむ視界にぼやけて、あの女が化けて出てきやがったんだ。あの列車での夜以来、学校でたまに話すくらいでどこかに出かけることは無くなった。あの時出てきた「あいつ」との関係もわからずじまいで、思い返すと胸にかすかな痛みが走る。

なんで莉々衣のやつが俺を連れ帰ることになったのか覚えてないが、どうせあいつも初めての酒にあてられてヤリたくなったとかそんなとこだろ。


 一週間ほどたって、また人肌が恋しくなった。気づくと、莉々衣に電話していつものホテルの一室に押し倒していた。


「やっぱり、すぐにこうなると思った~。にしても、いつも2、3週間は空くのにずいぶん早かったじゃん。何、欲求不満なの?」


 ケタケタ笑う彼女の口を強引に自分の口でふさいだ。なんだかあの女のことを思い出すと、独りでいる時間に耐えられなくなっていた。その日のセックスは少し乱暴で、莉々衣は喜んでたけど俺はあまり気持ちよくなかった。


 シャワーを浴びて戻ると、莉々衣はベットに寝っ転がってスマホをいじっている。あいかわらず何考えてるかよくわからないやつだ。普通、行為を済ませた後は寝るか、話すかするもんだと思うが、莉々衣の場合ヤってる時の興奮度合いに比べて、それ以外の時間は急に熱が冷める。まあ、俺はこの時間が一番苦手だから、そこが楽で助かるんだけどな。

 そんなこと考えてると珍しく莉々衣が、ベットの上に座りなおしてこっちをじとっと見つめてくる。


「なんだよ?」


「うーん、先輩は私のことどう思ってるのかな、って思ってさ。」


「どうって、ただの後輩だろ。あとはセフレ?ってことになるのかもな。」


「それはただの事実じゃん!そうじゃなくて、私ってどう?女の子として魅力的かな?そこんとこ詳しく聞きたいの!」


 急に何言ってんだこいつ。好きな男でもできたんだろうか。こいつがその男とうまくいけば俺はこの不毛な関係を終わらせられるかもしれない。よし、一つほめちぎって自信でも持たせてやるか。


「そうだな、胸はでかいし、尻も締まってる。小顔で、たれ目なとこがいいな。そういうの好きな男は多いぞ。」


「それは……ありがと……。でもっ!外見ばっかしじゃん!もっと内面は?」


「ん?あぁそうだな、強気に思ったこと言えるとこはいいと思うぞ。自分の気持ちを伝えないとすれ違ったりしちまうからな。ただでさえ、女の考えてることはよくわかんねえことが多いんだ。お前みたいに思ってること全部しゃべってくれるのはありがたいぞ。」


 ん?なんか、ほっぺ膨らまして……すねてるのか?


「おもったことなんて全然ぃぇてなぃもん。」


「なんか言ったか?」


「もー!何でもない!もう寝るね!おやすみ!」


 やっぱり女はよくわからないな。


 次の日、少し時間をずらしてゼミの授業に向かった。ゼミの時、莉々衣とは特段仲良くしないようにしている。他のメンバーにいらぬ勘繰りをされるとめんどうだからだ。この日も、何度か目くばせはしたけど、結局話すことはなかった。

 俺がゼミの教室を友達と話しながら出ていくとき、後ろから視線を感じた気がするが、まあ勘違いだろ。


 それから一か月がたった。ゼミで顔を合わせたりはしたけど、ホテルにあいつを呼び出すことは無かった。こんなに長く肌を重ねなったのは初めてだったが、もともと俺が呼び出してヤるだけの関係だったから、不思議なことは無い。

 そろそろ一回会いたいかもな、なんて思いながらラインを開いていると、ちょうど莉々衣から連絡がきた。なんだ?あいつから連絡よこすなんて珍しいな。

ラインにはただ一文、


「今から、会いたい。」


とだけ書かれていた。その後場所が送られてくる。大学近くの公園だ。もう夜も遅い、そろそろ10時を回る頃だ。こんな時間に女が一人で外にいるのはさすがに危ないと思う。俺は足早に家を出て、莉々衣のもとに向かった。


 公園に着いてあたりを見渡すと、池の向こう岸でベンチに座るあいつが見えた。俺は少し早いリズムを刻んでいた心臓を休ませながら、ゆっくりと歩いていく。

 ベンチの横まで行っても特に反応しない莉々衣を見て、ちょっと変だなと思いながらも隣に座る。少しの沈黙の後、莉々衣の方から言葉が漏れ出すように話し始めた。



「私ね、好きな人がいたの。すごくすごく好きで、その時の私にとっては唯一の大切なものだった。

うち、母子家庭でさ、母親は仕事に明け暮れてたから家ではたいてい独りだったんだ。その人はね、そんな私に目一杯の「好き」をくれたの。いろんなとこに行って、いろんなものを見て、彼との時間は初めてと楽しいにあふれてた。

 自分のことも、母親のことも、学校も、全部全部嫌いだった私は、彼から初めて「好き」を教えてもらったんだ。だから大切で、かけがえがなくて、失うことなんて想像もできなかった。

 それなのに、彼は突然私の前からいなくなった。さよならの理由も言わずに、スーっと消えていった。」


 胸にナイフが刺さる。頭がハンマーで叩かれて、ぐらぐら揺れている。

 心が叫んでいる。「思い出せ、思い出せ」と、声を枯らしても足りないと喉から血を出して叫んでいる。

 うるさい、うるさい。


「今思えば、大学生になって好きな人が出来たんだと思う。あの人は私にとっていい人だったけど、誰にでも同じようにいい人の顔をしていたから。」


 頭の中であいつの声がリピートされる。

「君はいい人だね。いい人だけど、優しくはないや。」

 うるさい、うるさい、うるさい。


「それでずっとふさぎ込んでたの。ただ人前では明るくふるまう癖がすっかりついちゃって。ゼミの飲み会で私の誕生日祝いをやるって聞いたときは、心の底から迷惑だと思ったよ。慣れた手順で顔に笑顔を張り付けて家を出たの。いつもと同じ繰り返しで、また嫌いなものが増えるだけだと思ってた。


 でも違った。先輩がいた。

 先輩あの日はめちゃくちゃ酔っぱらってて、私の肩を枕にしてうたた寝してたの覚えてる?ぽろぽろ涙でもこぼすみたいに、あの女の人のこと話してた。どこに行って、何をして、どんな景色を一緒に見たのか、それと……列車の中でのことも。」


 やめてくれ。逃げ出したいのに足がいかりになって、ここから離れられない。耳をふさぎたいのに、体の内側から声が響てくる。すでに俺は彼女の声を聞きとれなくなっていた。ただ、記憶の中のあの女が話しかけてくる。あの列車の中での会話が鮮明にリピート再生される。

 うるさい、うるさい、うるさい……。


「うるさい!!!!!!」


 気づいたら、声が出ていた。静かな夜の公園で声がやけに反響して、帰ってきた音が自分の声だったと気が付いてハッとした。

 

「あ、ご、ごめん……。」


 動揺させてしまったと目の前の女の子に目をやると、なぜかすっと落ち着いた様子の彼女がいた。


「やっと……やっと先輩の本当の気持ちが見れた気がする。あの人のこと、小野町三倉おのまちさくらのことを出せば先輩の本音が聞けるんじゃないかって思ってた。

ずっと、初めてしたあの日からずっと、学校でもベットの上でも先輩はずっと仮面をつけて素顔は一度も見せてくれなかった。話で出てきた女の人にだけ見せていた、本当の先輩が知りたかったの。」


なんで、なんでお前がそんなこと知りたがるんだ……?

お前と俺の関係はただの先輩と後輩で、時折来るひどく寒い夜に体を寄せ合うだけの関係だったはずだ。そうだ、そうだよ……、俺がお前に思うことはそれくらいで、それはお前も同じはずで…。

「こっち見てよ!」


体が、頭が、何より感情がビクッと飛び跳ねた。


「いい加減、私のことを見てよっ……!

先輩がこれまで見てたのは、話してたのは!二宮莉々衣にのみやりりいなんかじゃない。ただの女。あの人の代替品。

それでもいいと思ってた。

あなたの目に私が映っていなくても、あなたの一番そばにいるのは私だった。その事実で満たされていると、そう言い聞かせられた。

でも!この一か月あなたと離れて、身体の距離すらなくなったら、私は先輩にとってただの後輩に成り下がるんだって実感した。」


 それ以上言わないで、それより先を言ったら、俺は自分の罪に目を背けられなくなる。過去のお前との時間がすべて、重しになってのしかかっってくる。




「私は、あなたが好き。」


あ、


「あなたの笑いかける顔が好き。寂しい時に、強がりながらも甘える声が好き。」


あ、あぁ、


「人とは距離を置いていて、でもその人が困っていると猫のように身を寄せて優しさをあげられるところが好き。」


やめて、やめてくれ。


「後輩には人いちばい優しくて、特にちょっぴり私をよく見てくれているところが好き。」


 これ以上は、もう……、


「自分には好きな人がいて、それなのにあなたのことを好きになってしまった私に、気づかないふりをしていてくれてたところが、好き。」


「っ、っくぅ、うあぁぁぁぁー!」


 目から涙がこぼれて止まらない。泣き顔なんて見せちゃダメなのに、そんな資格なんてないのに。俺の情けない声が、頬に感じる冷たい水滴が、際限なく俺を辱める。

 嫌いだ、俺は俺が大嫌いだ。


「先輩のこと、大嫌いで、大嫌いで……大好きだったよ。」





「君を身代わりにして、君の傷をまた増やした」


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